投稿者: k.toyota

最近のクリスチャン・トゥデイ

 毎週定期的に送られてくるはずなのだが、そうでもないようで、しょうがないのでこっちからアクセスしてみたら、やっぱり新情報が。色々あるが、カトリック関係で2つほど紹介。

1 神父が男性に不同意性交か、22年に緊急帰国し調査中 カトリック札幌教区が公表:2024年3月21日

https://www.christiantoday.co.jp/articles/33416/20240321/catholic-priest-sexual-assault-catholic-diocese-of-sapporo.htm

2 仙台白百合女子大学、次期学長に加藤美紀教授 棋士・加藤一二三氏の次女:2024年3月19日

https://www.christiantoday.co.jp/articles/33410/20240319/sendai-shirayuri-womens-college-new-president.htm

関連情報:いずれも旧情報ですが

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「トイレの研究」で東大に推薦合格

 2024/3/24:https://toyokeizai.net/articles/-/737664?utm_campaign=ADict-edu&utm_source=adTKmail&utm_medium=email&utm_content=20240323

 最近推薦入学者が増えているのは知っていたが、東北大で30%にもなっていることは知らなかった。詳しくいうと、別途、帰国子女枠や提携高校枠なんかもあって、それらを含めるともっと多くなるはずなのか、それも織り込み済みなのかは不明だが。

 東大でも2016年度から100名を受け入れてきていたそうで、それでも毎年の合格者数3000からみると、わずか3%強にすぎないのだが、その中に「オールジェンダートイレの研究」と言うテーマで昨年、経済学部に合格した女性がいたそうで、驚いた。

 彼女を特集した記事を読むと(https://www.asahi.com/edua/article/15096773)、研究テーマの成果だけでないことも分かって、さすがに推薦といってもそんなに簡単でないことが理解できる。

 

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小田嶋隆がおいしそう、もとえ、面白そう

 ググっていたら偶然、「小田嶋隆さん、お疲れ様でした。そしてありがとう。」(https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00162/)に行き当たり、そこから、日経ビジネス電子版で「『ア・ピース・オブ・警句』~世間に転がる意味不明」(https://business.nikkei.com/article/life/ 20081022/174784)を知り、衝動的に古書で『ア・ピース・オブ・警句 5年間の「空気の研究」2015-2019』日経BP、2020を発注してしまった。

 この著者、1956年東京都生まれで、2022年に65歳で死亡したコラムニスト。一見意味不明の著書名であるが、「a piece of cake」(朝飯前、たやすい、の意)から来ているそうで、他の書名をみても『上を向いてアルコール』とか『諦念後』といったオヤジギャグめいたネーミングもあり、まあ洒脱なお人柄のようにみえた。

 そんな彼の文章の中にこんなのを見つけた。同感である。しかし読ませる筆力も才能であって、「アタマ」抜きにはダメだろうが。

    原稿執筆は、老年と相性が良い。
   テキスト作成は、場所もとらないし、道具もさほどいらない。自分のウデとアタマとPCが一台あれば、たいていのことは間に合ってしまう。
   だから病気をしても仕事ができるし、足腰が衰えてもなんとかなる。
   そんなわけなので、将来の変わり身に向けて多彩な選択肢を持っているみなさんには、いまのうちに「書く技術」を身につけておくことを、強くおすすめする。

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中高の同窓会支部から連絡が

 同窓会関東支部から4/19に大学新入生の歓迎会をするとメール連絡あった。その場所が、銀座の出身県のアンテナショップなので、まあ東京が長い者にはなつかしいかもだが、やっと故郷からトウキョウに上京してきた18歳にはどんなもんだろうか、とちょっと疑問に思ったことだ。

 社会人¥5500で(新入生無料、学生2000円、年金生活者への割引はない)、基本的に参加予定だが、体調の急変があるかもで、突然のキャンセルを前提にしなければならない。昨秋の街歩きはそれにあって急遽参加中止した。

 私は5期生で、今年の卒業年次は63期だから・・・、恐ろしいことに58才も歳が離れている。孫の世代だ。出席したら間違いなく最年長。なんだかやだなあ。

 そういえば、同期生世話人から、同期の死亡連絡があった。私の知る限り、たぶんこれで同期生の一割がみまかったことになるはず。ここから80才になるまでばたばた消えてゆくのだろうな。そのうちの一人が自分のような気がしてならないが。

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最近のエウセビオス評価

 我孫子の読書会で、『教会史』のことが知りたいというホント奇特な人がいて、それで「私にとって『教会史』はエウセビオスをすることになるのですが、それでよければ」と断った上で、エウセビオスがらみのおさらいをはじめている。次回が三回目で、その流れで最近の研究書をチェックしていて、たとえば以下を見つけた。

 ① Éric Rebillard, Christians and Their Many Identities in Late Antiquity, North Africa, 200–450 CE , Cornell University Press, 2012.

