月別: 2019年11月

映像の世紀プレミアム:第14集「運命の恋人たち」

 BSプレミアムで、今晩さっきまで一時間半たっぷりとやっていた。最初はポニーとクラウドとか、エドワード八世とか、ナチスのゲッベルス夫人マクダの話で、野次馬気分でのぞき見している感じだったが、段々と深刻な事例が出だして、エニグマ解読者アラン・チューリングあたりから、最後はエルトン・ジョンの同性婚に至る性的少数者(バイセクシュアル・同性愛:本当はトランスジェンダーやXジェンダーにまで展開してほしかったが)に話題が移行。ともかく一見の価値ある映像だった。もちろん今からでもオンデマンドで見ることができる。

 私は、アウグスティヌスにバイセクシュアルを見る小論を今年公表したが、性的少数者は古来から連綿と存在してきたわけである。この事実にフタをすることなく、上から重石を置くことなく、正面からきちんと注視する姿勢が大切だと思う。性同一性障害とは、生命誕生時に母体から浴びた性ホルモンの多寡による偶然のなせる技、という見解を筆者はとっているからである。今世界中でカトリックを揺るがしている聖職者による小児性的虐待問題も、このような趨勢の中で病理現象からはたして解放されてゆくのであろうか。否、そもそも教義的に根拠のない聖職者独身制度の発祥は、妻帯聖職者制に問題が多発していたからこそ、東方の隠修道士制から学んで導入されたことを忘れてはならない(遺産の教会財産化というとらえ方もあるようだが、納得できない)。しかもまた現代、結婚制度自体も揺らいでいて実際には離婚、貧困母子家庭の続出である。そもそもせいぜい人生50年の過去の時代と、80歳の現代では同列に考えろということ自体無理かもしれない。となると、病理現象はいずれにしても解消できない予感がする。ともかく人間誕生に関わる造化の妙であり、それだけに人間本能・本性に深く根ざした問題なのだから。

 以下は最近出たにもかかわらずわが図書館(室)にあった。今度借り出してみようかな。問題の聖職者はカプチン会らしい。ダニエル・ピッテ(古川学訳)『神父さま、あなたをゆるします』フリープレス、2019/2。

 以下の1998年芥川賞受賞作はなぜか短大図書館にある。花村萬月『ゲルマニウムの夜』文藝春秋、1998。私的にも数年前に購入していたのだが、書棚の肥やしとなっていた。そろそろ読もうかなあ(あまり食欲はわかない)。奇しくも上記ビッテ氏翻訳出版と同時期、『文藝春秋』97-3、2019/3に以下の記事が。広野真嗣「”バチカンの悪夢”」が日本でもあった! カトリック神父『小児性的虐待』を実名告発する」。これらはいずれもイタリア系のサレジオ会関係のようであるが、そういえば、松本清張の小説『黒い福音』のモデルとされたスチュワーデス殺人事件の容疑者も同会所属だった。

 今日の午後、たまたま思い立って大島渚監督の「御法度」(1999年)をアマゾンのPrimeビデオ400円で初めて見たが、続けて「戦場のメリー・クリスマス」(1983年)を再見するエネルギーはもうなかった。どうやら私は「健全」なる異性愛者らしい、否、だったらしい。

【付記】 日本では当事者や研究者があからさまに触れようとしないから、なかなか一般的知識にはならないが、たとえばアドルフ・ヒットラーは宗教的にはカトリックだった。だからといって、カトリックは言われているほどナチス的であったわけではない。生まれた時の機械的な幼児洗礼はその程度の存在だったというだけのことだ(*)。しかし、ヒットラーが立会人となってゲッべレスがマクダと結婚したとき、マクダがプロテスタントだったので、新郎は破門され、立会人は戒告処分を受けた、というエピソードはまだ宗教に厳格だった時代を反映していて面白い。

Der Führer wieder auf dem Obersalzberg Bei einem Besuch auf dem Kehlstein mit seinen Gästen, Reichsminister Dr. Goebbels und Frau mit ihren Kindern Helga, Hilde und Helmut.

