2018/2/5-11フランス調査旅行

 留学中の林君のお世話になって、約1週間、交通費・宿泊日は当方持ちということで、行ってきました。
 余裕があれば、年末のアルジェリア旅行も転載するでしょう。

2/5(月)成田1105-1555Paris AF275 Paris泊
  6(火)Neufchâteau泊  Hôtel EdenValue Deal 69.30€
  7(水)Metz泊 Inter-Hotel Modrne 86€+
  8(木)Nimes泊 Aparthotel Adagio access Nîmes   60.80€
  9(金)Nimes泊 Aparthotel Adagio access Nîmes   60.80€
 10(土)Paris泊 Hôtel Viator Paris  147.00€
 11(日)Paris1605- AF272
 12(月) -1205羽田

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2/7
浩志@ヌフシャトーです。

 3時に起きだして書きました。林君間違っていたら教えてください。

 昨日、今回の訪仏前半の山場のグランGrandに行ってきました。パリの東駅
に隣接した宿泊ホテルは昨晩は全員白人従業員でしたが今朝は全員黒人でした
。このあたりが現在のパリの状況なんでしょう。
 そこから8:10発のTGV(新幹線)に1時間40分、一面雪景色とスノウ・ホワイ
トが続くうち、Nancy着(雪のため30分程度延着でしたが、もともと待ち合わ
せ時間が40分あったので乗り継ぎはセーフ)。そこからToulまで地方線に乗り
換えて、進行方向右側にゆったりとした水量の川をみつつ、15分(なぜか雪が
消えてました)、本当はそのまま列車でNeufchateauまで行けるはずだけど途
中が工事中とかで、そこで乗り換え時間5分のバスに飛び乗って、延々と平原
状の地形での農地景観の中を直線で走る、よって旧ローマ軍道を彷彿させる道
を40分、ようやく正午前にヌフシャトー駅前に到着できました。こういう複雑
な経路だったので、林君抜きにはとうてい行き着くことはできなかったでしょ
う。感謝。

 ここのホテルに荷物を置き、フロントでお願いして、でも大分待たされたタク
シーで、1時半にGrand目指して出発。タクシー代は往復70+10ユーロ。往復と
も林君相手に絶え間なくしゃべり続ける同じ中年女性が運転手でした。ヌフシ
ャトーの町外れには近世と思える城塞跡が残っているようで、水量の多い川を
渡り、徐々に高度を上げていく感じでした。そこの自動車道も直線が主体でし
た。

 グランには20分も走ったでしょうか。まず小学生用と思われる漫画チックな
掲示板のある広場で、町のパン屋で買ったパニーニをかじって、ちょうど2時
間見学しました。ここの目玉遺跡の円形闘技場とモザイクの家は冬季休業中で
、これは事前にわかっていたことなので、しょうがありません(もし開いてい
たらもう1時間は必要でしょう)。若干ぱらぱら小雨の降る曇り空の中、住民4
00名の小さな村落で、出会う人も皆無の村の中の道を、表示板にしたがって、
厳重に金網で囲まれた円形闘技場(片方が未復元)、1035年に記録が初出の皇
帝ユリアヌス下での女性殉教者、Libaireの殉教者記念堂(村の共同墓地付き
)を覗き、列柱廊や浴場があった広場、閉館中で旧バシリカの床を飾っていた
モザイクを収めた家は素通りして、当時この地域を丸く囲っていた城壁の土台
跡、神殿跡に立っているという教会とその下の洗濯場、などを見学して歩きま
した。この間すれ違った住民は数名のみ。
 帰り道でのこと、モザイクの家の裏側で保育園の子供たちが園庭に遊びに出
てきて賑やかな歓声が聞こえ、保母さん一人に10名余り、全員白人の可愛い顔
で向かえてくれたので和みました。そのちょっと向こうにあるこぢんまりとし
た小学校には、場違いな感じで統廃合反対の横断幕が貼られていたのでなおさ
らでした。

 ここに、コンスタンティヌスが310年頃立ち寄り、ケルト起源のガリアの太
陽神Grannusの聖域で、アポロン神の出現を体験し、30年間の統治を予言され
た、という異教側史料があって、それがキリスト教側にとっては、太陽神と重
なり得るキリストやキーローの出現と、後年解釈されえたわけです。私見では
、その後の展開を考えると事実は異教側にあって、それを強引に改ざんしたの
がキリスト教プロパガンダだったと判断すべきで、私としては真偽を確かめる
ヒントを得るべくグランを訪問しなければならなくなったわけです。

 私にとっては、現在は寒村にすぎないグランが、かつては、ガリア古来の清
冽な聖泉が存在し、霊験あらたかな治癒祈願の聖地で、当時巡礼が引きも切ら
ず訪れてきていて賑わっていた保養地でもあったこと(帝国内有数の規模を誇
る円形闘技場がその証です。おそらく東部のアスクレピオス神の医療施設エピ
ダウロスなどに比すべき地だったのでしょう、規模はあれほどはありませんが
)、212年ごろに時の皇帝カラカッラが訪れた記録もあるようで、それらが確
認できたことで十分でした。
 あいにく季節はずれの訪問で、旧バシリカの広大な床モザイクが保存されて
いる施設に置いてあるはずのパンフレットなども、入手できませんでしたが、
ともかく、その夜のホテルのレストランでは林君と祝杯をあげたことでした。
ちなみに二人で63.76で切りよく70(食前酒+生ビール)。イタリアのあっさ
りした味に慣れている私には若干重い夕食でした。
 到着時に林君がめざとく観察してましたが、この町ではフランス人以外は見
ることありませんでした。我ら二人がまぎれもなく異邦人だったわけです。と
はいえ別段奇異のまなざしに会うこともなく、それどころか、タクシー運転手
のおばさんの甥は、木工の技術を習得して、日本人女性と結婚して東京に住ん
でいるのだそうで、最後の挨拶は日本語で「さよなら」でした。

 今日は、メッスに向かいます。そこの博物館にはグランの治癒神と深い関係
のあるらしい円柱上に飾られた石灰岩製のAnguipedeの騎馬像が展示されてい
て、それを拝見するためです。同様のものは反対側に位置するEpinalの博物館
にもあるようですが、そこに寄る時間は今回残念ならがありません。
 なお、ホテルに帰ってからの林君のウェブ調査では、ドイツのバイエルンの
Lauingen近くのFaimingenにはローマ時代のApollo-Grannus神殿があったよう
です。ここに212年にカラカッラがやってきて病気治癒のため神殿を建てたと
のこと。ストラスブールを挟んで東西にガロ・ローマン時代の著名な治癒神神
殿があったわけです。

 コンスタンティヌスにはなぜ、それを崇拝する意味があったのか。私見では
それを、彼は当時トリーアを拠点にしていて、彼の麾下の最も信頼していたゲ
ルマン・ガリア出身の兵士たちの支持を獲得する必要があったから、と想定し
ているわけですが、それ以上のことは、将来後続の研究者が実証してくれるこ
とを念じております。

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2/8
各位:豊田@Nimeです。

 アルジェリアから帰って、ずっと頭の中はアウグスティヌスだったのですが
、2/5から丸一週間の予定でフランスに来ています。前半は北東の若干僻地に
コンスタンティヌスの秘められた足跡を訪ねてましたが、朝の気温氷点下のMe
tzから半日かけてずっと同じTGVに乗り続け(一部300キロの速度ですが、在来
線も走るのでそう速くなくて)、昨晩ニームにつきました。列車から降りて駅
の階段を下るとき不覚にも足がもつれあぶなかったです。

 今日一日と明日午前中までここに滞在してパリに帰りますが、ニームでは単
純に、昔撮っていたはずのどこかに行ってしまった円形闘技場の立ちション用
トイレの写真再撮影するのが主務です。これだけなので大幅に時間余るのです
が、ニームの博物館は改装のため閉館中の由で、今日は新たに博物館ができて
いるというポン・デュ・ガールにバスで行く予定です。南仏では昔回った他の
ローマ遺跡も再訪したかったのですが(実は立派なトイレ遺構が多い)、その
余裕がないのが残念です。

