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世界キリスト教情報第1540信:2020/7/27

= 目 次 =
▼アヤソフィアでイスラム教礼拝=85年ぶりに「モスク」本格運用
▼スウェーデン教会で女性聖職者数が初めて男性上回る
▼新型コロナで命落としたカトリック大司教・司教は世界で9人
▼高齢の修道女13人が新型コロナで死亡=米ミシガン州の修道院
▼聖パトリック大聖堂が財政難に=コロナで訪問者激減
▼チリで公共の場に「コロナ探知犬」配備へ
▼北朝鮮の新浦で、聖書を持っていただけの女性を処刑
▼仏ナント大聖堂火災で教会奉仕の男、放火認め勾留
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コロナ・トイレ関連三題:イギリスの今、スリッパ効用論

【閲覧注意!】「英国でトイレ危機 草むらで続出、女王の居城までも被害」(https://digital.asahi.com/articles/ASN7S3DVKN7RUHBI01V.html?iref=com_rnavi_arank_nr02)。2020年7月24日 但し有料。

 内容をまとめると、コロナで休業しているパブや公共施設が多いせいで、公園内での処理が続出している、とおもいきや、それ以前から予算削減で公衆トイレ全体の二割が閉鎖されていて・・・、というお話。それはたくさんの「拭いた紙」(但し、ティッシュなので雨でもすぐには分解しないわけで)が捨てられてのことで、だから小ではなく大なのだろう。

ロンドン東部の公園、ロンドン・フィールズ内に設置された「ここは公園で、トイレではありません。それは家に帰っておやりください」と書かれた掲示

 ポンペイやオスティアなど広大な遺跡でも、物陰にその痕跡があったりするが、元ワンゲルの私には「野ぐそ」は爽快で、普通にやっていたので違和感はない(但し、スコップで掘ってやっていた。いわゆる「キジ打ち」)。ただ、素人さんへ緊急時におけるご注意をひとつ。蛇やサソリなんかに咬まれないため事前に草むらをふみつけるのを必ずやること。また、これは実体験したことだが、朝夕の一定時間帯にはブトの活動が活発化する、それを知らなかった入部直後に露出したお尻を集中攻撃され(金玉もやられた)、テントに帰ってかゆくてしかたなくシュラフの中でボリボリかいて指の爪が血だらけになったことがある。皮膚の直下に血だまりがデキているからだ。呉々もお気をつけください。

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https://digital.asahi.com/articles/ASN572V8GN57UHBI00M.html?iref=pc_extlink 2020/5/7

いかにも英国:「ロックダウン」教授から「パンツダウン」教授に:外出制限中に自宅で密会  

 英国で、新型コロナウイルスの感染抑止策として厳しい外出制限の導入を政府に進言した著名な大学教授が5日、外出制限のさなかに女性を自宅に招いたと報じられた。教授は「判断を誤った。後悔している」として、政府の専門家会議の委員を辞任した。

 英紙テレグラフによると、感染症数理モデルの専門家、インペリアル・カレッジ・ロンドンのニール・ファーガソン教授は、政府が同世帯の人以外とは会わないことなどを国民に要請する外出制限に踏み切った3月下旬以降、少なくとも2回、交際している既婚女性(!)を自宅に招いていたことがわかり、大衆紙から「パンツダウン教授」とやゆされるはめに。

 ファーガソン教授は3月半ば、感染が疑われる症状が出た人だけに自宅待機を求めるなどの緩い措置のままでは25万人以上が死亡し、医療態勢もパンクするという試算を発表。これがきっかけとなり、英政府は全ての人を対象にした外出制限や商店の閉鎖などを含む厳しい措置に踏み切った。政府の施策に強い影響力を持つことなどから、同紙は教授を「ロックダウン都市封鎖)教授」と名付けている。

 ファーガソン教授は報道後の声明で、新型コロナに感染して回復し、自分には免疫があると信じていたと弁明した上で「ウイルスの流行を抑えるためには社会的距離をとることが必要であり続けるという明確な(政府の)メッセージを揺るがしたことを深く後悔している」としている。(ロンドン=下司佳代子)

 記者は別所のインタビューで以下のように述べている(但し、有料):

