月: 2022年1月

世界キリスト教情報第1619信:2022/1/31:同性愛問題について

= 目 次 =

▼教皇「一致の歩みのために、回心の勇気を」、エキュメニカルな夕べの祈りで
▼同性愛の子非難しないで、教皇が親に呼び掛け
▼教皇、カトリック系メディア関係者と会見、「真実の追求とともに、人間の尊重を」
▼前教皇、虐待行った聖職者の検討会議に出席したと認める=米CNN報道
▼スイスで自殺を考える若者が急増=医療専門家が指摘
▼台湾に生涯ささげた英国人宣教師の生き様描いた漫画が出版へ
▼ビザンツ帝国時代の教会、ガザ地区で一般公開
▼ボッティチェリのキリスト画が52億円で落札=米で競売

今回は同性愛関係への教皇の呼びかけと、前教皇の弁明を紹介。

◎同性愛の子非難しないで、教皇が親に呼び掛け
【CJC】ローマ発共同通信によると、教皇フランシスコは1月26日、子どもが同性愛者であっても非難しないよう親たちに呼び掛けた。子育ての難しさに触れ「異なる性的指向の子ども」を責めないよう訴えた。バチカンで行われた水曜日恒例の一般謁見で発言した。ANSA通信が報じた。

 カトリック教会は同性愛をタブーとしているが、教皇は柔軟な姿勢を見せてきた。2020年に上映されたドキュメンタリー映画「フランシスコ」の中では「同性愛者も家族になる権利を持っている」と述べ、事実上の結婚を社会的に認めるべきだとも語っている。□
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◎前教皇、虐待行った聖職者の検討会議に出席したと認める=米CNN報道
【CJC】米CNNがローマ発で報じたところでは、前ローマ教皇ベネディクト16世(94)は1月24日、虐待を行ったカトリック教会聖職者に関して検討した1980年の会議に出席していたことを認めた。これまで出席を否定していたが、「自身の声明の編集上の誤り」が原因だったとしている。CNNはタイム・ワーナー・グループの傘下ターナー・ブロードキャスティング・システムが所有。米ジョージア州アトランタ市に本拠を置いている。

 独ミュンヘン大司教区で起きた聖職者による虐待の調査結果は20日、公表された。それによれば、前述の会議の議事録にはベネディクト16世の出席が記録されており、前教皇による出席の否定は「信じがたい」との評価を受けていた。ベネディクト16世は77~82年に同教区で大司教を務めていた。

 前教皇は、個人秘書を通じてカトリック系の通信社に出席を認める声明を出した。この秘書によれば、誤りは「悪意から生まれたもの」ではなく、調査に対する「声明の編集過程で生じた誤りの結果」だったという。

 秘書によれば、前教皇はこの件について「大変申し訳ない」気持ちで、許しを乞う姿勢を示している。前教皇は後日、詳細な声明を発表する予定。1900ページに及ぶ報告書に目を通すのに時間を要するとしつつ、これまで読んだ内容から、被害者が受けた「苦痛に恥と痛みを感じる」と述べた。□

 これについては、以下で詳しく報じられている。http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52325721.html

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やっと来たコロナ接種3回目書類

 昨日、待ち望んでいた練馬区役所から書類が届いた(妻は医療従事者なのですでに接種済み)。

 さっそく今日、行きつけの診療所に予約を取ろうとしたら、これまでの接種日を聞かれ、年齢を聞かれ、要するに高齢者なので繰上接種が可能ということになり、日時調整のうえ、最速より1週間遅れの日曜日の2/13の午前中となった。使用ワクチンはファイザー社製。それまであと2週間余り、無事に過ごしたいものだ。

 その一週間あと、オミクロン蔓延で延期していた広島行きを断行し、一週間程度あちらに滞在する予定だが、さてどうなることやら。

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世界キリスト教情報:第1618信

= 目 次 =
▼教皇、フィンランドのエキュメニカル使節を歓迎
▼列聖省、聖イレネオへの「教会博士」称号付与案提出
▼独カトリック教会の児童性虐待、「前教皇が対応怠る」=最新報告書
▼「キング牧師の日」に米ヒューストンでインクルージョン訴えるパレード
▼礼拝者殺到で29人死亡 リベリア、強盗現れパニックに
▼イエメン内戦、刑務所空爆で70人死亡=移民収容所に転用、子どもたち犠牲に
▼アンネの隠れ家を密告した人物特定か
▼禅僧ティク・ナット・ハン師死去 、「マインドフルネス」を欧米諸国に紹介

 今回はちょっと長くなるが、最初の3つを紹介しないといけない。
 最初のものは、教皇が2025年を「第一ニケア公会議開催1700周年」として祝うと宣言している。私はなんとかこれは目撃できそうである。
 2つ目の「聖イレネオ」とは、リヨンのエイレナイオス(後130頃ー202年)のことで、彼が新たに教会博士doctor ecclesiaeに選出された(1/21付)。
 3番目は、まあどうみてもこの問題が前教皇の引退の真の原因だったとしか思えないわけで。

◎教皇、フィンランドのエキュメニカル使節を歓迎
【CJC】教皇フランシスコは1月17日、フィンランドのエキュメニカル使節を歓迎した。

 「バチカン・ニュース」によると、使節は、フィンランドの福音宣教に大きな役割を果たした、ウプサラの聖ヘンリック(司教・殉教者)の祝日(1月20日)と、「キリスト教一致祈祷週間」(1月18日~25日)を機会にバチカンを訪れた。

 使節を歓迎された教皇は、2022年度「キリスト教一致祈祷週間」のテーマ、「わたしたちは東方でそのかたの星を見たので、拝みに来たのです」(マタイ2・2)に触れながら、教会の伝統は福音書の東方三博士の中に異なる文化や民族の象徴を認めている、と指摘。わたしたちは、分裂の闇をかき散らす神の優しい光に導かれ、一致に向けて歩んでいる、と話した。

 また、世界は神の光を必要としている、と述べた教皇は、その光はただ愛と一致と兄弟愛の中にのみ輝く、と話した。

 教皇は、2025年に記念される「第一ニケア公会議開催1700周年」、2030年の「アウクスブルク信条500周年」を、一致への歩みを強め、人の論理より神の御旨にいっそう従順となるための機会として見据えながら、この歩みを続けて行くことを希望した。

