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「イタリア便り」:遅報(74)

 以前、坂本鉄男先生の「イタリア便り」の件を書いたことがある(2019/7/11)。ちょっと気になったので今回彼の著作を検索したら、なんと以下の存在を初めて知って、さっそく「日本の古本屋」で発注した。幸いかろうじて2冊とも入手可能だった。

『チャオ!イタリア:イタリア便り』三修社文庫、1986(昭和61)年;『ビバ!イタリア:イタリア便り(2)』三修社文庫、1987年

 前者の「はしがき」を読んだら、予測通りサンケイ新聞日曜版に手を加えたもので、日付的には両書で1982年春〜1985年冬、すなわち日本が貿易摩擦で国際的な物議を醸していた時代、イタリアは恒常的インフレに悩んでいたリラの時代である。両方とも叢書的には<異文化を知る一冊>の中のもので、さもありなん。筆者は「日本の常識は世界の非常識」を標榜して、日本的価値観を押しつけることを読者に戒めている。出版時期はそろそろバブルに入ろうかという、第3次中曽根内閣の時期。

 さて、あれから40年、状況は破竹的に変化したが、人間の心情はどれほど変化したであろうか。

 一つだけエピソードを紹介しておきたい。典拠は(1)のp.81-2: 

 言葉は人間が社会生活を営むうえで必要性に迫られて生じた一種の符丁である。このため社会環境の異なる外国の言語に自分の母国語に相当する言葉がないことがよくある。 例えば日本語では、年上か年下によって「兄・弟」「姉・妹」を完全に区別するが、欧米語ではこれを単に「ブラザー」とか「シスター」のような言葉で済ませてしまうことが多い。このため友人に「これは私のシスターです」と紹介されると、われわれ日本人は、その「シスター」なる女性を何気ないような顔でシゲシゲ観察し「いったい、彼の姉なのか、妹なのか」と憶測をたくましくする。 なにしろ日本語には「姉」でも「妹」でもよい言葉は存在しないので、どちらかに分類をしないと落ち着かないわけだ。

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負ける、ということ:飛耳長目(79)

 毎月送られてくる『UP』の末尾に、山口晃氏の「すゞしろ日記」という4行漫画?がある。今回(582, 2021年4月号, p.54)、こりゃかなりの卓見だなと思ったのでまんま転載したいが、やっぱりそれは問題かもなので、画像抜きで、文字だけ転写させていただく。「」内は漫画中の言葉。

 負けるが勝ち 「もーしゃ−けごだーせんしたっ」 絵を描くのはそんな感じだ 「全部勝っちゃだめ」 筆に負ける 絵の具に負ける 紙に負ける 「イテテ・・」 負けると云うのは あちらに沿うと云うことである 「いやー負けますわ」 せいぜい 我が物顔に 振る舞ってもらうのだ 筆なんぞ、負けてやらねばどうにもならない 余計な力を抜くと筆が語り出す 「ふー」 コントロールすると云うより機嫌をとり続ける。するとーー 「あ、よれてます?」「あ、手首かえしすぎですか」 筆の運動性が現れ出る 「でてない・・」 筆に限らず、子供が描画具に負ける負けっぷりは、実に見事だ 「好い線だな」 握力も弱いし 相対的に画具がおおきいせいだろうか 「妙なる覚束なさ」 ふと中西(夏之)先生の長い筆を思い出す 絵の具も大変だ 古い時代の油絵の具などはーー グズグズで ボディが無かったらしく、薄塗りを重ねるしかない。岩絵具は比重が違うと混ざらぬ故、色面対比の妙が工夫される。一色面のうちにも墨で下書きしておけば、細かな描写と鮮やかさが共存する 「さっ」 紙に負けるは割愛 そうして道具や画材の下働きみた様な事をしている時が最もーー 「ヘイ、ただいま」 それらの持つ力を使い得ている時であり、絵に開かれている時だ。画材が改良されたり 個人の習熟度が上がったりして自由度が増す程に、道具・画材に負けるのが 難しくなる。負けぬと云うのは 予期せぬことが起こらなくなる事であり、未知へ向かっていない恐れがある。事が多いわ・・・ 自分に居付いてしまっているのだ。それで、思った通りに絵が描けようものならーー これは相当危い。制作する前に思い描いたものが制作の後に出来てしまったと云う事が意味するのはーーーー その制作で何も体験しなかった と云う事だ。未知へ踏み出して、自分が変わってしまうのが 制作だ 絵が技法・技材を用うるのは、それらに沿う事が、自分への居付きを取り去って、未知へ向かう事とベクトルが揃うからだろう。 制作の時はその向きを間違わぬ事だ。右前方にある、少し怖い所にある ・・・☆ あれ ☆ あんだ?

