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コインのX書き込みみっけ

 偶然見つけた。Xヘの書き込みで、管理人は「Shelk」氏。httphttps://x.com/Shelk_Shelk_

 古代ローマのコインを中心に書いているが、私のような貨幣学初心者にとって未知の知識と蘊蓄を、平然と披瀝していて、なかなか油断できない。

 書き込みの日時がなぜかバラバラなので、話の筋が連続して読めないという難点はあるが。

 あと、2024/2/14ごろまで自伝めいたことを連続して書き込みしていたのだが、その後一足飛びに飛んで6/18を最後に書き込みが途絶えているのが気になる。

 

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古書が出てきちょる!

 30年以上も前に、古代ローマの基本文献である藤井昇訳『マールティアーリスのエピグランマタ』上下、慶應義塾大学、1973-4年を、古書店から購入して(上下揃いで1万2千円だった:なんと青焼きで慶應義塾大学言語文化研究所長・松本正夫名の配布のご挨拶も同封されていた)、だがしばらくして気付いたのだが、上巻の後半に2箇所乱丁があった。裏切られた思いでガックリしたが、大学図書館の蔵書から該当箇所をコピーして、とりあえずは繕ったのだが、やっぱり完本がほしいと思い、そのとき「日本の古本屋」で調べたのだが、そのころは上下揃いばかりでしかもかなり高価だったりして諦めた経緯があった。

 今回、引用文の参照で手に取り、その気になったのでちょっと古書を調べたのだが、アマゾンでみたら上巻のみで、新刊2万3千円強とか(おいおい残り11点もある由:蔵出し品か)、古書だとなんと8170円を最安値として22冊も売りに出ていたので、驚嘆した(郵送料は別にかかる)。下巻はだが古書のみでたった2部しか出てなかったが、安い方は約8千円。念のため「日本の古書店」もみたら、上巻のみは2部、上下揃いで5部出ていたが、予想どおりやや高めだった。しかし昔のように目を剝く高額ではなくなっていた。

 いずれにせよ、知らない間に品揃えが豊富になっていて大変驚いた。想像するに、世代交代で我ら以前の諸先輩の書庫からの流出品が出回っているということなのかもしれない。さっそく最安値の上巻を発注した。今更不要とも思えるが、なんだか長年の胸のつかえがやっと下りたような気がしている。

 こうして私が入手して完品となった上下巻もそう遠からず古書に売りに出されるはずで、微妙な心持ちではある。

【追記】その気になって、1994年出版の私の主著をアマゾンで調べたら、なんと26冊も売りに出ているようで、心底驚嘆した。これまでだとせいぜい3,4冊だったのに。ま、他人事ではない。献本した同世代が断捨離の時期に来ているのだから。私も本の整理をして献本されたものを情け容赦なく処分しなければならない現実があるのだ。

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「ADHD」とは

 2025/11/29:NHK BSの「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」での「「ADHD」その特性は障害か多様性か」が面白かった。私自身それに類する性向なきにしもあらずなので、なおさらである。

 番組の趣旨は、幼少期にその傾向ある児童に対しどのように接するのがいいのかといったほうに重点があったように感じた。他との比較で横並びを求めるのではなく、特性を育てるべく成功体験を褒める、ということを強調していた。

 思うのだが、「ADHD」に限らず、たぶん「自閉スペクトラム症」なんかもそうなんだろうが、どんな人間も一つの肉体の中に多種多様な性向を秘めている。要するに皆多重人格への性向や社会性に対して凸凹の現実を持っている。各々長所もあれば短所もある。完璧な人間など存在しない。文字通り「症状は、人の数だけある」。この当たり前の事実をまず押さえなければならないのだが、それが現実にはむつかしい。

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西の文理科大・高等師範・師範の現在

 私の出身大学、広島大学は文理科大学・高等師範・師範学校をその淵源にしている。かつては西の初等・中等教育の担い手として、その卒業生からなる「尚志会」は隆盛を誇っていた。一応、教育学部・文学部・理学部で教職を履修した者がその会員を構成している。

 現在私は東京在住なので、「尚志会」東京支部に加入している(あくまで一応であって、積極的メンバーではない)。年に一回機関誌などが送られてくるのだが、それが今日届いた。そこにちょっと気になる数字が書かれていたので紹介したい。隆盛を誇っていた頃の数字を知らないので、比較はできないが、現状は以下の如し。

