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今週のクリスチャン・トゥデイ情報

 全部ではないが主なるものを転載します。私的には「山の上ホテル」に関心があった。

<国内ニュース>

▼ 歴史に残る大リバイバルを 240人が教派超え祈り、ユース祈祷会「ア ウェイク」初開催 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33290/20240213/awake-prayer-conference.htm

▼「戦争を超え、和解へ」 紛争当事国・地域の宗教指導者らが東京で「平和 円卓会議」 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33305/20240219/2nd-tokyo-peace-roundtable.htm

▼ 御茶ノ水に残る最後のヴォーリズ建築 「山の上ホテル」が休館、老朽化 対応で https://www.christiantoday.co.jp/articles/33295/20240215/hilltop-hotel.htm

<国際ニュース>

▼ 全米最大のメガチャーチ、レイクウッド教会で30代女が発砲 女の子ど もが頭撃たれ重体 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33301/20240218/lakewood-church-shooting.htm

▼ 教会が難民申請者の偽の改宗に加担? 批判に難民出身の主教が反論 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33299/20240217/fake-asylum-converts.htm ◇━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

コラム

「怨憎会苦」からの解放 菅野直基 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33202/20240119/naoki-kanno.htm

ヨハネ福音書を読む(44)「イエス様とマリア」―ラザロの復活(4)―  臼田宣弘 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33293/20240214/read-gospel-of-john-44.htm

古代東方大秦景教旅行写真記(21)メソポタミアの地トルコで学んだシリア 語 川口一彦 https://www.christiantoday.co.jp/articles/33271/20240208/kodai-touhou-iseki-21.htm

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不徳なす二階俊博

 この男、幹事長在任中に50億円以上の政策活動費を党から受け取っていたとされる。立派な使途不明金である。ところで国税庁は国会議員個人の納税の調査をこれまでしたことがないのだという。だったらきちんと申告していなけりゃ、何でもありとなっちゃうわけだ。世の中には確定申告を拒否しようという動きがあるらしいが、私的には取られすぎている税金を取り戻す機会という認識あるので、ほんとそれでいいの、という疑問がある。

 そんな折、以下のような数字が出てきて、なんとも腹立たしい。これも国税庁や特捜は見逃すのであろう。誰かが書いていたが、自民党は保守ではなく、保身の輩である、と。

 

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イギリス紳士今昔

 私が中学生のころ、授業の中で、池田潔『自由と規律:イギリスの学校生活』岩波新書、青版17、1947年の中のエピソードとして、イギリス紳士が道路を渡ろうと横断歩道で、往来する車がなかったのに青(緑?)になるまで待っていた、かくのごとくイギリス紳士は社会的規範に忠実なのでア〜ル、ということと、社会的地位あるエリートには責任が伴っており、果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)を自覚しなければならない、と教えられたことを未だ覚えている。

 しかし60年という歳を経て、実体験と知識が増えると共に、そんな絵に描いたような紳士は、そういう頑固者がいないわけではないが皆がみなそうではないということがわかってきてはいたし、アラビアのロレンスの例を挙げるまでもなく国家としてイギリスがやってきた野蛮な行為は紳士にふさわしいものとはいえない、ということも知ったのであるが、偶然以下のような記事を目にして、先進国に追いつき追い越せとやってきた我が祖国の、ごく限られた歪曲された世界観をあらためて認識したわけである。

 まあこの書き手が、支配階級の紳士淑女でない庶民階級だったからとは思えないのである。

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語呂あそび:「信者」と書いて「儲ける」と読む;ローマの水飲み場

 今垂れ流しているテレビドラマ「怨み屋本舗」で聞いた日本語。なるほどと、勉強になった。しかし今頃になってだが。しかしこの漢字、「もうける」以外に「かける」とも読めるなあ。深読みすると、教団側からすると「もうける」で、信者側からすると「かける」ことになるような。

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    ⇩「これなあに」と聞いたら、イタリア人から「謎〜ね」と答が返ってきた。

