投稿者: k.toyota

なんと返信メールが数百数!

 昨晩からすさまじい大量の「@niftyメールサービス」からの「メール送信エラー通知」表示のメールが送られてきた。

 ニフティからは「【重要】メールの送信制限に関するお知らせ」が以下の文面で送られてきた。

「平素より@nifty (アット・ニフティ)をご利用いただき誠にありがとうござ
います。

お客様のメールアドレスより大量のメール送信が行われておりました。 昨今、フィッシング詐欺などによって流出したID・パスワードを悪用し、第三者が迷惑メールを大量送信する被害が多く発生しております。
不正に利用された可能性があるためお客様のアカウントを保護し、被害の拡大防止のため、一時的にメールの送信制限をかけております。」

 それと連動してるのかどうかは不明だが、このところなぜかHPへのアクセス数が連日100近くになっていたのが、数日前からそれまで通常の30程度に落ち着いた。国別を確かめたらこれまで多かったときはアメリカが七割位占めていたのに、ここ数日はパタリとアクセス数が消え去っている。

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ローマ皇帝の真の顔

https://www.popularmechanics.com/technology/a34209169/real-faces-of-roman-emperors/ローマ帝国

最先端技術により、これら著名な統治者たちの実際の姿が初めて明らかになった。

執筆:コートニー・リンダー  COURTNEY LINDER

公開:2020年10月5日

 この54人、残念ながら私が関心をもっているディオクレティアヌス以降の1世紀間が省かれている。

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かつての戦略物資「いわし」

https://courrier.jp/news/archives/456338/?utm_source=category_post_02&utm_medium=top_slider&utm_campaign=article_id_456338

 20世紀初頭の大日本帝国にとってマイワシは単なる食べ物以上の存在だった。明治維新以降、日本は近代化と積極的な帝国建設に乗り出し、帝国主義国家としては後発だったものの、武力による侵略や併合を通じてアジアを支配下に置いていった。それまで魚油は長年、魚を肥料へと加工する際の「副産物」にすぎなかった。この油はもともと、ヨーロッパでは「水素添加」と呼ばれるプロセスを経て、無臭の固形脂肪「硬化油(こうかゆ)」へと加工されていた。この技術が日本に導入されたのは、1910年代初頭のことだ。硬化油は化学処理を経て、ダイナマイトの主成分となるニトログリセリンの原料へと姿を変えた。

 魚油の軍事兵器の製造利用は日本固有の試みではない。実際のところ、これは20世紀初頭の帝国主義戦争における世界的な潮流であり、ナチス・ドイツなどでも同様の動きが見られた。大日本帝国にとって、イワシと帝国建設の関係には二つの側面があった。領土を拡大すればイワシの漁獲量が増え、その結果、戦時体制により多くの油を供給できるようになる。

 日本は1910年に韓国を併合した。しかしこの地域におけるマイワシ漁が大きな転換期を迎えたのは、1923年のことである。その年、朝鮮半島北部の沖合にマイワシの大群が押し寄せた。この大発生は、関東大震災後に起きた海流の変化や、漁師たちの間でマイワシの価値が広く知れ渡ったこと、あるいは海面水温の変化などが原因だったと考えられている。当時のデータでは、植民地だった朝鮮の漁獲量だけで米国の3倍近くに達しており、日本全体では米国の10倍近くという驚異的な水揚げ量を記録していた。

 イワシは食卓から戦場へと駆り出された。1931年の満州事変を皮切りに、日中戦争、そしてアジアにおける第二次世界大戦への引き金となった1937年の盧溝橋事件にいたるまで、大日本帝国による大陸侵略を加速させる「燃料」となった。当時までに植民地であった朝鮮の興南(フンナム)地域は、こうした「魚由来の兵器」を製造する一大拠点となっていた。その中心が朝鮮窒素肥料株式会社の一部として設立された巨大な化学工業施設「興南コンビナート」だ。当初は化学肥料工場として建設されたが、同コンビナートは急速な発展を遂げ、1935年までにグリセリンや爆薬の工場を内包する広大な複合施設へと拡大していった。  

