これを読んで、「えっ、オスティアで剣闘士の骨? これはしたり」ということで慌ててググって見たが、2014年10月既報の記事で、 Medical University of Vienna、すなわちウィーン発情報で、出土場所は小アジアのエフェソスのものはずらずら出てきたが、オスティアは出てこなかった。ちょっとホッと。たぶん場所は坂本先生の記憶間違いかと。1933年発見のかの剣闘士たちの集合墓地出土の遺体を(後2,3世紀[前2,3世紀とする記事もあるが間違い]の全部で53遺体出土、うち剣闘士は22)で1993年に改めて調査したときに、残りの通常人との遺骨の成分比較をしたらしい。この墓やグラディエータの骨分析について我が国では踏み込んだ報告が未だなされていないが、私は20年来卒論で誰かやらないかとずっと言ってきたのだが、誰もしようとしないのは、やっぱりドイツ語になっちゃうからなのだろうか。現地のMuseum Ephesosで開催の展示会パンフも出ていて手軽にまとめることできる穴場なのだが。あのパンフさしあげますよ、やる人いたら。Hrsg. von Österreichisches Archäologisches Institut et als., Gladiatoren in Ephesos:Tod am Nachmittag, Selçuk, 2002, 105S.