Q なんか、めちゃくちゃですね。……。

A もっとも、不倫が問題になったというよりは、ロックダウンを言い出した専門家が自ら外出制限を破っていたことが批判されました。 たとえばジョンソン首相にしても、過去に2人の妻がいて、子どもは「少なくとも6人」と言われるなど、・・・(イギリス人に)あまり気にされている様子もありません。退院後に出産した婚約者ともまだ正式な結婚はしていませんし、日本とはとらえ方が違うのかもしれませんね。(聞き手・神田大介

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 コロナがらみでトイレ話をもうひとつ。「トイレスリッパは必要?実験でわかった意外な効果」(https://lidea.today/articles/46?utm_source=outbrain&utm_medium=display&utm_content=lifehack2&dicbo=v1-6676fddf5cf95f190087fecd57c801cd-00db9f691cb51569c0c01ab018dcadb8bc-geydayjugq3dcljtgi4tcljumm4tsllbg43ggllbmfswmztcmnrgeyrvgm)。アップは2014/10/23。

 欧米でのコロナ感染拡大に、屋内での土足そのままでの生活が一役かっているのかも。

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これこそプロだ! が、それにしても:痴呆への一里塚(29)

 今、4月初めに他大学の図書館に依頼してようやく届いた英文文献を読んでいる。これは論文集の一部なのだが、私が調べたときには、論文本体の頁数(pp.319-353)しか掲載されていなかった。普通ならそれで問題ないのだが、その論文集の方針だろう、巻末に註記(とおそらく参考文献も)がまとめて掲載されていたようで、と言うことは、普通だったら註記抜きでコピーが届けられても仕方ないはずのところ、ちゃんとそれもついていることに気付いた(ちなみに、p.398-9)。さて私がそれを指定していたわけはなく、さてはと思い、依頼先の元の職場の大学図書館リファレンスの担当者に事情を尋ねてみると、「該当文献の書誌事項を、確認のため検索している段階で、p.319-353, 398-399という記述もありました。また、図書の形態の著作集の場合、noteが別記になっているものがありますので、念のため、補記させていただきました」とお返事があった。コピー依頼する前に念のため(実際には私を筆頭に教員の杜撰なデーター表記とかも多いはず)ヒト手間をかけておられたわけである。深く感謝するしかない。

 以前にも、コピーを依頼した京都大学図書館から当方のコピー指定箇所の「註記に「参照、図版○○」とあるが、そちらのコピーはどうしましょうか」と、細やかな配慮で問い聞きあって心底感心したものであるが、来たものを見てみると私としてはそちらのほうが本命の原画像(しかもカラー)であった(それが、本ブログの2020/2/27掲載のもの)。研究者にとって二度手間なしで実にありがたい目配りであった。これはイタリア語の本だったので、係員がそれをフォローできたということを意味する。表彰状を送りたい気分だ。

 これまでも私の学外コピー申請で「それだったら本学のelectronic resourceでコピーできます」とご指摘いただいたりして、恐縮したことも数知れず。自宅からOPAC検索しているのだが、検索の仕方が悪いのか(ロートルなので昔覚えたレベルでしか調査しないし)、本学に所蔵なしとリアクションされ、それで反射的に他大学にコピー依頼するクセがついていて・・・。その心中はいざ知らず、嫌な顔一つしないで淡々と処理していただいて、もう感謝感激するしかありません・・・といってばかりでなく、この耄碌じじい、そろそろ退け時ではと自問せざるをえない、昨今の私なのである。

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バイデン氏はカトリック:遅報(46)

 だからといって、どういうこともないのだが、私は迂闊にも今日までそれを知らなかった。周知のようにアメリカ合衆国はこれまでワスプWASP(白人・アングロ・サクソン・プロテスタント)の国である。よって歴代大統領は当然のことながら彼らが占めてきた。唯一の例外はJ・F・ケネディだった。私の出身中学・高校はカトリック校で、したがってその時の大統領選挙でもしケネディが勝ったらイングリッシュの中間試験だっけをなしにすると、米人イエズス会神父が約束して、まあありえない話が本当になり、約束は律儀に実行されたという逸話すらある。

