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最近のクリスチャン・トゥデイ:牧師を辞めた理由

https://www.christiantoday.co.jp/articles/35072/20250822/reasons-former-pastors-exit-their-ministry.htm

 アメリカでの元牧師730人を対象にオンラインでの調査結果。

 回答者の40%が「召命の変化」、

 18%が「教会内の対立」、

 16%が「燃え尽き症候群」、

他には、「家庭の問題」(10%)、「個人的な財政事情」(10%)、「病気」(6%)、「教会との相性不一致」(6%)、「教団の問題」(4%)、「新型コロナウイルスのロックダウンによる教会閉鎖」(3%)など。

 ただし、別の調査(英語)によると、牧師の離職率は、プロテスタント全体で1・1%とかなり低く、牧師を辞める人が多いわけではない由。

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性被害:禅宗でもご同様なようで

 最近めったに外出しないせいか、たまたま下校時に駅などで女子生徒に遭遇すると、彼女たちのナマ足に思わず目が吸い付けられてしまうことがある。これはもう、オスとしての動物的本能の自然の反応のように思うのだが・・・。私はこの夏に満で齡78になったのだが、以下の話題でつい想起したのが久米の仙人の故事であった。

「「手が下半身に…」曹洞宗大本山永平寺の修行僧が合宿中の女子高生20人にワイセツ・性加害…寺側は「真に恥ずかしく申し訳ない」」https://shueisha.online/articles/-/254892?utm_campaign=shueishaonline_mail_20250822.1&utm_content=text&utm_medium=email&utm_source=shueishaonline_mail

 これした若い修行僧、本山を放逐されたようだが、こんなこと書くと叩かれる御時世ではあるが、敢えて言う。被害者たちの尻さわった程度らしいのが、なんだか哀れである。そしてつい思う。彼だけではあるまいに、マスコミ・ネタになっちゃってと。それにしても20名に触ったなどと本当だろうか。

 ところで、久米仙人の話の救いは、単なる人間になって東大寺建立の夫役に従事していたとき一念発起して、たった一週間の修行で再び神通力を獲得して建設資材の移動に貢献した、という後日談が付け加えられていることだ。敗者復活が容認されているのはいいことだ。

【閑話休題】久米寺というのが奈良にあるというので、ググってみたら、オイオイ、奈良旅行で歩いたことのある飛鳥寺から西の橿原神宮前駅のそばではないか。次の機会あれば「煩悩よ、去れ」とばかりにお参りせねばなるまい。

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本年8月中旬帰郷での私や器具の劣化状況

 十日間ほど墓参をかねて、いやむしろ草取りのため帰省していた。出発も帰着も昼間だったのでやたらの猛暑で辟易したが、広島の明け方はすでになんとなくひんやりとして、さりげなく秋の気配を感じさせてくれていた。でもって、草取りは昼日中だとすぐに一息つかないとダメなのに、日の出前の早朝だと平気なのは、空気がらみなんだろうか。

 玄関前の花壇が、植えたように雑草が同じ高さで茂っていたのが、これまで見たことなく奇妙だった。しかも引っ張ると面白いようにごっそり取れるのである。

 練馬とはいえ東京ではなぜか空を見上げる気も起こらないわけで、広島ではスッキリ青い空をなぜか見上げて、おっとりした時間の経過を感じることができた。これが田舎のいいところなのだろう。

 だが、西広島駅で広島駅に向かって列車に乗るといやおうなく留守の実家の安全が気になってくるのも、いつものこととはいえ、築40年超えなので、漏電とか気になってしまうのである。

 今回の帰省で、最初実家にたどり着いたとき、ウォシュレット・トイレ便座の留守中には抜いてあったコンセントを入れたら、その直後からイカを焼いたような腐ったような強烈な臭いが感知されて、ギョッとした。その直前までは芳香剤の香りだったのに。連休明けに業者にも来てもらったが、そのころは臭いも抜けていたせいか、別段のことなしとなったが、電源入れたときにショートしたのだろうか。銅線コードのビニールが焼けたような臭いといえばそんな気もするが、そういう形跡も見当たらなかったので未だもって不可解である。ときあたかも、練馬の自宅マンションのトイレが水漏れしたとかで、嫁さんから修理に30万かかると連絡あった。そっちは20数年で、こっちは40数年の年代物。もちろん今回も帰京するときコンセントを抜いたし、いつものように電源盤で可能なかぎりオフにしておいた(冷蔵庫があるので一階電源だけは切れない)。

