月: 2026年6月

アウグスティヌスの肖像画

 大昔、ググっていてアウグスティヌスの図像一覧を画像付きで掲載したブログに行きついたことがあって(アウグスティヌス会系の修道会に依るものだったと記憶している)、さっそく保存した。問題はそれがどこに保存されているのかだが、今となっては不明である(こんなことばっかりだが)。もととなったウェブにはそのころ幾度か行ったのだが、そのうち消えてしまった。

 今回、それでもIconography of Augustinusあたりで検索したら、上智の図書館も所蔵している「Augustine in Iconography」がひっかかったが、あれは一種の論文集で、私のイメージとは異なっている。ずばりに出会えずあきらめたころに、以下に行きついた。ICONOGRAFIA AGOSTINIANAhttps://www.augustinus.it/iconografia/index.htm)。これは出版もされているようで全三巻であるが、私にとって第1巻だけで十分で、それをデジタルでしかも無料で4MBで下ろすこともできた。

 その冒頭に掲載されているのが、近々発行の小論でも引用した2図像だったので、とりあえずよしとしよう。両者に通底している特徴は、おそらく彼の晩年の姿で、具体的には白髪の後退した前頭部と顎髭である。下記左が6世紀(但し、別人説あり)、右が7世紀なので、アウグスティヌスの死後最短70-100年後の肖像ということになる。両者に共通点が認められるので、おそらく伝承として生身のアウグスティヌスの晩年の容姿がそれなりに伝承保存されていたといっていいかもしれない。

左図:想定アウグスティヌス像  右図:左からヒエロニムス、アウグスティヌス、グレゴリウス教皇

 それらに次ぐ1図像は8世紀でまずまず射程内であるにしても、すでに容姿は変わってきていて、白髪でもないし顎髭はなくなっている。前頭部の毛の禿げ具合など上記のアウグスティヌスとグレゴリウスを混在させている感じだ。

その後は一挙に11世紀と時代は降り、そうなるともう古代伝承が反映していたと思われる最初の二例とはまったく様相が違ってくる。

 だがこの本、パヴィアの聖櫃の詳しい紹介もあって、我々の関心にとってなかなか利用価値は高い。

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赤字のNHKと低下する制作水準、そしてマスティハ

 最近のNHKの番組が私の関心の対象(古代ローマ史)に沿うものでなくなっているのは(民放もご同様だが)、やっぱり資金的な問題なのかなと思っていたら、案の定、2026/6/27「赤字続きのNHKがNetflix配信を再開した本当の理由…民放が警戒する“受信料コンテンツ販売”の是非と切実な台所事情」(https://shueisha.online/articles/-/257940?utm_campaign=shueishaonline_mail_20260629.6&utm_content=text&utm_medium=email&utm_source=shueishaonline_mail)が配信された。

 まあスポンサーのお金に依存する民放が愚民的なバラエティ番組だらけなのはしょうがないとしても(だからもう全然見ることもない:例外は磯田先生くらいか)、事実上の公営放送のNHKが優秀な企画力を発揮できないのは問題である。

 以上は古代ローマ史に関しての感想だったのだが、今日(2026/7/2)の深夜流していたBSの「空からのクルージング」はスコットランドとエーゲ海を扱っていて、それぞれ学ぶべきことが多くて、つい引き込まれて見てしまった。

 とりわけ、後者ではヒオス島特産の「マスティハ」μαστίχα χίου の存在を知ったことは収穫だった(初見はヘロドトスのようだ)。低木のマスティックの樹液が檜の香りがして古代で歯磨きと口臭消しに使われていた由で、薫香の乳香とは違ってガム状で最終的にはのみ込むらしい。アマゾンで検索したら輸入品が入手可能だったので、相変わらずの私のしょうもない趣味で、試しに購入してみることにした(でも、郵送費が高いなあ)。

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レアメタルと深海の環境破壊

 2026/6/29発信「海底に眠るレアメタル 商業開発前夜、「怖さ」感じて一時停止に」(https://mainichi.jp/articles/20260627/k00/00m/030/188000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhiru&utm_content=20260629)を一読して、複雑な気持ちになった。

 資源貧困国の我が祖国が将来を見据えて、深海調査を行っていることは、私にとって直結の成果よりも、精神的安定感を与えてくれる情報ではあったが、それに環境破壊という問題が潜んでいたのは、不意打ちだった。

 「どんどん採る」から「いったん立ち止まる」のは正しい判断ではあるが、それはご近所の覇権志向大国をもまき込む動きとなるのかと考えると、正直複雑な思いにとらわれざるをえないのだ。