 朝鮮がマイワシ漁の拠点から化学工業の拠点へと変貌を遂げるなかで、マイワシはもはや単なる大衆魚ではなくなっていった。それはまさに「軍事化された魚」となったのだ。しかし、この魚の兵器化は、第二次世界大戦中、長くは続かなかった。複数の研究によると、大日本帝国のマイワシの漁獲量は1940年代初頭に激減し、一時は完全に途絶えたことさえあったとされる。水産資源に深く依存していた日本の軍事力は、これにより大きな制限を受けることとなった。戦争における日本の敗北は、マイワシによって形成された帝国の野望に終止符を打った。

 しかし、その産業利用は現在も続いている。2020年の農林水産省の「水産物流調査」によると、イワシの76%が油、肥料、魚の飼料といった非食用目的で使用されている。

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渇水期のドナウ川で各種遺物が出土

 お盆前後に広島に帰省していたが、大雨に襲われた千葉なんかと比べ、雨は一滴も降らず、原爆忌同様のカンカン照り、そんな感じだった。そんなとき、知人やナショジオから、ドナウ川が干上がって色んなものが水面上に表れたという情報が届いたのだが、なぜかWiFiの調子が今一で即応することは出来なかった。データだけを保存して帰京してまとめたのが以下である。

 猛烈な熱波の影響で欧州10か国を流れるドナウ川の水位が大幅に下がり、川底からマンモスの骨や沈没船が見つかった。欧州メディアは「熱波がもたらした意外な発見」と伝えている。

1.マンモスの骨:ブルガリア北部   https://news.yahoo.co.jp/articles/9738a889bc9ac53d462b956b6e61ba340ea18293/images/000

 クロアチアの地元メディアは7月下旬、東部を流れるドナウ川に沈んでいた船が姿を現したと伝えた。1937年に航行中の事故で沈没したハンガリーの貨物船とみられ、地元市長は「川の遺物を記録する絶好の機会だ」と語る。

 ハンガリー首都ブダペスト周辺では、第二次世界大戦中のドイツ軍のオートバイも見つかった。欧州では依然として厳しい熱波が続き、ドナウ川の水位がさらに下がる可能性が指摘されている。

2.  ナチス軍の軍船20隻余り:http://b.hatena.ne.jp/entry/https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/26/081700456/

 これらの船は、1944年9月にナチス・ドイツがセルビアのプラホボ港付近で自沈させた約200隻からなる船団の一部だ。ソ連軍の進軍を阻止するため、船はプラホボの航路を横切るように沈められた。

3.川底から突如現れた“全長2キロ超の橋”の遺構:ブルガリア北部のギゲン村付近で、コンスタンティヌス橋の基礎部分が確認

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 この橋は、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世(大帝)の時代に建造され、西暦328年7月5日に開通したと伝えられたもの。ブルガリア側の古代都市ウルピア・オエスクスUlpia Oescusと、現在のルーマニアに位置するスキダヴァSycidavaを結んでいた。 その規模は驚くべきもので、全長は約2.5キロメートル、幅は約6メートル。水面から橋を支える部分の高さは約10メートルに達したとされ、古代に造られた橋としては世界でも有数の長さを誇った。基礎には四角く加工した石材やレンガが使われ、その上に川を渡るための木造部分が築かれていた。

 今回の調査では、水に強い「水硬性コンクリート」やローマ帝国時代のタイルを使った石積みも確認されている。プレヴェン地方歴史博物館のヴォロディア・ポポフ館長によると、当時のローマ軍には軍事施設や道路、橋などを建設する専門の工兵部隊があり、高度な土木技術を持っていた。巨大なドナウ川を横断する橋も、そうしたローマ帝国の技術力を背景に造られた。一方、この橋は軍事目的だけのものではなかったようで、市民の移動や交易、行政にも使われ、橋には関所も設けられていた。ドナウ川を挟む地域を結ぶ、いわば古代の重要インフラだった。