 そろそろ頭の中を帰国便がよぎりだしてますが、パリは雪だとかでちゃんと
飛行機が飛んでくれるかどうか心配です。昨日フランスを北から南に縦断した
のですが、ところどころに薄っすら残雪あっても、ずっと霧の風景でした。南
仏のニームも夕食に出た夜の温度は3度と、体感的には北と変わりません。
 夕食は本格中華にありつけました。同行の林君は麻婆豆腐が食べれたと感激
してました。私は「ポタージュ」と頭についていたので疑問でしたが、酸辛ス
ープを頼んでみましたが、イタリアの「アグロ・ピッカンテ」と同じで、増量
したその辛さに疲れが癒やされました。4皿と青島ビールを含め二人で50ユー
ロ。やっぱ中華は貧乏人の味方です。今回のホテルには台所もついているので
、今日の夕食は分厚いステーキ焼こうと話してます。

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2/10
豊田@ニームです。

 昨日は、午前中に円形闘技場、昼にPons du Gard、夜はフランス料理でした

 実は、今回訪仏の最後のミッションには失敗し、元気が出ません。

 舐めるように入れるところは見て回ったのですが、お目当てのものがみつか
りません。座席下に位置するアーチ通路の曲線の内側に沿って立ちション用と
おぼしき、だけど大理石製の平たい浅い彫りの石材がずらーとはめ込まれたの
を、30年前には見た記憶あったのですが、・・・お母さん、あれはどこに行っ
たのでしょうか・・・。研究書にも写真があるというのに。林説では、立ち入
り禁止の工事用具置き場にあるのでは、というのですが。

 負け惜しみですが、でも転んでもただでは起きない! 階段の上下で足をガ
クガクにしながら歩き回るうち、地階からの登り階段の踊り場部分に妙な遺物
を今回見つけました。なぜかどこの通路にでもというわけではないのですが、
添付写真のようなものが両方の壁沿いの床に浅く彫られてまして。ご丁寧に下
方に小さな穴が開いているのと開いていないのがあって、統一感がなく、用途
的によくわからない遺物なんです。
 ご存じの方、教えてください。私は、当然立ちション用便器と考えてますが

 長くなるので昼は飛ばして、夜です。台所あっても油も調味料ないので、林
君が探した地元のレストランに行きました。定食23.5ユーロのコース、二人で
2016年産地元赤ワイン1本込みで70弱ユーロで、満腹しました。ワインも渋み
が強く肉料理に合ってました。

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2/10
各位:豊田@パリです。

 本日、ニームでは十分すぎる時間を町歩きで消化し(17500歩、昨日は25000
歩の由:晴れていて7度くらい、ひなたは暖かったが、風はきつかった)、午
後にtgvに乗り、先ほどパリに着きました。車窓からの風景は、最初の1時間は
晴れ、次の1時間はだんだん雲が多くなってきて、ところどころに残雪、そし
てパリが近づくと、日没したせいでもないでしょうが、一面の残雪となりまし
た。
 今日のホテルは、パリ・リヨン駅から歩いて5分くらい。

 そこでご報告があります。今回の宿泊ホテルすべてで、パスポートの提示を
要求されませんでした。これはどうしたことなんでしょうか。あののんきなイ
タリアでも必ず提示するのに。

 2日続けてのフランス料理は重たいので、これから名代の中華料理屋にメト
ロに乗って行こうと思います。
 明日、帰国の途につきますが、天気予報だと「晴れ」らしいので、飛行機が
ちゃんと飛んでくれることを祈ってます。
 林君には本当にお世話になりました。

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赤いシリウスの謎

 一週間ほど前、面白いテレビ番組があった。
 以下、うろ覚えですが。

 プトレマイオスの「アルマゲスト」や、キケロやセネカの記録によると、彼らの時代、すなわち古代ローマ時代においては、シリウスは赤色だったという。現在は青白いから、2000年間の間に色が顕著に変わったことになる。
 天体や星座の世界で、たった2000年での変化というのは考えがたい現象で、これまでの学説だと数万年はかかるとされてきた。
 となるとありえないのだが、多くの学者が入り乱れて色々な仮説を提出した挙げ句、どうやら最近の学説だとこういうことらしい。
 恒星は普通青く光っているが、寿命が来ると赤色巨星になり、消滅すると青白く白色矮星となるが、そのとき、特殊な条件下でファイナル・ヘリウム・フラッシュ現象が起こって、わずか数ヶ月で急激に膨張して赤色に変わり、最終的に燃え尽きることがある、のだそうだ。

 天体を観測していて、その現象を偶然見つけたのが、なんと日本人の桜井幸夫というアマチア天文家で20年前のことだった。1996年2月、見なれない星が射手座の一角に突然出現したのだ。それは「桜井天体」と名づけられた。
 こうして、現在青白く光るシリウスBが昔は赤色だった、という謎が解明されたわけである。

 ウェブでも、まだ旧聞の内容しか載っていない。
 http://mirahouse.jp/drop/seishu/red_sirius.html

 だけど、現在NHKオンデマンドで公開中のようだ。但し単品だとアップの期限は2/22。もう時間がないが、見放題だといつでも見ることできるらしい。
 古代ローマ史をやっているのなら、是非見ておいたほうがいいだろう。
 http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2018084847SC000/?capid=nte001

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私はドラキュラ?

 今日、起床は朝11時だった。寝たのが5時くらいだからしょうがないが。昨日も午前中はだめだった。昼過ぎからごそごそし始める最近の私。

 健全な人間は、太陽を浴びて体内時計を調節しなければならない。それも紫外線であって、ガラス越しの室内ではだめなのだそうだ。

 これといった昼間の定例行事が少ない今の私は、どうしても夜型になってしまう。まあその傾向はこれまでもあったのだが、最近は、食事後になると、大げさでなく昏倒しかねない睡魔に襲われるようになり(血流の関係か)、シェスタ風に寝ちゃうものだから、ますますその傾向がつよくなっている。

 しかし、これは健全な人間の姿ではない。電気エネルギー的にもかなり無駄をしているし、必然的に体内に無駄なカロリー・エネルギーを蓄積し、太る結果となあ〜る。目の疲労も半端ではない。しかも思ったほど仕事ははかどっているわけではない。困ったものだ。

 それにしても、夕方になってやっと外に出ようか、という気になるのはどうしたことか。
 これではまるで、ドラキュラじゃないか、ということに昨日やっと気がついた次第。

 でもドラキュラは痩せてるな。
 トマトジュース飲んでダイエットするか。

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忘れられた名著?

 また悪いクセが出た。
 アウグスティヌスに絡んで、ある邦語の本を読んでいたら、とんでもない本にゆきあたってしまった。それは、戦前に出たイタリア語からの翻訳書で、上智だとキリシタン文庫に所蔵されていて、戦後も改訳版が出ていて、そっちは中世思想研にあった。
 それらを見ていたら、原本がみたく(ほしく)なり、年金生活者のくせに性懲りもなく海外古書に発注してしまったのだ。届いた紙装本は節約して安物にしたせいか、もうぼろぼろで・・・、ウェブ写真で見たものとは似ても似つかぬ姿だったのだが。
 以下は、原稿を書いたEvernoteからの転写である。いずれ写真を添付して紹介したい。

ーーーー
 Giovanni PapiniのSaint’Agostino,1929 が出版されて、五十嵐仁は、すぐさまフィレンツェ在住の著者に翻訳許可を求める書簡をしたため、快諾を得た。翻訳の出版は1930(昭和5)年12月21日で、『パピニ 聖オーガスチン』発行所アルス、がそれである。
 なぜか翻訳者名には寺尾純吉という筆名を使っていた。上智大学図書館の「キリシタン文庫」には、その翻訳者が和名の筆名で(だが、ローマ字でIgarashiのサインも添えられている)ヘルマン・ホィヴェルス先生(神父)に献呈したものが未だ所蔵されている。ちなみに献呈の日付は1930年12月29日。どういう経緯か不明だが、その献本は長らくキリシタン文庫長だったヨハネス・ラウレス神父の手に移った。
 装丁は小豆色のしっかりしたハードカバーで、背表紙には金字で著者名、書名、譯者名がイタリア語と日本語で表記され、表紙には黒字でイタリア語のみで、上に書名、下に著者名、その間に心臓に2本の矢が上から交差状に刺さり、下まで貫通し、心臓の上に炎が描かれた図案が配置されていて(今は詳しく触れないが,他に、炎の火花状のものが4箇所描かれている)、かなり凝った作りとなっている。