 ほんとは謎なんかではなくて、ローマ市内に垂れ流しである水飲み場(fontanello, pl. -li)の蛇口のこと。この水飲み場、1870年代に導入され最盛期には市内に5000あったが、水道の普及で現在ではそれでも2500〜2800残っているらしい。イタリア語では、鼻をnaso(ナーゾ)という。それが象のように大きい場合、拡大辞-oneを付けて、「nasone」という次第(pl. nasoni)。

 実は、この象の鼻のように垂れた中空金属の途中の上側に穴が空いていて、蛇口の出口を指で押さえて水流を止めると、この穴から水が飛び出し、人がをそれを空中で受けて飲める仕組みとなっている。わざわざ下の蛇口に姿勢を低くして口を持っていく必要がないわけで、これがローマッ子の通の飲み方である。

 なお、水飲み場によっては「potabile」と書いてあるが、その場合は飲用に適した水、という意味。逆に「non potabile」と書いてあったら、飲用に不適な水だから、飲まないで手や顔を洗うにとどめるべし。

私はサンチャゴ巡礼していたとき、昔だったら家畜ともども一緒に飲んでいたであろう水場に律儀に「non potabile」と表示があって、あぁ、世界遺産になってドイツ的にここでも厳格になったんだと得心したものである。

夏の巡礼にとって、冷たいフォンタナはまさに神の恵み。上の水は人間が飲み、下に流れている水は家畜なんかが飲む。

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コンスタンティヌス復元巨像、カピトリーニ博物館で聖年まで展示

https://www.wantedinrome.com/news/rome-reconstructs-colossus-of-constantine.html

 2024/2/6発信:

復元巨像製作中のスナップ

 昨年ミラノで開催されたプラダ財団後援の展示会「the Recycling Beauty exhibition」で3Dモデリング技術を使って再現展示された、高さ13mのコンスタンティヌス帝の巨大座像の現代復元作品が、聖年までの約2年間、本家本元のローマのカピトリーニ博物館内のVilla Caffarelli中庭に展示されることになり、2/6にローマ市長Roberto Gualtieriも出席して除幕式が行われた。見学はこの2/6から聖年終了の2025/12/31まで、毎日9時半から19時半まで自由にできる由(https://www.museicapitolini.org/en/node/1013978)。

 新バシリカ遺跡の赤印がもともとの設置場所:フォロ・ロマーノの北東部

 オリジナルの巨像は、312-315年頃に大理石と金メッキの青銅で作られていたが(その部分はレンガの芯と、おそらく金メッキの青銅で覆われた木の骨組で構成されていた由)、体に巻かれた青銅を求めて略奪・破壊されて、1486年にマクセンティウスの新バシリカの発掘中に残された大理石破片9つが再発見され、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ宮殿に露天収容されていた。それらは、教皇シクストゥス 4 世による世界初の公立博物館への古代ローマの作品の寄贈の一環として、16世紀半ばにカピトリーニ博物館のパラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリの中庭に移された。10番目の断片がみつかったのは1951年のことだった。

コンセルヴァトーリ宮中庭の巨像断片展示状況

 それがコンスタンティヌス像だということは19世紀まで不明だったが、もともとの額が高く、ひげを生やした人物(神像)から、ウェーブかかった前髪のある頭髪や顎髭があったものがきれいに剃られ、だが再加工の痕跡の調査等に基づき、ユピテル神像ないし別の皇帝像からコンスタンティヌス大帝像に再利用されたものと考えられている。

顎髭のある像:左、ユピテル神座像、もじゃもじゃ顎髭;右、オスティア出土のマクセンティウス立像、うっすら顎髭がみえる

 私的には、コンセルヴァトーリ宮中庭に残存断片と並べるか、もともとの設置場所の新バシリカに展示してほしいと思うのだが、現況にしても中庭にしても新バシリカにしても現状では露天なので、風雨の中で持つのか大丈夫なのかと少し心配である(復元は、まず現存する像の破片 10 個を超高解像度でスキャンし、そのデータで全体像の3D モデルを作成し、アルミニウムの支持体上に樹脂・ポリウレタン・大理石の粉末・石膏・金箔を使用して材料の再構築をし、軽量でありながら視覚的に正確な巨大なオリジナル像のレプリカを作成)。無事なうちに是非とも見学に行きたいものだ。