 テレビは線状洪水帯とか集中豪雨の報道の同じ内容の繰り返しでうるさかったが、我が実家はさしたることなく、ちょっと雨が降ったくらいで、いつもながら大袈裟な報道であった。どういう根拠か知らないが、雨も降っていない西区に大雨警報・雷注意報なんてお笑いぐさだ。もっとピンポイントの有効な予報でなきゃ、誰も信用しないだろうに。まあ草むしりにはいいお湿りだったというべきか。

 あと、いつも東京から持参していた携帯WiFiの調子が悪く、一日後にはメールの画面も白紙となって使えない。これも何が原因なのか不明である。WiFi入れるとすぐに電源が空になるので、バッテリーの劣化だろうか。でもつなぎっぱなしにしてそれなのである。私にはありとあらゆる事が劣化に思える今日この頃。

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ウクライナ戦争決着? トランプ、それでノーベル平和賞?

 吞気な我がマスコミはまだ周辺をうろうろやっているが(ないし、うろうろしてみせているが:例えばもこんな調子:https://wedge.ismedia.jp/articles/-/38638?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20250821)、アラスカ会議でもう既にウクライナ戦争は露側の勝利で決したとの観測が出ている。

https://tanakanews.com/250819ukrain.htm

 書き手の田中宇はかなりの曲者的論拠を開示する人物だが、さて今後の推移はどうなっていくだろう。彼のいいところは自分の分析の誤りを糊塗せずに正直に訂正してみせるところだ。その技で先見の明を誇っているともいえるのだが。

 国際政治は世人の意表をつく場面が時々ある。ニクソンの対中政策の転換などそうだ。我が祖国はいつでも後追いばかりで、外交的分析においてはるかに遅れを取ってばかりだ。民族的宿痾というべき希望的観測で判断を誤るのであるから、我が国の外交官には先見の明など鼻っからないと責任転嫁してばかりではいけないだろう。インテリジェンス欠如というか語学コンプレックスの裏返しの分析能力欠如なのだから。

 さて、今回がそういう事態なのか、どうか興味津々。

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第二次世界大戦中にドイツ国防軍大尉が盗んだモザイク画、ポンペイに返還

2025年7月15日

 ローマ時代のエロティックなテーマを描いたトラバーチンの板に描かれたモザイク画が、第二次世界大戦中にドイツ将校によって盗まれた後、火曜日にポンペイ遺跡公園に返還された。このモザイク画には、裸の恋人たちが描かれている。男性はベッドかソファに寄りかかり、女性は鑑賞者に背を向けて立っている。

このモザイクは、オプス・ベルミキュラートゥム opus vermiculatum 技法で制作されている。これは、小さなテッセラを波打つ線で敷き詰めたモザイクで(ヴェルミキュラートゥムは「虫のような」という意味)、このタイプのモザイクは、床モザイクで、主にエンブレマタ emblemata と呼ばれる最も精巧な細工が施されたパネルに用いられた。それは、オプス・テッセラトゥム opus tessellatum 技法でより大きなテッセラを用いて描かれた、精巧で幾何学的な花のモチーフで囲まれているのが通常だった。

 このモザイク画は、最後の所有者である故ドイツ市民の相続人から返還された後、ドイツのシュトゥットガルトにあるイタリア領事館の手配で、外交ルートを通じてドイツから返還された。所有者は、戦時中イタリアで軍需品供給部に配属されていたドイツ国防軍大尉から、このモザイク画を贈られていた由。

 専門家によると、このモザイク画は紀元前2世紀から紀元1世紀にかけて制作された。ポンペイ考古学公園は、このモザイク画は寝室 cubiculae を飾っていた可能性があると発表した。【そう、古代ローマの邸宅では、夫婦の寝室の壁にこの手の絵画がよくあるのである。見やすいところではローマのマッシモ宮殿最上階のD室だっけには、最初は恥じらっていた(そう装っていた?)新婚を経ての女性のマトローナ的な性的成長?らしきものが見てとれるのであ〜る】