 (*) この件は、以下の、まったく逆の道を歩んだイエズス会員の軌跡からだけでも明白のはず。中井晶夫「ハンス・ブライテンシュタイン先生の古希をお祝いして」『上智史學』35,1990,pp.1-3.  なぜかpdf化されておらず、手持ちのPSも作動しないので、とりあえずスキャンして転載しておく。彼は反ナチの密書の運び屋をやっていたらしく、この件は退職時のご講演でもご自身の肉声でお聞きした。

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先達の足跡(3):弓削達『ローマはなぜ滅んだか』

 我孫子での読書会で今読んでいるテキストである。一回に50ページくらい進む。前のテキスト(ヨセフス『ユダヤ戦記』)が絶版で高かったり購入できなかったりしたせいで、受講生から「安いのにしてください」と言われ、アマゾンで1円プラス郵送料で購入できるので、これを選んだという裏話もある。

 何せ1989年初版の、30年前の古い本なので、糊が剥がれやすく、少々力を入れてページを開くとベリッと剥がれてばらばらになってしまう消耗品なので、今回のために2冊購入した。読書会2回目の準備ですでに一冊目はばらばらである。この調子だともう一、二冊押さえておいた方がいいかも。

 しかし内容的には、未だ消耗品ではないことを再確認している今日この頃である。弓削先生が一般向けの本書で読者に語りかけている内容の高度さを痛感し、さて私は出版当時、本当に彼を理解していたのであろうかと、つくづく反省する昨今なのだ。もちろん私なりの「えっ、先生それでいいのですか」と突っ込みを入れたくなる箇所がないわけではないが、それを凌駕する質の高さと弁術の冴えに酔いしれていることを正直に告白しておきたい。

 彼の筆法の鋭さは、たとえば以下に示されている。ローマ帝国の経済構造を論じる場面で、商工業に対する農業の優位を論じて、「そのことは農民一般が豊かであったことを意味しなかった。むしろ反対であって、ほとんどの農民は常に飢餓線上を彷徨する貧農であったが、それにもかかわらず、農業という生産部門への関与ということがもつ社会的威信は、商工業者が容易には得られない社会的権威であった。商工業者も一般には農民と同様に、貧窮状態にあるうえ、かりに致富しえても都市支配者層にはなれないという社会的差別の中に置かれていた」(pp.67-8)と,差別社会の実態と矛盾を赤裸々に指摘した後、「それにもかかわらずローマ帝国の経済的繁栄が、広大な帝国内外を通じての商業取引と貿易にあったという印象を与えつづけて来たとすれば、それは、アレクサンドリア、オスティア、エペソス、アクイレーヤ、カルタゴ、アルル、リヨンのような、数えるばかりの少数の港湾都市、河港都市の花やかな経済活動に眩惑されたからにほかならない」(p.68)と、ばっさり都市伝説的な古代ローマ帝国繁栄論を一刀両断してみせる手際の良さは見事というほかないだろう。いわずもがなの駄弁を弄するなら、一,二世代のちの研究者がそのような認識を共有しつつ、たとえばオスティアの繁栄と富を論じているのか、はなはだ疑問なのであ〜る。

 もっとも、貪欲な読書会メンバーの方々は、すでにその後の酒池肉林のほうに目を奪われてお読みになっているようなのであるが (^_^;

 弓削先生の面白いところは、あやしい数字でもとにかく出してくることである。それが臆面もなく発揮されているが第4章「経済大国ローマの実体」で、そこでの数字を私は授業でもカルチャでも使用してきた。これはこれで面白いのだが、それを現代に応用する姿勢が、最近なぜかマスコミで希薄になっていることに気付かされたのは、以下のウェブ情報だった。https://www.mag2.com/p/news/424962

 これだけではない。森本問題、加計問題・・・。必ず権力は腐敗する。権力とはそういうものである。その認識を常民は常に持っていなければならない。

【追伸】毎日新聞に続報が。これはお金を払ってでも読む価値があるだろう:桜を見る会、新たな疑義「首相枠と官邸枠14年3400人→19年2000人に減少」https://mainichi.jp/articles/20191126/k00/00m/010/325000c?fm=mnm&pid=14606

