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結婚・出産とコロナ騒ぎ

「空白の3年間」出生数が過去最少となった必然」(https://toyokeizai.net/articles/-/883218?utm_source=morning-mail&utm_medium=email&utm_campaign=2025-06-12&utm_content=1&bdmlc=MTAwMjM3XzMwMzE1XzIzNDI0OTRfMQ&bdl=3

 先頃公表された2024年の人口動態概数年報であるが、マスコミが「人口減」と煽るばかりで実態分析が欠けているとして、なかなかの力作のように、私には思えた。

 ま、いずれにしても、日本の人口動態は先行き不安要員ではあるが。

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ロシア・ウクライナ問題の宗教的裏事情

https://ml.asahi.com/p/000004c215/30465/body/pc.html

2025/6/11 朝日新聞記者レター

 駒木明義「バチカンを切り捨てたロシア:ウクライナ問題の背景に複雑な宗教事情」

 以下、本論部分のみ転載:

 ウクライナ危機の背景には、米国主導の北大西洋条約機構(NATO)の拡大といった安全保障面だけでなく、歴史と宗教をめぐる根深い問題があります。最近、この事実を改めて思い出させるできごとがありました。それは、ロシアとウクライナの直接協議の開催場所をめぐる駆け引きです。 5月8日に新ローマ教皇となったレオ14世は、ロシアとウクライナの仲介に意欲を表明しています。これを受けて、今年2回目以降の協議がバチカンで開かれるのでは、という観測が広がりました。ロシアとウクライナの交渉仲介にレオ14世が意欲 トランプ氏は後退 ところがロシアのラブロフ外相は5月23日、モスクワで開かれたシンポジウムの壇上で、このアイデアをばっさり切り捨てました。 「この場に教皇庁の代表はいるだろうか。現実的ではない選択肢を考えるために無駄な努力をするなと言いたい。正教の国同士が、根本原因の除去についての問題をカトリックの地で協議するのは、品が良いとは言えないだろう」 ラブロフ氏の言葉通り、ロシアもウクライナも多くの国民が、キリスト教の宗派「東方正教会」を信仰しています。そしてロシアの正教会は、長くカトリックと厳しく対立してきました。正教のつながりを理由の一つとしてウクライナとの一体化を進めようとするロシアにとって、バチカンほど協議の場としてふさわしくない選択肢はないのです。 歴史をさかのぼると、ロシア、ウクライナ、ベラルーシという東スラブ3国の源流となったのは、現在のウクライナの首都キーウを中心に9世紀に成立した大国、キーウ・ルーシ公国です。10世紀末、公国を率いるウラジーミル大公がキリスト教を国教として受け入れ、広く信仰が広がりました。 公国は13世紀にモンゴルの侵攻を受けて崩壊。その後、キーウに代わってモスクワが東スラブの中心都市として栄えるようになります。 プーチン氏はこうした歴史を踏まえて、ロシア、ウクライナ、ベラルーシは一体不可分の存在だという主張を繰り返しています。

 プーチン氏は2016年、モスクワ中心部のクレムリン近くに、ウラジーミル大公の巨大な像を建立しました。ロシアが公国の正統な後継国家であることを誇示する狙いでしょう。それだけでなくプーチン氏は、自身の名が伝説的な大公と同じウラジーミルであることも意識しているはずです。 歴史の話に戻ると、カトリックと東方正教会が、主として教義上の理由から分裂したのは11世紀のことでした。その後、ロシアは正教世界の中心を自任するようになります。そんなロシアにとってカトリックは、同じキリスト教という親近感の対象ではなく、むしろ「敵」という位置づけでした。「西方からの脅威」だったカトリック そのことを浮き彫りにした歴史の一場面があります。 1598年のことです。ロシアで「雷帝」として知られるイワン4世の三男フョードル1世が死去。ウラジーミル大公の直系でつないできた王朝の系譜「リューリク朝」が断絶しました。 大混乱に陥ったロシアに、死んだはずのイワン雷帝の末子ドミトリーを自称する男が現れます。彼は民衆の支持を得てモスクワに攻め上り、ついにはクレムリンに入城して戴冠(たいかん)式まで行いました。「偽ドミトリー1世」です。 このとき偽ドミトリーの権力奪取を支えたのが、カトリックの国ポーランドであり、ポーランドを拠点に正教徒へのカトリック布教を進めていたイエズス会でした。この歴史は、ムソルグスキーの傑作オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」でもいきいきと描かれており、ロシアで知らない人はいないでしょう。 つまり端的に言えば、カトリックとは、ロシアの混乱に乗じて攻め入り、正教世界を乗っ取ろうとする西方からの脅威だったわけです。 カトリックは特にウクライナとの関係で、さらに複雑な問題を抱えています。それは、ウクライナ西部を中心に今も多くの信者がいる東方典礼カトリック教会(ギリシャ・カトリック)の存在です。 この教会の特色は、儀式などでは正教会の伝統的な典礼を維持しつつ、ローマ教皇の権威やカトリックの教義を受け入れたことにあります。イエズス会の働きかけなどを受けて、16世紀末に生まれました。その後18世紀にロシア帝国領に組み込まれた地域では、正教の裏切り者として、厳しく弾圧されました。 ラブロフ氏も前述のシンポジウムで、東方典礼カトリック教会に触れて「(2014年の)クーデター後のウクライナの現体制を積極的に支えている」と批判しました。本来は正教世界の一部なのに西方の権威にひれ伏したという意味で、ロシア離れを進めるウクライナの現政権に重なる許しがたい存在なのです。