◎過去3年間の3学部入学者数、令和4年:829名、 令和5年:809名、 令和6年:799名

◎令和7年度教職説明会参加者数:215名

◎希望する校種: 幼:1、 小:74、 中:64、 高:101、 特:12

◎令和5年度、6年度卒業者教員採用者数

◎ 東京支部名簿によると、メンバー数27名、年齢構成は不明であるが、そのうち30年以上の会員は終身会員1名を含め16名。私は1988年以降支部会員のはずなので、となると通算37年となるのだが、なぜかその他の11名に含まれているようだ。

 

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ナショジオでポンペイ番組:I.21.6 の犠牲者の研究

  2022年ごろの番組のようだが、遅ればせながら昨日20時から観賞して、大いに勉強になった。

 「解明!ベスビオ火山大噴火の悲劇」で、現在だと予告篇だけ見ることできる(https://natgeotv.jp/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/2777)。

 そこでは「逃れる民」fuggiaschiと呼ばれる犠牲者たちの史上初の科学鑑定が行われている。石膏で固められた彼らの遺体をX線で調べてみると、当時の年齢や負傷の痕のほか、サンダルや宝飾品などの遺物が明らかに。さらに、この古代世界で最も有名な大災害で彼らが逃げ遅れた理由についても解き明かしていく。

この犠牲者たちは、I.21.6 に保存されている

 この類いの放送では中途半端な研究者が解説者として登場することが多いのだが、今回のこれはドキュメンタリータッチで、発掘者たちの発言が中心となって展開していくので、信頼度抜群であった。それに著名な発掘者のアメデオ・マイウリ(Amedeo Maiuri:1886 – 1963)の当時の社会に受け入れやすい見た目での解釈や、当時に人々に興味を持たれやすいように、出土物にも加工を加えていたりした行為の問題点をきちんと指摘していて(なぜか、全否定はしていないが)、これは普通では触れられることがないので、たいへんよい指摘だと思った。

 ところで再放送で確認したいことなのだが、私がiPhoneで録画をしようとあたふたしていて聞きかじった音声で、この13人の犠牲者たちは、その通りの集団の姿で発見されたのではなく、別々のところから集められてきた、といったことを述べていたように聞きかじった記憶がある。まあマイウリのあの時代であればやりかねない演出ではある(要チェック)。

 そこで、全編をみることできないかとYouTubeを検索していて、とんでもないシリーズを、これも遅ればせながらみつけてしまった。今晩は以下の書き込みのリストを作るだけで潰れてしまった。
 「大好きイタリア:ポンペイ遺跡」

 現在まで、投稿数40を数え(ちなみに最新が「『秘儀荘』等身大の壁画の謎に迫る‼️」https://www.youtube.com/watch?v=o4Lv0b7iKME)。ただこれもどうやら2年前の久々の書き込みらしいので、もう終わっているのかもだが)。書き手はたぶん現地のガイドさんで、ナポリ周辺の遺跡についても書き込んでいるようだ。

 またこんなのも。「ポンペイの新しい研究でこれまでの歴史の間違いが見つかりました!https://www.youtube.com/watch?v=N9qi28Gn6g4&t=128s

 まあ、ユーチューバーのローマ史の素人さんの論点ずらしの隙だらけの解説なのだが、一見まともを装っていて問題である。たとえば3分あたり以降の言及は不正確きまわりない。おそらく当時が奴隷制社会で、今回の検証で東部からの奴隷たちのDNAが相当に混じっていたという基本的事実を押さえていないのだろう。そして、ポンペイは「国際都市」だった、ということになっちゃうわけ。

 AIとか機械翻訳の普及でこれからこういう情報が増えていくのだろう。

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チュニジアから巨大オリーブオイル製造所跡発見

2025/11/17:https://www.labrujulaverde.com/en/2025/11/second-largest-olive-oil-production-complex-in-the-roman-empire-discovered-in-tunisia/

チュニジアで、古代ローマ時代のオリーブオイル製造所跡が見つかった。帝国内で最大級の規模を誇る製造所が発見されたことで、アフリカ辺境地域の経済活動の解明に期待が寄せられる。

アルジェリアとの国境付近の、ヘンシル・エル・べガル Henchir El Begar と呼ばれるこの遺跡は、チュニジアのカスリーヌ地域にあり、古代ローマ帝国の一部だったころは、キッリウムとして知られていた。

この調査は、カスリーヌ地域のジェベル・セママ山脈の草原地帯に位置するふたつのオリーブオイル製造所を対象として行われた。この地域は気温の変動が大きく降雨量も少ないが、オリーブは乾燥に強い作物であるため栽培に適しており、ローマ帝国時代には重要なオリーブオイル供給地として発展した。