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神父さまが・・・:長崎大司教区

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12145-475384/

2019年11月22日 14時32分 時事通信

 女性信徒が性被害訴え=神父処分も公表せず―長崎大司教区

 長崎のカトリック信徒の女性が「神父に体を触られた」などと性的被害を訴えていることが22日、関係者への取材で分かった。長崎大司教区は神父を聖職停止にしたが、教区の信徒には処分を公表せず、不在の理由を「病気療養中」とだけ説明。関係者は「問題行為を明らかにしなければ、再発防止にはつながらない」と懸念している。 

 聖職者の性的虐待は世界各地で問題となっており、教会の組織的な隠蔽(いんぺい)が批判を浴びている。23日に来日するフランシスコ・ローマ法王は5月、信頼回復に向け、事案を把握した場合はバチカンへの報告を求める教令を発出している。

 複数の関係者によると、神父は40代。2018年5月、自らが司祭を務めていた長崎県内の教会に女性を呼び出し、抱き付いたり、体を触ったりするわいせつな行為をしたとされる。

 女性は心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断され、長期の入院を余儀なくされた。被害届を受理した長崎県警が強制わいせつ容疑で捜査している。

 神父は面会した教区幹部に「女性や教会に大変な迷惑を掛けた」と話した。時事通信の取材には「何も申し上げられない」と答えた。 【時事通信社】

【コメント】こういう事例は厄介である。被害妄想の女性も中にはいて、要するに真実がつまびらかにならない間は、制度教会としては静観せざるをえない場合もある。精神的に病んでいる病的な人たちが押し寄せてきているのが、教会、という面もあるからだ。そもそも教祖イエス(ヨシュア)は「悪霊祓い」に長けていたことになっていて、カトリック教会には以来「祓魔師」が下級聖品として存在しているが、問題は現代の聖職者が祓魔能力において教祖の域に達していないことだ(先々代の教皇ヨハネ・パウロ2世は、祓魔師としても著名だったことはご存知だろうか)。その意味で、教会という結界は静寂な祭壇のすぐ裏で、魔界が渦巻いている異常空間、とでもいうべきか。少なくともそう認識しておいたほうがいい。

【追伸】逆情報であるが、以下のような不愉快な現実も、キリスト教国を標榜するアメリカのエリートたちの世界にあることは、知っておくべきだろう。これを「友愛」fraternityと称する。[警告:この画像は過激な描写を含みます]https://www.buzzfeed.com/jp/gabrielsanchez/american-fraternity-greek-college-culture-photography-book-1

   土方は「バケモノめ」と唾を吐き「惣三郎め、美男過ぎた。男たちに嬲られてる間に、バケモノが住み着いたのだろう」と呟くと、早咲きの桜の木を斬りつけた。(大島渚監督「御法度」1999年、より)

【メモ】別の項目に書くべきだろうが、ここにメモしておく。キリスト教国に限らず、おそらく日本でも、実際には枚挙に暇なくそこら中で似たようなことが生じているはずである。表に出るのは氷山の一角にすぎない。たとえば、以下のブログ。

https://www.buzzfeed.com/jp/akikokobayashi/rurimiura?origin=tub

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/ndmc-shobun?origin=btm-fd

【追記】2020/2/3の最新情報だと、件の神父さん、書類送検とか。

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「教皇」表記の変化:政府の忖度?

 今日のニュースで突如「教皇」が溢れ出している。日本でこれまで「法王」と呼ばれてきたPapaの呼称が、今回の訪問を機に政府によって「教皇」に改正されたらしい。「法王」だと弓削道鏡などマイナス・イメージでの連想があり、カトリック信者にとっては本当に、やっと、という感じではあるが。

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https://www.j-cast.com/2019/11/22373392.html?p=all

「ローマ法王」が「ローマ教皇」に変更 政府発表で割れるメディアの対応

2019年11月22日 17時28分

フランシスコ教皇は、来日を前にビデオメッセージを発表した
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 今は削除されているそうだが、以下の日本カトリック中央協議会のHPでの文言、私も読んだ記憶がある。