 以下のブログで、大統領候補として、1928年のアル・スミス、1960年のケネディ、2004年のJ・ケリーに次いで、J・バイデンが4番目の、いずれもアイルランド系で民主党からの大統領候補だということを知った。https://www.spf.org/jpus-j/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_66.html;https://www.spf.org/jpus-j/spf-america-monitor/spf-america-monitor-document-detail_29.html

 宗教を政治家に結びつけることが、いつも正しいとは限らない。それでなくとも、カトリック教徒はカトリックの候補者への採点が厳しくなりがちである。政策やスローガンよりも人物を見てしまうからで、その点でバイデンは認知症疑惑に、セクハラとか息子の件で問題ありの人物なのだから(この点でトランプは全然負けてはいないが)。人間だれしもそういう弱点は持っていて(叩けばほこりは出るものである:私も例外ではない)、それを赦すのがカトリックの教えであっても、なかなかそうはならないのが人間感情なのだ。アメリカの歴史の中で現在は、有権者の中でのヒスパニック系(=もはや単純にカトリックとはいえないが)の漸増や、人工妊娠中絶問題の転換期にあたる。このように、従来の宗教分布で単純に割りきれなくなっている現状の中で、票のゆくえがどうなるのか、野次馬的に注目したい。

 思い出したので書いておく。日本で歴代宰相の中で、原敬(1856-1921年:65歳)は、20歳前の不遇な苦学生の時、カトリックの洗礼を受けている。その意味で我が日本最初のカトリック信者宰相でもある(1918-1921年:第19代総理大臣)。だからといって彼が政治家としてカトリック精神を発揮したとは全然思わないが。

 吉田茂(1878-1967年:89歳:第45、48-51代)も、最初の妻雪子がカトリックで、一家は長男健一以外みな受洗していたが(基本その時代、カトリック信徒が異教徒と結婚する場合、子供の受洗が条件となっていた)、茂は生前から「天国泥棒やってやろう」と話していて、それを聞いていた当時の東京大司教区司祭・濱尾文雄(のち、枢機卿)から臨終の洗礼を受けている。息子健一もそうで、こうして彼らを称して「天国泥棒」と呼ばれることになる。健一の妹は麻生家に嫁いだので、息子太郎(第92代)も幼児洗礼である。そして、山田風太郎氏は、原敬はいうまでもなく、吉田父子について、この件は記載していない。ところがウィキペディアにはちゃんと記載されていて、油断ならない。

 細川護熙(第79代)も栄光学園中学在学中に受洗しているが、日経の「私の履歴書」でそれに一言も触れず、むしろ名物校長G.フォス師の教育方針を批判しているが、私には納得できない。いずれにせよ学業成績不振で高校は学習院に進学した。そのくせ・・・、と続けたくなるがやめておく。

 プロテスタント信者には、片山哲(第46代)、鳩山一郎(第52-54代)、その孫・由起夫(第93代)、大平正芳(第68、69代)がいるのは周知の事か。

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続・死の訪れかた:痴呆への一里塚(28)

風太郎氏の本の続きである。

 64歳:伊藤整は日記に死までにまとめたいテーマを書いていた。それを風太郎氏は「妄執」と言い切る。

 「人は死に臨んで、多くはおのれの「事業」を一片でも後に残そうとあがく。それがあとに残る保証はまったくないのに。ーーーこれを業という」(第二巻、p.432)。私にとっても辛辣な言葉だ。だが、と思う。これはそのまま自分にブーメランとして帰ってくる刃ではなかったか、と。物書きの「業」を人並み以上に彼は感じていたはずではないか。

 ひるがえって、凡百の庶民は最期を意識したとき、どうあがくのだろうか。風太郎氏のこの本にはそんな平凡な人たちのあがきはでてこない。いや、我々はえてしてスポットライトを浴びたその瞬間で、華々しく語られることが多い著名人をイメージするが、一皮むけばオレたちと同じなんだ、と読者に安心感を与えているのが、この本の持ち味なのかも知れない。

 我が国の西洋史家で挙げられているのは、今のところ、上原専禄のみを見つけえている。彼は、消息を絶って四年後の1975年10月に76歳にして京都で隠棲死していて、死後三年八か月後に朝日新聞が発見して記事にした。60年安保闘争で友人に裏切られての大学等公職を辞職、妻の死による遁世だったとはこの書で初めて知った。