 その図案のあらましは、たぶんアウグスティヌス『告白』9.2に由来し、直接原著の表紙から構想を得たものだろう。調べてみると、13世紀創設の聖アウグスチーノ修道会の会章は心臓を貫いている矢こそ1本であるが、やはり心臓の上には炎が見えている。私のところに北イタリアのAlessandriaの古書店から来た原本古書の表紙は、白地で文字は黒、心臓関係の図案が赤、という違いはあるが、シンボル関係は翻訳本と同じである。

 翻訳書を開くと、口絵に白黒で、なんと私も好きなアリ・シェフェール筆「聖オーガスチンと聖モニカ」(1854年)の白黒写真(原著にはない)、そのあとに「譯者序」が付されていて、翻訳の機縁などが述べられている。そこに1930年がかの聖人の没後1500年に当たることも明記されているので、原著や翻訳の契機は自ずと明らかであろう。ちなみに著者パピーニは1881年1月9日フィレンツェ生まれだから、当時49歳と気鋭の時期だった【逝去は1956年7月8日、65歳:ウェブ検索すると、若いときの個性的な頭髪の野心満々な姿と一緒に、どういうものか、言語障害をもたらした大病を患って衰えた姿の彼が、自宅の書斎で孫娘に口述筆記させている1955年9月19日付けの写真や、もう一人別の孫娘で役者の写真なんかも出てきた。巻末に付された同出版社の既刊本の列挙の先頭に、パピニ著大木篤夫譯『基督の生涯』も掲載されていて、著者はこの時期日本でもすでに定評ある書き手だったようだ。実は,その翻訳も後日入手してしまった。ところで上記シェフェールの絵は、ヌミディア人的風貌のアウグスティヌスを表現していて私には好ましいのだが、実は吉満義彦(1904-1945年)の『告白碌における聖アウグスチヌスの囘心への道』(Congregatio Mariana 2)上智学院出版部、1945年、の口絵にも使われていて、さすがと思わされる】。

  本書は、戦後の昭和24(1949)年3月に、中央出版社から、ジョヴァンニ・パピーニ(五十嵐仁訳)『聖アウグスチヌス』として訂正再版された。これは中世思想研究所にある。敗戦後という時代を反映して、薄っぺらな紙装本だが、表紙の図案は今回むしろイタリア語原著と同様となっている。ただ、すでに酸性紙特有の劣化が進んでいて、むしろ戦前もののほうが読みやすいくらいだ。この版には口絵も前書きもないが、その代わりに巻末に「譯者の言葉」が添えられていて、そこに版権取得時に著者から送られてきた快諾の書簡が紹介されていたり、翻訳者はその後1938年から「一官吏として」ローマに行き、終戦の暮れに浦賀に帰国したこと、原著者の生まれ育ったフィレンツェにもよく行ったし、ローマで最後に住んでいたジョヴァンニ・セヴェラーノ通りVia Giovanni Severano(ここはローマ・テルミニの北北東、というよりティブルティーナ駅の西側のといったほうが早いだろうか、Bologna広場の北西に延びている通りである)ではすぐ近所に著者のお嬢さんの婚家があって、「眼の不自由な作家が、ちょいちょいやってくることを、門番の口から聞きもした」が、訪れることもなく終わった、などと書かれていて、亡くなるだいぶ前から作家として著者が不自由な体だったこと、たぶんそれもあって訪問を遠慮していたことも窺える文章に出会え、私にとって興趣大いなるものがある。

 そして、問題の箇所は、原著でp.45-47、戦後の翻訳でp.42-44で、読者は見逃しがたい叙述に出くわすことになる。さすがイタリア人!と絶句せざるをえない、はずなのだが。

 アウグスティヌスは、マダウロスから学業半ばで故郷に帰ってきて、無聊を囲う1年を過ごした時に堕落した生活に陥るが・・・
 
p.43-4「ここにかれは偽らない、しかも明瞭な言葉をもって、友情の堕落、肉慾にまで堕落した友情、肉慾と合體した友情に就いて暗示しているのである。・・・「肉慾によって穢された友情」とは、男の友だちを暗示している。」

 な、なんと、アウグスティヌスが女だけでなく、男色もやってた、とパピーニが明言しているわけで、もう脱帽するしかない。
 かくして、私の「珍説その3」も、90年近くも昔にすでに喝破されていて、新説とはいえないことに。まあ男色は、ローマ史からすると別段驚くべきことではないのだが。養子皇帝で帝権をつなげたいわゆる「五賢帝」の最初の四人は、まさしく女性に興味なかったからから子もなしえず、その故の養子縁組だったことを想起すれば十分だろう。
 しかるに、我が国の自称アウグスティヌス研究者でこれを指摘している者を私は知らない(西洋では、ある女性研究者がそれを指摘している、とどこかで読んだ記憶があるが、それにしてもそれはここ2,30年前のことだったとボンヤリ記憶している)。しかも、パピーニのこの書物を利用して、アウグスティヌスとアンブロシウスの冷たい関係を指摘している、として引用している研究者はいるのだが、男色のほうにはまったく触れないのである。これを偏向といわずしてなんと言うべきか。それにしても、これでは最近の研究者は相も変わらず縮小再生産に嬉々として従事している、と言われてもしょうがないだろう。

 実は、私主宰の読書会で,昨年出版された以下の岩波新書を読んだ社会人女性が、読後感としてそれを指摘していた。
  出村和彦『アウグスティヌス 「心」の哲学者』
 私は、筆者にこの点をどう考えるかメールで問い合わせたのだが、返事は「書き手が意図してない読み方をされてビックリです」だった。
 これこそ素人がプロを凌駕する健全な読解力を示した典型例というべきではなかろうか。繰り返す、これでは、専門家とは実はお仲間の中での共通言語で遊んでいる輩にすぎない,といわれても弁解の余地はないだろう。赤面して、研究者の看板を下ろしていさぎよく退場すべきだろう。

 付記:ここでアウグスティヌス関係の「私の珍説」とは以下の事例である。(〇付きが現在オリジナルのつもり、△は先行研究不十分)
  彼の『告白』叙述の秘密
   彼の出生の秘密:ヌミディア性 △
   彼の家族の秘密:母はめかけ? 〇 
   彼の男色疑惑 〇 → △
   彼の異性関係の秘密
   彼の立身出世の秘密:マニ教ネットワーク
   彼の回心の秘密:△
   彼の司祭・司教就任の秘密 〇
   彼の設立修道院の秘密 〇
  彼の使用言語の秘密 △
  彼の神学の秘密:山田氏にお委せ
  彼の死後の図書移動の秘密 △
  彼の遺骸移動の秘密 △
  彼の神学が西部帝国に伝播した本当の理由△

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お勧めサイト発見

 カルチャで使用する画像を探していて、こんなページにたどり着きました。
 教材開発の試みのようです。私にはなかなか聞き取りがたい英語速度なんですが、繰り返し聞き直せるし、文字が表示される点(とはいえ、今度は読み取れない(^^ゞ)はありがたいです。
 私はローマ史だけしかみてませんが、最新学説もどしどし入れ込まれ、全学科的になかなか工夫した画像を見せてくれてるようなので、興味お持ちのテーマをぜひご覧ください。

 https://www.khanacademy.org/humanities/ancient-art-civilizations/roman#late-empire

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読書会へのお誘い

 現在、こんなことやってます。もし参加希望の方いらっしゃったら、大歓迎ですので、メールで連絡ください。当方のアドレスは「k-toyota@ca2.so-net.ne.jp」です。ご希望あれば(1)と(2)については、これまでのレジメをお送りします。

(1)「アウグスティヌス『神の国』読書会」
 開催方式:隔週で、2017年度の今後の予定は、11/30,12/14,1/11,1/25,2/8,2/22,3/8,3/22、といった調子です。
 日 時:隔週の木曜日、午後6時ー7時半 
 場 所:四谷駅徒歩2分、イエズス会日本管区本部・岐部ホール304号室
 参加費:その日の参加者から、2000円(場所代の寄付金込み)を、参加当日に徴収してます。