 神を求め、大胆さと具体的な行動をもって、イエスを見つめながら共に進み、互いに祈り合いましょう、と招きつつ、教皇は使節のメンバーと共に主の祈りを唱えた。□

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◎列聖省、聖イレネオへの「教会博士」称号付与案提出
【CJC】バチカン(教皇庁)列聖省は、リヨンの聖イレネオ司教殉教者に「教会博士」の称号を付与する案を教皇に1月20日提出した。バチカン・ニュースが報じた。

 教皇が、列聖省長官マルチェッロ・セメラーロ枢機卿と会見した際、同枢機卿は、列聖省メンバーの枢機卿・司教による定例総会で肯定的見解を得た、リヨンの聖イレネオ(司教殉教者)に「教会博士」の称号を付与する、という案件を教皇に提出した。

 聖イレネオは小アジアのスミルナ(現トルコのイズミル)に、130年から140年の頃に生まれた。早くから、当時のスミルナ司教で使徒ヨハネの弟子、ポリカルポから教えを受けた。リヨンの司教となり、202年頃、殉教した。

 教皇は同時に、フランチェスコ・サヴェリオ・トッピ大司教(イタリア、1925~2007)、マリア・テレザ・デ・ヴィンチェンティ修道女(イタリア、1872~1936)、ガブリエラ・ボルガリーノ修道女(イタリア、1880~1949)の英雄的徳を認める教令を承認した。□

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◎独カトリック教会の児童性虐待、「前教皇が対応怠る」=最新報告書
【CJC】ドイツのカトリック教会司祭らによる児童虐待に関する調査報告書の内容が1月20日、明らかになった。前教皇ベネディクト16世(94)が同国南部ミュンヘン司教区の大司教を務めていた際、4件の性的虐待への対応を怠ったと、報告書は指摘している。英BBCなど一般メディアが伝えたものをまとめて紹介する。

 この調査は、カトリック教会から委託を受けたドイツの法律事務所「WSW」が実施したもの。WSWは四つの事件について、ベネディクト16世が虐待に目をつぶっていたということで意見が一致した、と弁護士のマーティン・プッシュ氏は述べた。

 前教皇ベネディクト16世(本名=ヨゼフ・ラッツィンガー)は1977年から82年まで、独南部ミュンヘン司教区の大司教を務めていた。

 虐待行為はベネディクト16世の大司教在任中も続いていたとされ、告発された司祭たちは教会でそれぞれの職務を継続していたという。

 ベネディクト16世は対応を怠ったとの指摘を否定している。

 報告書について発表したマルティン・プッシュ弁護士は、「(ベネディクト16世の)大司教在任中に起きた(4件の)性的虐待のうち2件は、虐待行為として国が認めたもの」だと説明した。

 「いずれのケースでも、加害者はパストラルケアの活動を続けていた」。パストラルケアとは、地域社会の人々を訪問し、支援する活動などを指す。

 少年への虐待行為を告発されたペーター・フラマン司祭は、(ベネディクト16世の)ミュンヘン司教区に移動した後も、パストラルケアを続けていた。

 2013年、前教皇は体力の衰えを理由に退位した。存命中の教皇の退位は約600年ぶりだった。以降、名誉教皇としてヴァチカン市国で生活している。

 前教皇は法律事務所からの質問状に対し、数十ページにわたる回答を提出したと報じられている。回答書の中で調査への支持を表明した一方で、虐待疑惑は認識していなかった、対応を怠ったという事実はない、と主張したという。

 しかし、調査報告書には、虐待に関する話し合いの場に前教皇が同席していたことを強く示す議事録が含まれている。

 ローマ教皇庁(バチカン)は声明で、報告書が公表されれば詳細を確認するとした。

 「司祭による未成年者への虐待行為は恥であり遺憾だと、改めて表明するとともに、バチカンは全ての被害者への支援を表明する。未成年を保護し、彼らにとって安全な空間を保証していく」

 独カトリック教会での虐待をめぐっては、過去の報告書で、1946年から2014年の間に全国で3600人以上が司祭らから虐待を受けたとされている。被害者の多くは非常に幼い、ミサで侍者を務める少年たちだった。

 ミュンヘン・フライジング司教区に関する最新の報告書では、1945年から2019年の間に少なくとも497人が被害に遭っていたことが明らかになった。

 改革を訴えるカトリック団体『私たちは教会』はベネディクト16世に対し、ミュンヘン大司教時代に起こったことの責任を取るよう求めている。

 報告書は、前教皇のほか、ミュンヘン・フライジング司教区の現大司教、ラインハルト・マルクス枢機卿を含む教会関係者数人についても批判している。マルクス枢機卿は2件の虐待疑惑で対応を怠ったとされる。

 同枢機卿は昨2021年6月にすでに、明らかになりつつある虐待という「大惨事」に対する責任の一部を負うべきだとして、現教皇フランシスコに辞任を申し出ている。

しかし、教皇は辞任申し出を拒否した。辞任申し出の数日前、教皇は、カトリック教会の教会法典を改正し、性的虐待や児童ポルノの所持、虐待の隠蔽などを処罰の対象としている。□
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「特別展ポンペイ」を見てきた

 2022/1/21に、めったにないことだが知人から無料鑑賞券を2枚もらったので、某読書会の予習を兼ねて、これもめずらしく妻と2人で東博に「ポンペイ展」を、念のため事前予約して見に行った。会場の平成館は奥にあるので、上野駅公園口からそこまで行くのが寒かったが、駅前の自動車道がなくなっていたり、西洋美術館が改修中とかで、久し振りだったのでその変わりように驚いてしまった。

 14時半予約していたのだが、それ以前に検札を通ろうとしても、入場者はそんなに多くなかったのに、待合室で待たされてしまった(たぶん予約してなければ直に入れたと思う)。今回は、空間構成にかなり余裕があって、鑑賞者もそう多くなかったので、気分的にゆっくり見ることできた。写真が自由に撮れたのもイタリア的でよかったが、これって日本ではいつものように人が多いとはた迷惑になるはず。以下の動画がある。

 「ファウノの邸宅」「キターラ奏者の邸宅」「悲劇詩人の邸宅」に焦点合わしているのはいい試みだった。私的には「Julia Felixの邸宅」関係があちこちに、特にあの有名な「賃貸広告文」があったのも嬉しかった。