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世界キリスト教情報第1576信:2021/4/5

= 目 次 =
▼「復活の聖なる徹夜祭」=教皇「主と共にガリラヤから再び始めよう」と説教
▼教皇フランシスコ、復活祭メッセージと祝福
▼バイデン米大統領、イースター・メッセージで国民にワクチン接種促す
▼ニューヨーク「イースターパレード」は今年もバーチャル開催
▼韓国の新規コロナ感染者が再び400人台半ばに増加
▼米国で「教会に属する人」の割合、初めて50%を下回る=ギャラップ社調査

 今回は最後の記事を紹介。

◎米国で「教会に属する人」の割合、初めて50%を下回る=ギャラップ社調査
【CJC】米ギャラップ社が3月28日発表した世論調査では、アメリカ人で教会、シナゴーグ、モスクなど宗教組織に属するいわゆる「教会員」の割合は減少が続き、2018年は50%と半々になり、2020年には47%とついに半数を切った。同社が1937年に調査を開始した時は73%で、その後60年間は70%近くで推移していたが、21世紀に入った頃から減少の一途だった。
 調査は、3年ごとに米国の成人6000人以上のデータを用いて、さまざまなグループごとに推移を分析している。
 自分の「宗教的な選択」を明らかにしない人が増え、1998~2000年の調査では8%に過ぎなかった比率が、2008~2010年には21%に増加した。「教会員」割合減少の一部は、このような傾向と関係していると見られる。また「宗教的な選択」を明らかにしていても、正式な「教会員」となっていない人が増加している可能性もある。
 世代間の違いも大きい。1946年以前に生まれた世代は66%が「教会員」で、64年までに生まれたベビーブーマー世代も58%が「教会員」だが、80年代序盤までに生まれた世代では「教会員」が50%、90年代中盤までに生まれたミレニアル世代が同36%となっている。
 ミレニアル世代は「特定の宗教に所属している」と認識している人でも、「教会員」になる人の割合は大きく減少している。□
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新刊紹介:堀賀貴編著

 このたび、堀賀貴編著『古代ローマ人の危機管理』九州大学出版会、2021/5/15、¥1800[税別]、がなぜか奥付より一ヶ月以上早く出版されたようで、今日届いた。
 長年一緒にオスティア、ポンペイ、エルコラーノで現地調査してきた仲間の国際シンポジウム発表での成果。
 私はゲラ刷りで読ませていただいたが、編著者が30年間現地調査で培ってきた経験が、従来の一般叙述とはレベルの違う知見をもたらしていることに感心したので、紹介させていただく。一般向けに廉価本となっているのも好感が持てる。
 なお、近々にこれも国際シンポの成果、『古代ローマ人の都市管理』九州大
学出版会、¥1800、も6月か7月には出版されるようなので、あわせて紹介しておこう。
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目がおかしい:痴呆への一里塚(46)

 今日、眼科に行って視野検査を受けたが、以前白内障の手術を受けていた左目はともかく、右目は二度検査をやったけど結果が思わしくなかったらしく、追加の検査まで受けさせられた挙げ句、2か月後に再検査となった。追加で点眼された薬(虹彩を開け、眼底検査したのだと思う)のせいで、半日間、目の調子がおかしくなった。両目の焦点が合わないので文字が読めないのである。ぼ〜としている以外ない、そんな感じ。眼科にいって目がおかしくなるのって、やっぱりおかしい、と思ったりする。

 自覚的には、視野検査でドットが点滅するのが薄いせいで見えないような感じだったので、前回12月末だっけに白内障と指摘されていたのが進んだのかなと思ったが、それよりもなんか深刻な感じではあった。今回ではお医者さんもその判断がつかない故での再検査設定のようだった。

 以前、緑内障が発覚したとき「死ぬのが先か、盲目になるのが先か、のデス・レース」といった表現をしたことがあるが、このレースも終盤にさしかかってきたのかも知れない。昼夜逆転的な生活で目を酷使しているのは確かだから、何が起こっても文句はいえない。