 かつての上智大学公開講座の参加者のご希望もあって始めました。現在の参加者は、みなさん女性の社会人と私の、6名です。
 実は、私にとっても3回目の完読の試みで、とりあえずはローマ宗教を学ぶという視点で読んでますが、とにかく「1人では絶対に読み進めれない」とお互い励まし合いながら頑張ってます。 
 原著はラテン語ですが、教文館訳で一回25ページくらい読み進み、第8巻15章まで進みました。
 アウグスティヌスの話は繰り返し多いので(それは、彼は机に向かって文章を推敲しながら書いているのではなく、口頭で喋っていて、それを速記者たちが筆記しているせいもあるかもしれません)、中途参加でも全然問題ありません。
 結局、内容をレジメにまとめて最初に筋を報告している私が一番勉強している感じなんですよね (^^)。
 メンバーから、どこかで最新刊の田川建三『ヨハネの黙示録 訳と註』作品社、を読みたいという希望も出てまして・・・、さてどうしたものかと。

 追伸:11/30の会で、第8巻になって訳者が某氏になってから、よく分からない箇所が多くなったこと、それにそろそろ飽きてきたきたこともあり、『神の国』は次回で第9巻を全部読んだあと、一旦お休みにして、正月からは以下を読みたい、ということに参加者の中でなりました。
   田川建三『書物としての新約聖書』勁草書房、1997年
 なお、古書を見てみると、「日本の古本屋」だとずばり3000円が2冊、3000円台も数冊転がってますので、4000円台のアマゾンよりも安いようです。

(2)「エウセビオス『コンスタンティヌスの生涯』読書会」
 開催方式:月1回
 日 時:基本、月末の月曜日、午後1時半-3時半:2017年度の今後は、11/27,12/18(時間もずらして+忘年会),1/29,2/26,3/26を予定してます。
 場 所:JR我孫子駅から徒歩1分の「我孫子市けやきプラザ」8階の会議室
 参加費:その日の参加者から、場所代等必要経費込みで、お一人1000円を徴収してます。

 この読書会は、かつて柏のNHK文化センターで開催していた講座の参加者のご希望で始めました。これまで『ガリア戦記』『内乱記』『ローマ皇帝群像』といった西欧古典を読んできました。この調子でいくと、その後のテキストは新刊のアミアヌス・マルケリヌスになるかも。
 現在の参加者は、女性7名、男性7名、そして私の、計15名です。
 『コンスタンティヌスの生涯』の原著はギリシア語ですが、秦剛平訳(京都大学学術出版会)でこの7月から読みはじめてます。速度は一巻を2回に分けて、まあ毎回平均で40-50ページです。ちなみに、11/27は、第一巻後半を予定してます。
 本テキストの内容は私の研究分野に直結してますので、話題はおのずと周辺にも及びます。たとえば、9/25には「2017年夏期調査旅行報告」と題して、この夏の遺跡調査内容を発表しましたし、最新レベルの情報もお伝えしてます。10/23は、あの有名なコンスタンティヌスが見たという十字架の幻視研究の問題点に触れました。11/27の目玉はコンスタンティヌスの凱旋門レリーフで、日本で初公開の最新学説を紹介予定です。

(3)「アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』ラテン語輪読会」
 開催方式:毎週1回の輪読会
 日 時:毎週金曜日、午前10時半-12時半
 場 所:現在は、渋谷駅から徒歩10分にある、安い渋谷の貸事務室(ワンルームマンション)を借りてやってます。
     来年度は時間も場所も変更の見込みです(夕方から、四谷の某大学図書館のグループ学習室を狙ってます・・・)。
 参加費:現在、その日の参加者で場所代とお互いの交通費をプールして徴収してます。
     (来年度は、図書館館友会員参加費が必要になるかも。それについては以下参照
       http://lux.lib.sophia.ac.jp/HomePage/index.php?page_id=101)

 かつての大学院ゼミの続きでやってます。現在の参加者はいずれも社会人で、男性2名(+時々参加1)、女性1名、それに私の、4ないし5名です。
 輪読ですから、参加者が順番に試訳を担当し、みんなで検討します。読解には箇所によってかなり手こずっていて、これも「これって、一緒に読むからやれるんだよね」といいながら、じわじわしぶとくやってます。詳しくは、このブログにアップした翻訳をご参照下さい。

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Aurelius Victor, Liber de Caesaribus,1.1-5.12

 日進月歩といいたいところですが、そうもいかず・・・(一応の訳了は1年後の予定ですが、さて)。いつまでたっても手直しに切りがないので、ばらばらですが、手を加えたところから、恥ずかしながらたたき台としてアップさせていただきます。(といいつつ、次回がいつになるやら)
 秦剛平氏は、エウセビオス『教会史』や『コンスタンティヌスの生涯』において、意訳箇所に逐一訳註をつけて克明に明記されてます。それは一般読者としては相当にわずらわしいのですが、研究者の翻訳倫理としては本来そうあるべきだ、と私も思います(その彼に細かいことですが私なりにイチャモンつけたい箇所もありますが、それは別の場所で)。ここではできるだけ逐語訳で作業し、最終的に読みやすい「超訳」 (^^ゞを試みたいというのが、私の念願ですが、もとより文才なく、その上先のない身なので、期待しないでお待ちください。
 いずれエウトロピウス『首都創建以来の略史』全10巻もこの作業をしなければと思ってますが、そのためにはだいぶ先まで惚けずに頑張らないと。しかしたとえ私がついえても、若い世代で継いでやってくださる方が出てくることを信じています。それが研究というものではないでしょうか。

 本翻訳で使用のラテン語テキスト:
  Recensvit Fr.Pichlmayr et R.Grvendel, Sexti Avrelii Victoris Liber de Caesaribvs, in:Bibliotheca Tevbneriana, Leipzig, 1970=http://www.thelatinlibrary.com/victor.caes.html
 現代語訳註(*原文テキストを含まない):
  *by C.E.V.Nixon, An Historiographical Study of the Caesares of Sextus Aurelius Victor, Diss., Michigan, 1971.
  par Pierre Dufraigne, Aurelius Victor Livre des Césars, in:Les Belles Lettres, Paris, 1975.
  par Michel Festy, Sextus Aurelius Victor, Livre des Cesars, Thèse Doct. de l’Université Paul Valéry-Montpellier III, 1991.
  *by H.W.Bird, Aurelius Victor:De Caesaribus, Liverpool UP, 1994.
  von Kirsten Groß-Albenhausen u. Manfred Fuhrmann, Die Römischen Kaiser Liber de Caesaribus, in:Tvscvlvm, Darmstadt, 1997.
 索引辞書:
  Conscripsit Luca Cardinali, Aurelii Victoris Liber de Caesaribus Concordantiae et Indices, vol.I, in:ALPHA-OMEGA, Hildesheim/Zürich/New York, 2012.

 訳文中での記号、他:
  [ ]:テキスト段階の異読・付加等の場合
  ( ):文脈上の翻訳者の補い
  【 】:翻訳者のコメント
  ラテン語表示:訳語の統一を図るために、ここでは便宜上入れていますが、形式はふぞろいかもです。
  訳注:とりあえず『上智史學』60ー63号(2015ー17年)掲載を参照願いますが、ここでも修正がないわけではありません・・・。なお、そのpdf文書は「上智大学学術情報リポジトリ」(http://digital-archives.sophia.ac. jp/repository/)から「アウレリウス・ウィクトル研究会」と検索にかけると、入手可能です(但し、最近発行の第62号分は未掲載)。

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        セクトゥス・アウレリウス・ウィクトル
   『皇帝列伝:アウグストゥス・オクタウィアヌス以来の略史、
  すなわちティトゥス・リウィウス(の書)の末尾(前二七年頃)から、
正帝コンスタンティウスが一〇度目、かつ副帝ユリアヌスが三度目の執政官職
          (三六〇年)までの(略史)』