 ② Candida Moss, The Myth of Persecution: How Early Christians Invented a Story of Martyrdom, New York, 2013.

 いずれも今から10年以上前のものだが、①のほうは我が書棚にあったけど未読だったもの、でも発掘が面倒なので、我が図書館のを借り出した(^^ゞ ②は手元にも我が図書館にもないので発注中(安価な本体より郵送費がかかる計算)。アマゾン・コムの読者レヴューをみると、それなりに評価されているようであるが、問題も多々指摘されているので、まあこういった問題には正解はないといわれかねないかもだが、私からすると、浅薄で表面的な史料批判が目につく、いわば先に結論ありきというか思い付きがあって、それに合わせて史料を並べているようにも思える。それが顕著なのは、両書ともエウセビオス叙述には批判的、というわけで、私的には突っ込みどころ満載の予感がする。ただし、両書とも周辺部分で新知識を与えてはくれはするだろうが。

 いずれにせよ、欧米人研究者に刷り込まれた先入見は未だ強固だ。それを極東人の私なんかが是正できるとは思えないが、しかし私ならではの見直し作業を残りの人生で果たしておきたいとは思う。その意味で、いい時期にいいご提案を頂いたように思う。頑張りたい、私なりの「エウセビオス論」を。

【補遺】以下の著書も重要と思われるが、他はともかく(京産大のみ所蔵)、我が図書館に所蔵がないのはどうしたことか。やっぱりK.リーゼンフーバー師のリタイア(2009年)、死亡(2022年)の影響は大きいようだ。このあたりで恩師の継承なんかなかなかできるものではないと思い知った感じする。

  Dirk Rohmann, Christianity, Book-burning and Censorship in Late Antiquity: Studies in Text Transmission, Baylor UP., 2017:学位論文のせいか高額! でも、いずれ我が図書館のために、こ一万円しても購入しておくか。

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第8回オスティア研究セミナー

 遅ればせながら、昔の研究仲間から連絡があった。École françqise de Roma主催で、この3/21-23までACADEMIA BELGICA, Via Omero,8 で対面式で開催されるとの由。

 錚々たるメンバーの発表であるが、私的には、ボルドー大学のトイレ関連の発表内容を是非見てみたものと、数年後に出るであろう報告書を今から楽しみにしているが、さて生きて見ることできるであろうか。

プログラムは、以下参照。Scaricare il programma→

 ところで、École françqise de Romaの事務所がナヴォーナ広場の南端の建物内にあるなんて、不覚にもこれまで知らなかった。

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今日はマンション会議で、疲れた〜

 たしか昨年12月だっけに、2024年度のマンション管理組合の長期修繕検討委員会委員にくじ引きでなったので宜しく、と連絡あった。15年前に管理組合委員長やっていたので、ここ数年そろそろ来るかもと思っていたので、まあしょうがないと思ったのだが、そのお役目の初回が2/25(日)の通常総会、そして本日の3/17(日)が長期修繕の第27期第1回会議で(私は帰省中だったので妻が出席)、朝9時から12時集会室集合となっていた。なんで3時間もかかるのかと不審だったが、一時間前に目覚ましかけて直前に着席、実際には一時間半で終わった。しかし疲れた。

 なんという巡り合わせか、今年度は大規模修繕工事の年で、6月中旬から半年間かけての工期となる。15年前、私は管理組合委員長でそれに遭遇していた。我が検討委員会は毎月第三日曜が定例会議日となり、床材の選定など細ごました作業が予想される。

 集会所に行って見たら、関係委員(新旧3名ずつ)のみでなく、管理組合3名と管理会社5名、それに大規模工事担当会社からも2名の出席もあって、なんと計16名と大人数だった。

 書類の説明の大半は管理会社がしてくれるので、新人の私など黙って聞いているだけだったのだが、朝が早かったせいもあるのだろう、終わっての疲労は半端でなかった。先週木・金曜は帰宅してからビールないし日本酒飲んだのだが、今日は昼間なのでそれはしない。まあ、食事後テレビの前でうたた寝して回復できればいいのだが。