 また「Lucius Caecilius Iucundusの邸宅」(V.1.26)関係の4点が出品されていて、これはまさにちょうどその遺跡の出土品を別件で扱っていたので、その偶然が嬉しかった。とりわけ、玄関を入ってアトリウムを直進するとタブリヌム(家長の執務室)に至るが、その両脇に設置されたヘルマ柱の左側のほうには、青銅製胸像が載っていて、柱に「GENIO・L[uci]・NOSTRI ・FELIX・L[ibertus]」(我らのLucius(Caecilius)の守護霊に、Felix L.が[献じた])と刻まれている(本物はナポリ博物館に展示されているし、これまで日本にも来たことあるが、今まで無関心で気付かなかったのだ)。なお、1930年代から1970年代までこの原位置には青銅レプリカを載せたヘルマ柱が設置されていたようだ。なお、簡単に往年の様子を想像したい向きには、以下があります。https://www.youtube.com/watch?v=ETd7pszxhnc

 その末尾の刻文「L(ibertus」(=解放奴隷)から、解放奴隷のFelixが、たぶんご主人様のLucius Caeciliusへの敬愛の念から胸像を守護霊に寄進したと考えるのが順当なのだが、研究者たちは必ずしもそのようにとっていない。それはなぜか。今回のカタログではこの家で出土した最古の後15年の書字板にLucius Caecilius Felixが登場しているので、それが解放奴隷Felixと同一人物なのでは、というわけである。こうなると、献呈されたLucius Caeciliusは、このLucius Caecilius Felixと、そして当時の当主Lucius Caecilius Iucundusと、そして解放奴隷Felixは、どういう関係になるのか、これが当然問題になる。もちろん、あくまで解放奴隷Felixは主家と血縁関係なく、解放時に当時の当主Felixの名前を頂戴しただけ、ととることもできるはずだ。

 ところが今般のカタログではそう考えていない(p.106:署名RC=Rosaria Ciardiello)。Iucundusの祖父なり父が解放奴隷Felixであり、胸像そのものもFelixだった可能性を指摘している。かなり入り組んだこの解釈もまんざら無視できはしない。このようにたかだか2行足らずの刻文なのだが、なかなか決着がつきそうもない。問題解決にタブリヌムの右に設置されていたもう一柱は参考にならないのだろうか。Fausto & Felice Niccolini(1816?-1886?)によると、右のヘルマ柱は、噴火後に穴を掘った盗掘者たちによって頭部が破壊されてしまい、発掘時にそのまま見つかった由だが(https://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/R5/5%2001%2026.htm)、破壊された胸像のほうはともかくとしてヘルマ柱上に何の痕跡(刻文)もないのだろうか、気になるところである。もうひとつ、同家から出土した書字板史料の詳細な検討から何かヒントが見つからないだろうか。いずれにせよ、今後のさらなる検討対象となりそうなテーマではある。

左、東博で撮影;右、写真の左隅のヘルマ柱にレプリカが置かれていた写真もみつけた
携帯で撮ると歪みますね

 もうひとつ興味あったのはこの家から153点出土した書字板のひとつのレプリカだったのだが、これは薄暗い照明の中では真っ黒の炭板としか見えなかったのが残念。実はそれらの中に「円形闘技場の乱闘」のフレスコ画関係の傍証記述を記載したものがあるのだが(H69-82)、それの展示だと連携的でよかったのだが。

 炭化といえば、炭化したパンも展示されていたが、どうせなら刻印stampを押してあるものにしてほしかったのも、一時それを調べていたことあるからだが(これも余談だが、なんでパンに刻印押したのかが問題で諸説ある。私は誰が無料配布したのかを示すため、というのが一番当たっているように思ったのだが、奴隷の名前が多く押されているので、一般化は無理でしょうね。どなたかいい知恵出してください)。

 私的に今回一番の収穫は「奴隷の拘束具」だった。この種の拘束具は初見だったので驚いたこともある(ちなみに、2010年の京都・古代学協会主催の横浜美術館の時は、ポンペイ郊外出土の給湯システムが初見で、たいへん興奮したものだ。なにしろ私はそれまでドイツ出土のものを写真でしか見たことなかったので(その経験が、オスティアでも役立った、といってもそこでは金属は回収されたあとの単なる空間が残っていただけだったが)。蛇足だが、このときのグッズ売り場は私にとって実に充実していて、18禁の品々をいっぱい教材用に購入したことを思い出してしまった、もっとも刺激的すぎるそれらは実際には研究室に死蔵してしまったのだが)。

上がピラネージのエッチングを使っての解説文:件の拘束具は大劇場の回廊から出土とのことだが、農業奴隷ではあるまいし、本当にこんな拘束をしていたのだろうか、いささか疑問。農業奴隷だってだいたいは円形の足枷だったはず。新人奴隷の調教ないし懲罰用?
 ところで、全部で158を数える展示物のうち、「東京のみ」が34もあるのは、展示空間の問題だということだが、立像「ビキニのウェヌス」、モザイク画「辻音楽師」、フレスコ画「円形闘技場の乱闘」「賃貸広告文」「サッフォー」「パン屋の店先」などはせっかくの貴重な逸品なのに、東京以外では見られないのは残念なことだ。私だったら他を省いてもこれらをとるのだが。特に私は今般モザイク画で署名を、フレスコ画で落書きを自力で確認できたのも収穫だった。たぶん、ナポリ博物館よりも低く私の目線に設置されていたので、容易に気付けたのだろう。

 上記ギリシア語:ΔΙΟΣΚΟΥΡΙΔΗΣ ΣΑΜΙΟΣ ΕΠΟΙΗΣΕ「サモスのディオスクリデスが[これを]作成す」。だが、といって彼がこのモザイクを実際作成したかどうかは不明、というよりこの署名すら原作品からの模写だろう。

 下記の2つの落書きは、Casa di Anicetus(I.3.23)のペリスタイル(中庭)の後壁に描かれていた壁画「円形闘技場の乱闘」に刻まれていたもの。

  ラテン語:D(ecimo) LVCRETIO FE[L]ICETER「デキムス・ルクレティウスに幸運を」

  ギリシア語:ΣΑΤΡΙΩ / OYΑΛΕΝΤΙ / OΓΟΥΣΤΩ / ΝΗΡ ΦΗΛΙΚΙΤΕΡ「サトリウス・ウァレンス、アウグストゥス・ネロ[の奴隷]に幸運を」(他の読み方もあるので検討中)

 これら2つの落書きに通底する同一意図を想定するとき、後59年のヌケリア市民との乱闘の後始末として、元老院が一旦定めた10年間剣闘士競技禁止令を、皇帝ネロが早くも数年後に解除した件で(この後段は、なぜか誰も触れようとしないのはなぜ)、そのために奔走し関わった人物たちを顕彰してのもの、という仮説もなりたつであろう。ここらにも宝の山が埋もれている予感がする。