1.1:ほぼfere首都(創建後)七七二年目(前三一年)に、今やetiamローマで一人(の人物)に絶対に服従すべしとの慣習が生まれた。なぜならnamqueオクタウィアヌスは、オクタウィウスを父とし、大伯父との養子縁組によってカエサルの、そしてまもなく領袖たちの決議で、諸派閥への(彼の)派閥の勝利が控えめに行使されたことにより、アウグストゥスの添え名で呼ばれたがdictus(それは)、彼が金品で兵士たちを、穀物管理でとりわけ大衆vulgoを取り込んで、他の者たちをもまったく困難なく屈服させたからだった。
 2:そのようにして約四四年間が経過し、彼は病をえてノラで逝去したconsumptus。(その間)市民たちの帝国にラエティアとイリュリクムが加えられ、そして(帝国)外の諸民族の凶暴さは、ゲルマニアを除き沈静化された。
 3:ヌマの後の三人目として、(彼は)アントニウスに勝利すると、ヤヌス(神殿の門)を閉じた。それはローマ法によって諸戦争が鎮まると行われることだった。
 4:性癖的にかの人物は市民的で魅力的だったが、まったく節度がないほどの贅沢三昧と諸競技に熱中し、そしてまた睡魔には抑制がきかなかった。
 5:(今と違って)たくさんいた学者たちと(その)取り巻きたちに(彼は)大いに敬意を払っていた、(それは彼が)雄弁の研究と宗教儀式に驚くほどmire惹かれていたからであった。
 6:彼は寛容さゆえに国父で、また終身護民官職権tribunicia potestateを有していた。そのため(彼を)神に、ローマと全属州でのきわめて著名な諸都市を通じて、(彼の)生存中と死後を問わず、諸神殿、諸祭司団sacerdotes、および諸神官団collegiaが聖別していた。
 7:彼は幸運felixに恵まれ[子供たちと、やはりtamen同時にsimul結婚は別だったが]、インド人、スキュタエ(スキュタイ)人、ガラマンテス人およびバクトリア人は諸使節を派遣して、同盟を嘆願したほどだった。

2.1:次いで、クラウディウス・ティベリウス・ネロは、アウグストゥスの子供たちの中に継子から養子縁組で迎え入れられていたが、恐れていたことどもが(杞憂で)十分にsatis安全であると気づいてから、帝権を受け入れたが、かの(アウグストゥスなる)称号は老獪に拒んでいた。狡猾で必要以上に秘密主義の彼は、しばしば偽って殊にmaxime欲していたことどもを嫌ってみせ、嫌悪していたことどもに欺瞞的に専念したりした。素質的には突発的なことにはるかに鋭敏だった。はじめこそ良かったが、その後(彼)は有害となり、ほぼfereあらゆる年齢性別に対し非常に手の込んだ情欲を持ち、かつ無実だろうとなかろうと厳しく罰し、(これは)自分の身内であるなしに関わらず同様だった。
 2:その上つまりadhuc dum、諸都市や諸集会を忌み嫌うあまり、カプレア(カプリ)島を諸々の破廉恥行為を隠すために求めた。
 3:それゆえ軍事をなおざりにしたので、ローマ法(の下)の多くの場所が強奪された。(治世)劈頭のカッパドキアを除くと、何ひとつ属州として征服されず、(それさえ)アルケラウス(アルケラオス)王が追放されたからだった。ガエトゥリ族の諸々の盗賊行為が鎮圧されたが、彼らは頭目タクファリナスの下でいたるところを襲撃していた。
 4:同時にsimul、スエビ人の王マロボッドゥスは巧妙な計略ではめられた。加えて近衛大隊が集結させられた。(それまで)近くの諸自治都市や、あるいはローマ(市内)で各邸宅に分散宿営していたのを、彼は首都隣接の陣営内に移した。彼はそこで(近衛大隊を)指揮すべく近衛長官職の称号を与え、また(その職権を)強化した。これに対しnam、身辺警護隊員の別の者たちと首都警護隊員たちを設立したのは、アウグストゥスである。

3.1:かくして(ティベリウス・)クラウディウスは熱病ないし諸々の奸計により没した。そのとき彼は二三年間帝権を行使しegisset、八〇歳に一歳足りなかったが、添え名カリグラなるガイウス・カエサルが、皆から熱望されて選ばれる。(それは)祖父たちと父(ゲルマニクス)への信望のゆえだった。
 2:なぜならnamque、(アウグスティヌスの)娘を通じて曾祖父がアウグストゥスで、母方の家系にアグリッパが、ドルススがゲルマニクスの父で、(カリグラは)彼(ゲルマニクス)の子で、彼ら(アウグストゥス、アグリッパ、ドルスス)が祖先だったからである。
 3:彼らの慎み深さと、オクタウィアヌスを別にしての時期尚早の突然の死に(加えて)、大衆vulgusは同時にsimul(カリグラの)母と兄弟たちの(死)にも同情していた。ティベリウスが彼らを気まぐれな災禍で葬り去ったからである。
 4:その理由で、あらゆる者がこれほどの家系の没落を青年への期待でなだめようと努めたわけで、特に彼は軍隊内で生まれ[そこから彼は添え名を軍用靴にちなんで得ていた]、諸軍団にとって愛らしくかつ歓迎されていた。
 5:加うるに、彼はきわめて聰明だったので、誰もが彼ら(祖先)に似るだろうと信じていた。だがそれは、まったく期待とは裏腹がいわば自然法であるかのように、しばしばまるで意図したかのごとく、悪人たちが善人たちbonisから、粗野な者たちがより教養ある者たちから(生み出され)、他のことどもでも同様で、また逆も真なのである。
 6:ついにその先例から賢人たちの多くが、子供たちなどいない方がよりましだと考えるに至った。
 7:その上ceterum、カリグラにおいては、彼らはそれほど間違ってはいなかった。実際、彼は長い間気質の粗暴さを慎み深さと見せかけの従順さで覆い隠していたので、その結果正当にもmerito人口に膾炙したように、彼より良い従僕たちはいなかったが、彼ほど残酷な主人もいなかった。
 8:要するにdenique、職権を手に入れた彼は、このような本性(を持つ者)が近頃常にそうであるように、その年の数か月間諸々の偉業を、民衆へ、元老院議員らの内部で、兵士たちと共に司った。そしてある陰謀が報告されると、とても信じられないかのように、(そんな陰謀は)自分にふさわしくない、なぜなら(自分の)生命など誰にとっても負担や厄介でないからだ、と公言していた。
 9:しかし突如、最初は気まぐれな行為で無実のごくわずかな者たちを粉砕してからはcaesis、あたかも獣が生き血を飲み干すかのように本性をむき出しにし、こうしてその後三年間が過ぎたがconsumptum、その間元老院と最良者たちoptimi各々のたび重なる災難で地球はひどく傷つけられた。
10:むしろ今やetiam、姉妹たちを凌辱し既婚貴婦人たちを弄んでは、神々の装束を着て歩き回っていたが、それは「予は近親相姦によってユピテル神であり、さらにはバッカナリアの合唱でリベル神なり」と主張するためだった。
 11:かと思えばneque secus、ゲルマニア内に踏み込む期待で一ヶ所に諸軍団を集結させた挙げ句、二枚貝や巻き貝を大海(大西洋)の岸辺で拾い集めるよう命じたりもした。
 12:その際彼自身、あるときは流れるようなウェヌス女神の衣装で(兵士たちの)間に立ち、またあるときは武装して、自分への戦利品(貝殻)は人間たちからではなく天界から奪ったものだと強弁したが、明らかにこのような類いの魚(海産物)をギリシア人たちの呼ぶところにしたがいーー彼らはあらゆるものを大げさに言いたがるのだがーー、ニンフたちの瞳と彼は解釈したのである。
 13:これらのことで増長して、(自分のことを)ご主人様dominusと呼ばせdici、そして王の標章を頭に巻き付けようと企てるに至った。
 14:それが原因で、カエレアを首謀者として、鼓舞された者たちーー彼らにはローマ人の武徳が宿っていたーーが、かくも恐るべき破滅から彼を刺殺して国家を(専制政治から)解放した。タルクイニウスを追放した際のブルトゥスの卓越した偉業が再現されたことだろう、もし真のローマ人において軍隊がそれを行ったのであれば。
 15:だが(実際は)市民たちは怠惰にも外国人と蛮人を軍隊に徴募する欲望に取りつかれ、道徳は退廃し、自由は抑圧され、そして所有への欲求は増大していた。
 16:さしあたりinterim、さらにdum元老院決議により今やetiam女性たちも含めた皇帝たちの一門とすべての縁戚者を武装兵たちが捜索していて、はからずもウィミウスなるエピルス(エペイロス)生まれの(近衛大隊)歩兵所属の百人隊長がーー彼らは宮殿でしかるべき拠点で見張っていたーー、身を潜めていた(ティベリウス・)クラウディウスをぶざまな隠れ場所で見つけ出し、彼を引きずり出して、仲間たちに向かって叫んだ、「お分かりか、元首であらせられる」と。
 17:そしてたしかにsane彼は(精神的に)まともでなかったので、きわめて扱いやすいと洞察力のない人々に見られていた。そのことが伯父ネロ(ティベリウス)の邪悪な精神に対して助けとなり、兄の息子カリグラにおいても嫉妬とならなかった。むしろ今やetiam彼は兵士たちと平民militares plebisqueの心を掴んでいて、つまりdum彼への(一族の)目にあまる支配で、彼自身はきわめて哀れむべき存在と同情すらされていた。
 18:そのようなこと、そして多数のことが突如思い出され、誰も躊躇することなく彼をそこにいた群衆trubaeが取り囲み、同時にsimul他の兵士たちmilitumと大勢の大衆vulgiが殺到してきた。それを元老院議員たちが把握するや否や、(自分たちが)この企てausumを鎮圧可能かどうかと、すぐさまocius(人を)派遣する。
 19:しかし、種々のそして忌むべき諸反乱seditionibusで共同体と全身分が引き裂かれてしまった後なので、いわばtamquam帝権からの(命令であるかの)ように全員が(彼に皇帝として)恭順したのである。
20:こうしてローマでは王的職権が強固となり、そしてより平易に明らかにされたのは、死すべき存在(人間たち)の努力など運命の女神fortunaにとってかくも空しく、そして粉砕されてしまうcaesosqueということだった。