 現役時代は会議の連続だったが、なぜか疲労感はそんなに感じなかったような気がするので、やっぱりこれも老化現象のせいなのだろうか。

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会議に参加しただけで疲れるリタイアもん

 昨日午後7時から一時間半、テレビ会議があって参加した。喋る必要もなかったので黙っての参加だったのだが、それなのに終了後えらく疲労感が。それは前日やはり夜6時から読書会があるので午後遅く久々に四谷に出て図書館でちょっとだけ調べ物したことなんかでの肉体的疲労の延長でもあったのだろうか(バックパックに借り出し図書を二冊入れても腹回りがこたえる)。肩から首筋が凝っていて。

 在職中は連日のように飲んでいたのだが、リタイア後はそんな習慣はいつの間にか不思議なくらい消え去っていて、それで、ああ在職中は色々のストレスがあったんだなと気づいたわけだが、今般、そう責任があるわけでもない会議の参加ですらそうだったのが少し不思議で、いややっぱり後期高齢者なので体力も劣化しているせいなのだろうなと、御前酒純米酒を冷やで飲みながら思ったことだ。

 そんなときテレビで、夜の12時から1時ごろ就寝していると人間は成長ホルモンが分泌されるのだが、これが生命維持活動にきわめて重要なのだ、と話していた。ググって見ると、より正確に言うと、睡眠直後の90分程度のノンレム睡眠の時間こそが、成長ホルモンを正しく分泌させる重要なポイントだということらしい(https://www.sunstar-shop.jp/column/article/20210324.html)。  

 私のような昼夜逆転生活者は、まあ早朝に寝て昼前に起きても午後は能率上がらず、夜半になってようやくスイッチが入るわけで、付随的に電気もじゃんじゃん使う困ったちゃんで、少しも環境に優しくない存在である。視力や体力は劣化が激しいが、とりあえずなんとかなっているから今現在もやっているのだが、これっていつまで続けられるのだろうか。個人的には、壮大な?人体実験やっている気分である。

 ところで、頭髪を今年になって自然のままにしているせいか、自覚的に老け込んだ気がしてならない。白髪なのだ。これではならじと、床屋で3000円上乗せして「ぼかし」にしようと、半ばマジに考えている今日この頃。

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史上初の木製スパイク出土

 文献的にカエサル『ガリア戦記』VII.69,72の、アレシア包囲戦で書かれていた封鎖施設、逆茂木の木製スパイクの考古学的実物が今回初めて出土確認された。すなわち現段階で唯一無二の実物である(発見はちょうど一年程前)。ということは、現在のアレシア遺跡での復元は実見に基づくものでなかったわけだ。古代史ではえてして未だこんなことだらけである。

 この遺物は、ドイツのラインラント=プファルツ州のコブレンツの東10kmに位置するバート・エムスBad Emsの、ブロースコフBlöskopfの丘の水浸しの土壌のV 字型の溝の中にあった。考古学者によって「溝の槍」pila fossata ないし「尖り棒」cippi と呼ばれるそれらはオーク材で作られ、長さ平均65センチメートル、直径平均4.5〜6センチメートルだった 。今日の有刺鉄線に似た装置だったと書かれる場合もあるが、それは砦防御壁斜面に埋め込まれている場合に妥当するように私には思える。

 この付近は後世に銀の産出地であったので、下記地図のRömisches Hüttenwerk(ローマ時代の精錬所跡)関連の表示板周辺からそれと知れる(但し、この精錬所遺跡は19世紀末の発掘時に想定された仮説で、現在では否定され、ローマ軍キャンプの監視塔構造物とみなされている由)。銀鉱山の試掘調査と安全確保のための砦防御施設だったのだろうが、後47年頃の開発では有力な鉱脈に行きつく直前で放棄され(後世になって200トンの産出があったとの記述もみつけた)、撤退時に敵に利用されないように逆茂木は穴に放り込まれ、監視塔には火がかけられたらしい。

 文献的には偶然にも、タキトゥス『年代記』XI.20-21から、後47 年にクラウディウス帝が銀を採掘するために法務官クルティウス・ルフスCurtius Rufus を、マッティアキ族Mattiaciのこの地域に派遣したことがわかっている。このクルティウス、苛酷な重労働を軍団兵に課して怨嗟の的だったようだが、別説では『アレクサンドルス大王伝』Historiae Alexandri Magniの著者と目されているらしい。

 地図の下部のラーンLahn河(ライン河支流)沿いの赤印が著名な温泉町のBad Emsである。

 余談になるが、Badとなると私はどうしてもコブレンツを遡ることライン川上流50Kmのヴィンゲンからさらに南下すること15KmのBad Kreuznachで訪れたことのあるMuseum Römerhalle のことを思い出してしまう。伝イエスの父親の墓銘碑がある由で行ったのだが、著名モザイクと遭遇して、これもあれもまだ書いてないことも思い出してしまった。

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