 これほどの大工事で造られたコンスタンティヌス橋だが、その役割は長く続かなかった。 4世紀後半になると、ローマ帝国の北方国境は周辺勢力による侵入が相次ぐようになる。便利な橋を残しておけば、逆に敵がドナウ川を渡って帝国内へ進む経路として利用する恐れがあった。そのため、橋の木造部分は焼か、巨大橋は建設から数十年ほどで使われなくなった。その後、遺構は長い年月をかけて水流や自然の力に削られ、現在では川底に基礎などが残るのみとなった。ただ残存部分は現在も水面下約70センチにあり、水上から肉眼で確認するのは困難。正確な位置を把握したうえでドローンから見ることで、その姿がようやく分かるという。

 今回撮影された写真やデータは今後、詳しく分析される予定。橋脚の構造を調べることで、これまで研究者が抱えてきた疑問を解く手がかりも得られると期待されている。1700年近く前、人々や物資が行き交ったドナウ川の巨大橋。猛暑と水位低下という現代の異常な状況が、はるか昔のローマ帝国の技術を改めて知る機会をもたらした。

Sekularac, Ivana. “Low Danube water levels in Bulgaria expose Roman-era bridge”Reuters. Reuters. Retrieved 6 August2026.

【付録】皇帝「ネロの橋」が出現 水位低下が著しい首都のティベレ川

https://news.yahoo.co.jp/articles/aa5d7603e60573270e81671f07590b3b6f7cd5ec/images/000

ローマ(CNN) 焼けるような暑さと長く乾燥した夏にあえぐイタリアで、川の水位低下により2000年前の橋の遺構が姿を現した。「ネロの橋」と呼ばれるこの橋はかつて、首都ローマ中心部を流れるティベレ川に架かっていた。

ローマ市民保護当局の調整官によると、アペニン山脈北部の支流から注ぐティベレ川の流量は、毎秒80立方メートルを下回っている。毎秒80立方メートルというのは、この時期の全国平均の半分に当たる。

調整官はAP通信の取材に、「我々は深刻な水危機に直面している。冬にかなりの降雨があったものの、乾燥した期間が長引いたことも危機の一因だ」 と語った。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35251573.html

【これはしかし毎年夏になると普通にみることができるので、本年の渇水だからというわけではないし、しかも西側にもそれらしき遺構が藻にまとわれて見ることできることに注目】

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フェイクの円形劇場を作ったお粗末な顛末

  古代ローマの円形劇場を模した人工建造物を建設し、それを「本物の円形闘技場」と称して、見学者から40ユーロを徴収していたイタリア人男性が、長期にわたる法廷闘争に敗れ、収監された。2016年発信情報によると、「丘の中腹に建てられた、やや古びた現代の石材を用いた5,000平方メートルの劇場では、衣装ショーやディナーも開催され、数ヶ月間、彼はかなりの収入を得た。入場料は一人40ユーロで、特に外国人観光客に大変人気があった。彼は違法建築、景観規制違反、無許可の考古学的調査で告発された。敷地内には池も造られていた。」

 「ベリコ海洋円形闘技場(Berico Maritime Amphitheater)」と名付けられたこの施設は、ヴィチェンツァ南部の丘陵地帯に位置し、米軍関係者が家族と共に暮らす人気エリアの一つであるアルクニャーノArcugnanoの、かつては森林だった土地に建設された。長い訴訟の末、このたび有罪の判決が降った。

 所有者であるフランコ・マロッソ氏が主張した「この建造物はテオドシウス大帝の治世下である393年に建てられたものだ」という説は、事実とは程遠い誇張であった。彼はさらに、この場所がユリウス・カエサルやシェイクスピアの架空の登場人物ジュリエット・キャピュレットとゆかりがあり、新石器時代やギリシャ・ローマ時代の遺構も含まれていると主張していた。