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世界キリスト教情報第1575信:2021/3/29

= 目 次 =
▼マフィアは「罪の組織」と教皇が厳しく批判
▼バチカンが第2次大戦中、カトリック系新聞社の報道に圧力
▼インドネシアのカトリック教会で自爆攻撃、容疑者2人死亡19人負傷
▼韓国の新規コロナ感染者494人と35日ぶり高水準

 本日は日本がらみの2番目を紹介しよう。

◎バチカンが第2次大戦中、カトリック系新聞社の報道に圧力

【CJC】バチカンは第2次大戦中、米国と戦争を続ける日本を刺激するような「公平さを欠いた」報道を改めるようカトリック系新聞社に圧力をかけていたことが3月27日までに分かった、と共同通信が報じている。バチカンが公開した教皇ピウス12世関連の機密文書を、関係者が閲覧した際に発見した。  

 共同通信は、バチカンで日米和平仲介を目指す動きがあったことは知られているが、交渉が難航し、緊張が高まっていた様子が浮き彫りとなったとし、カトリック系メディアが米側に肩入れしているとして日本当局者が中立国バチカンへの心証を悪化させれば、終戦に向けた仲介の妨げになると判断したもよう、という。  

 教皇ピウス12世関連の機密文書は、共同通信関係者が閲覧した際、第2次大戦中に戦時下の日本の様子を駐日ローマ教皇使節を務めたパウロ・マレラ大司教がバチカン高官に報告した1944年12月12日付けのイタリア語で手書きされた書簡を発見、外国公人から見た戦時下の過酷な状況がうかがえる貴重な資料と言えそうだ、と共同通信が3月3日までに分かったとして報じている。□

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日本の将来なんか、もはや私には無関係ですが:飛耳長目(78)

 このところ、軍事的側面からの中国問題があれこれ目についている。ここでちょっと踏ん張って思い出してみると、数年前から「もう中国は経済破綻だ」といった経済終末論が目白押しだったが、そういった観測は結果的にことごとくはずれてしまっている。まあそのような情報はもっぱらインターネットの個人商店的な評論家たちが自分たちのブログを売らんかなと、耳目を引く刺激的な言動で危機的状況を煽っていたわけであるが、そして始末に悪いのは、彼らは自論の一過性を重々知りつつ目前の危機を煽っていることである。とはいえそんなつまみ食いだらけの中で将来を見据えた見解もないわけではない。しかしいずれも現状分析というよりは未来学に類するからはずれの確率は高いのだが。ま、8割引きで読むのがいいだろう。

「大手新聞の終焉:サラリーマン記者の書く記事が中身ゼロな3つの理由」(https://www.mag2.com/p/news/491084?utm_content=uzou_2001&utm_source=uzou)

「軍事衝突は不可避か。米中が「第二次太平洋戦争」準備開始の可能性」(https://www.mag2.com/p/news/490918)

「ヒトラーのソ連攻撃に匹敵する愚行。インドを本気で怒らせた中国」(https://www.mag2.com/p/news/490886)

 予想される危機にはそれなりの対応策が必ずとられるから、予測は必ず外れてしまうという側面もあるし、その対応をしたところで新たな問題が生じてきて、というように現状は常にモグラ叩き状況なのである。要するに、問題は単純ではなく、またどこまで一時的に適切な対応が続けられるか、ということなのであり、その矛盾のツケが一定以上に膨らんだとき、「リセット」が謀られることになる。すなわち、体制一新をもくろんでの内乱や対外戦争である。身近なところで例を挙げるなら、明治維新しかり太平洋戦争しかり、である。

 私的にはそれを古代ローマ帝国にどう応用して考えてみるか、ということになるが、これは改めて論じる機会を持ちたいテーマである。否それこそ私的には率先して追求すべき課題のはず。とりあえず他山の石として若干陳腐ではあるが、以下をメモっておこう。玉木俊明「中世「最先端地域」イタリア、経済成長が遅れた理由」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64679)。まああからさまに言うと、ローマ帝国はあくまで間接統治の「帝国」であって、我ら(特に特殊日本的な状況に洗脳されている我ら)が陥りがちな現在的な統一統治「国家」ではなかった、という原点に立ち帰って考える必要があるということだ。改めていうのも陳腐なのだが、山川的な教科書叙述の短絡記述から我々は解放されなければならない。同時にその未来像は現在の中国のような最先端の人民把握に向かうのが歴史の趨勢なのかという大問題を提起するはずである。

