月: 2020年9月

ローマ時代のエロ本?:遅報(50)

 奴隷関係をググっていたら、遅ればせながら偶然以下がヒットした。あれ、これまで気付いていなかったのはなぜ、というわけでさっそく古書で注文した。トゥリヌス(烏山仁・翻案)『ローマ式奴隷との生活』三和出版、2016。なんと注文して翌日に速攻で送られて来た。

 購入前は、ほぼ同時期に出版された『奴隷のしつけ方』太田出版、2015;『ローマ貴族9つの習慣』太田出版、2017、と同様のものかと思っていたが、来たモノは大変なきわものだった。前2冊は、一応ジェリー・トナーなる西洋古典の研究者で、ケンブリッジ大学教授が、マルクス・シドニウス・ファルクスなる著者をでっち上げての、まあ偽書なのであるが、そのことをちゃんと明言している潔さがあったし、内容も高度だった。

 今回のトゥリヌスの口上は、翻案者によると、古代ローマ時代の文筆家(生没年不明)による『奴隷娘たちとの生活』Vitae cum Selviris からの翻訳、ということになっていて、斯界では著名なA氏が写本と彼の訳を持ち込んできたことになっている。本物にみせるための道具立てとしてもっともらしく、それなりに詳しくおおむね正しい解説メモ付きであるが(その努力賞として星2つ)、本文はまあトンデモ本とでもいうべき偽書であろう。

 そもそも書名のラテン語の綴りが間違っている。「奴隷女」のラテン語は「serva,ae」で、前置詞cumは奪格要求するから、複数奪格だとservisだし、「若い女奴隷」だと「servula,ae」のはずだから、「servulis」とするのが普通だろう。間違っても「selviris」ではないはず。ま、私の知らない,辞書にも載っていない隠語であれば、ご教示いただければと思う。もしそうでなければ、翻案者は気付いていないのか、読者を小馬鹿にしての手の込んだ仕掛けなのか、ともかく本書の表題を書いた御仁は、私並にラテン語に詳しくないおっちょこちょいなのは確かである。それに著者名のトゥリヌスから、私などつい想起するのはかの有名なMarcus Tullinus Ciceroであるからには、まあこれも意図的な作為的命名であることは明らかだろう。読者を騙してほくそ笑んでいる翻案者なりA氏のしたり顔が目に浮かぶようだ。

 以下蛇足である。我が国には大場正史大先生訳の、F.K.フォルベルグ『西洋古典好色文學入門』桃源社、1976年(原著出版、1882年)がある。全訳ではないが、碩学によるこのド真面目な本を読む方がよほど劣情を刺激するはず、少なくとも私にとっては。ところで、大場正史はこれまで筆名だと思ってきたが(昔それなりに調べたはず)、今回念のため改めてウィキペディアを検索してみると、1914/1/1佐賀県生まれ-1969/7/17死亡、と実名扱いになっていたのには、いささかビックリだった。

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日本トイレ最新情報:トイレ噺(17)

「コロナで脚光 日本発トイレ革新、世界へTOTO・LIXIL:クリーンテック 駆けるトイレ(上)」:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63652270Z00C20A9X11000/

「パナソニック、トイレの常識覆す樹脂のマジック:クリーンテック 駆けるトイレ(下)」:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63728150R10C20A9X13000/?n_cid=NMAIL006_20200914_Y

 シャワー・トイレをあまり日本の発明と得意げに公言してほしくないので、お尻を水で洗う先輩に、ヨーロッパのビデがあることを指摘しておきたい。もちろん水を使って手を使うアラビア式もある。

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権力は腐る:コンスタンティヌスの場合

 世情はあれこれ賑やかであるが、まあ露骨に民意を蔑ろにした政権交代の茶番劇といったところか。質問にまともに答えない体質や、討論が全然成り立たないのも今に始まったことではない。ことを荒立てない民度の高い日本人の叡知の現れなのであ〜る(皮肉です)。

 ここでは、安倍政権7年8ケ月どころではない、30年の長期政権を保持したコンスタンティヌス大帝(a.272-337年)について、知るところを若干書いておこう。

左、たぶん若い頃の大理石彫像(1823年以前にYork出土);右、手前が皇帝、奥が太陽神(313年Ticinum打刻金貨)

