某市立大学の准教授の学会発表が教え子の卒論と類似

中国新聞 2026/10/21:https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/912723?utm_source=mail&utm_medium=letter_asa&utm_campaign=letter_asa

 こういう件が遡上に上がると、部外者にとって「教員がけしからん」と当然のことと思われるだろうが、大昔、10年ほど短大の幼児教育学科で卒業研究にも関わった身からすると、ちょっと微妙なのである。

 指導教員のアドバイスのもと、学生が保育現場にアンケート用紙を送付して調査する(データー数は多ければ多いほどいい、少なくとも50はほしい)、その集計結果を統計学的に優位差検定して、何らかの結論を導き出す。このやり方は私も多用した記憶がある。ついでに言うと、私はここで統計学上の「有意差検定」が必要なことを初めて学んだのだ:例えば、3例対1例の場合、だから安直に3例に軍配をあげるのは統計学上間違っている、ということを含めていて、私のような古代史でサンプル数が少ないのが常態的な場合、表面的な数字の過多では決着がつかないわけで(専門家の同僚に聞いた所、データ数が少ない場合は研究者の経験値のほうが重要となる、そうだ)、以来数字を扱った論文をみる場合、有意差検定を経ているのかどうかが気になるようになった。文学部ではこんなこと普通学ばないので、それだけでも幼児教育学科に所属していてよかったと思っている。

 さて今の場合、それが学生の卒業研究になるのは当然として、指導教員も同様の問題意識をもっていれば、その調査結果を自分の発表に加えて触れることは有り得るのでは、と私は考えざるをえないのだ。そもそも学生にそういう調査を勧めたのも、教員がそのテーマに関心をもっているからであって、たださすがにデータがそれのみであれば盗作と言われてもしかたないだろうが、発表データの一部だったら有りかもしれないな、とか、共同研究の体裁だったらセーフかなと。こうしてデータの出所を明示しておけば問題はないように思うのだが、テーマへの親近性ゆえにその手続きをつい疎かにしてしまった場合もなきにしもあらず、かも、とつい連想してしまうのである。

 私の主戦場は幼児教育ではなかったので、そんなことは私の場合幸いにも起こらなかったが、しかし、圧倒的に横文字に依存しての我らの「研究」は、ともすると横を縦にしての「紹介史学」になりがちなことを思えば、自分は本当に「研究」しているのだろうか、あれこれ横文字の元論文をいじくってケチつけたりして、研究している振りしているだけではないか、と時折顧みざるを得ないのである。

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