 2026/7/30のイタリアの報道によると、同国の最高裁はマロッソ氏の最終上訴を棄却し、違法建築、美術品の偽造、無許可の遺物作成などの罪で下された下級審の有罪判決を支持した。自らを「フランコ・アレッサンドロ・モロッソ・マルタレル・フォン・ローゼンフランツ」と名乗っていた69歳のマロッソ氏は現在、フランス国境に近いリグーリア州で2年4ヶ月の刑に服していると報じられている。

 慈善家、起業家、オーケストラ指揮者、歴史家を自称していた彼は、2005年の地滑りによって、自身が「世界最古かつ最大級の円形闘技場の一つ」と謳っていた遺跡が発見されたと主張していた。彼は何らかの方法で地元の当局者を説得し、この施設をEUの資金提供によるヴィチェンツァ地域の観光ガイドやアプリに掲載させることに成功していた。しかし、地元当局が約10年前に不審を抱いて調査を行った結果、その「遺跡」は実際にはグラスファイバー、コンクリート、漆喰(しっくい)といった、人工的に古びた風合いを出した現代の素材で作られていたことが判明した。当局によると、階段状の石造り座席を備えた半円形のこの建造物は、適切な計画や許可を得ることなく、保護地域内の丘の斜面を掘削して建設されたものだった。さらに、円形闘技場(アンフィシアター)が円形や楕円形であるのに対し、この建造物は厳密には(半円形の)劇場(シアター)の構造をしていた。

イタリアのメディア報道によれば、2016年に市当局がこの偽造工作についてヴィチェンツァの検察に通報した。マロッソ被告側の弁護の一つは、その偽造があまりにも稚拙だったため、誰も騙されるはずがないというものだった。しかし、「ヴィチェンツァ・トゥデイ」紙の報道によると、イタリアの破棄院(最高裁)はこの主張を退けた。イタリア紙「イル・フォリオ・コティディアーノ」Il Foglio Quotidianoのコラムでは、もしマロッソ被告がこの施設を合法的に建設し、古代の遺跡だと信じ込ませようとしなければ、ラスベガスの観光アトラクションのような「偽の遺跡」として称賛されていたかもしれないと指摘している。この欺瞞工作によってアルクニャーノは「イタリア中の笑いもの」になったと、パオロ・ペリザイルPaolo Pellizair前市長が「イル・ジョルナーレ・ディ・ヴィチェンツァ」Il Giornale di Vicenza 紙に語った。同紙の報道によると、この偽の遺跡は現在も残っているが、長年にわたり立ち入り禁止(封鎖)の状態にある。最高裁は、この施設を撤去し、元の状態に復元するよう命じた。

【余りにイタリア的な、冗談もここまでやるかという三文芝居だが、たぶん外国人の見物客はアメリカ軍人たちとその家族が多かったのだろう、と私は想像する】

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ベスビオ噴火での脳のガラス化再考

 あれこれ検証していたら、2020/2/1に書いた件で(「脳が溶けてガラス化?嘘でしょ:エルコラーノの遺体より発見」https://www.koji007.tokyo/wp-admin/post.php?post=12588&action=edit)、再考をうながす記事が掲載されているのに行きついた。

 2025.03.17発信「ベスビオ噴火で脳がガラス化した謎を解明、新たな論文で議論再燃:ガラス化のプロセスは可能か、そもそも発見されたのは脳なのか」(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/25/031100133/

 まあ、私が直感的に「嘘でしょ」と断定したのを、専門研究者たちが傍証してくれているわけだが、それにしてもガラス化を主張した研究者たちが未だ実験データを公表していないのはどうしようもない。じっさい、私の知っている件で、イタリア人研究者が華々しくメディアに公表して、しかしいっかな元データを提示しないのはよくあることで、まことに残念と言わざるを得ない。例えば、コンスタンティヌス大帝のアーチ門最上階で発見の銘文とか、ポンペイ出土のティトゥス貨幣の打刻数字とか。いずれも発表者は若い女性研究者だった。彼女らが一発屋で終わるのもイタリア的な人生なのであろうか。

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「トリノの聖骸布」のDNA分析で新見解

2026/7/26発信「「トリノの聖骸布」のDNA分析結果」(https://agora-web.jp/archives/260724193519.html#google_vignette