 ドイツから返還された恋人たちの姿を描いたローマ時代のモザイク画が、2025年7月15日(火)、ポンペイ遺跡公園の講堂で報道陣に公開された。「家庭愛というテーマが芸術の主題です」と、ポンペイ遺跡公園長で、返還作品に関するエッセイの共著者ガブリエル・ツフトリーゲル Gabriel Zuchtriegel氏は述べた。「紀元前4世紀から1世紀にかけてのヘレニズム時代は、神話や英雄たちの情熱を称えていましたが、今、私たちは新たなテーマを目にしています。」

 ドイツの最後の所有者の相続人たちは、調査を担当していたローマの文化遺産保護機関カラビニエリに連絡を取り、モザイク画をイタリア政府に返還する方法について情報を求めた。当局はモザイクの真贋と由来を確定するために必要な調査を行い、2023年9月に返還に向けて作業を進めた。カラビニエリによると、ポンペイ考古学公園との協力も重要な役割を果たした。発見時の状況に関するデータが不足していたにもかかわらず、ベスビオ火山付近まで遡ることができた。その後、パネルはポンペイ考古学公園に移送され、適切な目録が作成された後、保護され、教育および研究目的で利用されることになる。写真はガラスカバーで覆われたタイルの展示の様子。集まった人々は、このタイルを鑑賞し、写真を撮ることができた。

2025年7月15日(火)、イタリアのポンペイ遺跡公園で、修復作業員らがドイツから返還された恋人たちのローマ時代のモザイク画を展示した。

 「今日の返還は、開いた傷を癒すようなものです」とツフトリーゲル氏は述べ、所有者の相続人による返還が「(盗まれた美術品の)所有感が重荷になる」という「精神」の重要な変化を示していることを強調した。「ポンペイの遺物を持ち帰るために、たった一つの石を盗んだかもしれない人々から、多くの手紙が届くのを見れば、そのことがよく分かります」とツフトリーゲル氏は述べた。ポンペイ考古学公園がソーシャルメディアに投稿した写真には、モザイクが警察に引き渡され、その後展示される様子が写っている。ツフトリーゲル氏は、ポンペイで遺物を盗んだ者に降りかかるとされる、いわゆる「ポンペイの呪い」について言及した。世界的に有名なこの伝説は、古代都市ポンペイから出土品を盗んだ者は不運や不幸に見舞われるとされている。長年にわたり、盗まれた品々が不運をもたらし、悲劇的な出来事を引き起こしたと主張して返却する観光客が増えていることから、この伝説はますます広まっている。

【私見では、軍人が盗んだというよりは、盗品を購入したというべきではなかろうか。だからといって免罪されるわけではないが】

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石破降ろしの茶番

 なんとも奇妙であるが、本人が辞めると言っていない(という)のに、新聞が辞任報道をして号外まで配った今回の茶番の背後には何があったのか(しかも今に至るまで誤報でしたと言わないのにはあきれ果てる)、それをなかなか説得的に述べている論説を見つけた。

 2025/7/30の「高野孟のTHE JOURNAL」:「安倍政治の亡霊」を断ち切る覚悟。今さら“怖いもの”なしの石破茂が右派との最終戦争の末「戦後80年談話」で堂々と遂げる“戦死”(https://www.mag2.com/p/news/651749)。

 旧安倍派の残党で暗躍が見え隠れしている「裏金問題」の5人組だっけの旧態以前の言動を目にするにつけ、「消えろ!」と言いたくなる私がいる。

【続報】2025/8/28 のインターネットに以下が掲載された。「読売新聞が死んだ日:経済誌元編集長が憂う「ジャーナリズムの未来を語る資格はない」あの”誤報”はいったい何だったのか」:https://shueisha.online/articles/-/254918?disp=paging&page=1

 どうやら週刊文春8/20号に、誤報の後始末で読売新聞社の社長が、社会の木鐸に相応しくない不明朗な動きで事態を収拾しようとした、と報道したかららしい。検証報道の基本を押さえず誤報を出し(首相本人に確かめてもいない)、挙げ句、未だ誤報と認めないという精神構造は、確かに社会の公器としての信頼性を著しく損なっていると言わざるをえない。記者も社長もXやFacebookなどのSNSの軽い乗りで記事書いたり事態収拾に動いているように思えて仕方がない。こういうトランプ的な言った者勝ちの風潮の蔓延は問題である。