オリジナルでは白大理石による裸体部分と、青銅からなる金茶色部分の衣服の組み合わせだった:巨像右足元の人の身長から巨大さを思い知るべし

 いずれにせよ、これでようやくこの巨像の巨像たる所以を皆さん実感できるようになるであろう。できうれば、コロッセオ近くに立っていたネロの巨像も実物大で復元してほしいものだ。現代彫刻の変なオブジェを飾るよりはよほど意味あると思うのだが。

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メモ:統一教会情報

2024/2/5「有田芳生氏が極秘入手、統一教会「秘密文書」にみる自民党工作:地方・国政に信 者議員、“新聞社・TV局協力者”育成も」(https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html

 組織体としては当然ではあるが、統一教会がこれまでの成果や問題点を点検して、あらたな行動方針を提示している文書の内容。そこに挙げられている実績の数字が意味をなす。

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テレビで英国版「生きる Living」を見た

 これが黒澤明の「生きる」(1952年公開)のリメイク版だということは知っていたが、全然雰囲気が違っていることにやたら感動した。2023年日本公開である。

 初っぱなの鉄道駅での列車待ちの場面から、空間の奥行やテンポがまったく違っていて、なるほど端正で紳士的でいかにもイギリスなのである(ある意味、英国における古き良き時代を意図的に描いていたのかもしれない)。この点、原作の日本のほうはなんとなく敗戦直後のアジア的混沌を感じさせているような気がする。

 しかし、作品の本質部分はちゃんと継承されていて、あとから脚本がカズオ・イシグロなのだということを知ってさもありなんと納得した。https://ikiru-living-movie.jp/

 私も齢76歳を越えていつお迎えが来ても不思議ではないので(認知症だけにはなりたくないので、リタイア後の健康診断は拒否して、かつてのように普通の病気で死にたいと思っているので、余命宣告は不意打ちで来るだろうし)、去り際の美学として誰かのために何かしたいという欲はまだ残っているとしても、せいぜいわずかな自分の存在証明を残すことしかできないだろう。映画の幕切れのように、たとえそれがすぐさま忘れ去られるものであっても、だ。

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今日の電子版朝日新聞の性暴力記事・・・

 なんとここ半年の宗教界の性暴力のオンパレードでびっくり。

 ・存在証明するため実名を決意 性暴力でカトリック修道会提訴の女性

 ・長老から性行為の数、日時まで聞かれ エホバ元2世「異常としか」

 ・聖路加牧師の性暴力「加害側支持する声明で二次被害」 女性が提訴

 前に書いたことがあると思うが、宗教は深く人間本性に関わっているので、必然的に性と向き合うことになるから、一歩誤るとこういうことにもなる。

 しかし、逆に以下のような例もあって、ますます問題は混沌としてくる。関西の有名大学の名誉教授をセクハラで女子院生が訴えた。大学はどうやらろくな調査もせずに、名誉教授からその称号を剥奪した。元名誉教授は大学を名誉毀損で提訴し、裁判所はセクハラの程度は軽微だったとして、大学の敗訴を判決し、大学に賠償金を課した。その後の情報はググっても見当たらないが、女子院生の訴えは偽証だったのだろうか。また、大学は控訴したのだろうか。元名誉教授に名誉教授称号が再交付されたのであろうか・・・。

 そうこうしている間に、元名誉教授は判決の六年後に死亡したらしい。

 この問題をググっているうちに偶然、私にとって超有名な9歳年上のアメリカ人研究者が6年前にセクハラ訴訟の和解で職場を追われていたという情報が転がり込んできた。これはウィキペディアにも載っているので、自戒を込めてアップしておく。https://en.wikipedia.org/wiki/William_V._Harris

