月: 2023年5月

HPからブログの削除・移転作業開始通知

 リタイアしてまもなくの2017/6から書き始めたこのブログですが、地味な内容なのにおかげさまでほぼ一日平均30アクセス数のご来訪をいただいてきました。今般、諸般の都合により、HPからの削除・移転作業をはじめましたので、一応ご連絡いたします。順次削除してゆき、最終的にこのブログには研究・翻訳関係だけ残そうと思ってます。

 ブログの移転先は、とりあえず秘密です(^^) すでに健康寿命を過ぎておりますので、おそらく短い期間にすぎないでしょうが、肩書き抜きの老書生・老残者の繰り言を述べる場となるでしょう。

 どこかでまたお目にかかることを楽しみにしております。

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ここ一・二年の研究成果について

 エルコラーノ関係の科研報告書への提出のため、まとめたものを転載する。以前、リタイア後の2019年段階で掲載した付加は2019/9/26のブログをご覧ください。

①研究内容
 エルコラーノ遺跡の下水構造の研究を、対照比較のためポンペイ遺跡やオスティア遺跡との関連性を持たせつつ継続している。
 今回は、2023/3/1-22の渡伊調査において、とりわけエルコラーノ遺跡研究者、Aldo Cinque名誉教授(Universita` Napoli Federico II)とDomenico Camardo博士(Capo Archeologo HCP)と、エルコラーノ遺跡におけるトイレ研究について、またミラノ湾沿岸東部におけるbradisismo等に関する意見交換を行うことができて、多大の収穫があった。
 なお、研究成果の一端は自身のブログで随時公表していることに付言しておく。

②パブリケーション(冒頭の数字は研究業績の連番を示す)
学術論文:
 53 論稿「ミニシンポ:出土遺物からオスティア住民の生き様を探る」「Ostia遺跡の特異性と、最近の研究成果」
    『史學研究』第313号、2022/9、pp.1-15.
その他
 39 書評「堀賀貴編『古代ローマ人の危機管理』『古代ローマ人の都市管理』」
    『西洋史学』第274号、2022/12、pp.106-108.
 40 雑誌記事 堀賀貴・豊田浩志監修・資料提供「第2回最強!トイレ伝説」
    『チャレンジ4年生:わくわく発見BOOK』2023/5月号、pp.12-13.

学会発表:いずれもテレビ会議形式
 57 「小シンポジウム:Ostia研究の今とその特異性」
      広島史學研究会大会西洋史部会(広島大学)、2021/10/31.
 58 「オスティア・ポルトゥスとポンペイ:港湾と河川の学際研究」
      日本西洋史学会大会古代・中世史部会(東洋大学)、2022/5/22.

なお、この機会に誤字訂正もさせていただきたい。

【著書・共著・編著】
 17:
 p.229左2行目:つつ −> この2語削除 
 p.230左5行目に以下を付加:このような視点が研究者から欠落しがちなのは、教会共同体内での活動経験がない、もしくはその実体験の投入がないがしろにされているからだろう。

【学術論文】
 50:
 p.8上段3行目:二一一年 −> 二一二年
   下段左2行目:ライン −> ドナウ
 p.9下段【付録】
  268〜270年 クラウディス −> クラウディウス
  270〜275年 アウレリアヌ −> アウレリアヌス
 p.106下段4行目:都市 −> 帝(首)都
 p.115上段13行目:紫片岩 −> 紫斑岩

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パラティヌス丘の「渡り廊下宮殿」・トイレ公開

 これもコロナ禍でうっかり見逃していたのだが、2019年に、パラティヌス丘のドミティアヌス宮殿の地下に残存していた「渡り廊下宮殿」(スエトニウス, VI, 31)Domus Transitoriaが10年の歳月を費やしての修復後に、70年振りに一般公開された。この宮殿の名称は、後60年ごろに、皇帝ネロとその従者が姿を見られずローマ市内の皇室施設に移動できるようにパラティーノからエスクリーナ丘にかけてトンネルを作らせた構造に由来している。しかし後64年のローマ大火で廃墟となったので、新たにより壮大な「黄金宮殿」Domus Aurea 建設の動機となった。帝没後の諸皇帝は彼の記憶を抹殺すべく埋め立てたり、他の建築物に流用してきたので、18世紀始めに発掘されるまで忘れさられた存在だった。

 この宮殿には、豪華な宮殿で働く奴隷や被解放奴隷が使用した50席の大共同トイレがあり、今回ここも見学することができる。

 実は、かねて私はこの下にトイレがあり、そしてそこにフレスコ画や落書きがあることを情報としては知っていて、これまで恨めしく、パラティヌス博物館裏手のこの地下への階段を眺めていたものだった。数年前に地下のそのすぐそばでこれも偶然展示会があったときは、監視人の目を盗んで闖入したいと本気で思ったほどだった。そのくせこの3月の渡伊の機会に訪問することをしなかった、いや公開を知らなかったので、という間抜け振りだ。

 かくしてこれが公開されているうちにローマ詣でしなけりゃという口実が私に芽生えたのである。やれやれ。これだからイタリア相手の研究は切りないなあ。

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