【追記】8/30に「読売新聞誤報「記者の思い込み」捜査対象取り違え 編集役員ら処分へ」(https://news.yahoo.co.jp/articles/ef964b67768d075b9ccc68a11df1f2cf5d0b29e1)とYahoo記事のタイトルにあったので、おおやっと改心したのか(するわけないが)と思いきや、別の件だった。政局がらみの件はほおっかむりを決め込むわけだ。

【続報】

◎9/3「狂乱の日経と読売、腹をくくった『サンデー毎日』。“石破おろし”をめぐって真っ二つに割れるマスメディアの暴論正論」https://www.mag2.com/p/news/654872#google_vignette

◎9/5「なぜ読売新聞は“世紀の大誤報”を連発したのか?元全国紙社会部記者が暴露する「業界の悪しき伝統文化」」https://www.mag2.com/p/news/655012

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トイレ研究のよすがに:トイレ最中

 NHK総合の「有吉のお金発見!突撃カネオくん」の「ご当地銘菓2」を見ていたら、私には見逃せない「もなか」が出てきたので、さっそくウェブで発注。

 届いた「もなか」のパッケージが「トイレのさいちゅう」とすでに言葉遊びになっている。

 これは愛知県常滑の地元餅屋「大蔵餅」が常滑にあるLIXILと提携して開発したもの。今年7/7の新発売らしい。常滑にはリキシル・INAXの立派なトイレ博物館があって、私も一昔前卒論で古代ローマのトイレを扱う学生と見学に訪れたことがある。その時は福岡にも足を伸ばしてTOTOの博物館にもいったが、そっちのほうはなんだか従業員の寮を再利用した感じで、その当時は常滑の設備・展示の方が圧倒的だった。

 とりあえず、発注したのは4コ入りのもの。さっそく試食したが、「もなか」にしては皮の造りが若干ぶ厚くしっかりしていて、あんこと送料込みで2980円。まあ一個あたり700円と決して安くはない。味とかはごく普通で、奇抜な一発芸的な楽しみ方をするしかない。私は読書会のメンバー用にさっそく8個入りを追加発注したが、5000円近くなることもあり、そのあともう注文はしないだろう。

【追伸】妻に食べてみてと勧めたのだが、「そんなのいやよ」と言われてしまった。平気で食べる私が人でなしといわんばかりの勢いだった。単なる「もなか」じゃないかと思う私がおかしいのだろうか。読書会のメンバーは女性ばかり。う〜んどんな反応するのだろうか。

【追伸2】あれからすぐに発売元に8個入りを発注したのであるが、8月末日の今に至るまでなんの返答もない・・・。ま、勢いで発注したので腹も立たないわけだが、念のため先日検索したら、なんとあの最中が、ふるさと納税(12000円)の対象品となっていた。納税すると確実に送られてくるはずで、さてどうしようと迷ってます。

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一般信徒の本音:教会の戦争責任と信者

 ちょっと子細あって以下の本をペラペラ読みした。戦争責任に特化した内容ではないが、カトリックの一信徒で、「日本カトリック正義と平和協議会」で社会問題に関わった人が書いた本である。

 木邨健三『このままでいいのか:ともに考える人権』サンパウロ、2007年。

 私より20年先輩だから、たぶんもう逝去されていると思う。

 こういう問題は、立場が違うと論が永遠にすれ違ってしまうので、非生産的で私は好きではないが、両論、否、各論並記して見比べるにしかずである。だが今回著者がこう書いていたことに私は引きつけられた。

 p.14:当時の「公教要理」では、カトリック以外の宗教を否定していました。今の教えとは天と地ほどの相違があったんです。神仏を拝んではいけない、たとえ自分の親兄弟姉妹が亡くなった場合でも、カトリック以外の葬儀には行ってはいけない・・・といった厳しい解釈をしていました。ですから、この解釈に忠実だった信徒が、神社参拝拒否事件を起こしたわけです。

