お盆前後に広島に帰省していたが、大雨に襲われた千葉なんかと比べ、雨は一滴も降らず、原爆忌同様のカンカン照り、そんな感じだった。そんなとき、ドナウ川が干上がって、色んなものが水面上に表れたという情報が流れたのだが、なぜかWiFiの調子が今一で即応することは出来なかった。データだけを保存して帰京してまとめたのが以下である。
猛烈な熱波の影響で欧州10か国を流れるドナウ川の水位が大幅に下がり、川底からマンモスの骨や沈没船が見つかった。欧州メディアは「熱波がもたらした意外な発見」と伝えている。
1.マンモスの骨:ブルガリア北部 https://news.yahoo.co.jp/articles/9738a889bc9ac53d462b956b6e61ba340ea18293/images/000

クロアチアの地元メディアは7月下旬、東部を流れるドナウ川に沈んでいた船が姿を現したと伝えた。1937年に航行中の事故で沈没したハンガリーの貨物船とみられ、地元市長は「川の遺物を記録する絶好の機会だ」と語る。
ハンガリー首都ブダペスト周辺では、第二次世界大戦中のドイツ軍のオートバイも見つかった。欧州では依然として厳しい熱波が続き、ドナウ川の水位がさらに下がる可能性が指摘されている。
2. ナチス軍の軍船20隻余り:http://b.hatena.ne.jp/entry/https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/26/081700456/
これらの船は、1944年9月にナチス・ドイツがセルビアのプラホボ港付近で自沈させた約200隻からなる船団の一部だ。ソ連軍の進軍を阻止するため、船はプラホボの航路を横切るように沈められた。

3.川底から突如現れた“全長2キロ超の橋”の遺構:ブルガリア北部のギゲン村付近で、コンスタンティヌス橋の基礎部分が確認


この橋は、ローマ皇帝コンスタンティウス1世(大帝)の時代に建造され、西暦328年7月5日に開通したと伝えられたもの。ブルガリア側の古代都市ウルピア・オエスクスと、現在のルーマニアに位置するスキダヴァを結んでいた。 その規模は驚くべきもので、全長は約2.5キロメートル、幅は約6メートル。水面から橋を支える部分の高さは約10メートルに達したとされ、古代に造られた橋としては世界でも有数の長さを誇った。基礎には四角く加工した石材やレンガが使われ、その上に川を渡るための木造部分が築かれていた。
今回の調査では、水に強い「水硬性コンクリート」やローマ帝国時代のタイルを使った石積みも確認されている。プレヴェン地方歴史博物館のヴォロディア・ポポフ館長によると、当時のローマ軍には軍事施設や道路、橋などを建設する専門の工兵部隊があり、高度な土木技術を持っていた。巨大なドナウ川を横断する橋も、そうしたローマ帝国の技術力を背景に造られた。一方、この橋は軍事目的だけのものではなかったようで、市民の移動や交易、行政にも使われ、橋には関所も設けられていた。ドナウ川を挟む地域を結ぶ、いわば古代の重要インフラだった。
これほどの大工事で造られたコンスタンティヌス橋だが、その役割は長く続かなかった。 4世紀後半になると、ローマ帝国の北方国境は周辺勢力による侵入が相次ぐようになる。便利な橋を残しておけば、逆に敵がドナウ川を渡って帝国内へ進む経路として利用する恐れがあった。そのため、橋の木造部分は焼かれたとされ、巨大橋は建設から数十年ほどで使われなくなった。その後、遺構は長い年月をかけて水流や自然の力に削られ、現在では川底に基礎などが残るのみとなった。ただ残存部分は現在も水面下約70センチにあり、水上から肉眼で確認するのは困難。正確な位置を把握したうえでドローンから見ることで、その姿がようやく分かるという。
今回撮影された写真やデータは今後、詳しく分析される予定。橋脚の構造を調べることで、これまで研究者が抱えてきた疑問を解く手がかりも得られると期待されている。1700年近く前、人々や物資が行き交ったドナウ川の巨大橋。猛暑と水位低下という現代の異常な状況が、はるか昔のローマ帝国の技術を改めて知る機会をもたらした。
Sekularac, Ivana. “Low Danube water levels in Bulgaria expose Roman-era bridge”. Reuters. Reuters. Retrieved 6 August2026.
【付録】皇帝「ネロの橋」が出現 水位低下が著しい首都のティベレ川
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa5d7603e60573270e81671f07590b3b6f7cd5ec/images/000


ローマ(CNN) 焼けるような暑さと長く乾燥した夏にあえぐイタリアで、川の水位低下により2000年前の橋の遺構が姿を現した。「ネロの橋」と呼ばれるこの橋はかつて、首都ローマ中心部を流れるティベレ川に架かっていた。
ローマ市民保護当局の調整官によると、アペニン山脈北部の支流から注ぐティベレ川の流量は、毎秒80立方メートルを下回っている。毎秒80立方メートルというのは、この時期の全国平均の半分に当たる。
調整官はAP通信の取材に、「我々は深刻な水危機に直面している。冬にかなりの降雨があったものの、乾燥した期間が長引いたことも危機の一因だ」 と語った。
https://www.cnn.co.jp/fringe/35251573.html
【これはしかし毎年夏になると普通にみることができるので、本年の渇水だからというわけではないし、西側にもそれらしき遺構が藻にまとわれて見ることできる】

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