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世界キリスト教情報第1574信:2021/3/22

= 目 次 =      
▼「愛のよろこびの家族年」始まる      
▼バチカン教理省は同性間のユニオン祝福の可能性に否定      
▼独ケルン大司教区で聖職者ら202人が性暴力、被害者314人と報告書 
▼フィリピン福音宣教500年記念しバチカンで教皇ミサ      
▼マレーシア高裁、キリスト教徒も「アラー」を使えると判断      
▼ミャンマーでデモ参加者を傷つけないで、と修道女が警官に嘆願      
▼死海文書の新たな断片を発見、「恐怖の洞窟」で

 今回は話題てんこ盛りだった。3つ紹介する。

◎バチカン教理省は同性間のユニオン祝福の可能性に否定的
【CJC】バチカン教理省は、同性間のユニオンへの祝福をめぐる質問書に否定的回答を示す一方、その回答について「不当な差別や、個人を対象とする見解ではない」と述べた。バチカン・ニュースが報じた。
 教会は同性間のユニオンに対して祝福を与える権限を持たず、それは正当と認められない、と教理省は文書を通して回答した。
 文書は、同性カップルが自分たちのパートナーシップ関係に対する一種の宗教的な公認を求めて祝福を願う場合、司祭はそのカップルに祝福を与えることはできない、という見解を表している。
 教皇フランシスコは、この件について報告を受け、教理省長官ルイス・ラダリア枢機卿と次官ジャコモ・モランディ大司教の署名による回答書および注釈の公表を承認した。
 この回答公表に当たっては、確認といくつかの手順が踏まれた。同文書は「同性愛者の受け入れと、寄り添いに対する誠実な意志」の枠組みに位置づけられるもので、使徒的勧告「愛の喜び」にも記された方針に従い、同性愛者に対し、信仰における成長の歩みを提案するものとしている。
 教理省文書で、基本としていることは、一個人と、パートナーシップ関係との間の区別。
 同性間のユニオンを祝福することへの否定的な回答は、実際、この件に関わる一個人に対する見解ではない。教会の教えに関する諸文書がすでに明示しているように、むしろこれらの人々は「尊重、思いやり、配慮」をもって迎え入れられるべきであり、あらゆる不当な差別のしるしを退けなければならない、としている。
 同文書で、否定的回答の基礎となる理由は次のもの。
 まず、祝福の真理と価値に関して、これらは「秘跡的な」ものであり、教会の典礼行為である。そして、祝福の対象となる人が「創造においてしるされた神の御計画に沿って、恵みを受けそれを表現するように客観的に定められていなければならない」。
 次に、婚姻外での、すなわち、いのちの継承に向けて開かれた、男性と女性による不解消の婚姻外での、性的実践を伴う関係は、たとえそれが安定したものであっても、またその関係にポジティブな要素が存在するとしても、それは「神の御計画」に呼応しない。
 留意すべきことは、これは同性愛者のカップルだけでなく、婚姻外において性的関係を伴うすべてのユニオンについて言えるということである。
 否定的回答のもう一つの理由は、同性のユニオンへの祝福と結婚の秘跡が、誤って同一視される恐れがあるためである。
 最後に、教理省は、神によって啓示された計画に忠実に生きる意志を表明する、同性愛指向を持つ個人への祝福は可能であることを明確にする一方、同性間のユニオンの承認を目的とする「あらゆる形の祝福」は認められないと宣言している。□
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◎独ケルン大司教区で聖職者ら202人が性暴力、被害者314人と報告書
【CJC】独カトリック教会ケルン大司教区で浮上した過去の性暴力疑惑についての独立調査の報告書が3月18日公開され、聖職者や信者202人が暴行に及び、被害者は314人に上っていたことが明らかになった。AFP通信が報じた。
 カトリック教会の委託で調査を実施していた弁護士が、800ページに及ぶ報告書を公開した。弁護士は記者会見で、被害者の大半が当時14歳未満だったと発表した。
 疑惑をめぐり、ライナー・マリア・ベルキ大司教による「義務違反」の可能性も調査対象とされたが、その事実はなかったとの結論が報告された。
 AFP通信によると、保守派のベルキ大司教は以前から、教会の改革に反対。自身の教区内での聖職者らによる虐待に関し、別の報告書の公表を拒否したため、数か月にわたり激しい抗議の的となってきた。大司教はその拒否の理由として、加害者とされる人物のプライバシー保護と、一部の調査員らの独立性の欠如を挙げていた。□
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◎死海文書の新たな断片を発見、「恐怖の洞窟」で  
【CJC】地理学を中心とした米国の科学総合誌ナショナル・ジオグラフィックが伝えるところでは、イスラエル考古学庁(IAA)が、死海文書の新たな断片が約60年ぶりに発見されたほか、完全な状態としてはおそらく世界最古の籠も見つかったとこのほど発表した。  
 死海文書の断片は、2019年末から20年初頭にかけて行われた発掘調査により、ナハル・ヘベルのワディ(涸れ谷、ワジともいう)にある第8洞窟で発見された。洞窟は、1960年代初頭の発掘調査で大人と子ども40人の遺体が発見されたことから「恐怖の洞窟」と呼ばれている。  
 今回発見された20片以上の羊皮紙断片は「十二小預言書」の一部。その最初の断片は、ナハル・ヘベルで地元のベドウィン(遊牧民)によって発見され、1950年代初頭にエルサレムで売りに出された。  
 新しい断片も他と同じく書記2人によってギリシャ語で書かれていると、IAAの死海文書部門のオレン・エイブルマン研究員は説明する。羊皮紙の質感も、過去に見つかった十二小預言書と似ているか、同じであるという。□
 