 「日本政府に登録した国名は、実際に政変が起きて国名が変わるなどしない限り、変更できないのだそうです。こうしていまでも『法王』と『教皇』が混用されているのです。皆様には、『教皇』を使っていただくよう、お願いする次第です」。

 ただ、巷のウェブ情報では、この表記の「混乱、併存」は戦後からのことのように書かれているが、納得いかない。明治・大正以来の日本・バチカン交渉史の中での考察が必要なはずである。

 教皇庁や大使館からの要請での変更ではないようだが(きっと現政府お得意の「忖度」によるのだろう)、何はともあれ、なかなかの強行軍ゆえ、82歳の高齢、お疲れがでませんように。

【追記】世界キリスト教情報■第1505信で、以下の記事が掲載された。

◎ローマ「法王」の呼称「教皇」に、政府が来日に合わせ変更  
 政府は11月20日、教皇フランシスコの来日に合わせて、今後は呼称を「教皇」に変更すると発表した。外務省は、カトリックの関係者をはじめ一般的に教皇を用いる例が多いことと、法王が国家元首を務めるバチカン側に、教皇という表現の使用について問題がないことが確認できたためと説明した。ただ「『法王』を使用しても間違いではない」としている。(CJC)

【追記2】https://blog.goo.ne.jp/john-1939
 東京ドームでのミサ聖祭の模様。それにしても谷口神父、よくも共同司式司祭にくわることに成功したものだ。日本司教団のお目こぼしなのか、バチカンご指名だったのか。
 パパさん、激務で大丈夫かと私も冗談抜きで心配だった。我と我が身に照らして他人事ではなく、寒かった長崎や夜の広島での老齢の参列者たち、紙パンツを履いてのご参列じゃないのか、私だったらもたない、と密かに観察してました。
 それを透視漫画的に想像すると、不謹慎だが、ほほえましい、かも。





 とまれ、みなさんご苦労様でした。

 ところで我が国ではマスコミが全然触れなかった(ようだ)が、帰途での機内記者会見でかなり深刻な問題でのやり取りがあったらしい。こういうお手盛りの情報操作が、昨今の政府不信のみならず、マスコミ不信に拍車をかけるわけである。http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52262674.html

 しかし不動産投資など、日赤だってUNESCOだって、それ自体はどこだってやっているわけで。現代社会ではそうしないと活動資金の保全はできはしない。問題はその運用時に不正が生じることだろう。現象には陽があれば自ずと陰もある。ここでも際限のないモグラ叩き現象が現出する。

【追記3】2019/12/2 :折も折、偶然見た今朝のNHKの「アサイチ」で、12月は「寄附月間」とかで寄付金の流れのごく簡単な説明があった。期待して聞き耳を立てていた私には不十分な内容だったが、そこで新知識を得た。寄付金には名称的な区分があって、「災害義援金」の場合は、日赤では寄付者の意向に沿って事務経費もさっ引かず全額を寄付者指定の被災地の県に送り、そこで市町村に分配されて、被災者に届く仕組、だと説明していた。となると経常経費を含めて、膨大にかかるであろう事務費はどこから捻出するのか、ということになるのだが、それについての言及はなかった。

 論の赴くところ通常の「募金」や資産運用金などがそれにあてられることになるのだろうが、この区分や運用方法はあくまで大窓口の日赤のそれであって、他の中小の窓口でもそうだとは言い切れない不透明さが、実は常につきまとっている。みなさん、鷹揚に目をつぶっていらっしゃるようだが、「これは経費です」といって、文字通り人の善意を飯の種にして(商売して)生きている連中がうごめいている、かもしれないのだ。

 そういえば、NHKドラマで「これは経費で落ちません!」というのがあったなあ。

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年金事務所:この書類はなんだ!(-_-#):飛耳長目(19)