4.1:かくしてigiturクラウディウスは、恥ずべきほど胃(の腑の食欲)に従順で、同様に(精神的に)まともでなく、かつ忘れっぽくて臆病な気質で、そしてきわめて怠惰だったにもかかわらず、多くのことを恐怖によってにせよ、とりわけpraecipue貴顕階層の諸助言にたいして、やはりtamenすばらしい配慮を示していた。その階層を彼は畏怖していたので尊重したのだった。実際quippe、愚か者たちの本性は、あたかも助言者たちの意のままに行動するaguntからである。
 2:要するにdenique、良き後見人たちによって彼においては諸悪徳が、かつガリアにおいてはドルイド僧たちの悪名高い迷信が鎮圧された。可能なかぎりの有益な諸法が提案された。軍務も遂行され、諸国境は維持され、ないしローマ帝国に(新たに)以下が与えられた:東方ではメソポタミア、北方ではレヌスとダヌビウス、そして南方ではマウリ人が諸属州に加わったが、(最後のものは)ユバのあと王たちが廃されたことによる。そしてムスラミイ人の手勢manusが粉砕されたcaesaque。同時にsimul極西では、ブリタンニアの各地が粉砕されたが、彼はブリタンニアのみを訪れ、オスティアより海路進発した。これに対してnam、他のところ(の征服)は将軍たちが遂行したのである。
 3:その上さらにadhuc、穀物供給の欠乏が解決された。それをカリグラが引き起こしていた。つまりdum彼は、全世界から船舶を駆り集め、海上通路を諸劇場と諸戦車のため公共的損失をしてまでも造ろうと頑張っていたのだ。
 4:かと思えばneque secus、人口調査を新たにおこない、元老院から多くの者たちを締め出したが、ある軽薄な青年がいて、彼を自分たちにとって素晴らしいと親が主張したのでそのままにした時、彼(クラウディウス)は正しくも付け加えたものである。父親こそ子どもたちにとって監察官なのだから、と。
 5:だが彼は配偶者メッサリナの、そして同時にsimulque彼が身を任せっきりだった解放奴隷たちの甘言により堕落へと引きずられていった際に、ただ暴君たちのそれらだけでなく、夫や主人が愚かであれば、女性たちや奴隷の最も愚かな種族ができそうなことを犯したのだった。
 6:なぜならnamque、かの妻は最初みさかいなくあたかも法に則っているかのように姦通をおこなっていた。そしてそれで、非常に多くの者たちが身内もろとも消滅させられたexstincti。それは本性あるいは恐怖から(彼女の誘いを)断ったからである。女性たちのよく知られた手練手管で、彼女がかつて言い寄った者たちを自分に言い寄ったと告発したせいである。
 7:その後dehinc、より凶暴になった彼女は、より貴顕な女性たちを、結婚していようが処女であろうが、娼婦のように自分とともに売春させ、男たちも参加を強いられた。
 8:そしてこのようなことを恐れる者がいたら、犯罪をでっち上げて彼自身と家系全体に残酷極まりなく振る舞った。
 9:なぜならnamque、クラウディウスは、上で我々が示してきたように、生来非常に怖がりだったので、彼らは、彼に恐怖、ことにmaxime共謀への(恐怖)を吹き込むことによって、悩ませていたからである。そのような策略で解放奴隷たちさえも今やetiam彼らが望んだ者たちを破滅へと追いやった。
10:彼らは、最初は(メッサリナの)諸々の悪事を黙認していたが、女主人と対等とされるや否や、彼女をもまた、主人も知らぬうちに、しかしあたかもやはり(彼が)命令したかのように、従者たちを通じて殺害した。
 11:そしてたしかにsane、(その)女性は次のようなところまで進んでしまった。つまり、気質(趣味)と愛妾たち(に会う)ために夫がオスティアへと出立している間に、彼女はローマで結婚式を他の男と挙げてしまった。それでこのため(彼女は)より悪名を高めたのだが、つまりdum不可解にmirum思えるのは、彼女が皇帝の(目と鼻の)先で皇帝以外の男と結婚したことである。
 12:こうして、最高職権を手にした解放奴隷たちは、淫蕩、追放、刺殺caede、財産没収によってあらゆることを汚し、そして家長(クラウディウス)の愚かさを駆り立て、その結果かの老人は兄弟の娘(小アグリッピナ)との結婚を渇望するまでに至った。
 13:彼女は先妻よりも一層突拍子もないとみなされていたとしても、そしてそれゆえ同様の(運命)に怯えてもいて、毒薬で配偶者(の皇帝)を片付けてしまった。
 14:彼の(統治)六年目にーー彼は一四年間支配したがーー、首都創建八〇〇年祭が驚くほどmire(の規模で)祝賀され、そしてアエギュプトゥス(エジプト)ではフェニックスが目撃された。うわさではその鳥は五〇〇年ごとにアラビアから名高い諸所へ飛来するとのことである。そしてアエガエウス(アイガイオス)海の中に突如巨大な島が、ある晩に出現した。それは月食が起こった時のことだった。
 15:その上ceterum、(クラウディウスの)葬儀funusは、かつてのタルクイニウス・プリスクスのように長らく秘匿され、つまりdum女性の手練手管で堕落した番兵たちcustodesは、(彼を)病人に見せかけ、そしてその間に、彼によって継子ーー彼(ネロ)を彼はほんの少し前に子どもたちの中に受け入れていたーーに国家の管理を任されたと(偽って見せかける)。  