 彼の著作集は、娘弘江と評論社・編集者・竹下春信の手で1987年から2002年までに全28巻中20巻が出たが、そこで途絶えた。

 ともかく、かっぱえびせんと同様クセになってつい読んでしまう。

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世界キリスト教情報第1539信:2020/7/20

= 目 次 =
▼バチカン、性的虐待対処の手引き発表=教皇が作成要請
▼中国地下教会の司教が死亡か=公認教会加入拒み20年以上消息不明
▼NY大司教区のカトリック系20学校閉鎖、学生数減にコロナ禍で
▼仏ナントの大聖堂で火災、放火の疑いで捜査開始
▼EUのアヤソフィアに関する声明をトルコ外相「拒否」
▼トルコ大統領がアヤソフィアを突然訪問、礼拝控え視察
▼米公民権運動の指導者ジョン・ルイス下院議員死去
▼≪メディア展望≫

今回は上から2番目と3番目。

◎中国地下教会の司教が死亡か=公認教会加入拒み20年以上消息不明  
【CJC】中国政府公認のカトリック(天主教)教会への加入を拒否したことで逮捕され、その後20年以上消息が分かっていない地下教会の司教が、死亡した可能性がある。中国当局が最近、後任司教の任命についてバチカンに承認を求めているという。カトリック系UCAN通信が報じた。  
 死亡が推定されているのは、保定教区(河北省)のジェームス蘇志民(ス・ジミン、蘇哲民とも)司教(88)。蘇司教は1996年、政府公認の「中国天主教愛国会」への加入を拒んだことから、「反革命分子」として逮捕され、収監された。司教の家族が2003年に保定市内の病院に司教が入院しているのを偶然、目撃したが、その後17年間、司教の安否は確認されていない。  
 司教のおいとされる、蘇天祐(ス・ティヤンヨ)氏が、UCAN通信に語ったところによると、中国共産党は、保定教区のフランシスコ安樹新(アン・シュシン)補佐司教を司教に任命するようバチカンに要請したという。そこで、蘇司教はすでに死亡している、との観測が出てきた。  
 安司教はかつて、教皇のみに忠誠を誓う地下教会に所属していたが、1996年に逮捕され、10年間にわたる自宅軟禁の後、公認教会で奉仕することに同意し、自宅軟禁を解かれた。  
 一方、蘇司教は1981年に司祭に叙階され、93年に当時の教皇ヨハネ・パウロ2世から保定教区司教に任命されたが、中国政府は認めてこなかった。  
 安司教の教区司教任命を求めた中国共産党による最近の要求をめぐり、天祐氏は、蘇司教の安否確認と釈放を中国側に要求することを、バチカンに求めているという。

◎NY大司教区のカトリック系20学校閉鎖、学生数減にコロナ禍で
【CJC】米カトリック教会ニューヨーク大司教区は7月9日、教区内のカトリック系20学校を閉鎖すると発表した。この中にはマンハッタンのコーパスクリスティー校などが含まれる。ニューヨークのメディア『WABC』などが報じた。
 学生数が年々減少していたところに新型コロナウイルスの蔓延が追い打ちをかけた。失業などで授業料が払えなくなった家庭が多く、学生数はさらに減少、ミサや募金活動を中止したこともあり、教会自体が財政的に成り立たなくなった。
 閉校で生徒2500人と教職員350人が影響を受ける。ティモシー・ドーラン大司教(枢機卿)は「生徒は別のカトリック系学校で受け入れるようにする」と説明している。同教区のマイケル・ディーガン教育長は「連邦議会が審議中の支援策が成立しなければ、追加の閉鎖もありうる」と警告している。
 ブルックリン教区、クイーンズ教区も6校を閉鎖する、と9日発表した。
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死の訪れかた:痴呆への一里塚(27)

 最近、薬を飲んだかどうかでしばし記憶をたどることが多くなっている。考えても思い出さない場合は、服用したことにしている。そんなおり、偶然読んだブログで以下を知って、古書で早速注文した。山田風太郎『人間臨終図鑑』徳間文庫、全4巻、2011年(初版、徳間書店、1986-7年)。

山田風太郎(1922–2001年)