【追記】昨晩のテレビで、欧米での同様な深海汚染を危惧する報道をやっていた。それに比べると我が国は、前報道の慎重な日本財団の判断と異なって、政府与党など前のめりになっているのかもしれない。毎日新聞2026/7/2「それでも日本は「レアアース大国」目指す 投資リスク超える意義」(https://nml.mainichi.jp/p/000011724a/58151/body/pc.html

 

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ピサの河川港と沈船発掘

 私は現役時代、ローマ帝国の港湾施設がらみの科研で現地調査をする機会があった。ここでのピサ港とはリグリア海に面したPorto PisanoないしTriturritaのことではなく、アルノ川沿いで現在の内陸都市Pisaの河川港を意味している(https://en.wikipedia.org/wiki/Porto_Pisano)。それを含めて二回ほどこの街を訪問する機会があったが、初回はまあルッカを引っかけつつの観光旅行に毛の生えた程度で終わり、二度目は港と沈船に焦点を当てての再訪だったのだが、港の発掘現場(鉄道駅の近所)はいうまでもなく立入禁止で、無人のプレハブの受付に置かれていたパンフの資料収集のみに終わり(その後、著作も入手したので、書架のどこかに埋もれているはず)、あげく沈船を展示しているという博物館(メディチ家の旧兵器庫)も行って見たら閉館中で(イタリアはこの手が多い)、なすすべもなく後ろ髪を引かれる思いでローマに撤退せざるをえなかった。博物館が開いている時に再訪を念じていたのだが、未だ果たしていない。古代の沈船関係ではローマ空港内やアクイレイアやネミ湖、それにシシリアのマルサラ(ここはカルタゴ船)などの博物館で見ているのだが、未見で恨めしく思っているのは、このピサとドイツのマインツの博物館である。

 最近、G.Huissenのブログ「Roman Ports」から投稿連絡が届いた(https://www.romanports.org/en/articles/ports-in-focus/533-the-lost-harbour-of-pisa.html)。投稿原稿は2019/2/23のようだが、それなりに詳しいので参考になるだろう。しかしその後、同じG.Huissenの2024/8/8発信「The resurfaced fleet of Pisa」(https://www.romanports.org/en/articles/human-interest/882-the-resurfaced-fleet-of-pisa.html)を見つけた。こっちのほうが簡明なのでそれをここで紹介する(但し、掲載写真はよくない)。その情報元は、Jacopo Suggi, Storia del ritrovamento delle navi antiche di Pisa (finestresullarte.info) とされているが、Jacopo Suggi, La flotta riemersa. Storia dello straordinario ritrovamento delle navi antiche di Pisa, 2024/07/23, Finestre sull’Arte のほうが正確な表記かもしれない。

 また発掘報告書も数冊出版されているが、最新の研究としては以下がある。Andrea Camilli, Le navi antiche di Pisa, Pacini Editore, Seconda edizione 2021. 後進の参入を期待している。

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 1998年、Pisa San Rossore駅の近くで、ピサの海運の歴史を塗り替えることになる、驚くべき考古学的遺産が偶然発見された。

 「航海することは必要だが、生きることは必要ではない(navigare necesse est, vivere non est necesse)」という、大ポンペイウスが荒れ狂う海へ向かうよう水夫たちを鼓舞した言葉は、今でもよく知られている。時を経て、この言葉はハンザ同盟のモットーとして、あるいはイタリアの作家Gabriele D’Annunzio(1863-1938)によって英雄的行為を揶揄する文脈で引用されるなど、幾度となく使われてきた。より一般的には、古代ローマにおいて海運が軍事と商業という二重の機能を担い、いかに重要であったかを示すためにこの言葉が引用される。当時の国家、経済、社会、そして組織体制を支える力として海運が存在したことは、海底から多数の難破船が発見されていることからも裏付けられている。それらは、悪天候下であっても乗組員が海に出ざるを得なかった状況を物語っている。しかし、こうした劇的かつ不幸な出来事は、私たちにとっては幸運なことでもある。それらは、海洋考古学や水中考古学を通じて、過去の文明に関する豊富な情報を知る機会を与えてくれるからだ。

図1:発掘現場。写真:Cooperativa Archeologia
図2:発掘現場。写真:Cooperativa Archeologia

 近年、イタリア国内で行われた考古学的発見の中で、量的にも質的にも最も驚くべきものの一つが「ピサの古代船」である。この驚異的な発掘調査により、30隻以上の船の残骸に加え、多種多様な遺物や膨大な情報が明らかになった。その規模の大きさから、誇張(かつ不適切)ではあるが、「海のポンペイ」と称する声さえ上がったほどである。