5.1:かくのごとき方法で、ルキウス・ドミティウス[これに対して(というのも)namそれが断然certeネロの名前で、父はドミティウスだった]が皇帝とされた。
 2:彼ははるかに若くして義父に等しい年数権勢を司ったgessisset。やはり(はじめの)五年間は、首都を素晴らしくmaxime飾ったので、正当にもmeritoトライヤヌスはきわめてしばしば証言したものである、すべての元首たち(の統治)はネロの五年間にはるかに及ばない、とその期間に今やetiamポントゥス(ポントス)を属州法の下に、ポレモ(ポレモン)の許可によって移動させた。これにより彼(ネロ)はポレモニアクス・ポントゥスなる称号を与えられているappellatur。そして同様にコッティアエ・アルペスもコッティウス王の死により、そうなった。
 3:それゆえ、年齢が武徳にとって障害にならないことは、これから十分にsatis確知できるcompertum。(だが)放縦によって本性が堕落すると、それ(武徳)は容易に変化し、そしてその消失はいわば若気の至りの法則のように、より危険になって戻って来るものなのだ。
 4:なぜならnamque、彼(ネロ)はその類の不品行で残りの人生を過ごしたのでegit、かくのごとき人物についていささかなりとも思い出すのは不快かつ忌まわしい、まして(彼は我が)一門の指揮者rectoremであった。 
 5:彼は、つまりdum会衆者たちを前にギリシア人の発明による冠をかけての試合certamenにおいて竪琴を弾き始めた挙げ句、次のようなことにまで進んでしまった。すなわち、自分と他人の貞節に容赦せず、最終的にextremum結婚する乙女たちのヴェールを身にまとい、公然と元老院で婚資を与えられ、皆が祝祭の慣わしで祝う中、あらゆる怪物どもから選り抜かれた者との手権婚に同意したのである。
 6:それはたしかにsane、彼においてきわめて些細なことと評されるべきである。
 7:実際、犯罪者のように拘束された者たちに対して野獣の皮を被った彼は、(男女)両性に対し(彼らの)生殖器に顔をこすりつけたり、男どもを去勢してより重大な破廉恥行為に及んだのだから。
 8:その上atque、これらの中でも彼が母親すら今やetiam汚したと多くの者がみなしているが、つまりdum彼女もまた支配欲に駆られていて、冒瀆がなんであれ息子を服従させようと熱望していた。   
 9:それを著作家たちは種々証明に及んでいるので、私は真実だと思っている。
10:なぜならnamque精神に諸悪徳が浸蝕すると、人間たるもの、羞恥心から外部の人々に結びつこうとは決してしないものだからである。罪を犯す習慣、新奇さそして彼により甘美さをもたらすものは、最終的にはextremum彼の身内の者たちの中で果たされるagit。
 11:そのことは彼ら(二人)によってより以上に明らかにされた。つまりdum、あたかも一種の進歩であるかのように、彼女(アグリッピナ)は他人たちから叔父との結婚へ、他人たちの拷問から夫の死mariti exitiumへと、(他方)彼(ネロ)のほうは漸次、ウェスタの巫女、それから自分自身へと(進み)、最後に両者ともども彼らの身内での冒瀆へと経過した。
 12:だがかくのごとき(悪徳の)魅惑にもかかわらず、やはりtamen彼らは一体となれず、それどころかそれで彼らは危機に瀕し、互いに奸計を巡らした挙げ句、先手を打たれて母のほうが亡くなった。

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アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』第33章19-30

以下はごく最近の試訳箇所です。26節が特に意味不明で難儀しました。まだ満足いきませんが、一応アップします。
 このところ、いまいち著者の語感がつかめなくてどうしたものかと思案しているのは、死亡に関する単語をどう訳し分けるか、です。「亡くなった」「死んだ」「滅びた」「消えた」「殺された」「殺害された」「殺戮された」・・・。絞殺や斬殺など明確な場合はいいのですが(他の並行史料でどうあれ、それで見当つけるのは避けなければなりませんし)、辞書的にも多義あって思いのほか面倒です。
 よろずご意見・ご指摘は遠慮なくお申し出ください。
 その際、本翻訳では、「逐語訳」でやっている点だけはあらかじめご了解ください。具体的に言うと、「可能なかぎり単語の順番通りに訳す:勝手に入れ替えない」「複数形はそれがわかるように訳す:単数と明確に区別する」「時制も動詞の形どおりに訳す:歴史的現在は現在形で表記する」「極力同一訳語をつけるようにする:翻訳者の意訳によるニュアンスの変化をできるだけ排する」、といった、まあ当然のことなんですが。
 ただ、これまでこの翻訳作業に対して、共訳者間ではかなり辛辣にやり合っていて(だから先になかなか進みません:欧米現代語訳註も肝腎の箇所で参考にならない場合が多く)、ある場合はそれを押さえ込んで豊田個人訳として公表してきたのが実情ですが、であれば世の専門家の方々はもっと言いたいことがありそうなものですが、これまでわずかお一人のみしかご指摘頂戴してません。批判にも値しないしろものだからなのか、それとも、これが内弁慶な日本の学界の現状なのか、いずれにせよ、いずれまとめて公刊を予定している身からしますと、はなはだ残念なことです。

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アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』
第33章


           Gallienus 260-8 Antiochia打刻(表面 放射冠着用;裏面 Sol神)

 19:その都市を、彼(ガリエヌス)があらゆる種類の攻城兵器によって攻撃している間に、彼は身内(の部下たち)によって滅びたinteriit。
 20:実際、アウレオルスは、包囲の緩む望みがほとんどないと見て、ガリエヌスの軍司令官たちducumと将校たちtribunorumの名前を、あたかも彼(ガリエヌス)が殺害を決定したような(文書を)彼の策略astuで作成し、そしてその文書を城壁外へと、意図的にこっそりと投げ捨てた。その文書がたまたまforte(書類に)言及された者たちに発見され、死をexitii命じられた(という)恐れと(それが本当なのかという)疑念を引き起こさせたが、しかしながらverumそれら(の文書)が流出したのは、(ガリエヌス)の従者たちのministrorum不注意incuriaによるのだ、と(理解されたのである)。
 21:このため、アウレリアヌスの助言consilioによってーー彼(アウレリアヌス【ガリエヌスの場合もありかも】)の軍隊内での人望と名声は際立っていたのでーー、敵対者たちのhostium突入が偽装され、不意で危険な事態にはよくあることだが、護衛たちがstipatoribus誰一人守っていなかった(彼)を彼ら(敵対者たち)は天幕から真夜中に引きずり出した。そして一本の投げ槍telumで彼は刺し貫かれるtraicitur、(それが)いったい誰のものだったのか暗闇のため確かめようもないのだが。
 22:こうして、殺害necisの張本人たちを特定できなかったことにより、ないし、それというのは公共善のため起きた(ということで)、(この)殺人caedesは処罰を免れたのである。
 23:にもかかわらずquamquam、諸道徳はそれほどまでに沈み込まされたわけであるprolapsi、(すなわち)国家よりも自分(の利害)のために、そして栄誉への熱意よりもより強大な統治権のために多くの人々が行動してしまうagantほどまでに。
24:このため、同様に堕落した事どもと名声の本義は、しばしば破廉恥行為によってより強大になった者が、たとえ武力で征服して、専制を排除したところで、公的なものが毀損される(という事態を)もたらすのである。
25:むしろ今やquin etiam、かなり多くの人々が(ガリエヌスと)同様の性欲(を持っているにもかかわらず)天上の集団numerumに連れ帰られている、(彼らは実は)ようやくのこと葬列に値するだけなのだが。
26:誰かがもし、諸事績への信頼を妨害しなかったならば、ーー(その)信頼は、正直な者たちhonestosを記憶の報酬praemiumによってあざむかれたままにさせておかず、(そしてまた)邪悪な者たちimprobisに不朽かつ輝かしい名声をもたらすはずもないのだがーー、わだかまりなく武徳が追求されていたであろう。というのは、かの真実にして唯一の栄誉decusは、かのもっとも悪しき者(ガリエヌス)に対して各人の好意によって授けられていたからで、それは非道にも良き者たちから取り去られたdemptumものだった。
27:要するにdenique、ガリエヌスをクラウディウスによって元老院議員たちは神君と呼ぶことを強いられた、というのは彼(クラウディウス)は彼(ガリエヌス)の意向arbitoriumで帝権を得ていたからだ。
28:というのはnam、出血でそれほどにひどい傷で自分に死が差し迫っていることを彼(ガレリウス)が悟った時、帝権の諸々の御璽insigniaをクラウディウスへと定めたからでdestinaverat、(その時、クラウディウスは)将校の顕職でTicinum(現在のパヴィア)攻撃【通例では、守備の手勢】を指揮するために留め置かれていたのだった。
29:それ(帝権)はたしかにsane(ガレリウスから)もぎ取られたのだ、(というのも)ガリエヌスの数々の破廉恥行為は、(未来において)諸都市が存在する限りdum、隠し通されることはできず、また、誰であれ(未来において)最も邪悪な者であれば、常に彼と同様で類似した者とみなされるであろうからだ。   
30:とりわけ、(いずれ)死すべき運命にある元首たちや最高の人士たちは、人生の栄誉decusとして、なるべく名声を乞い求めでっち上げて、推測の限りではあるが天に近づくか、あるいは人々の評判によって神君として賞賛され(ようとす)るものだからである。