【追伸】最後の記事についての別情報。https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/21/031900134/?n_cid=nbpnng_mled_html&xadid=10005;https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/031901121/?n_cid=nbpnng_mled_html&xadid=10005
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えっ、脱糞フレスコ画?:トイレ噺(27)

 希有な画題のご紹介。帝都ローマの西部、川向こうの旧アウレリア街道に接したローマ最大の公園Villa Doria Pamphilj付近では古くからいくつも古代ローマ時代の墳墓が発見されていた。残念ながら私はまだ見学したことがないが、事前予約で公開されている納骨堂columbariumには、大・小・それにScribonius Menophilusの三箇所あるようで、特に大納骨堂Colombario MaggioreとScribonius Menophilusのそれはそれぞれ500の遺灰壺を収容するニッチからなっている。いずれも共和政末期から初期アウグストゥス時代の建設で、二世紀半ばまで継続して使用されていた。とくに壁画はパラティヌス丘のアウグストゥスやリウィアの家、テヴェレ川沿いのファルネジーナの邸宅のそれと類似した第2期後半から第3期のスタイル、つまり前30−前10年に日付けられている。現在、国立ローマ博物館(パラッツォ・マッシモ)に展示されているのは大納骨堂のもので、そこはすでに1838年に発見され、第8列目まで保存されていたが略奪を受け、拾い集められた彩色装飾は1922年にローマ国立博物館に引き渡され、2008年に未完成のまま公開された(他方、1984年に再発見されたScribonius Menophilusの納骨堂は、現場保存)。その中に貴重な脱糞の絵が紛れ込んでいたわけである。

発掘中の大納骨堂と南西の壁の書き起こし

 パンフィーリといえば、どうしても丸一年過ごしたナヴォーナ広場を思い出してしまう私ではあるが、今はそれを横に置いといて、件の地下墓室である。当時は火葬だったので遺灰を納める骨壺が壁体のニッチ(ないし小アルコソリウム)下に蓋付きで埋め込まれ、それが幾段か横一列に並び、その下に故人の姓名を記す柄付碑銘板tabulae ansataeも周到に描かれていた。実際、赤や黒の顔料で、なぜか二重に書かれたものもあれば(たぶん転売されたのだろう)、そうかと思えば未だまっさらな空欄のままのものもあって、そこを買えばいいようなものであるが、複雑な所有権問題があったことも想起させる(ここの埋葬の大部分は、特定の家族familiaや同業組合collegiumの兆候が見当たらないため、建売分譲販売だったようだ)。なおcolumbariumとは「鳩小屋」の意なのだが、蜂の巣のようにニッチにフタをしたものもあって、命日には故人の好物のワインなど上から注いで死者との供食行事をしたはずなのだが、フタしてしまったらさてどうなるのだろうか。それにしても、博物館では表面のフレスコ画だけが剥ぎ取られ、いささかきれいすぎるほどの修復を経て展示されているので、本来壁体の中に埋め込まれていた骨壺やその中の遺灰はない、平べったく文字通り抜け殻風の、なんとも浮世離れした弛緩した展示なのである。