 最後の一文にはちょっと引っかからずを得ないが(果たして本当にそうだったか、と:単に不埒な学生の不逞行動だったかも)、「当時」の厳格な公教要理の教えが本当にそうだったとするならば、それから100年を経ての現在の有り様の様変わりは同じ宗教とは思えないかもしれない。国家権力と制度教会といった大所高所のやり取りではなく、一般信徒レベルのこういった肉感的背景をこそ掘り起こす必要があるように感じるのである。これは紀元後1〜3世紀の初期教会と国家宗教化した後4〜5世紀の違いに類した現象のように言われがちだが、いずれの場合にも、信徒には、真面目な者も不真面目な者もいたはずである。

 誰も思い出さないだろうが、実は古代ローマ帝国のキリスト教迫害において、碩学J.Vogtが1962年のZur Religiosität der Christenverfolger im Römischen Reichの註記でずばり喝破していたように、近現代の日本における天皇は現人神として神格化され礼拝が強要されていくが、古代ローマ帝国では皇帝は生前神化はカエサルの前例から忌避され、巷で「皇帝礼拝」と言われている現象は、実は皇帝の守護神に皇帝の長寿や国家の安寧を祈願していて、善帝は死後神化する場合があったものの、根本的に理解が違っていたとされている。私のようなひねくれ者は「といいつつも、実体的に官憲と庶民において、実質的に皇帝には神に類する存在として礼拝が強要・受容されていたのでは、特に古来王政に馴染んでいた帝国東部ではその傾向があったのでは」と、一応言っておきたくなるのではあるが。

 関連で、以下をみつけた。1891年(明治24年)1月9日の、「内村鑑三不敬事件」である。こういう問題は一旦社会問題化すると現に起こった事実などどこかに吹き飛んで消え去ってしまい、観念的な攻撃に晒されがちであるが、その実際に肉迫した以下の論文を読むとその辺りが如実に再現されていて、興味深い。

 赤絵達也「<ためらう>身体の政治学:内村鑑三不敬事件、あるいは国家の儀式空間と(集合的)身体・論」関東社会学会『年報社会学論集』17号(2004年)、pp.1-12.

 論文名に明示されている「ためらう身体」という、言い得て妙にリアルな表現があの時の内村鑑三の怯えた現実感覚を彷彿させていて、実に興味深いのである。そこに、偶像化・神格化された無教会主義者内村はいない。状況に翻弄され戸惑う生身の哀れな内村が登場している。彼が30歳のときのことだった。

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最近のクリスチャン・トゥデイより:聖職者の兼業・兼牧

https://www.christiantoday.co.jp/articles/34902/20250626/nearly-half-of-us-evangelical-pastors-are-bivocational.htm

 表題は「米国の福音派牧師は半数近くが兼業している 調査で判明」(2025年6月26日)だったので、それを読んで最初私は、聖職以外に世俗の職業に就いている「兼業」のことかと思い大いなる興味をもってクリックしたのだが、情報の大部分は、複数教会での司牧を兼務している「兼牧」という内容だったのでいささか落胆した。というのは、カトリックでも司祭の減少で複数ないし巡回が普通のことになって来ていて、全然目新しい話題ではないからだ。しかしカトリックでも「兼業」が14%いると出ているが、これはアメリカならではの現象なのであろうか。

 私の友人が所属する日本基督教団系の某教会は登録信者数50名だが、集会参加者は2,30名に過ぎないというわけで、牧師夫婦を養うのも大変で、いずれ他の教会と合同せざるを得ないだろうと話してくれたことがあった。

 以下、兼業に関わる部分を中心に紹介する:

 全米の宗教指導者1600人を対象に行った「全米宗教指導者調査」(NSRL、英語)の報告書(英語)によると、米国では福音派の牧師の47%が兼業しているという。

 「兼業」している聖職者・教職者の割合は、全米平均で35%だった。2001年に行われた同様の調査では28%で、この20年余りで7ポイント増加したことになるが、これは主に福音派の牧師によるものだった。

 聖職者・教職者の兼業割合は、黒人プロテスタントが35%、カトリックが14%、主流派プロテスタントが11%となっており、いずれも福音派プロテスタントより少なかった。なお、福音派・主流派プロテスタントの多くは、白人が占めている。