 主催者が宣伝している「アレクサンドロス大王のモザイク」については、一時期博物館で舐めるように詳細を観察したり、文献もちょっと調べたことあったし、現地「ファウノの家」でレプリカ再現の作業中に薄い石片を張り付けていた(本式のモザイク埋め込みではなく)のに遭遇した経験もあるので、感激はそうなかった。ただ現在修復中であの周辺の部屋も閉鎖中なのが奏功してか、そこの展示物がたくさん送られて来ていたのは思わぬ僥倖である。

あとは感想:  

 いつも思うのだが、館内で鑑賞できるビデオを編集・販売してくれると、教材とかで大いに役立つのにと。

 各々の展示物の傍に、出土場所を示したカードがあったが、カタログにあるような地図を配布解説文の裏面にでも印刷してくれていると、手軽に参照できてよかったような気がする。 

 部屋が暗いこともあって、音声ガイドのポイント(場所)が分かりにくく、手こずった(ガイドリストには書いてあったにしても)。  

 それと、あろうことか図録に4箇所間違い(ないし、展示物の差し替え?)の修正が挟み込まれていて、これは責任者の芳賀女史の律儀な性格のせいかなと。  

 ミュージアムグッズ売り場で、関係図書の販売を期待していたが、はずれだった。そのくせポンペイと無関係なもの、無意味なものがたくさん売られていたのは、私的にはいかがなものかと(ワイン、菓子、クッション、キャラその他:すでにメルカリに山ほど出品されているじゃないか:本来あるべきガルムがなぜないのだっ)。・・・とはいえ、うちの嫁さん、指輪だっけを嬉々として買っていたようでして (^^ゞ、ったくもう。

 新コロナ下でもあり博物館の推奨見学時間90分となっていたが、ゆっくり見てもその時間内でまずまず見学できる感じかと。

【追記】3/10午前中に2回目の見学を10:30から90分間にした。この時は別件でこれも頂戴した無料鑑賞券で、事前予約していなかったが、検問で予約せよとご指導いただいてしまったので、事前にしておいたほうが面倒がないだろう。とはいえたかだか数分のことだが。

 というのも、前回にくらべて今回は人出がかなり多く、展示物の前に人がいてなかなか前に進めないことが多くなったし、12:30頃、帰り際に見ていると例のごとく並ばされている人数も相当いたからである。

【追記2】なぜか東京で掲示不可だったものが京都では掲示されているというので、6/2の帰省の折、途中下車して行ってきた(交通費が直行より7000円余分にかかったのはこたえた)。新幹線で降りる人がほとんどいなかったのでしめしめと思っていたが、駅前のバス停では長蛇の列となりびっくり。といっても同胞ばかりだったが。ま、会場の市京セラ美術館での人出はまずまずだった。

 お目当てはカタログのNo.147(2022/6/3のブログ参照)の「キターラ奏者の家」(Casa del Citarista:I.4.5)で、あの背景の山をウェスウィウス山とする説に出会い、かなり急な坂道の果てに平たい頂上が見えるわけだが、おそらくそれがストラボン叙述「山頂以外は非常に美しい畑地が取り巻く。山頂は大半が平らだが全体が不毛の地で」との関係でそう注目されているのだろうが、単にそれを確認するための寄り道であったのだが、残念ながら19世紀半ばのN.La Volpeによる描画のようには明確に認識することはできなかった。それに、天空を飛翔するクピド?は別として、頂上にどっしり根付いた樹木をどう解釈するのかも問題だろう。以下、左が描画、中が今回撮った全景写真、右がその頂上と裾野の部分の拡大合成図である。

現状況では頂上付近に顕著な剥落、右端下図で坂道は明確ではないが、かすかにその痕跡らしきものがあるといえばあるような(^_^;。

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トンガ沖火山爆発に触発されて:後62年の地震とポンペイ

 大型の火山爆発の影響は、直後の被害のみならず、後に尾をひくことはもう常識だろう。たかだか1時間の爆発での噴煙は成層圏に達した(とはいえ今回はそれほどでもないと見積もられているが:https://mainichi.jp/articles/20220125/k00/00m/040/310000c)。

1/15:トンガ沖の海底火山爆発

 たまたま別件で予習をしていたので、イタリアのヴェスヴィオ火山関連のものを紹介しておく。といっても当時は写真があるわけではないが。以下のレリーフは、後62年の地震によりポンペイ市内の建造物が破損した情景を描いたものとされる貴重な証言である。場所は、ポンペイ遺跡のV.1.26「Lucius Caecilius Iucundusの邸宅」の玄関入ってすぐのアトリウム(下2つめの平面図の番号1)左角隅に設置された家庭祭壇larariumにそれはあった。この家の主人は銀行家で、そのため敷地内から多くの書字板文書も出土したらしい(そのレプリカが今般のポンペイ展に来るそうだ)。祖父ないし父Lucius Caecilius Felixの青銅胸像はヘルマ柱ともどもナポリ博物館所蔵されている。実は2022/1/5にアップした犬の塑像関係で紹介したモザイク舗床がまさにこの家の玄関を飾っていたのである。

第5区に注目。その西の第6区との境界で城門が途切れている所がヴェスヴィオ門;件の邸宅は第6区と第9区との交点角地(要するに南西端)のブロックの中頃に位置する。この邸宅をヴィジュアルに見たい向きには、以下がある。
https://www.youtube.com/watch?v=ETd7pszxhnc
出典は、Pompeiiinpicturesより

 正面上下それぞれに、上がヴェスヴィオ門付近(左端は配水塔でこれは頑丈で地震でも残った、次が崩壊した門、それの下敷きになった感じの荷馬車と輓獣2頭)、下がforum周辺の被害状況を描いたものだろう(現在ではこの2枚は取り去られている:上のは盗まれ、下のは国立ナポリ博物館所蔵)。

 それにしてもこんな場面、どういうつもりで家庭祭壇の装飾に採用したのやら。肉親から犠牲者が出たからというわけでもなかろうに。その意味で、この屋敷が第5区第1街区という立地条件を考慮に入れると、ヴェスヴィオ門や配水塔(それに背景となっている城壁)は身近なご近所だった。そしてフォルムはまあどう言っても都市の中心地で公共建築物も集中しているわけで、そこの惨状を記録に残して、日々神々とご先祖様に無事息災を祈っていたということかもしれない。