博物館内での展示状況

 そしてその上下のニッチ間の、白というより象牙色の空間に色々な風景画,動植物、演劇マスクなどが当時流行の筆致で自由闊達に描かれていて、それが見どころのひとつとなっているのだが、その中の一つにナイル河風景よろしく3人の裸体のピグミーの船遊びがある。彼らは例のごとく戯画的に各々大小の男根を露出し、それぞれ竿で一艘の葦舟と思しき船を操っているが、船尾の一人が、大口を開けて迫ってきたカバに向かって撃退すべく、尻を突き出して若干水っぽそうな糞をひっかけているのだが、これがなんと古代ローマ時代に描かれて現在のところ唯一残存の、よってたいへん貴重な脱糞図なのだそうなので、皆様、心して拝観してくださいませ。

フレスコ画の上の段に柄付碑銘板tabulae ansataeが見えるだけでなく、埋葬者の重複記載の跡あり

【参考文献】

 Thomas Froehlich & Silke Haps, Architektur und Dekoration der Columbarien an der Villa Doria Pamphilj, XVIII CIAC:Centra y periferia en el mundo clasico, Merida, 2014, pp.1187-1192(=https://www.academia.edu/18451855/Architektur_und_Dekoration_der_Columbarien_an_der_Villa_Doria_Pamphilj_Rom).

 Dorian Borbonus, Columbarium Tombs and Collective Identity in Augustan Rome, Cambridge UP, 2004.

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また?カード詐欺騒動:痴呆への一里塚(45)

 昨日午前10時すぎにドイツのアマゾンから「Amazon Prime」の期限が来たが前のカードが切れているので更新してほしいとメールが届いた。クレジット・カードを数ヶ月前に切り替えていたので、まあこういうことはあるだろうと想定していたし、この18日にWissenschaftliche Buchgesellchaftからカード切り替え要請があったりしたので、なんでドイツのアマゾンなんだとは思ったが、日本の「Amazon Prime」には入っている記憶あったので、たぶん国際的な対応でやっているのだろうと勝手に得心して(なんでそう思っちゃったのか、自分でも計り知れないが、これがオレオレ詐欺の心理的落とし穴なんだろう)、新しいデータを知らせたばかりかご丁寧に、月ごとの振込ではなく格安の年間分に切り替えて申込みをしてしまったのであ〜る。

 そして同じく昨日23時過ぎに今度はイギリスのアマゾンから同様のメールが入ってきた。その段階で,普通なら自動返信されるだろうドイツからの受領メールも返って来ていないことに気付いた。ここに至り、さすがのボケ老人の私もようやくこりゃおかしいと。急いでカードの使用状況を調べたが、ドイツからの相応の額の掲示はまだ記録されていなかったので、ちょっと安心してカード会社に電話すると(実はどこに電話するかでだいぶ手間取った:この電話番号では盗難・紛失以外は受付けませんとか、ご相談の時間帯は9-17時ですので明日電話し直してくださいとか)、やっと繫がったと思ったら、現カードの廃棄しかありませんねといわれ、またしても番号変更となった・・・。ううっ、これではまるでボケ老人ではないか・・・。昔は該当物件だけストップすることやってた記憶あるのだが。

 ともかく、またやってしまったわけだ。今年の1/4ごろに怪しい振込させられて、カード番号を切り替えたよなあ、たしか・・・。3か月未満でまたもやかあぁぁ。そのつもりでメールを見直すと、今回の両方ともHTML表示にすると、メールの欄外上部にちゃんと「 信頼できる人からのメールでない場合は、表示しないことをおすすめします」とあった。しかし私の場合、昔からクロネコ・ヤマトの配達変更メールでもその表示がついていて、どうしてと疑問なのだが、こっちはなんの問題もなくこれまでちゃんと荷物は届いているし。今回は当たりだったというべきなのだろう。

 よく考えないで即応してしまう自分が悪いのだが、いずれ呆けが本格化したら、ひどいことになりそうな予感がしてならない・・・。それを想定してどう対応すべきか、今のところ拙速の性格変えなきゃと思うだけで、思案投げ首の呈であ〜る。

【前日談】メールの記録を見直していたら、日本語の表題で文字化けしたメールが17日と18日に2通届いていた。テキスト表示でもHTML表示にしてみても文面には「??」とあるだけだったので、即ゴミ箱行きにしていたのだが、これが今回の予表だったような気がする。ちなみに以下のごとし。

題名お支�Bい方法の情�螭蚋�新
差出人amazon<rpzlpray@snjy.com> 

この到着メールの差出人は「amazon」のみであって、日本のアマゾンだったら表記が「Amazon.co.jp」のはず、ということにもあとから気がついた。

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