確認されたふたつの製造所のうち、ひとつ目はチュニジア最大で、ローマ帝国でも2番目の規模を誇り、梁を使って圧搾するトルクラリウムtorculariumが12基設置されていた。もう一つの施設はやや小規模だが、同様の設備が8基見つかっている。これらの施設は3〜6世紀にかけて稼働していたとされる。今回の発見が示す歴史的意義について、ヴェネチアのカ・フォスカリCa’ Foscari大学で考古学を研究し、調査チームの主要研究者の1人であるLuigi Spertiはこう語る。

「今回の調査によって、ローマ領アフリカの辺境地域における農業と社会経済組織について、新たな事実が明らかになった。オリーブオイルは古代ローマ人の日常生活において、非常に重要な生産物で、料理に使うだけでなく、身体のケア、スポーツ、医療にもオイルは活用されており、質が低いものは照明の燃料として使われていた。」

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最近の考古学情報

◎「Roman tomb with bilingual inscription found in Albania 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74053

◎「2,000-year-old Roman bridge discovered in Switzerland 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74046

◎「Herculaneum’s lavish Suburban Baths open to public 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74094

◎「Roman shipwreck uncovered in Croatia 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74233

◎「Roman mosaic found during in Tivoli 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74221

◎「Charred Byzantine bread loves stamped with Christian imagery found in Turkey 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74352

◎「Colosseum opens Passage of Commodus 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74325

◎「Roman sailor’s grave marker found in New Orleans yard 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74309

◎「Wood writing tablets found in Roman wells 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74289

◎「Update: How the sailor’s grave marker got to New Orleans 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74339

◎「Herculaneum cabinet restored for exhibition 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74551

◎「Three rare 4th c. gold coins found in Aquileia 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74629

◎「Roman pool was healing sanctuary of Asclepius 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74620

◎「Egyptian vase found in Pompeii fast food kitchen 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74603

◎「Mosaic with personified lake wearing crab claw hairclips found in Turkey 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74721

◎「Sealed Roman sarcophagus opened in Budapest 」:http://www.thehistoryblog.com/archives/74707

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ウァレンティニアヌス1世死亡場所確定か:2025/11/8

ローマ皇帝ウァレンティニアヌス1世 Valentinianus I(321 – 375年:在位364年-)は、パンノニア州(現在のハンガリー)のブリゲティオ Brigetio(現Szőny)の軍団要塞で、急死した。そこは後86年以降5世紀半ばまで、Legio I Adiutrix の駐留地だった。そこを2017年ハンガリーの調査隊が航空画像調査中に、プラエテントゥーラpraetenturaの南東部、右門付近に、東西方向に延びる大きな建物の遺構が確認された。複数の部屋から成り、アプスで終わるこの構造物は、2017年から2018年にかけて発掘調査が行われ、注目すべき遺構が発見された。それが新築の迎賓館であり、皇帝死亡場所であろうというわけである。

 皇帝死去の僅か6日後に後継者になった4歳の息子ウァレンティニアヌス2世(371-392年;在位:375年 – )の皇帝宣言の場もブリゲティオかアクィンクムかと長らく論争となってきたが、ブリゲティオのほうだろうと、発掘者たちは想定しているようだが、私はむしろ、なにしろ幼帝だったので、名目上はともかく実際には彼が居住していたカルヌントゥム近郊の可能性が大のように思えてならない。

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知人の著作紹介

 ちょっと前に寄贈されたものを紹介しよう。

 印出忠夫『<永遠のミサ>西洋中世の死と奉仕の会計学』教育評論社、2025/10、¥3850.

 註もそう付いてないようなので、さらっと読めそう。そのテーマは、ローマ帝国で神殿が果たしていた銀行の役割(だから、昔の日銀や銀行の支店なんか神殿造りで円柱装飾あったでしょ)を中世では教会が果たしていたということのようで、まあ納得できる。

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ローマ・コンクリートの強靱性検証:2025/11/20

左地図:赤印がバイアエの浴場跡

 イタリア・バイアエに残る浴場跡(かつてウェヌス神殿と誤解されてきた)でのサンプル調査により、ローマ・コンクリートの強靱性が改めて検証された。詳しくは、以下参照。

Rispoli, C., Montesano, G., Antonini, R. et al. Innovative Roman Building: Geomaterials, Construction Technology and Architecture of the Roman Temple of Venus (Phlegraean Fields, Italy). Geoheritage 17, 163 (2025). doi.org/10.1007/s12371-025-01208-z

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