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Aurelius Victor試訳掲載について

前口上:
 在職時に大学院演習で訳し始めたものの、あまりの難解さにてこずってなかなか先に進めません(その箇所は、主としてアウレリウス・ウィクトルが、権力や世間の自堕落さに対しごたくを開陳している場所です)。ま、このあたりが私の能力不足なんですが、幸い同好の士を得て、継続してじわじわやってます。しかし、いっかな完成はおぼつきません(一応の訳了は1年後を想定してますが)。
 私事ですが、体調も万全とは言えず(そもそも人生に万全なんてことはないわけですが)、それでもこれまで経験したことのない異変に直面して(老化現象:たとえば、左膝関節の痛み[こっちはまあ理解できる]とか、右肩から首筋・顎あたりをしびれが襲う[妻によると頸部に何か起こっているのだろうと]ことなんかそうです)、こりゃ先がないかもと自覚せざるをえない今日この頃ですが、まああと5年なんとかもってほしい。
 最近、田川健三氏の『ヨハネの黙示録:訳・註』が出版されたことを知り、とりあえず「読書案内」読んだのですが、彼って82歳なんだけど相変わらずの毒蝮三太夫で、ちっとも丸くなっていない・・・のがすごい、としかいいようがない (^^ゞ (いや、表現がちょっぴりだけやさしくなってる気がしないでもありませんが)。
 『原始キリスト教史の一断面』で学ばせて頂いた編集史的分析という点で、私の研究手法と通じるものがあって(他人にイチャモンつけるクセもでしょ、と影の声が・・・)、まあ心底同感しながら楽しく読ませていただけるのが嬉しいです。彼ほどの語学的才能も知識もない身でとてもマネはできませんが、せいぜい気張って逐語訳を通じて原著者の本意を探っていきたいと思ってます。
 試訳はこれまで『上智史學』第60号(2015/11)から第62号(2017/11)に、第1章〜第32章を掲載してきましたが、すでに誤訳や訳語選択上の試行錯誤で右往左往の変更箇所があり、さりながら完成時の全面修正など先の保証がない身としては、明々白々の空手形としかいいようもなく、よってあくまで「現段階での」試訳ではありますが(そう言いつつ、これが最後になるかも)、このブログを通じて公表していこうかと思い立ちました。
 前もって言い添えておきます。最近アウレリウス・ウィクトルの『索引辞書』(Concordantae,2012)を大枚はたいて入手したのはいいのですが、これを活用して定訳を決め打ちすればより厳密な訳ができるのではと、まあ掲げた狙いはよしとして、実際にいちいち参照してやってみると、これがかなりの難物で、とにかく先に進まない、そのうち集中力が保てず疲れ果て・・・、私の場合寝るしかない。「明日なろ」なんだけど、朝になったら大方前夜の問題は忘れて果てていて・・・。申し訳ないのですが、作業としては中途半端となってることをお詫びしておきます。
 第二に、より正確な訳を目指しているといっても、所詮私の恣意的な読解の羅列でしかありません。独英仏の現代語訳・註解も出ており、これまでの諸先輩の採用された翻訳手法は、それらに準拠し、とにかく欧米に依拠して中庸のとれた標準的な訳業を世に問うのが良しとされてきていて、それに一理あることは分かるのですが、本訳において私は、いちいち指摘しないであえて欧米と異なる独自のチャレンジ訳を試みた場合があります(逐一指摘してたら田川氏みたいに膨大になっちゃうわけで、私には彼みたいな尽きぬエネルギーも時間的余裕もありませんのでお許しください)。まあ立場が違えば当然それは「誤訳」と言われかねませんが、私は内在的にそのほうがよりよく理解できると判断して、そうしておりますので、ご理解いただければと存じます。
 もちろんだからといって、単純な誤訳や誤読が皆無ということなどありえません。「過ちては改むるに憚ること勿れ」を誠実に実践したいと思ってますので(これもエネルギーと時間かかりますが)、遠慮なくご指摘いただければと存じます。こういう相互討論がともかく表舞台でなされることが我が国で希薄なのは、やっぱり問題ではないでしょう。

 前口上(と言い訳)で思わず長くなりました。これも田川大先生の影響かもしれません。とりあえずこれくらいにしておきましょう。

 もし輪読会に参加希望の方いらっしゃったら、大歓迎ですので、メールで連絡ください。当方のアドレスは以下です。
 k-toyota@ca2.so-net.ne.jp
 現在は、毎週金曜日午前10時半から1時間半程度、渋谷の貸事務室(ワンルームマンション)を借りてやってます(来年度は時間も場所も変更の見込みです)。
 参加者は社会人3名、それに私です。場所代とお互いの交通費をプールしてます。 
 「これって、1人ではぜったい読めないよね、みんなで読むからやれるんだよね」といいながら。

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シルバーパスのご利益

 東京都は、2000年の条例で、70歳以上の老人のバスの乗車代金を負担する福祉乗車券を発行していることを知ったのは、数日前だった。
 とにかく外出するのに、年金生活者としては往復の交通費がバカにならないのが実感で、たとえば四ッ谷に行くのもおっくうになる、という現実があった。
 まあそのせいで体重が増えたというわけでもないだろうが(そっちの話題では、とうとうスポーツジムの会員になった)。
 私の登学路(リタイアしてるけど)は、豊島園ー中野坂上ー四ッ谷で、前半が都営大江戸線、後半が東京メトロ丸ノ内線で、通しで乗るとなぜか割引きあって片道311円かかる。往復だと当然2倍となる。

 シルバーパスを受領しようとすると、合計所得125万円以下だと年間1000円で購入することができる。それ以上の収入があると20510円。後者でも12で割っても月1700円なので、月に3回往復すれば元が取れる勘定だ。即発行してもらうことにした。
 本日、現金と健康保険証、パスポートを持って、もよりの都営地下鉄練馬駅の定期券売り場に行くと、定期券と同じ場所に申込用紙がおいてあった。それに記入して窓口にもっていくと即座に発行してくれて、すぐ使えるようになった。タッチはだめで自動改札機を通すか、駅員に見せるかすればいい(それでようやく、駅員に一番近い改札をフリーで通り抜ける人がいた理由も納得した次第)。通用期間は来年の9/30まで。私はすでに1ヶ月半後れをとっているが、それにしてもありがたいことだ。
 ただ誤解していたが、対象交通機関は基本バス路線で、地下鉄は都営だけだった。四ッ谷まで全部無料だと思っていたが、実際は大江戸線のほうだけで、丸ノ内線は実費165円払わないといけない[母の施設がある地下鉄赤塚駅前までは西武バスで片道216円(所要時間17分)で、これはカバーされているが、1時間に1本しか走ってない田舎バスなので、帰路はどうしても地下鉄使ってしまうが、西武豊島園線と東京メトロ副都心線なので片道309円(24分)必要となる]。

 さっき計算してみた。読書会なんかでの定例外出だけでこれまで交通費の支出が毎月1万弱だった。それがシルバーパスがらみは5262円かかっているので、3分の1ですむ計算となる。大変割のいい定期券といったところだ。歩行可能で外出できる間に(あと何年だろうか)、おおいに活用しなければ。

 豊島園駅前の映画館も格安でみることできるが、こっちはほとんど利用していない。
 後は、練馬区が年に一回理髪代なんかを負担してくれる恩典があったっけ。

 他に美味しい話しあったら、ご存知の方、教えて下さい。
 なにせ、田川建三『ヨハネの黙示録・訳と註』が出版されていることを遅ればせながら知ったが、定価7000円以上するので、元の勤務校の購買だと1割引きだったこと思い出して、メールで問い合わせたらOKの返事来たので喜んでいる状況でして(^^ゞ
 ま、基本、図書館から借り出せばタダなんですが。

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