 彼は306年(34歳)に政権の一端に突如登場し、以後20年にわたる内乱を制して(310年[38歳]義父マクシミアヌス殺害、312年[40歳]義兄弟マクセンティウス殺害、324年[52歳]義兄弟リキニウス殺害:要するに彼の政治的上昇は、政略婚姻関係という仮そめの仲とはいえ親族殺しによって達成されたわけ)、その後13年間ローマ帝国の単独支配者だった。そして又、コンスタンティヌスは326年(54歳)に最初の内縁の妻ミネルウィナ系の長男クリスプスと正妻ファウスタを殺害に及ぶ。政治家の評価はいつの時代でも毀誉褒貶あい乱れ、難しいものだが、コンスタンティヌス大帝がらみでは、最初の「10年間はすばらしい君主だった、続く12年間は盗賊であり、最後の10年間はあまりの浪費で禁治産者だった」(4世紀末の無名氏『諸皇帝伝抜粋』Epitome de Caesaribus)との評価があって、その伝でいくと、彼は単独皇帝となってどうやら、”たが”が外れてしまったようなのである。

左、青銅巨像部分(カピトリーニ博物館);右、ハギア・ソフィアのモザイクの皇帝像

 一般に頌詞作品とみなされ、高名なる識者たちの評価も低いカエサレイアのエウセビオス『コンスタンティヌスの生涯』Βίος Μεγάλου Κωνσταντίνου(Vita Constantini) であるが、先入観を排して注意深く読んでみると、なかなか隅におけない記述が含まれている。突っ込み処満載なのに、研究者はほとんど突っ込もうとしないので、私は不満である。

 その最たる箇所が第4巻第54章で、以下要約する。

 コンスタンティヌスは完全な人間の域に達していたが、彼はとくに慈悲深く(cf.,Ⅳ.31)「多くの人は、これを皇帝の弱点」とさえみなしていた。というのは、皇帝の我慢強さをよいことに悪を行った恥知らずの男たちが跳梁跋扈し、我々(=エウセビオスを含めた、おそらくキリスト教聖職者たちのことか)ですら気付かざるをえなかったのだが、①国民を食い物にした強欲で恥知らずの男たちがほとんど非難・告発されることがなかったこと、②キリスト教徒を僭称した者が教会内に忍び込み、「口にするも憚れる偽善」が生じた。皇帝は慈悲深さと寛大さのゆえ、また信仰深い誠実な性格のゆえに、自分への忠誠を狡猾に申し立てた自称キリスト教徒たちの「演技を信じるに至った」。このため彼は「彼らの不適切な振る舞いのために非難され」、こうして「妬みの霊がこの汚点」を彼にもたらした、のだと。

 そして第55章冒頭で「程なくして、神の裁きがこの者たちに下」ったと述べ、読者に事の真相が暴露されるのかと期待させるのだが、具体的には何も触れないままで、別の話題に転ずる。すなわち、コンスタンティヌスは死の直前に「いつもの聴き手[単数!:ひょっとしてエウセビオス?]を前に」遺言めいた挨拶をした中で、「無神論者の悲劇的最期」について長々と述べたが、それは「ご自分の周囲にいる一部の者[たち]を批判しているようにも見え」た。ここも意味深だが、さらに次いでエウセビオスの謎めいた表現が出てくる。皇帝は「その知恵を誇っている者の一人[誰のことやら]にご自分の話をどう思ったかと尋ねさえされ、その者は語られたことの真実性を証し、本心からではないでしょうが、多神教への非難に対して盛んに拍手喝采しておりました」。死の直前にこのような話を「腹心の者[集合名詞的に「たち」か]にすることで、皇帝はみずから、ご自身のために、よりよいものへ向かう旅立ちを何の支障もない容易なものにしようと」しているようであった、と(以上、秦剛平訳:但し[ ]内は私の付加。こういう箇所の単数・複数は慎重に吟味すべきだ)。

 いずれ触れたいテーマで、注意深く考察し味読すべき箇所であるが、今はくどくど解説する必要はないだろう。長期政権は佞臣を引き寄せ、権力者は孤独であるがゆえに彼らの跳梁跋扈を容認する。似非お友達関係である。こうして悪貨は良貨を駆逐し、それは世人たちには目に余るほどになる。たとえ平穏な時代であっても、否、そうであればこそ、文字通り長期政権は腐るのである。

 後日談だが、コンスタンティヌス大帝の死後、ファウスタ系の三人の息子たちが、祖父の後妻にして正妻のテオドラ系を抹殺するという挙に出て、血縁の血の上塗りをおこなっている。それもあってか、コンスタンティヌス一族の男系は、背教者ユリアヌスで断絶。ただし女系はコンスタンティノポリスで7世紀初頭まで存続していた。

 アメリカ合衆国で一世を風靡した「ケネディ王朝」も、J・F・ケネディ暗殺以降すでに60年近く過ぎ、子孫の相次ぐ不祥事で暗雲が垂れ込めている。2世、3世の政治家というのも難儀なことだ。つくづく同情させていただこう。「まさかの米上院予備選結果と”ケネディ王朝”の終焉」:https://wedge.ismedia.jp/articles/-/20769?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20200914

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