 これは行年別に古今東西900人(といっても、ほとんどが日本人だが)の死に様を簡明に綴ったものである。もうすぐ73歳になる私は、72歳で死亡した人たちから読み出した。孔子から始まっており、後藤新平、徳川夢声、柳宗悦、佐藤春夫など、名のある人たちも含まれてもいる(そもそも著名人ばかり採りあげられているのではあるが)。それにしても物書きの人たちの多作・秀作と比べて、自らの精進のほどが恥ずかしい。柄にもなくまだまだ死ねないなと思うが、見果てぬ夢だ。ちなみに作者の風太郎氏は79歳で死亡。彼は手塚治虫並に早熟で多才なうえに大変な多作家だった。彼の死から20年(初版から35年)、そろそろ続編を書く人がでてきていいはずなのだが。

 私が72歳の中でも気に入ったのは、映画監督・内田吐夢だ。波瀾万丈、高等小学校中退という経歴の持ち主、家庭崩壊者で、時流に乗ろうとして裏目ばかりで、偏屈きわまりない人生を歩んだところがいかにも岡山県人にありがちで(代表作のひとつが「宮本武蔵・五部作」)、1970年の死の直前に「あと十年は生きたい。こんなに頭の中に作りたいものがたくさんあるのに」と嘆きつつ死んだことや、「小田原の部屋に残されていた貯金通帳の残高は、三万円であった」という件にも親近感を覚えたからである。これで気になってパラパラ読んでいて目に付いた中に、1953年に66歳で死亡の折口信夫の財産は山荘と書籍以外は30万円で、風太郎氏は「清貧というべきであろう」としていて気に入った(私はもっと清貧だ、あ、男色の趣味はない)。逆に、1959年に80歳死亡の永井荷風の遺産は2300万円超もあり、この年の大卒・公務員初任給は約一万円の時代だった。カツ丼だったらあとどのくらい食べれたのやら。このように遺産に注目して数字を記載してくれると面白いのだが、公開される方が稀なのでむつかしいのだろう。

内田吐夢(1898-1970年)

 新装版の第三巻の解説を書いている三浦しおんの言葉が身に浸みる:眠るように老衰死しても、生と死は等しく苦しみと滑稽さに満ちており、しかし、悪人だから苦しんで死ぬわけでも、善人だからぽっくり死ねるわけでもないという理不尽も厳然とある。三つめにして最大の「傾向」は、これだろう。「死はだれのもとにも平等に訪れるが、訪れ方はときとして激しく理不尽である」(p.441)。

 「うらを見せ、おもてを見せて、散るもみぢ」(良寛、73歳)。私も大小便垂れ流しで死んでゆくのだろう。やだなあ。でも私には私を慕う40歳も若い美貌の貞心尼は現れていない。良寛の事績は彼女のお陰で後世に残ることができた、のだそうだ。

 残余寿命あと2576日(2027年8月9日死亡想定)

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デジタル教育の明日:飛耳長目(48)

 今回のコロナ騒動で、日本の教育関係は否応なくデジタル教育への舵を切ることが強制されているやにみえるが、その動機は単に本年度の教育課程を履修したことにするつじつま合わせという側面が強いのが、偽らざる現場の本音であろう。一件落着した後どうなるのか、私は悲観的にならざるをえない。教師が置かれている多忙な雑務と、それによる新らたな試みへの意欲の萎えは否定しがたいからだ。やらないための言い訳には事欠かない現実がある。大学生ですらノートパソコン、いわんやプリンターを持っていないのが多数派、なのだから。なにしろ、秀才は生んでも天才を育てることができない日本的教育風土は構造的な問題である。しかしそこをなんとか打破してほしい気持ちはある。

 そんな折、以下のウェブ記事を読んだ:『台湾の超天才「唐鳳」が語るデジタル教育の本懐:39歳デジタル大臣「自ら動機を探すことが重要」』(https://toyokeizai.net/articles/-/362226?utm_campaign=ADict-edu&utm_source=adTKmail&utm_medium=email&utm_content=20200715&mkt_tok=eyJpIjoiTW1SbVlUazRORGsxTWpReSIsInQiOiJQaUlsWlFCSkhrYXlYc2N6U2k2VmtpUCsza2plRk9hXC9ZNk4rYzd6XC9QM0pLVjFrUmJSU0xVMjBxbnllRWh5dUhNRndWM2tqTWpwdWlcL2U2M3dORXVUMCtUeDFObWRteTRreEJpMTFvNFpub2tIUnZjazVwVEFVbVJmK3ZmbFZ0diJ9)