この記事の元情報は、2026年7月のScientific Reports誌に掲載された「DNA signatures preserved in the official 1978 sample collection of the Shroud of Turin」である。

  このリンネル布は、世界で最も研究されている考古学的遺物なので、時代により調査によりこれまで種々の真贋説が提出されてきた(https://ja.wikipedia.org/wiki/聖骸布https://www.cnn.co.jp/fringe/35237752.htmlhttps://www.youtube.com/watch?v=EaPe8tuXkts:最後のは情報それ自体は正確としても、画面に出てくる日本語はやたら間違っている)。

二つ折りの聖骸布の裏表:右半分が表側

 今回の調査で、リンネル布には、それが流転してきたユーラシア大陸の各地の刻印が明確となったといえる。これが今回の調査の一大成果である。イエス時代のもの、いわんやイエスの死体を包んだものではない、という遠回しの結論でもある(同じ結論がすでに14世紀に提出されていたことが、改めて評価されているようだ:https://www.popularmechanics.com/science/archaeology/a70772938/oresme-fraud-shroud-of-turin-discovery/)。

 ところで、最近改めてシリアのエデッサを調べていたら、いわゆる「マンデリオン」、正教会でいうところの「自印聖像」が出てきた。これと新約聖書外典(というより偽典:『ティベリウスの治癒』Cura sanitatis Tiberii)に出てきてサンピエトロ大聖堂などの聖遺物として巡礼たちを呼び寄せてきていた「聖顔布」(ヴェロニカの布)とは別物であるが、いずれもイエスの治癒能力に関連していて中世において同一視されるようになったわけだが、その図像的流転もなかなか興味深いものがある(https://mementmori-art.com/?p=118)。

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「とんでもブログ」が飛び込んできた:もはや”核戦争は不可避”と

 一読して、やたら日本語おかしいのが気に入らないが。急いでアップしようとしたせいなのか、下手な翻訳=欧文からの孫引きなのか・・・。

2026/8/4発信「トランプがイランに「核使用」ならプーチンはウクライナへ。もはや“不可避の核戦争”とその後の世界を救うため日本が進めるべき準備」(https://www.mag2.com/p/news/682352?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_tue&utm_campaign=mag_W000000001_20260804

 そうなってほしくはないが、こういった近未来的視角が今の危機感のうすい若い人たちに対して必要なのかもしれない、と私などつい思ってしまう。

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ナショジオで、3回のポンペイ特集放映中

ナショジオで、60分×3話での「ポンペイの失われた物語 WITH トム・ヒドルストン」(https://natgeotv.jp/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/3603)が現在放映中。

第1話:見過ごした前兆 2026/7/23 23:00

俳優トム・ヒドルストンが、西暦79年のベスビオ山噴火によって消滅した町ポンペイを訪ねる。トムは古典学者の力を借りて遺跡から発掘されたラテン語の碑文を読み解き、十代の男の子アウィアニウスと公衆浴場の女性経営者ユリアが噴火を生き抜いた可能性があると知る。そこでトムは、考古学的な証拠と火山科学の知識と災害心理学者の話、さらに俳優としての想像力を組み合わせながら、噴火までの間に2人がどう行動したかを探る。

第2話:名もなき近衛兵の功績 8/8 08:00

ベスビオ山噴火の状況を調べていた俳優トム・ヒドルストンは、当日の様子が記された小プリニウスの書簡集を知る。その内容から、ポンペイ近郊のヘルクラネウムにローマ軍艦隊が停泊していたことと、近衛兵が1人存在していたことが分かった。学者から「ヘルクラネウムでは遺体があまり発見されなかった。」と聞いたトムは、この近衛兵の指揮で人々が助け合いながら船で海岸を脱出し、互いの命を救ったのではないかと想像する。