 義弟が死亡したので、昼間の仕事を持っている妻の代わりに動いているのだが・・・。くたびれる。納得できないものがあるとほんと、疲れる。

 しかるべきマニュアル本によると、死亡から2週間以内に行うべき届出に「年金受給停止」がある(厚生年金の場合は10日以内)。この届出のためには、書類を整えて年金事務所にいかなければならない(厚生年金のほうは東京に電話して簡単に終わった)。一度地元広島で年金事務所に行ったら、東京でもできますよと言われて、その時提出書類(9点必要)を見せられた中に「生計同一関係申立書」なるものがあり、年金の未支払い金を受領するために必要なのだそうだ(どういうものか2月に死亡した母の場合、書いた記憶がない)。窓口では「経済的援助についての申立」の項目では「必ず、請求者が死亡者に経済援助していた、という箇所に印をつけてください、そうしないと未払い金は出ません」と言われ、頭が「?」に。しかも書類の最後には「第三者による証明欄」というのもあった。その第三者とは、三親等外でなければならないので、なおさら「エッ」だった。そんな他人にどうして経済的援助をしていたかどうかを「事実に相違ないことを証明します」として署名・捺印までお願いできるであろうか。空欄のままでもう2週間は過ぎてしまった。

 もちろん義弟とは生計が同一でなかったし、裕福な義弟に経済的援助などする必要はまったくなかったのだから、「経済的援助の有無」とか「その回数」「その金額」「経済的援助の内容」など、書く内容が実際にはないのである。窓口で「エ〜、そんなぁ。たとえばお歳暮なんかでもいいのですか」と言うと、さすがお役人で、それでいいですとは言わず、「そういう経済的やり取りがあったことをお書きください」と。

 あれこれの書類を整えて、でも「生計同一関係申立書」の「第三者による証明欄」は当面の当てもなく日が過ぎていった。これではならじと、本日、突然の底冷えの雨の中、年金事務所にとにかく飛び込んだ。事前の電話ではなんせ予約は2週間後まで詰まっていて空いていません、待ち時間を覚悟していただければ飛び込みでどうぞ、ということだった。昼前に長い待ち時間を覚悟して行ったが、30分も待ったときに呼び出しがあって、小部屋に招じ入れられてご相談。挙げ句やっぱり「生計同一関係申立書」がひっかかって、またその場で別の「請求書」なる書類も出され、預金通帳もないことで(今日日、通帳ないのが普通なのにぃ)、「再度おいで下さい」となった。

 この書類、なんで必要なのか(項目がおかしい)、まったく理解できないのである。改善を求めたい(年金事務所に意見箱あったよね、投書しようと思う)。

【追記】我孫子の人生先達の言によると、年金振込月日との関係で、2月の母の場合は不要だったが、義弟は11月だったのでその書類が必要なのでしょう、とのこと。

 昨日、国家公務員共済のほうから同様の書類が送られてきて、記入しながら妻が私と同様の件でブツブツ文句を言っていた。なお、通帳のない場合は、キャッシュカードの両面コピー添付なのだそうだ。さっき電話して確認したが、だったらそれを書類に書いておけよっ、っとにもう。

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いよいよノコギリヤシ?:痴呆への一里塚(12)

 ふと今朝気付いたことだが、このところ早朝に目が覚め、だけどすぐに起床するにはどうも寝足りていないので、二度寝していることが続いていて、あれひょっとしてと思いついたのが、トイレ起床である。最初に目覚めた時、必ずトイレにいって小便しているはずなのだ。

 今のところ、そのまま二度寝すればそれなりに満足しているのだが、それも一週間前にサプルメントを替えたことと関係あるのかもしれない。さて何年前になることやら、起きても疲労が抜けていないことに気付き(まあ、40代以降ずっと気だるかったのは確かである)、そんなとき、そういえば生前父がよくシジミ汁を飲んで「精がつく」と喜んでいたなあ、とふと思い出し、騙されたつもりで「シジミ習慣」を購入。これは当時の私にとって画期的な効果があった。テレビでの宣伝通り、朝の目覚めがいいのである。以来ずっと常用し続けてきたのだが、最近どうも効き目が落ちた感じがあり一日の錠剤数を増やしても(最初二錠、現在四錠)改善されなかった。