 上記写真は、下の方のレリーフを彷彿させるフォルムのユピテル神殿を正面から見たもの(https://3dwarehouse.sketchup.com/model/23b4c5433946fdffdfd89dd71a555b12/Pompeii-Temple-of-Jupiter)。こうしてレリーフと現況を眺めてみると、傾きのひどいこの神殿は、現況でも円柱の残りが悪いので、地震で少なくとも柱廊部分は解体されて再建されなかったかも知れない、と思い出した。なお神殿の左側でやや傾いている構造物は、神殿両脇前後に互い違いに設置されていた2つのアーチ門の1つで、右側のそれはなぜか省略されている。そこから右寄りの構造物は、広場の東側の「公設市場」「ウェスパシアヌス神殿」「ラレス神殿」「エウマキア会館」、またはアーチ門を越えて北に1ブロック行った角の「Fortuna Augusta神殿」(VII.4.1)のいずれかだったように思えるが、わざわざ右アーチ門を省略していることを勘案すると、案外最後の「Fortuna Augusta神殿」の蓋然性が高いかもしれない(参照、サルバトーレ・ナッポ(横関裕子訳)『ポンペイ:完全復元2000年前の古代都市』Newton Press、1999年、pp.92-115)。下の方のレリーフの右側はそこで牡牛の犠牲を捧げる様子が描かれているのだろう。
西側から見たフォルム周辺の発掘時模型(http://www.pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/r7/7%2008%2000%20East%20p1.htm):関係建造物が一瞬であるが再現されて登場しているのが、以下:https://www.youtube.com/watch?v=IDCVcuVR5w8;終盤にフォロ周辺が出てくるこっちのほうがより正確でいいかも、https://www.youtube.com/watch?v=IGuIL3gjIbA

 風景の細部について改めて論じる機会がさて私に残されているかどうか・・・。とりあえず、共に右隅に描かれているものが何を意味しているのか。特に上のレリーフの方がよくわからない。

左(上のレリーフ)は、私には散乱した武器庫に見える。そうだとすると、城壁近くのご近所の未発掘地区にまだ埋まっているかも・・・;右(下のレリーフ)は神殿で犠牲を捧げる時の道具のようだ(たぶんお盆ないし碗と、包丁と、水差しか;右ブロックにpateraも)。

 発掘の結果、後79年の大爆発によってポンペイが完全に埋没するまでの足かけ17年をかけて、だがしかし街の修復はさしたる進展も見ないまま打ち過ぎていたことが、そこかしこいまだ工事中で散見され判明している。インフラの復旧すら達成されていないということで、後62年のあとポンペイの有力住民をはじめ逃げ出せる者の多くが街を放棄したので、都市としても復興資金不足となってという事情もあったのだろう。そして行き場のなかった居残り組が79年の犠牲者となったわけだ。それにしても、地震で崩壊したヴェスヴィオ門が17年後に修復されていなかったとすると、最後の第4サージで怒濤の如く迫ってきた火砕流の恰好の城内への突破口となったはずだ。その意味で、現在でもまさしくヴェスヴィオ門周辺が妙に平べったい印象あるのは、示唆的ではなかろうか[後62年の地震とその影響については、以下参照:金子史朗『ポンペイの滅んだ日』原書房、1988年、pp.69-75]。

 うん、こりゃあれこれエピソード豊富でまとめるのにいいテーマだ。なんだかオリジナルの論文書けそうな気がしてきた。しかし私でも思いつくこの程度のことは、目端の利く欧米の研究者がすでに言っていないはずはない。

【追記】上の不明イメージについて複数の美術系知人に問聞きの回状メールを送付したところ、間髪入れずにある人物から返答があった。さすがである。

A cura di Filippo Coarelli, Divus Vespasianus:Il bimillenario del Flavi, Ministero per i beni e le attività culturali, Soprintendenza speciale per i beni archeologici di Roma, Electa, Milano, 2009, pp.484-5 からのスキャンが送られて来た。本書はたぶん展覧会のカタログで、項目執筆者はFabrizio Pesando。以下、レリーフのイメージ関連部分だけを紹介する。

85:62年の地震の影響を示すレリーフ:フォーラムの建物

ポンペイ、カエキリウス・イクンドゥス家のララリウムより(V.1.23)

ルナー(イタリア・トスカーナ)製大理石

高さ16.5cm、長さ97cm Inv.SANP 20470

86:62年の地震の影響を示すレリーフ:Porta Vesuvio付近の建物

ポンペイ、カエキリウス・イクンドゥス家のララリウム(?)より(V.1.23)

石膏模型

高さ18cm、長さ86cm、厚さ6cm

ローマ、ローマ文明博物館。 inv.M.C.R.1368

 「フォーラムの建物」を描いたレリーフ(A, cat.85)は、アトリウムの北西隅に位置し、全体が大理石の板で覆われた石積みのララリウムの南側の上部帯を飾っており、一連の動物を描いた2つ目のレリーフがそれに連結されている。

(中略)

 レリーフAには一連の公共および聖なる建物が描かれており、そのうちのいくつかは確実にフォルム地区に位置している。左側には大きな単一アーチがあり、西(見る人の左)に向かって強く傾いている。これは、いわゆるドルススDrususのアーチで、79年の噴火後に行われた剥ぎ取りにより、今日では大理石が全くないように見えるが(コーニスの断片とスラブを接着するためのダボがわずかに残っているだけ)、地震の後に南東側の上部を統合する工事で部分的に修復された。アーチの隣には、同じく西に傾いた大きな神殿が描かれている。ここでは四柱式tetrastiloとして描かれているが、フォルムの北側の短い部分を中心に閉じていた都市のCapitolium(実際に前面に6本のコリント式円柱がある)と同一視することができる。この神殿の特徴は、階段の中央にある祭壇と、両端にある2つの彫像の台である。今はもう存在しないこの像は騎馬像で、ユピテルの子孫である騎士の守護者ディオスクリを表していたのかもしれない。ウルセウスurceus=水差しとパテラpatera=供物皿は、フォルムとは限らない別の記念建造物で行われた具象的なシーンを紹介している。右側には他の生け贄の道具(トレイvassoio、ナイフcoltello、シトゥラsitula=手桶)が並んでおり、犠牲式で使うバイペンbipenne(=諸刃の斧)を持った犠牲執行吏victimariusが、雄牛の角を引きずって祭壇に向かって押している。祭壇のテーブルにはベールを被った女性の頭が、前面には動物(確実に子豚porcellino)が描かれている。他の記念建造物とは異なり、このモニュメントは完全に無傷である。このため、このシーンは、地震の後、フォルム地区の聖なる建物の一つ(おそらく、いわゆる「公共のラレスの聖域」Santuario dei Lari Pubblici)で行われたテルスTellusへの贖罪の犠牲式を表していると考えられている。しかし、ポンペイにテルスの儀式を示す証拠がないため、この識別は不確かなものとなっており、シーンの解釈(地震の際にそこで行われていた儀式行為のために、まさに無傷で残った建物のプロディギウムprodigium=瑞祥)や、崇拝されていた神の識別(重要な聖域が捧げられ、非常に権威のある公の神権を持っていたウェヌスVenere[ポンペイの守護女神だった]やケレースCerere[ローマ古来の豊穣地母神]など)など、他の可能性が残されている。