第3話:尊い決断  8/9 23:00, 8/15 08:00

トム・ヒドルストンは、フェリクス家の祭壇の前で高価な宝石を身につけた女性の遺体が発掘されたと聞いて、ユリアは他の人々を避難させ、自分だけが残って神に祈りを捧げていたのではないかと想像する。一方、アウィアニウスが青銅職人の養子になったことを示す碑文を読み、噴火を生き延びたことを喜ぶ。トムは歴史的証拠に想像力を加えて過去の出来事を物語として語ることで、今の自分自身を理解し、そして未来さえ学べると話す。

 以下は、Cornell Chronicle(https://news.cornell.edu/stories/2026/07/will-julia-felix-survive-classics-prof-case-pompeii-tv-series)に掲載された紹介文。

Cornell archaeologist Caitie Barrett is a guide to daily life in the ancient Roman world on Pompeii: Out of Time, a three-episode recreation of the famous disaster set to air on National Geographic July 22 at 8 p.m./7 p.m. C. It starts streaming July 23 on Disney+ and Hulu.
コーネル大学の考古学者Caitie Barrett 女史が、古代ローマ世界の日常生活を案内役として解説する全3話の再現ドラマ『Pompeii: Out of Time(ポンペイ:時を超えて)』が、7月22日午後8時(中部時間午後7時)よりナショナル・ジオグラフィックで放送されます。7月23日からはDisney+およびHuluでも配信が開始されます。


実業家ユリア・フェリックスは生き延びられるか?――ポンペイを舞台にしたTVシリーズで古典学教授がその謎に迫る
執筆:Kate Blackwood(教養学部)
2026年7月16日

時は西暦79年、ローマの小都市ながら裕福な街、ポンペイ。遠くでヴェスヴィオ山が噴火を始め、街中の人々の生活は一変します。レストランの厨房には食事が残され、馬は馬具をつけたまま置き去りにされ、家々からは貴重品が持ち去られていきます。そんな混乱のさなか、実業家のJulia Felixは無事に生還できるのでしょうか?

これは、全3話の再現ドラマ『Pompeii: Out of Time』の核心となる問いの一つです。同作は7月22日午後8時にナショナル・ジオグラフィックで放送され、7月23日からはDisney+とHuluで配信されます。古代の日常生活の専門家であり、ポンペイでの発掘調査経験も豊富なコーネル大学の考古学者ケイティ・バレットCaitie Barrett女史が、番組のホストを務めるマーベル・スタジオ作品『ロキ』“Loki”のスター、Tom Hiddleston氏と共に案内役として出演します。

「このシリーズでは、実在した人物の足跡をたどります」と語るのは、教養学部で古典学の教授を務めるバレット女史です。彼女は、ポンペイの住人であったユリア・フェリックスに関する歴史的研究を行ってきました。「番組は、現代のシーン――トム・ヒドルストン氏や私、そして専門知識を持つ他の人々がポンペイやその他の遺跡を歩き回る場面――と、西暦79年当時の人々の生活を再現しようとするシーンとを交互に展開していきます」

この番組は、ポンペイやヘルクラネウムで保存されていた考古学的証拠や文献資料からその存在が知られる3人の人物にスポットを当て、彼らの生活を鮮やかに描き出します。火山灰が何世紀にもわたって遺物を守り続けたこれらの都市において、ある大きな邸宅の壁に書かれた「部屋貸し」の告知文から、フェリックスがその邸宅の所有者であったことが判明したとバレット氏は説明します。

エジプト風の意匠が見られるフェリックス邸について研究してきたバレット女史は、本作の脚本制作における監修も担当しました。彼女は、フェリクスが特定の状況でどのような服装をしていた可能性があるか、かつて自身の庭にあったイシス神殿でどのように祈りを捧げていたかもしれないかといった質問に答えました。

バレット女史は、ポンペイやナポリで撮影されたシーンにも登場します。彼女とヒドルストン氏は、フェリクスの邸宅内を歩きます。その中には、「高級スパのように」一般に開放されていた浴場施設も含まれていました。二人はポンペイにある近代的な管理棟「Casa Bacco」を訪れ、フェリクス本人かもしれない人物が身につけていた宝飾品について話し合います。