 最近になって、やっぱりテレビの宣伝で、「にんにくしじみ」が目に付き、より強力なのではと試しに購入し、数日前からそれを一錠とシジミ習慣を二錠、飲み出したところである。朝の目覚めは確実に爽快になったが、同時に二度寝していることにも気付いた次第。

 実は、このところ、日中に頻尿気味で何度もトイレにいくようになっていた。それもトイレが近づくと決まって洩れそうになるので始末が悪い。順番待ちだったら漏らしが必然、そんな感じなので、万一を考えると早め早めに行こうという気になる(特に外出時)。それがますます頻尿を促進することになるという理屈は、分かっているのだが、背に腹はかえられない。

 現在72歳と4か月。いよいよ先はそう長くない気がする。

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またもや信じられない愚行:iPS細胞支援打ち切り:飛耳長目(18)

 https://i.mag2.jp/r?aid=a5dd52937014ff

 この件、とんだおまけまで付いてしまった。https://nikkan-spa.jp/1630176;https://wonderfulnomadolife.com/news/7841/

【続報】また風向きがかわったようだが、金銭がらみが研究を疎外しているという現実があるらしい。これもいつもの話となるが、それが結果的にアメリカを利することになっている。https://mypage.mag2.com/ui/view/magazine/162050244?share=1

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ハドリアヌスの円柱?

 昨晩、上智のコミカレ講義が終わったら、「こんなのみつけたのですが」と受講生の男性があきれ顔で朝日新聞を持って来た。それはどうやら朝日カルチャの宣伝で、なんと首都ローマに「ハドリアヌスの円柱」があると記載され、しかし写真はどうみても「トラヤヌスの円柱」だったのだ。

 なにも新聞だけのことではないが(出版社の編集者さんも、きちんと校正しなくなっている。彼らの仕事って一体なんなんだろうか)、天下の朝日新聞もチェックが甘くなったものだ。

 日本語をちゃんと読解できない中学生・高校生が多くなったという本が売れているようだが、私のような老害からすると、それは彼らだけに限った話ではない気がしてならない。ま、かくいう私自身、誤植大魔神には違いないわけで。

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逆さ地図の効用:飛耳長目(17)

 昔、イギリスが中心に位置した地図をみたときの衝撃を思い出した。真ん中を大西洋が占め、その両脇に南北アメリカとヨーロッパやアフリカが位置しており、当時の政治・経済を考える上で、なるほどと思わされたものである。それだと日本は文字通りFar East、地図の端で、太平洋はなくてもいい存在となり、端折り気味となる。

 オーストラリアから見た逆さ地図も見たことあるが、これはまあご愛敬程度。

 そして最近おおなるほどと思わされたのが、中国から見た逆さ地図である(正確には逆さではないが)。かつて防衛白書だっけにも登場したと、どこかで読んだ記憶がある。

 これだと、四島の日本列島のみならず、沖縄諸島から台湾、フィリピン列島を連ねて、まさしく中国にフタをしているのが一目瞭然なのである。

 こういう視点だと、私でも、日本の存在が鬱陶しく映らざるをえない。そりゃ、太平洋への突破口を開きたくなるわな。わが背後には米国の第7艦隊がいてにらみを効かしているのだから、なおさらである。かくの如く視点を移動して国際情勢を考えてみるのも一興といえる。

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私にとってのコンスタンティヌス問題

 義弟がこの11/3に63歳で肝臓ガンが肺に転移してあっけなく急逝した。そのせいもあり、いつお迎えが来てもいいように書き置いておく。

 このところ、私はコンスタンティヌス問題に足を踏み入れている。顧みれば20代で弓削達先生のはるか後塵を拝して研究の道を歩み始め、いずれはと思いながら、なかなか端緒を得ることがかなわず、最近になってようやく自分なりの見解を開陳するに至った、ということかと思う。

 さきほどわがHPを見直していて、あれ、と改めて気付いたこと(すなわち、書いた時点ではそういう認識がなかった、というわけ)が2点ある。それについて書いておきたい。

 第一に、コルヌーティの楯の紋章は、見ようによっては十字架に見えないことはない、ということ。コンスタンティヌスのアーチ門に描かれた紋章はまだそういった印象からは遠いが、5世紀初頭作成に遡る「官職要覧」Notitia Dignitatum が掲載しているAuxilia Palatina所属cornutiの楯紋章には、なにげにキー・ロー的な面影が見てとれるようである。最初はタウ・ロー(τ+ρ)だったが、後世キー・ロー(χ+ρ)のほうが優勢となった、という見解も、こう理解するとき納得できる。