唐鳳(別称オードリー・タン氏:1981年-)

 このインタヴューの中で、私がなるほどと思ったのは後半である。要約すると、インターネットでは「自学自習」を自ら発展させる可能性がある。その好奇心から同好の仲間のコミュニケーションが育ち、そこからイノベーションが生まれる、というわけである。「正解がないからこそ、生まれる創造性」を育むことで、生涯学習への意欲も喚起できる・・・。

 ここで彼は、他方で生じるはずのマイナス面、問題行動については触れていない。7/24公開予定の後編ではそれが論じられるのだろうか。なにしろ14歳で中学を中退。15歳で起業。19歳で米シリコンバレー進出、35歳で入閣、というごくごく稀な道を歩んできた成功者の言である。そうそう楽観論でいい気持ちになることもできない。

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久々に街に出る:痴呆への一里塚(26)

 3月に入ってすぐ、3つやっていた読書会をすべて休会にしたせいで、それまであれでも週2、3回は外出していたのだが、それが本当に家に引きこもり状態となって、いつのまにかまる四か月経っていた。ま、私にとってパソコンの前に座ってごそごそするのが通常行動で、別に苦にならないし、右足首が痛むということもあって出歩くのはご近所での買い物だけ。それですっかりイノブタになってしまい・・・。ところが、7月に入って義弟の相続関係も大詰めで、またまた昨日法務局練馬出張所に行って久々にお(小)役人の融通の気かなさに腹を立て、今日出直しで書類を出したり、ようやく他大学に依頼していた研究論文のコピーの到着連絡があったりで、その受領のため四谷に出かけたのだが・・・。

 なんとまあ、出張所への道順を忘れて通り過ぎてみたり、地下鉄で降車する駅を間違えたり(代々木なのに新宿で降りたり)、帰宅してみたら蛍光灯付けっぱなしだったり・・・。ささいなことだが、思い込みでの間違いばかりで、我ながらやれやれという感じだった。体が覚えているはずの感覚が消え去っていたというべきか、ボケが進んだというべきか。ま、日頃の運動不足解消にはちょうどいいけど、などと負け惜しみを言いながらよたよた歩き(お陰で、iPhoneで昨日は7242歩、本日は9541歩の由。なんだか多すぎる感じするが、とにかく先行する数日間は歩行数ゼロなのだから:ご近所での買い物にはケータイを持ち歩かない)。

 そして、簡単にお昼をとろうと四谷の行きつけの立ち食いソバ屋に入ってびっくり。狭い室内は従前以上におじさんたちサラリーマンで密集状態(昼食費の節約だろうたぶん)、お決まりのコロナ対策でのアクリル板もなにもなく、誰も利用しない消毒液設置だけで、小心者の私はこりゃあぶないと慌てて食べたせいか胃にもたれ・・・。

 大学では入試の時のように正門で教職員証をチェックされ、図書館に行くと、パソコン室も閲覧室も立入禁止で、辛うじて書架には入れて図書の貸借はなされていたが、当然のこと学生の姿はまったく見えなかった(さすがに理工学部棟では廊下からでも室内での人の気配が濃厚だったが)。偶然会った教員に聞くと、授業はすべてテレビで「やってみると結構できるもんですね」と。基本的に登学するな、という感じがまだ続いていたのだ。なにしろ当方リタイアしているので、大学からなんの通達も送られて来ておらず、浦島太郎さん状態。

 それにしても、大学のこのロック・アウト状態は、私的には1969-70年の大学封鎖(学生側+大学側)以来の状況である。誰かが書いていたが、今回、医学部系でも大学構内に入れない状況が続き、そのためむざむざ大学施設・機器の対コロナへの投入を不可能にしている現状もあるとか。これが事実とすれば、政府側は大学の研究施設的側面をすでに視野から葬り去り、初等・中等教育に連なる教育機関としてのみ位置づけてしまっていることになる。

