被爆神父の回顧録

 遅ればせながら、以下の本を古本で入手した。私が広島にいたとき、小教区司祭だった彼を知っていたこともあり、周知の地名や知人も登場していたせいか、一気に読めた。

 長谷川儀『八月六日の朝、ぼくは十四歳だった』女子パウロ会、2010年。

 彼の名前は「ただし」と読む。上掲の写真の玉野教会時代や呉教会のはまだまだ私の記憶にある師の姿のまんまであるが、後出のYouTubeの晩年の表情はだいぶ違っていて驚いた。彼は、瀕死の重傷でイエズス会長束修練院長アルペ神父の治療を受け、副院長ドイツ人ネーベル(帰化名・岡崎祐次郎)神父から臨終の緊急洗礼を受けるも、奇跡的に一命をとりとめ一家で受洗、紆余曲折あって20年後に広島教区司祭になる。今回初めて、最後に岡山の玉野教会主任司祭をされていたこと、2012年広島日赤の原爆病院で81歳で帰天されていたことを知った。

 今回ぐぐっていて、「電子顕微鏡日記」なるブログに彼の晩年の画像と肉声が残っているのを知った(https://minkara.carview.co.jp/userid/458567/blog/27748643/)。しかしこのブログもすでに昨年12月で書き込みが途絶えていて、先行き不透明なので、このまま情報が消え去るのは惜しいので、承諾連絡しようもないままにあえて無断転載する(方法判明すればご連絡します)。

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2012年09月15日

 長谷川儀(はせがわただし)神父帰天 

父の友人であり、若き日の父や祖母、祖父の様子を教えてくださったカトリック広島司教館付の長谷川儀神父が9月13日に帰天されました。心からお悔やみを申し上げます。

写真は父の没後1週間、2002年5月1日に当時主任司祭をされていたカトリック呉教会におうかがいした際、撮影したものです。

以下、情報サイトの転載です。

投稿者: yamaguchi 投稿日時: 2012-09-15 09:07:43 (75 ヒット)


 訃  報

広島教区司祭 パウロ・フランシスコ・アシジ 長谷川 儀神父が、9月13日(木)午前6:07、
広島日赤・原爆病院にて帰天いたしました。享年81歳でした。どうぞ長谷川神父のためにお祈り
ください。通夜・葬儀ミサは、下記の通り行われます。

通夜 9月14日(金) 午後  6:00
葬儀ミサ 9月15日(土) 午前 11:00

広島教区司教座聖堂 (幟町カトリック教会) 
●故人の遺志によりお花料はお断りいたします   
喪主 広島司教区 司教総代理 斎藤真仁神父

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パウロ・フランシスコ・アシジ 長谷川 儀(はせがわ ただし)

1931年 7月19日  広島生まれ
1945年   摂理的出会いから8月11日より敗戦の玉音放送の15日迄、イエズス会アルペ修道院長より直接原爆による火傷の治療を受ける
11月30日  イエズス会ネーベル副院長より避難先にて緊急洗礼を授けられる
1965年 3月18日  福岡サンスルピス大神学校聖堂にて、マレラ枢機卿より“私は核兵器に殺されるよりも、核兵器に反対して殺されるほうを選ぶ”心で司祭に挙げられる  
 叙階後、幟町教会、呉教会、観音町教会、三篠教会、尾道教会、向原教会、玉野教会、廿日市教会を歴任
2010年 ~  司教館付
2012年 9月13日  摂理のうちに全てをおん父のみ手におゆだねし、永眠

2012年9月13日
広島司教区本部事務局

*略歴以下は長谷川神父が生前、準備されていたもの*

カトリック広島教区情報サイトに気付くのが遅れて、葬儀に参列することはできませんでしたが、明日、カトリック幟町教会でお祈りしたいと思っています。

以下、長谷川神父の被爆証言のYou Tube動画です。

これらのお話の一部は昨年8月5日、カトリック教会の平和行事でうかがうことができました。
第5話後半のお話は、この動画ではじめて聞きました。今年8月5日は第5話前半の続きをお話される予定でしたが、中止になってしまいました。ご冥福をお祈りします。

関連情報URL : http://www.hiroshima-diocese.net/modules/bulletin/article.php?storyid=175

【付記】「カトリック広島教区情報サイト」にも行ってみたら、2023/10/8に、これも懐かしい深掘升治神父がラサール神父がらみで自らの召命について講演をされていたようだ(https://www.hiroshima-diocese.net/2023/09/08/post-2904/)。彼も今年86歳。そこにあった写真に昔の面影はないような。そうだよな、私が20代で広島教区をうろうろしていたのはもう4、50年も昔のことだ。彼が2014年に被爆体験を証言しているのもみつけた(https://www.hiroshima-diocese.net/page-2792/page-1691/)。また2006年の早副穣神父のも(https://www.hiroshima-diocese.net/page-2792/page-1696/)。彼は2013/11に87歳で帰天。

 

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