 複数の教会を担当している「兼牧」聖職者・教職者の割合は、全米平均で19%で、01年の12%から増加した。こうしたケースは、主流派プロテスタント(24%)やカトリック(22%)、黒人プロテスタント(21%)で比較的多く見られ、福音派プロテスタントではあまり見られず、9%だった。

 カトリックや主流派プロテスタントの聖職者・教職者は、追加の責任を負う場合、兼業するよりも、複数の教会を担当するケースが多く、逆に福音派プロテスタントでは、兼牧するよりも兼業するケースの方が多いという結果になった。

 関連で、グーグル検索したら「YAHOO! 知恵袋」がヒットして、「牧師や神父は何か副業してますか」という問いかけに、以下のような返答が載ってました。2021年7月のことですが。

◎ 大学の先生をしている神父さんはおります。本を書いている方も。

◎ カトリックや正教会の司祭は一定の俸給が保障されているので経済的理由で他の仕事をしている人はいません。付属幼稚園の園長などをしている人もいますし、教育機関で教職についている人もいます。カトリックの労働司祭は一般の仕事をして自らの食い扶持を稼いでいます。プロテスタントの教職(牧師)にも教職についている人もいますが、教職としての俸給が月10万円前後や遥かに下回る人もいます。自らの生活のために平日は一般の職業についている人もいますし、塾、新聞配達など様々なアルバイトをしている人もいます。プロテスタントには職業宗教人を置かない制度の教派もあります。

◎ 教会から十分な給料を貰っているのに、教会の仕事を大してしない牧師もいたりして。

◎ 奥さんを働かせる牧師もいたりして。

◎ 収入を補うために、多くの神父や牧師が、教会に併設された幼稚園の運営、高校や大学の講師、原稿執筆、語学の指導など、なんらかの副業を手掛けています。

 なるほどこういうのも「兼業」に含まれるわけか。しかし教区司祭にはそうそうそういうチャンスは多くないような気がする。

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大山古墳出土の副葬品再発見:専門家の私物化

 「おおやま古墳って奈良にあるのかな」。こんなレベルで毎日新聞2025/6/19のメール記事を読み始めた。実際は「大山古墳」は「だいせん」と読み、我らの世代だと大阪府堺市にある旧名「仁徳天皇陵」のほうが馴染みがある。https://mainichi.jp/articles/20250619/k00/00m/040/108000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailsokuho

 なんとその天皇陵から明治初年に発掘・流出した副葬品(刀子と甲冑の破片)が再発見された、というのである。それらは、国学院大が2024年に購入した明治時代の古物収集家、柏木貨一郎(1841~98年)の遺品から発見された。いずれも和紙に包まれた状態で、刀子を包んでいた紙には「明治五年九月」「仁徳帝御陵前之石郭」「刀鐺(かたなこじり)」、甲冑片を包んでいた方には「仁徳帝御陵」「甲冑金具」などと墨書されていた。

 寡聞にして知らなかった好古家・柏木貨一郎についてはウィキペディアに略記があり、役人の時期もあった由で、こういう立場の者がご禁制の出土品を実は隠匿・収集していたわけである。彼の事故死に繫がる下駄が法隆寺の古材であったなどは、歴然とした自己撞着といわざるを得ないが、ともかく世に出て公的機関に所蔵されたことは慶賀の至りというべきか。とはいえこんな事例は氷山の一画にすぎないような気がしてならない。

 私の研究分野でも、ローマで聞いた話であるが、某国外交官がカタコンベから持ち出した遺物を外交行李に入れて自国に持ち出し、コレクションにして、得々として訪問客に見せていたと、その場に立ち会った女性から聞いた「事実」である。なんだかいやなのは、私だってもしそのようなチャンスがあれば、悪魔のささやきに身を任せていただろうと思うからである。

 最近の事例だと(2025/8/18:https://artnewsjapan.com/article/43329)、ポンペイ遺跡内でドイツ人観光客が何の変哲もない石を拾って、マリーナ門外の駅に持ちだしたところで、加重窃盗容疑で逮捕された。これは約26万円の罰金を科せられる可能性があるそうな。こんなのは見せしめとしか思えないが。

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 私がチェックしている「The History Blog」にも8/14に古墳からの盗難が掲載された。日本の情報よりくわしいのはどうしたことか。http://www.thehistoryblog.com/archives/73898

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