古代の極端な苦行女性隠修者の最初の出土:スロヴァキア語論文は空振りだったが

 昨年秋に偶然に、メール情報で飛び込んできたナショジオ日本語版で「古代の修道女の過激な「禁欲生活」、初の考古学的証拠が見つかる」(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/25/072300407/)という記事が目に触れた。ちょっとだけ紹介あって「それ以上は定期購読者」しか読めないとなっていたので、やむを得ず定期購読したのだが、いっかな先に進めず読むことがかなわなかった(2025年8月号所収とのことだったので、それも購入したが空振りに終わった)。それで今回今流行りのAIで教えてもらってみたら、なんでもある墓地から鎖で縛られた女性の遺骸が出てきたという情報が書かれていて、以下の論文が紹介されていた。

 Peter Olexák, Prosopografický výskum fenoménu Äb0ženského Äb0eremitizmu/anachoretizmu Äb0, Studia Theologica 2017, 19(1):113-126.

 要旨は英語だったが、本文は東欧語で書かれていて(表題後半Äb0だらけでそれだけでもなんだか怪しい)、私は最初ポーランド語かと思って、Google翻訳で試して見たがだめで、思いついて自動検出できるDeepLでやったら、スロヴァキア語だった。そして、首尾よく大意は理解できる形で翻訳もできた(ページ変わり目の翻訳は当然混乱しているが)。

 さっそくざっと読んでみたが、2017年公表の論文だから、2025年8月号の最新発掘情報を掲載しているはずのナショジオ記事とズバリであるわけがないが、後4−5世紀の女性隠修者に関する内容で初見のそれはそれなりに勉強となった。しかしこの論文、当然のように文献史学なので、ナショジオみたいな画像はまったくなく、それを求めていた私は胸のつかえがぜんぜん解消されず、もちょっと検索して、以下を見つけ、待望の写真も手に入れることができた。「Sexing remains of a Byzantine ascetic burial using enamel proteomics」(https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2352409X25000045)。それが以下である。

左:イスラエル地図  中央上:出土位置、中央下:T3が埋葬場所  右:埋葬状況(鎖をまとった遺骸)

 遺骨の保存状況が劣悪だったので、たった一本残っていた歯のエナメル質の分析を昨年春になっておこなったところ、これまで男性と思われていたものが女性だったことが判明し、事態は急展開。金属の鎖を身にまとうという苛酷な苦行をしていた女性隠修者の存在が考古学的に初めて確認された、というわけである。重要なので、拡大写真を掲載しておこう。

 めったに遭遇できない発見例には違いない。我が国でも女性史関連で論文書いている研究者がいないわけではないが、もっぱら文献依存レベルであり、従来こういった考古学がらみで言及していないわけで、我が国の研究の偏りというか視野狭窄は本当に残念で、あえて苦言を呈し、考古学を射程に入れることに忌避感ない若い研究者の参入を期待せざるを得ない。

【追記】これを書いた直後、ぐぐっていてナショジオの英語版そのもにも行きついた。そこには全文が無料で開示されていたのであ〜る(2025/7/17)。それが以下である。「Nun’s skeleton reveals that some ancient women were extreme hermits」(https://www.nationalgeographic.com/history/article/byzantine-nun-skeleton-discovered-syria-hermits-ascetics-christianity

 これでようやく約1年間の怨嗟が解消されたわけである。それによると、1924年、ラマト・シュロモRamat Shlomo (イスラエル)近郊のヒルバット・エル・マサニ(Khirbat el-Masaniʾ)での発掘調査で、後350年から650年頃と推定されるビザンツ時代の修道院跡が発見された。エルサレム旧市街の北西わずか3キロに位置するこの修道院は、ヤッファJaffaやリッダLyddaから同市へと続く主要道路沿いに建てられていた。そこの地下墳墓3つの第3番目で発見された墓の中に、金属製の鎖を異例な形で体に巻き付けられた、身元不明の人物の遺骨が含まれていた。こういった極端に過激な苦行は当時男性特有と考えられていたので、発掘以来1世紀そう思われてきたが、2025年の春最新のDNA分析をしたところ、なんと女性だったことが判明した、というわけ。

 従来の文献学研究でも、女性隠修者の過激な禁欲生活が散見されていないわけではなかった。たとえばキュロスのテオドレトス『敬神者列伝』Historia religiosa, 29 には、テオドレトスがシリア人姉妹MaranaとCyraを訪れた際の様子が描かれているが、彼女たちは重い鉄の輪や鎖を身にまとって、屋根のない家に住んでおり、その入り口は泥と石で塞がれ、外界から遮断されて外に出られないようになっており、小さな窓から食料や水が差し入れられていた、と(https://archive.org/details/theodoret-1985-monks-of-syria/page/185/mode/1up)。

 ジェンダー論からすれば、この考古学資料、一級の新情報のはずなのだがいわゆる専門家たちはご存じなのであろうか。

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