 彼はどうやら常習者だったようだ。現在大学教授になっている昔の女性の教え子たちがかつて大学に訴えても、大学は無視してきたらしい。

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なぜキリスト教は世界伝播しえたのか

  最近改めて思うのは、すべては仮説、ということ。巷間ではいかにも定説視されているが、その実態は都市伝説化した物語にすぎないわけで。まあこんなことはフィクションを旨とする小説や脚本の世界では常識かもしれないが、実証に基づいているはずの学界で忘れ去られている場合がままあるように思える。

 以下のブログを偶然見つけた。

 濱田篤郎・東京医科大学特任教授が「感染症は歴史を動かす」の中で、「キリスト教が世界的飛躍を遂げたのはなぜか:背景にハンセン病と奇跡の“秘薬 ”」を書き込んでいる。   https://mainichi.jp/premier/health/articles/20240122/med/00m/100/005000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhealth&utm_content=20240127  

 庶民の悩みの大半は健康でないことに起因しているので、宗教と病はたしかに密接に関連している。  ただ、新旧約聖書では「レプラ」lepra と書いてあるが、これは当時重篤な皮膚病を幅広く表現していて、現代的な「ハンセン病」に限定されるものではなかった、という解釈が聖書学者では一般的となっている。  

 とはいうものの、不治の病をイエスは奇跡的に治癒できた、だから彼は神の子なのだ、というのが新約聖書の書き手にとって一番言いたかったことなので、読者はおのずと癩病と短絡的に限定的に解釈するのが普通だったのも事実だろう。  

 ブログに書かれているようなナルドなどの特殊な香油で治癒できたレベルは実際に生じたはずだが、しかしだからキリスト教が世界宗教になったのだ、というのは論理の飛躍がありすぎる。西欧世界が地球上の世界制覇を成し遂げたがゆえに、その裏打ち宗教としてキリスト教が世界宗教となり得たというのがまっとうな考えではなかろうか。同じことはムスリムにも言えるはずだ。

 たとえば、同様に米国の圧倒的影響下にある韓国・台湾・日本ではあるが、人口の半分がキリスト教徒となっている韓国に比べ、台湾と日本でのそれはごく限定的である。日本では新旧併せて人口の1%程度の110万人、台湾では4%の55万人程度に留まっている。それは駐留米軍への軍事的依存度の違いのように私には思える。そして、敗戦後に宗旨替えしてそれなりの信者を獲得した日本のキリスト教もいよいよ二世・三世信者に移行する時期に遭遇し真価が問われ出したところで、新コロナ騒ぎに遭遇したわけで、その影響が今後どう波及するか、私は密かに注目している。

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ローマ軍士官用の腕当てmanica 復元される

http://www.thehistoryblog.com/archives/date/2024/01/22

 1840年の鉄道建設中にイギリスのスコットランド国境付近のトリモンティウム Trimontium のローマ砦遺跡が発見され、1905-1910年の調査で出土していたロリカ・セグメンタ lorica segmenta 式の真鍮製の armguard がこのたび修復されて、大英博物館でのお披露目のあとスコットランド国立博物館で常設展示される。

 トリモンティウム(八ヶ岳ならぬ三ヶ岳)は現在名 Newstead で、後80年代に川に接続する高台に建設された。これはハドリアヌスの長城とアントニヌス・ピウスの長城の中間点の戦略地点に位置し、ハドリアヌス長城にとっては突出した最重要な前線基地であり、アントニヌス・ピウスの長城にとっては兵站補給基地として機能していた。規模も大きく、他の砦の3倍はあり、常備軍は多数の騎兵を含めて1000名、商人その他の民間人は2〜3千人と想定されている。甲冑遺物は発掘時の状況から180年に砦が放棄された時に甲冑の修理工房に残されたものと想像された。

 100程の断片から復元されたのだが、一般軍団兵の鎧は鉄製だったが、真鍮製のアームガードは、新品の時は金のように輝いていたはずで(現況は緑色に錆びている)、高位の将校のものだったに違いない。ガード部分は肩から手首までで、機能的に二分割されていて、楯で防御される左手は下半分がない場合もあった(下写真左側参照)。

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