この番組では、街が高温の火山灰に埋もれていく中、10代の見習い職人と、ローマ軍のエリート部隊である近衛軍団兵の姿も追っています。

Tom Barbor-Might氏が監督し、ドラマ『ロキ』の製作総指揮を務めたKevin R. Wright氏がプロデュースしたこのシリーズは、歴史的事実と想像力による再現を組み合わせて構成されていることを明確にしている、とバレット女史は語りました。

「彼らは実在の人物でしたが、そのすべてを知ることはできません」とバレット女史は言います。「考古学は多くのことを教えてくれますが、ある人の人生で何が起きたか、何を考え、何を感じていたかといったことのすべてまでは分かりません。ですから、知識に基づいた想像力による再現で、その空白を埋めていく必要があるのです。」

バレット女史がこのプロジェクトへの参加を打診されたのは、2026年初頭のことでした。ナショナル・ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)である彼女は、ポンペイで共同ディレクターを務める「Casa della Regina Carolina」プロジェクトにおいて、同団体から支援を受けています。

ドキュメンタリーシリーズの撮影はバレット女史にとって新しい経験でしたが(彼女は撮影スタッフを「まさに魔法使いのよう」と評し、実用的な管理棟を「神殿」のように見せてくれたと語っています)、彼女は自身のフィールドワークの経験から、異なる専門分野を持つ30〜40人のクルーが共通の目標に向かって協力し合うために必要なロジスティクス(運営・手配)やチームワークの重要性を理解していました。

ポンペイから得られる証拠は、その街の日常を完璧に切り取ったものではありません、とバレット女史は指摘します。番組でも触れられているように、噴火の前兆となる予兆はあり、多くの人々が(時には所持品を携えて)街から脱出していました。それでもなお、ヴェスヴィオ火山周辺の都市における保存状態は特別であり、古代の人々の生活について多くのことを明らかにしています。 「ポンペイの通りを歩いていると、自然と想像力や共感がかき立てられるため、多くの人々の心に響くのです」とバレット女史は語ります。「まるで家の中に入って、かつてそこに住んでいた人々と会話を始められるような、そんな感覚を覚えます。通り沿いには商店やバー、レストランが立ち並び、ふらりと立ち寄ってワインや温かい食事を注文できそうな雰囲気さえあります」

バレット女史は、展覧会「Pompeii: Out of Time(ポンペイ:時を超えて)」を訪れた人々が、「私たちと同様に充実した、意味のある人生を送っていた」当時の人々に新たな共感と敬意を抱き、彼らが暮らした社会について理解を深めてくれることを願っています。「実際のローマの町における日常生活の多様さや広がりを、ぜひ見ていただきたいですね」と彼女は述べています。

ケイト・ブラックウッドは、教養学部(College of Arts and Sciences)のライターです。

【視聴後の感想】

 第Ⅰ話:ポンペイ市内ではなく郊外に鍛冶屋があったという設定になっているが、そういう出土事例を私は知らない。

 第2話:ミセウムの艦隊が住民救援のために向かったと言っているが、小プリニウスの証言では大プリニウスの知人、即ち第一義的に富裕者救出のためだったはず(『書簡集』、VI.16では、タスキウスTascius の妻レクティナRectinaの救援要請があって四段櫂船で向かうが、すでに海岸に溶岩が迫っていたので湾の対岸のスタビアのポンポニアヌスPomponianus邸に向かっている:レクティナの別荘の場所は不明であるが、スタビアの対岸という叙述がらみでとりわけOplontis付近だった可能性はある[エルコラーノのパピルス荘はありえない])。

また確かにエルコラーノ海岸から近衛兵らしき人物の遺骸は出土しているが(私は彼を技術将校とみる見解に同意する)、近衛兵をあんな老兵で描いているのは違和感あるし(骨の調査からは40台前半)、いわんや宴会場に自分の刀を忘れるなんてありえない(詳しくは以下参照:https://www.koji007.tokyo/wp-admin/post.php?post=20907&action=edit)。

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