 浮き彫りBは、浮き彫りAとのテーマ的・様式的な類似性から、ララリウムの装飾そのものを指すと考えられているが、帝政期のポンペイの有名な建物も描かれている。配水塔castellum aquaeとヴェスヴィオ門は、実際に左手に完全に識別できる。前者は、都市に面した正面を示す3つのブラインド・ブリック・アーチtre archi ciechiが、細部に至るまでごくわずかな誤差で再現されており、レリーフAの祭壇と同様、建物は無傷のようで、現存する遺構にも大きな損傷や修復の跡は見られない。それとは全く異なる運命を辿ったのが、近くにあるヴェスヴィオ門Porta Vesuvioである。Porta Vesuvioは現在ではほとんど消滅しており、西側の角柱piedrittoだけが残っている。レリーフでは、ほぼ完全に右(東)に傾いており、巨大な両扉は開け放たれている。そう離れていないところに、牛かロバbuoi o asini[複数表記]のような動物が2匹で引っ張っている荷車があり、揺れで身動きが取れなくなりそうになりながら、町に向かっているようだ。その後ろには、盛り土aggerと城壁の上部が見える。城壁は整然とブロックを積み上げ、一連の狭間胸壁merlature(CIL X,937の碑文に記されているように、スッラの植民都市colonia sillanaの初期に再建されたplumae)で覆われている。Aのレリーフと同様に、右端には祭壇が置かれているが、ここでも完全な形で現わされている。構図の最後にある大きな木(樫)や、テーブルの上に置かれた供物(花輪corona vegetale、灌奠用のパテラpatera per le libagioni、初物を詰めた[豊穣の]角corni riempiti di primizie)から、この祭礼の素朴さがうかがえる。 祭壇の前には、諸々の祭具oggetti cultuali(おそらくリトゥウスlituus=ラッパ)のほか、動物が大きな杯coppa=酒杯をひっくり返している。なんの動物かは不明だが、上を向いた長い尻尾があることから、子羊は除外される。鼻の形や長い耳は、齧歯科やイタチ科の動物を表現するのに適している。後者の場合、イタチの可能性がある。イタチは、古代ローマの豊穣の神Mutunus Titinusと結びついた、繁殖能力の高い動物である。

  また、地震で破壊された建物と免れた建物が交互に現れるのは、こうした自然災害には必ずprodigia=諸々の瑞祥が現れることを暗示しているのかもしれない(上記「Pesando」参照)。」

 繰り返す、さすがである。私見では部分的に言いたいことあるけれど、この学的厚みと説得力に極東の老書生は太刀打ちできない。

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台湾の運命は日本の運命、そして私は?

 このところ台湾海峡がだいぶ騒がしくなってきている。2021/10/25に武居智久「いつか必ず訪れる台湾海峡危機:日本は覚悟と備えを持て:台湾有事は日本有事 もはや他人事ではいられない」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/24598)が書かれていたが、また本日(2021/1/18)村野 将「中国が台湾侵攻を決断へ:その日、日本が”戦場”になる」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25441?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20220118)が書き込まれた。私はより詳しく論じているらしい月刊誌『Wedge』の昨年11月号を¥300で購入することにした。実はこの雑誌、新幹線のグリーン車の座席に常置してあるので、ポイント貯まってグリーン車に乗ったとき、読んで持ち帰っている。

 私のようにすでに人生終わっている者にとってはどうでもいいようなものだが、確かに私のような素人目にも、現在の中国の攻勢では、もう5年後にはどうなることか、10年後にはすでに決着ついているかも、という危機感はある。中国の勢いがなにかで失速するという希望的観測にすがっても問題は解決するわけではないし(こんな楽観的な中国衰亡論もまたぞろ出てきたが、さて:https://www.mag2.com/p/money/1150020?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000115_sat&utm_campaign=mag_9999_0129&trflg=1)、それ以上に、とりわけ後家ならぬ後手好みの我が祖国の対応能力を信じることなどできはしない。それはそれが民族的宿痾だからである。それにアフガンでそうだったようにアメリカは台湾・韓国・日本を戦場にしたあと、いざとなったら捨て石にして撤退するのは必定なので、いよいよ腹をくくって国防ないし生き残りを考えるべき時期に来ているように思うが、まあ無理だろうなと諦念の呈である。近未来戦の場合、だが核攻撃はないにしても(あれば一瞬で決着がつく)、上陸軍が渡洋してくる以前にミサイル飛来ですでに勝負が決している可能性が大だからである。なんといっても国内各地に米軍基地があるわけで、初戦でそこをめがけて狙いすまして多数飛来する中で、先制攻撃が許されていない自衛隊に残された時間は10分もないのでは、我ら庶民は逃げ隠れする暇すらないわけだ。

 元寇以来の大陸側からの攻勢を前にして、南北から中国・ロシアが侵出し日本を分割する動きになれば、あの敗戦後の日本分割統治案が再浮上するかもしれない。要は、そういった状況に立ち至らないよう、回避する危機管理能力が問われているのだが・・・。

 ところで目下の私はそんな大状況を偉そうに論じているときでない。こちとら「妻の運命は私の運命」。いよいよ彼女の職場にクラスターが発生したらしい。まあ来るものが来ただけのことだが、これで私の運命も風前のともしびか、な。

 私は感染者数で一喜一憂すべきではなくて、死者数で判断すべきだと思う。しかし収容ベッド問題は感染者数と連動しているので、マスコミが騒いでいるのも分からんでもないものの。

【追記】同系列の情報なのでここに紹介しておく。2022/1/19発の「WEDGE Infinity」掲載:山本隆三「停電が常態化する国へ:日本でEV社会実現は夢のまた夢」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25465);同1/20発の堀井伸浩「欧米流の脱炭素論にモノ申す都合よくSDGsを持ち出すな:石炭火力で気候変動対策のゲームチェンジを海外輸出停止の見直しに向け」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25473)。