 夕方に、ラテン語のテレビ会議で聞いた話だと、試験ができないのでどの科目もレポート提出ということになるが、思い通りに図書館も使えないし(大学によっては郵送での対応しかしていない由:余分の手間と郵送料がかかる)、10科目ものレポートを1,2週間の期限内で提出せよという無茶な話、その上新入生はレポートの書き方の手ほどきもされないままだし、語学関係で機械翻訳で提出したのがばれて怒られた学生がいた、とか(そういえば、例年だともう期末ですね)、まあ学生さんのほうも対応策として安直に逃げ切ろうと相変わらず智恵を絞っているようで、これには苦笑い。現職教員は、ウェブ掲載記事のコピー・レポートを見破る能力が必要とされることになるが、もとより教育という視点で勤労意欲のない諸先生方も手抜きで対応されるわけだから、大丈夫な気が私など全然しない。ま、私のこのブログなんか悪用されないように祈るばかりだ。

 この話の流れで、今日日パソコンで第二外国語など欧米語だと英語に翻訳するソフトがかなりよくなっていてそれなりに読めるので(語族の異なる日本語訳はまだ使い物にならないが)、ラテン語読書会参加の皆さんも独仏語なんか英語でザッと読むのに大いに利用している、という話に花が咲いたのだが、それをビックリして「へ〜〜」と聞いていたのはロートルの私だけだった。でも、テキスト化しないと翻訳ソフトにかけられないので、ocrスキャンでのスペルの正誤チェックの手間なんか考えると、どうなんだろうかなあ。

【追記】大学ロック・アウト余波の件は、新恭「国家権力&メディア一刀両断」 2020.07.16;但し有料。彼の情報の元講演は、7/3の日本記者クラブでの児玉龍彦東大名誉教授による:https://www.youtube.com/watch?v=8qW7rkFsvvM(これの42ー45分あたりと、最後の5分)。一見(視聴)の価値あり。最後の件には元厚生医療技官のわが嫁さんも激しく同意してた。文字的には以下も参照:https://blog.goo.ne.jp/sa-1223/e/272cdb4bc20c33617ed434359666b884

児玉達彦名誉教授(1953年ー)
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コンスタンティヌスのアーチ門:北面東側レリーフをめぐって

 以前、「続・コンスタンティヌスのアーチ門の太陽神について」(2020/6/5)の中でちょっと触れているが、あらためてここで図版を掲示して説明を加えておきたい。掲載図版はすべてウェブから拝借した。

 実は、テトラルキア時代のフォロ・ロマーノについて面白い研究テーマが転がっている。ディオクレティアヌスが開始したテトラルキア体制の理念を象徴する建造物がそこに幾つかあり、それにその支配体制の継承者を自認していたマクセンティウスが一連の公共建築物を追加、だがその後、征服者としてローマに入城したコンスタンティヌスは彼らとは一線を画して、マクセンティウスの造営を乗っ取ると同時に、ローマ帝国の単独支配理念を復活させている、という視点で彼の公共建築造営を位置づけようというものである。それが最もよく現れているのが、アーチ門の北面東側のレリーフである。

北面東側レリーフ全体図

 左から見てゆく。さりげなく背景として刻まれている記念建造物に集中したい。

左はフォロ・ロマーノ西端の平面図;右再現想像図は、西からの景観。手前左からセプティミウス・セウェルスのアーチ門、ロストラ、ティベリウスのアーチ門、そして90度向こう側にバシリカ・ユリア

 レリーフ左端から見ていく。この部分の背景左半分を占めて4連のアーチが見えるが、これらは明らかにBasilica Juliaを示している。そして右端に若干大きめのアーチが続いているが、これはArcus Tiberiを示していると思われる。前者がガリア戦争での戦利品で前54年から建設が開始され、アウグストゥス時代に完成、後者は後9年にゲルマン人に奪取された軍旗返還を記念して後16年に建立された。前面の群像はローマ市民男性で、一人男児が描かれている。