 この発見は1998年、ピサ・サン・ロッソーレ駅近く(「奇跡の広場」から数百メートルの地点)で、トレニタリア(イタリア国鉄)の施設建設工事を行っていた際になされた。海岸から約10キロメートル離れた都市中心部という建設現場の立地を考えると、この発見は予期せぬものであっただけでなく、どこか非現実的なものにさえ思える。実際、ピサの歴史は海と深く結びついてきた。海岸線が現在よりもはるか内陸にあった古代はもちろんのこと、河川や水路の利用に伴う堆積物で埋め立てが進んだ後も、その関係は続いていた。

 発掘の初期段階、地下6メートル未満の深さから木製の遺物が現れたが、現地の特殊な環境条件のおかげで、それらはかなり良好な状態で保存されていた。しかし、その後に明らかになる事態を予想できた者は誰もいなかった。実際、発掘の第一段階は「緊急考古学調査」として実施された。つまり、当初は当該地域の遺物の特定と回収に主眼が置かれ、費用も鉄道会社が負担していた。ところが、わずか数ヶ月後、地下に保存されていたものの規模が想像を絶するものであると認識されるようになった。遺物の量と質が極めて膨大かつ例外的であったことから、この発見の重要性が浮き彫りになり、1999年の夏にはすでに、本格的な調査体制へと移行することが決定された。これにより、体系的な研究を行うためのエリアが設けられ、当初の計画よりもはるかに長期間を要するプロジェクトへと進められることになった。

 これら初期の調査は、考古学者であり教授でもあるStefano Bruni氏、続いてAndrea Camilli氏の指導の下で実施された。

図3:「古代船博物館」に収蔵された発掘品の一部

 3,500平方メートルを超える広範囲に及ぶ、この綿密な層位学的発掘調査の結果、鉄道当局は当初計画していたインフラ整備事業の断念を余儀なくされた。その後、当該地はピサ中央駅として再開発されることとなった。調査に携わった考古学者たちは数多くの困難に直面したが、その最大の要因は、極めて厚い堆積層と豊富な地下水という、この地域特有の環境条件にあった。

 浸水の問題を克服するために機械式ポンプが常時稼働された一方、もう一つの大きな課題――発見された木材の急速な劣化や乾燥への対処、および層位学的発掘に伴う多大な労力――については、「区画ごと」の発掘を行うことで解決が図られた。具体的には、船体の小さな部分だけを露出させて記録を取り、その後、薄いガラス繊維の層で再び覆うという手法である。同時に、タイマー制御の散水システムを用いて、適切な湿度を継続的に維持した。

 また、発掘された遺物(特に木製品)の処理に必要な技術を確立するため、修復センターを設置することも決定された。木製品は洗浄・脱塩処理の後、木材本来の成分を、不活性かつ除去可能な別の物質に置換・含浸させる必要があったからである。

  こうして、「湿潤木材修復工房」が誕生した。これほど大規模な体制と費用の投入が行われたのは、この発見が極めて異例なものであったためである。シルトや砂が堆積した岸辺に、数多くの難破船が重なり合うようにして横たわっていた。これらは異なる時代の船の残骸であり、長年にわたる度重なる激しい洪水によって、この堆積地に運ばれてきたものである。

図4:薄いガラス繊維の層で覆われた難破船

 ヘレニズム時代から古代末期にかけてのものとされる出土品には、船体や板材の残骸だけでなく、ギリシア・ローマ様式のアンフォラなどの大量の土器も含まれていた。ただし、これらの土器が船の積荷の一部であった可能性は一部にとどまった。型式や年代に不一致が見られることから、これらは長い時間をかけて廃棄された「廃棄物」であると推測されたためである。

 こうした大規模な堆積層の起源については、数多くの復元案が提示されている。それらによれば、ローマ時代のピサの集落は、当初、アルノ川の沖積平野に築かれていたと考えられている。この平野には、アウセル川(現在のセルキオ川)をはじめとする他の河川も合流していた。洪水説は、船を沈没させるような壊滅的な自然災害に起因する堆積層が少なくとも5つ発見されたことによって裏付けられている。

 石の集積が見つかっており、Camilli自身によれば、これらは「一連の橋脚というよりは、内側の控え壁buttressを伴う粗末な防壁に近い、河岸の構造物の一部」として理解されるべきものである。また、直線的な壁の構造は邸宅の係留施設であった可能性がある。したがって、この発掘現場は港としてではなく、ローマ時代に激しい往来があった広大な水路、あるいは水上の「道路」として認識されるべきだろう。