 現代ほど電気に依存している社会はないが、現段階では蓄電池問題がネックとなって電力を貯めておくのができないので、再生エネルギーへの過度の依存は問題だ、というのが主題。風力や太陽熱発電には思わぬ弱点があることを初めて知った。他方で、とりあえずコスト的に安い石炭を燃料にしている火力発電が、温暖化問題でやり玉に挙げられながら、補助機能を果たしているわけだが、年々設備劣化し先行投資も手控えられていくわけで、となると、亡国の契機は案外このエネルギー問題への対処次第なのかもしれない(逆言するなら、蓄電池問題解決が突破口になるやもしれず)。昨日のテレビニュースで、原子力発電の新規建設も途絶えて久しく、技術者や部品調達が危惧されているとのことで、追い打ちをかけるごとく、受験生減少のため東海大学工学部原子力工学科は2022年度より募集停止とのこと。

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世界キリスト教情報第1617信:2022/1/17:インドの司教強姦疑惑無罪

= 目 次 =
▼教皇、駐バチカン外交団に平和のために対話と兄弟愛を強調
▼「労働者としての聖ヨセフ」=教皇、水曜恒例の一般謁見
▼教皇インタビュー「聖ヨセフとパンデミックを生きる親たち」
▼教皇が突如ローマ中心部のCDショップを訪問
▼修道女強姦疑惑の司教に無罪=インド南部ケララ州
▼末期でない患者が安楽死=コロンビア
▼カトリックのスイス人がプロテスタントの独少年合唱団で音楽指導者「トーマスカントル」に就任
▼イスラエル沖で古代ローマの金の指輪発見、大量コインも
▼シベリアで氷点下20度の屋外に捨てられた新生児を10代少年らが発見し無事保護

 今回はやっぱり強姦裁判を紹介する。なお、イスラエルの海中発見はこのブログ(2021/12/28)で報告している。

◎修道女強姦疑惑の司教に無罪=インド南部ケララ州

【CJC】ニューデリー発CNNによると、インド南部ケララ州の裁判所が1月16日までに、修道女を強姦した疑いが持たれていたカトリック教会のフランコ・ムラッカル司教に対し無罪の判決を言い渡したことがわかった。

 検察側は上訴する方針。CNNの取材に応じた検察官によると、ムラッカル司教は2014~16年、現在は44歳の修道女に性的暴行を複数回働いた容疑に問われていた。

 修道女は18年6月に警察へ被害届を提出した。暴行は同州にある聖フランシス教会関連の宿泊施設に司教が滞在中に発生したなどと説明していた。

 司教は同年9月に逮捕され、7カ月後にレイプや不法監禁を含む多数の罪名で正式に訴追されていた。司教は全ての罪名を否定していた。

 カトリック教会は、世界各地の教会などで発覚した性的虐待の疑惑への対応に長年苦慮している。教皇フランシスコは2018年の書簡で、教会は歴史的に聖職者による不正行為への適切な対処に失敗してきたとの認識を示していた。□
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中世の軍馬は意外と小型

 1/10発の表記を考古学新情報の書き込みを見て、だったらローマ時代だって同様のはず、というわけで、紹介しようと思ったのですが・・・。念のためウィキペディアの「中世の馬」の項目に行ってみたら、案に相違して冒頭に「中世ヨーロッパの馬は、大きさ、骨格、品種が現代のとは異なり、平均して小型だった」とあっけらかんに書いてあって、脱力。だがまあ新事実あるかもと転載します。

 ま、ナチスドイツの戦車が全部ティーゲルだと思っちゃうのと同じ思い込みというものだろう。新しい研究で、現代の基準ではポニーサイズにも満たないものが多かったことが明らかになった。この時代の馬の体高は14.2ハンズ(=144cm超)以下が大部分だったが、実際、馬の価値とは馬体の大きさがすべてではないことは明らかで、むしろ種々様々な戦闘場面に適合的な繁殖・飼育・訓練が試みられていたことのほうに注目すべきなのだ。

これまで軍馬の代表みたいに言われてきた大型のデストリエdestriers種

 今般、研究者たちはイギリスの171の遺跡で発見された後300年から1650年までの馬の骨格データを分析した(International Journal of Osteoarchaeology, 31-6, 2021, pp.1247-1257)。その結果は、記録に残っている最も背の高いノルマン馬はウィルトシャー州のトロウブリッジ城で発見されたもので、約15ハンズと推定され、現代の小型軽乗用馬の大きさに近い。中世後期(西暦1200年〜1350年)になると、初めて16ハンズ前後の馬が登場するが、中世後期(西暦1500年〜1650年)になると、馬の平均体高が大幅に高くなり、ようやく現代の軍馬や輓馬のサイズに近づいてくる。こうして、中世の時代を通じて、戦場での戦術や文化的な好みの変化に応じて、さまざまな形態の馬が望ましいとされていた可能性の方がはるかに高い事が判明した。

 ただ、出土骨格で軍馬かどうかを判定することはできないこと、どうやら馬は死後に解体されて皮や肉は利用されたので完体での出土はまれ、といった分析上の根本的な問題が残っているようである。

 ちなみに、以下の古代ローマのコインの裏面には副帝ドミティアヌスの騎馬像が打刻されているが、騎手の足がほとんど地面につきそうに描かれている。ただし貨幣に写実性を求めすぎるのも問題だが。

 先日NHK総合で大河ドラマ「鎌倉殿の13名」第1回を偶然見たとき、北條義時役の小栗旬が伊東から帰る場面で騎乗していたのが小型の馬でとことこと走っていたので(彼が185cmと長身のせいではないと思う)、おや、やるなと思ったが、他は普通のサラブレッドとみた。

要は、馬脚の長さの違いのように思えるがどうだろう

【追記】以下の本が届いた。送料込みで¥12012かかった。これからはロバdonkeyとラバmuleだ。

 Peter Mitchell, The Donkey in Human History: An Archaeological Perspective,‎ Oxford UP, 2018, Pp.360.