 要するに、ラクタンティウスやエウセビオスが記述している十字の旗頭は、やはりコンスタンティヌス足下の警護部隊のそれ、より限定するなら、コンスタンティヌスの皇帝旗だった、という私論の補強となる。

 これに、ラバルムlabarum軍旗に特徴的な車輪が、ケルト系の天空・雷・太陽神タラニスの持物でもあったことや、異教的見解からコンスタンティヌスが同じくケルト系のグラヌス神の聖地(現グラン)で、同様の属性を帯同するアポロ神と勝利の女神ウィクトリアから啓示を受けた、という史実が重ね合わされるとき、なかなか含蓄ある話となるように思われる。

車輪を帯同するタラニス小像     キリスト教の車輪=花綱型ラバルム(中心にキー・ロー)

 第二に、エウセビオス叙述での父帝コンスタンティウスの位置づけの件である。それは『教会史』ではそう明確ではないが、『コンスタンティヌスの生涯』I.27では、コンスタンティヌスがマクセンティウスに対抗するには強い助け手が必要であると認識し、父が信仰していた同じ神に敬意を払い、父がその神を「帝国の救済者、守護者、すべての繁栄の与え手としていたことなど」に思いを馳せ、逆に多神教に依存した諸帝の不幸な末路を熟考し、「彼の父の神は、彼の権力を認める非常に多数の明白な証拠を父に与えられたことなどを考慮」し、「ご自分の父の神だけに敬意を払うべきだ」と考えるに至った、と述べている。

 要するにエウセビオスは、コンスタンティヌスは父帝コンスタンティウスと同じ神(それがキリスト教の神であるとほのめかしながら)を信仰することにした、としているわけだが、ここで改めて考えてみると、父帝は副帝就任以来ガリア・ゲルマニアを根拠地とし、事実トリーアを自らの首都としていた。すなわち父帝の権力基盤はかの地であり、かの地に依存していたわけで、そこでの彼の守護神とはかの地のそれ(ら)以外ではなかったはずで、それをエウセビオスはキリスト教の神と同一視して叙述しているわけだが、さらに一歩踏み込み、エウセビオスは真実の一片を述べているのではないかという立場からするなら、従来流布してきた「エウセビオスは、コンスタンティヌスのキリスト教信仰を父帝に遡及させていたのでは」という見解を、「父帝の培ってきた軍隊の信仰をコンスタンティヌスも引き継いだ」と逆転して捉え直すことも可能となるだろう。否、それこそが事実の核心だったのではなかろうか。エウセビオスはそれを率直かつ端的に、だが多神教を排して一神教的に表現していたわけである。

 これは、従来コンスタンティヌスの守護神選択は、東方渡りのHelios=Sol Invictus経由でのキリスト教と論じられてきたが、事実はまったく逆で*、もともと西方のケルト・ガリア・ゲルマン的な天空神GrannusないしTaranisであった。まずそれを父の影響で受け入れ(というより、それによって父の培ってきた権力基盤=軍隊や領土を安んじて受け取り)、だが彼の支配領域の拡大に伴って、それをギリシア・ローマ的天空神であるアポロ神、さらに東方由来のHelios=Sol Invictusへとずらし重ねることで、他帝との差別化をはかりつつ、帝国全土掌握で守護神群の一画にキリスト教を受け入れた、と理解するわけである。

 *但し、これはあくまでコンスタンティヌス側の公式見解であり、彼が20代に人質然として滞在していた東部において、実はキリスト教と半ば公然、半ば秘密裏のただならぬ接触があった、というのが拙論における根本仮説である。参照、『キリスト教の興隆とローマ帝国』南窓社、1994年。

 またしても、エウセビオスの叙述から学ぶことができた思いである。

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