 難破船の調査からは膨大な情報が得られ、その用途や歴史を少なくとも部分的に復元することが可能になった。発見された古い時代の船の残骸の中には、ヘレニズム時代の船とされるものがあり、船内で見つかった什器類から前2世紀のものと推定されている。この船はカンパニアとスペインを結ぶ交易路を頻繁に往来し、塩水漬けの豚の肩肉を含む様々な商品を運んでいたと考えられる。

図6:「船A(Vessel A)」として知られる貨物船(oneraria)の残骸と復元図
図7:船 C=「Alkedo」(後1世紀)とそのレプリカ

 一方、船 Aは「オネラリア」oneraria、すなわち交易専用の大型船だった。全長は40メートルを超えていたと推定されているが(現存するのはその半分)、年代は後2世紀末とされている。最も注目すべき船の一つに、12枚の帆を備えた船がある。「Alkedo」(「カモメ」の意)という名の銘板も発見されており、保存状態が極めて良好な船である。対照的に、船 Iは後5世紀の平底の河川用フェリーである。この船は、ロープとウィンチの仕組みを使って河岸から押されるようにして進んでいた。

図8:船 D(後6世紀の大型河川船)と船 I

  船 Dもまた川で使用された大型の平底船(barge)で、水路に沿って砂を運搬していた。帆(マストが現存している)を使って風の力で進むか、あるいは動物の力で河岸から牽引されていた。船 Fや船 Qといった他の発見例は「リントレス」(lintres)と呼ばれるタイプで、pirogues(丸木舟の一種)に似た形状をしていた。これらはオールで漕いで進み、小規模な物資や人の輸送に使われていた。発掘調査の過程で、さらに30隻分の船の残骸が確認されたが、その数については後に他の研究者から疑問が呈された。

図9:洪水で流された水夫(左)とその愛犬(右)の遺骸

 しかし、この発見の特筆すべき点は、船やその貴重な積荷だけにとどまらない。堆積物の中からは、犬と水夫の遺骨も発見された。この水夫は、愛する相棒である犬を救おうとして自らの命を捧げたものと考えられている。ほかにも、飲料用グラスとして使われたガラス器や高級市場向けのバルサム容器、木や石の工芸品、硬貨、船乗りの所持品、そして前述の通り1万3000点を超えるアンフォラの破片など、数多くの遺物が発見されている。

 この画期的な発見により、古代の航行における河川・海洋システムから、交易、集団間の交流、そして何世紀にもわたるピサの役割に至るまで、多岐にわたるトピックに関する知見を深めることが可能になった(そして今後も可能であり続けるだろう)。 出土品の多くは現在、ピサ古代船博物館(Museo delle Navi Antiche di Pisa)の魅力的な展示コースの一部となっている。同館は2019年より、かつてのメディチ家の造船所(Arsenali Medicei)を拠点としている。この施設は、古代から現代に至るまで、このトスカーナの都市と海・海運との密接なつながりという「時の軌跡」を再現するものである。それにより、あの象徴的な「ピサの斜塔」を擁する中世の都市という側面だけには到底収まりきらない、この地域のより複雑で豊かな歴史物語が明らかになっている。

図10:船 Aから出土した木製錨(紀元2世紀)

出典– Jacopo Suggi – La flotta riemersa. Storia dello straordinario ritrovamento delle navi antiche di Pisa (2024年7月23日) Finestre sull’Arte

【補遺】それで思いだしたのだが、ローマからピサ行きの鉄道地方線を使って、チビタベッキアのかなり手前のサンタ・セヴェラ駅で下車して南西に向かって歩き、アウレリア街道(現国道1線)に出て Monumento naturale di Pyrgi の表示で一本道をさらに南南西に歩いて海岸に出ると、そこに中世の城と集落があって、「海と古代航行博物館」Museo del Mare e della Navigazione Antica がある。こじんまりとした規模であるが、その内容の充実度は高かったのが印象的だった。

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Neuro Peelがリール動画に新たな投稿:女神ウェヌスとローマ神殿

 ハドリアヌスは、後64年のローマ大火で廃墟となっていた黄金宮を解体して、最大の神殿ウェヌスとローマの神殿を建てたが、そのときネロの巨像を、既に後80年に完成していたコロッセオの横に移動させたのだが、それがそのように描かれていないのは?だけど。

 ま、リール動画はもっともらしいフィクションにすぎないけれど。

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