 1ページ当たり33.4円か。かなりのものだ。

【追記2】2022/1/14発:こんな情報も。「馬以前に、家畜のロバdomestic donkeysと野生のロバwild assesを掛け合わせたスーパー・ロバ「クンガ」kungaが、戦車に使われていた」(https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2022/01/before-horses-ass-hybrids-were-bred-for.html)。

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「私は調和の中で生きることができません」

 この言葉は、2021年のノーベル物理学賞を受賞したかつての日本人真鍋淑郎氏(90)がインタビューの中で言った印象的な言葉である。日本人がなによりもしたくないこと、「それは誰かの心をわずらわせることなのです。アメリカでは他人がどう感じているか、それほど気にしなくていい」。それが自分に合っている、だから日本には帰る気はない、と(https://digital.asahi.com/articles/ASPB64FL0PB6UHBI00N.html?pn=14&unlock=1#continuehere)。

1931年-:受賞時90歳

 日本人は「ノー」ということで相手を傷つけたくないので「イエス」というけど、本当は「ノー」の場合もある、とも。この思考構造が日本人一般に特有の原点のような気がする。プラスイメージで表現すれば「調和」なのだが、マイナスイメージだと「優柔不断」ということになる。

 こうして考えてみると、失礼ながら真鍋先生はたぶん日本人としてはかなり変わった性格の方、有り体に言って人の感情を逆なでするような言動を平気でやらかす人だったのではないか、と想像する(私もそういう「日本的」社会性の欠けた輩(やから)を知っている;何言ってんだぁ、お前もそうだろ、といわれるかもだが (^^ゞ)[かつて「類は類を呼ぶ」といわれたことある:研究者はそれでいい、と思っている]。それを嫌って排除して疑わない自称単独民族国家と、問題にしない建て前でないとやっていけない多民族国家の違いを、我々は認識すべきだろう。ただ誤解ないよう付言しておく。米国は手放しのパラダイスではない。特異であっても有意なタレントであれば受け入れる部分が存在する、ということにすぎない。同様に我が国にあっても異能・変人を受け入れる懐の深い見識は存在していた(し今もいるはずだ)が、相対的にその層がごくまばらで薄いので、結果的に多くがみすみすはじかれてしまう。とはいえ、下世話で「バカとハサミは使いよう」といわれるように、適性を見極める目がないととんだことになってしまう。

 ところで、多くの日本のマスメディアはこの彼を日本人のノーベル賞受賞者に入れて疑わない。かつて日本国籍を持っていた2008年の南部陽一郎、2014年の中村修二、2017年のカズオ・イシグロもそうだが、なのに、日本国籍を持っていたことのある1986年の李遠哲(台湾)、1987年のチャールズ・ペダーセン(韓国から米国)は入れていない。たしかに原則をどこに置くかが問題で、ノーベル賞の対象研究従事期の国籍を基準にしているようだが、なんだかなと思わざるを得ない。こういった基準の引き方自体が、水増ししようという日本的な目論みの気がしてならないと感じるのは、私だけであろうか。

 それにしてもかつてはノーベル賞は京大が多かったが、今や東大の方が多いし、大学も多岐に分散してきている(しかし、このあたりでもう打ち止めのような気がしてならない)。理系での問題は人材もさることながら研究資金の厚さがもろ露骨に反映しているのだろう。文系は1千万もらったら使い道に困る人がいるらしいが(私個人は使ってみせる自信がある)、設備費や人件費で理系では数億あっても足らないわけで、だから東大なのであろう。

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後6世紀に被解放奴隷がいた

 2022/1/10公表。2007年にトルコ南部ハタイHatay県アルスーズArsuz地区で、自宅のオレンジ畑に苗木を植えていて遺跡が見つかり(たぶんそれ以前に見つけていたが、今回届け出たということかも)、発掘調査されてきていたが、今回の発掘シーズンにそこから6世紀の聖使徒教会の舗床モザイクが出土した。その銘文から奴隷が解放された後、神に感謝するためにその舗床なり建造物を寄進したことも判明。

シリアとの国境近くに位置する著名なアンタルキア(Antiocheia)の北西海岸線にArsuzがある

 以下、発掘者の言。「ここでは3廊式のバジリカ教会が出土していて、舗床にモザイクが施され、その碑文から、この教会が3人の使徒教会と名付けられたことが分かった。今年行われた発掘では、別のモザイク部分が出土し、孔雀と碑文が描かれていた。モザイクには天国が描かれ、銘文から奴隷が解放された後、神に感謝するために寄進したことが判明した」(https://arkeonews.net/a-mosaic-made-by-the-freed-slave-to-thank-god-was-found-in-the-church-excavation/)。

中央に教会遺跡。今回の出土モザイク場所は右上隅

 明快なギリシア語残存文字なので読解を試みたくなる。いずれにせよ、後6世紀段階でも奴隷や被解放奴隷が存在していたわけだ、それもキリスト教信者に。

【追記】こう書いたら、某君が速攻で銘文を解読して送ってくれた。私は目前に急ぎの仕事あるので、後日検討させていただくが、ざっとみて私見とは読みが違う箇所もあるようだ。ご意見ある人は遠慮なく。k-toyota@ca2.so-net.ne.jp

原文:

某君試訳:

我らの最も神聖な監督 Zosimianos と我らの敬虔な長老 Christianos の下で、最も高貴で、 彼の力で解放となった Ioulitta が、自身とその子孫の救いのために、Kosmas と Timotheos によるこのモザイク舗装の仕事の世話をした。

【追記】これに限らず、トルコからはあれこれ興味深い碑文が出土しているようだが、ウェブでの情報は発掘関係者のインタビュー記事レベルに留まり、碑文の具体的内容に触れることがまれなので、私は欲求不満である。以下はほんの一部:1/10掲載も参照。

 2015年8月:トルコのラオディキアで1900年前の大理石板に、水道管理法文が書かれていた(https://www.ancient-origins.net/news-history-archaeology/marble-slab-inscribed-1900-year-old-water-law-unearthed-turkey-003682)。

 2016年10月:トルコのイズミル県内の古代都市Teosで発掘された2200年前の碑文に、58行からなる古代の契約書が書かれていた。それには、土地のリースやレンタル奴隷をどう扱うべきかについて書かれていたとのことだが(http://arstechnica.com/science/2016/10/2200-years-ago-in-turkey-this-insane-rental-agreement-was-inscribed-in-stone/)、レンタル奴隷の件への銘文の言及はない・・・。

石碑洗浄中

 2019年9月:トルコ西部カラジャスの古代都市アフロディシアス発見の、これまでになく多くの断片からなるディオクレティアヌス最高価格令勅令(https://call-of-history.com/archives/21846)。これはイギリス隊なので早晩公表予定とされているが。

これだけで勅令全文とは思えないのだが・・・
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