古代ローマの感染症:(3)疫病と人種差別

 私はいい時代に長期滞在していたのだろう、イタリアで表だって東洋人として差別された記憶はない。コンドッティ通りで日本人どもが行列して買い物に狂奔し呆れられていた時代。私もひったくり(ターラント)やスリ(ローマ)、パスポート泥棒(ナポリ)に遭ったことはあるが、これは旅行者=金持ちと見られての被害だから、むしろ光栄だったのだ(と思っている)。まだもっぱら貧民層の中国人流入時代であり(このころ流入チネーゼは貧相な衣服なので一見して判別できた。今はそれができない。むしろニコンD3あたりをフル装備でこれ見よがしにぶら下げていて、私は羨望の眼でみたものだった)、韓国人も目立たなかった。30年前に目についた最底辺労働者は、北アフリカ人(チュニジア、モロッコ)やフィリピン人だった。そう黒人もいたが、彼らは悪いことせずもっぱら路上行商だったなあ。バングラデシュ人が多くなったのは20年前あたりからだったか。

 どこかでしゃべったり書いた記憶があるが、30年前に、アヴェンティヌス丘のサン・サビーナ教会を見学したあと、テヴェレ川を見下ろす見晴台から夕暮れなずむサン・ピエトロ方面を眺めていたら、聞き慣れない女性たちのお喋りが背後から聞こえてきた。そちらを見ると、数台の乳母車を連ねて、ベンチに座ってタガログ語でてんでに喋っている数名のフィリピンさんたち。乳母車の中はイタリア人の赤ちゃん。そうか、ローマでイタリア人の赤ん坊を育てているのは、安い賃金で雇用されているフィリピン女性なんだ、しかしタガログ語聞いてどんなローマ人に育つのやらと思って、ふとひらめいたのは、そうだ! 古代ローマ人を育てていたのは奴隷女だったのだ! ということだった。今も昔も異民族労働を享受して少しも動じないのが富裕層のイタリア人、というわけ。そういえば思い出したが、街を歩いているイタリア人老女の手を取って散歩させているのも一見して分かる多くがフィリピン人女性で、これは数年前私の母がヘルパーさんの世話になるようになって、だいたいは同朋女性だったが、東京練馬区でちょっとたどたどしい日本語の女性もいたりして、なるほどなと納得した次第。

 それほどにイタリア人の日常生活に溶け込んでいても、しかし異常事態になると、誰もが疑心暗鬼になる。こうして疫病流行時には、当然のようにフン族、蒙古人以来の黄禍思想が頭をもたげてくる。これが震源地がアメリカだったらどうなるだろう。アメリカ発祥なのに未だ「スペイン風邪」と表現して居直っている厚かましい彼らのことだ(スペインは抗議しないのだろうか)。どうしたっていずれかの劣等民族になすりつけるに違いない。

 「コロナショック 差別の“感染力”ウイルス以上:イタリアで、米国で 噴出するアジア人蔑視」:https://mainichi.jp/articles/20200323/dde/012/040/019000c?cx_fm=maildigital&cx_ml=article

 それで思い出した。サース騒ぎの2003年の夏に、南イタリア・ポッツオリの西のアヴェルヌス湖完全一巡の最終段階で、爆走してすれ違った車の中から何か叫ぶ声がした。ここの名物の温泉に入りたいなあと、そっちに気を取られていた私には聞き取れなかったが、同行の女子留学生から「サース」と言っていたとご報告が。このあと、アグリッパの隠し海軍基地で有名なルクリーノ湖の駅のジェラート屋に行った彼女が憮然とした顔で帰ってきて言うには、販売の兄ちゃんに「何いるの、サースちゃん」と言われた由。まあこんなもんです。彼らには中国人も日本人も区別できない。

 この2月に私が地下鉄の豊島園駅に向かっていて体験したことだが、マンションから出て車道横の二人並ぶのがせいぜいの狭い歩道を歩いていたとき、なぜか咳き込んでしまった(ちなみに私はマスクをしてました:花粉症なんで)。と、向こうから歩いてきていた若い同朋3名の男性がぎょっとして立ち止まり、塀と車道に身を寄せて、私の目の前には悠々すれ違える空間ができたのであ〜る。こりゃいいや、今度満員の地下鉄の優先席の前でやってみよう、厚かましい若いあんちゃんやねえちゃん、慌てて逃げて、座れるぞ、という着想が湧いたのは言うまでもない。

 しかし、あれもこれもまだ最初だからのような気がする。これ、黒死病みたいに蔓延してきたらどうなるだろう。たぶんそれどころではなくなるのでは。いや、かつてのユダヤ人のように、それ以前に東洋人は撲滅されちゃうのだろうか。

 だけど、と思う。たとえ同朋の中でさえも、日常的に学校でいじめがあり、福島原発被災者への心ないいじめもある。忘れっぽい日本人のこと、私は原爆二世だが、一世の時代には疫病扱いであり、結婚差別・就職差別もあったのだっ。もちろん部落差別も。今の若い人は知らないかもしれないが、沖縄差別もあった。欧米人をあげつらう前に、自分たち自身を見直せ!といいたい。というか想定内。

 ということで、166年の疫病の蔓延の時、地中海世界でどんな人種差別が生じていたのか、気になりだしている。瞥見の限りそれに触れた論文はないようだが、実際には絶対あったはずだ。これも研究者の怠慢。

【追記】あちこちでの差別行動が流れ出している。人間とは、どう言いつくろおうが、根底的に同じ人間を差別して一向に恥じないどう猛で、同時に哀れな動物なのである。https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60192?pd=all;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60204?pd=all;https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60184?pd=all;https://mainichi.jp/articles/20200417/k00/00m/040/323000c?cx_testId=81&cx_testVariant=cx_2&cx_artPos=0&cx_type=trend&pid=14613

 最後のなんか、日本での日本人への仕打ちです。私も故郷にコロナ疎開したら、どうなることやら。ま、自衛はしないといけないだろうけど。

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