 ただ、中央広場から西を見たときに、Basilica Juliaは正面ではなく左に位置している。そしてArcus Tiberiは、最近の説ではBasilica JuliaとAedes Saturuniの間の通りvicus Jugariusの入り口に想定されている場合もあるので(上記平面図でゲタ記号状の印の箇所がそれ)、その場合これも中央広場から直接見れたはずはないので、いうまでもなくレリーフ製作側の意図的意志だったと思われる。

 次に、レリーフ中央部分。背景に見える列柱は、テトラルキア体制創設10周年を記念して303年に建設された5柱記念物で、中央柱頭上に主神ユピテル像(ディオクレティアヌス帝の保護神でもある)、その左右に4帝立像が配置されていた。手前の囲い部分がロストラ(演壇)で、その左右端にマルクス・アウレリウス帝とハドリアヌス帝が座像で描かれている。群像中央の顔面が破損された立像がコンスタンティヌス帝で、あとの登場人物は元老院議員集団。

左がロストラ正面の想定例、右が背後からの復元想像図、の一例(レリーフに一致したものを選んだ)
こちらの方が円柱の配置に関しては正しいかも

 最後にレリーフ右端背後に見える3連アーチは、セプティミウス・セウェルスのアーチ門。いうまでもなく対パルティア戦勝利(後194/5と197-9年)を記念して後203年に創建された建造物。手前の群像はローマ市民男性で、右端に男児2名が紛れ込んでいる。

 総体的にこのレリーフは、いわゆる対外戦争勝利を記念した記念建造物、とりわけユリウス・クラウディウス朝がらみとセウェルス朝の凱旋門が左右に描き込まれ、中央演壇上にアントニヌス朝の2皇帝、そしてコンスタンティヌスにとっては直前の第一次テトラルキアの4皇帝(その一人が父コンスタンティウス)が刻み込まれていて、自らをローマ帝国を代表する諸皇帝の正統継承者として表現しているわけである。315年、未だ皇帝として盤石の地位を確保できていなかったコンスタンティヌスにとって重要なプロパガンダであったし、実質的にアーチ門建立を担ったローマ元老院としては、新皇帝の治世方針がローマ元老院を尊重する帝国再興の賢帝であれかしとの思いもあったはず。ある意味で両者蜜月時代を演出していたわけである。ただし、コンスタンティヌス帝自身は、旧帝都ローマを疎んじ、すでに過去の遺物と見ていた節があり、それは単独皇帝となった324年以降にあからさまになる。その意味で彼は皮肉にも、テトラルキア体制からの脱却をはかっていたにもかかわらず、ディオクレティアヌス帝の遺志の継承者でもあったのである。

 最近の考古学の成果を反映した以下の書籍が必読(見)文献。Gilbert J.Gorski & James E.Packer, The Roman Forum:A Reconstruction and Architectural Guide, Cambridge UP, 2015;Ed. by Andrea Carandini e Paolo Carafa, Translated by Andrew Campbell Halavais, The Atlas of Ancient Rome:Biography and Portraits of the City, 2vols., Princeton UP, 2012;Gregor Kalas, The Restoration of the Roman Forum in Late Antiquity: Transforming Pbulic Space, University of Texas Press, 2015.

【付記】ほとんど知られていないはずだが、フォロ・ロマーノにはここで触れた古来からの「ロストラ」(別名「西のロストラ」「アウグストゥスのロストラ」)の他に、中央広場を挟んで3世紀末ないし4世紀初頭に「東のロストラ」も造られていた(それ以前からあったとする説もある)。これは現在の遺構だとカエサルの火葬場遺構の前方西側に見ることができる。その建設はテトラルキア体制によるフォロ・ロマーノの再構成の一環だった。よってこの東のロストラは別名で「ディオクレティアヌスのロストラ」Rostra Diocletianiとも呼ばれているが、テトラルキアの正統継承者を自認するマクセンティウスが、フォロ・ロマーノ東端で自らの権威を誇示すべく一連の公共建造物(ロムルス霊廟と新バシリカの新築、女神ウェヌスと女神ローマの神殿修復;その他、アッピア街道沿いに競技場、さらにクイリナーレの浴場もか)を建設した時のものとする説もある。

左はフォロ・ロマーノを南東上のパラティーノ丘から見た写真、中央長方形区画の左に残る遺構が「東のロストラ」跡;右は後310年頃の復元想像図
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