 もっとも、ウクライナの伝統的な正教会の多くも、近年はロシアからの自立を進めています。そのことも忘れるべきではないでしょう。 ウクライナ問題の背景の複雑さの一端を説明できたでしょうか。この問題の宗教的な側面を知るには、元駐ウクライナ大使の角茂樹さんの著書が、とても役に立ちます。

 (著者に会いたい)『ウクライナ侵攻とロシア正教会』 角茂樹さん

https://digital.asahi.com/articles/DA3S15445644.html?linkType=article&id=DA3S15445644&ref=komakiakiyoshi_mail_top_20250611

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広島女学院大学続報

 中国新聞NL(朝) 2025/5/24:
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/646716?utm_source=mail&utm_medium=letter_asa&utm_campaign=letter_asa

既報と異なり、京都の学校法人への経営以降で、2027年にも共学化し大学名も変更とか。

 有料なので見てはいないが、週刊文春の電子版(2025/5/23)で「危ない名門女子大リスト《募集停止・京都ノートルダム女子大だけじゃない》」(https://bunshun.jp/articles/-/79277)を掲載している、らしい。そこでは危ない名門女子大として、白百合、フェリス、東洋英和、聖心、昭和、実践、共立、大妻ほか25校が列挙されているらしい。

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今度は「農政ムラ」の愚策か

https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html

 ようやく実態が見えてきた感じ。一般マスメディアではまだそれに触れようともしていない。知らないのではなく、知っていて触れていないのだろう、いつもどおり愚民のパニックを避けるためという口実で。

【追加1】毎日新聞 但し有料記事

https://mainichi.jp/articles/20250522/k00/00m/040/014000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailyu&utm_content=20250522

【追加2】進次郎新農水相のとんちんかん振りは、以下。https://www.mag2.com/p/news/645556?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_thu&utm_campaign=mag_W000000001_20250529

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教皇レオの命名にちなんで

 巷では、新教皇名がレオだった件で、レオ13世が1891年に社会問題を扱った初めての回勅「Rerum Novarum」(レオ十三世著・岳野慶作訳解『レールム・ノヴァルム:労働者の境遇』中央出版社、1958年)で、資本主義の弊害と社会主義の幻想に触れた故事に注目しているが、教皇名レオはなかなか他の話題にも事欠かないのである。

 レオ1世(在位:440−461年):以下の功績から大教皇と称せられる。452年のアッチラに率いられたフン族のイタリア侵攻に際して、直接交渉し、撤退させた。また、455年にVandal族のガイセリック王によるローマ侵攻の際にも使者を送って説得、一端は合意に至ったものの、ローマは掠奪された。ただし3大バシリカはそれを免れたらしいが。

 レオ3世(在位:795-816年)は、帝国東部のローマ皇帝位が797年から空位とみなされえたことに乗じて(コンスタンティノス6世を廃位した生母エイレーネーが女帝として即位したが、802年にクーデタで廃位)、800年のクリスマスのミサ中にサン・ピエトロ大聖堂に来ていたフランク王カール1世にローマ皇帝冠を授け、西ヨーロッパに新時代を開幕した。

 レオ9世(在位:1049−1054年)は、アルザス貴族出身で、神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世の推挙を受け、トゥール司教在任中に教皇に就任した。教会改革に邁進して在位大半をドイツ・フランスを過ごしグレゴリウス改革の先駆をなしたが、コンスタンティノポリス総主教ミハイル1世キルラリオスとのいわゆる相互破門により(実際にはレオはすでに死亡しており、使節フンベルト枢機卿の独断だった:参照、ウィキペディア「ミハイル1世(コンスタンディヌーポリ総主教)」)、これが結果的に東西教会分離の分岐点と位置づけられるようになった。

 新教皇は聖アウグスティノ修道会所属だが、メディチ家出身のレオ10世(在位:1513-1521年)のとき贖宥状がらみで質問状を掲げたルター(1483-1546年)もその修道会所属だった。この教皇は老朽化したコンスタンティヌス創建のサン・ピエトロ大聖堂の改築(1506年着工)でも著名だが、ドイツにおける贖宥状販売の特殊事情については、ウィキペディアの「マルティン・ルター」と「レオ10世による贖宥状」の項目に詳しい。

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広島県立3高校、新入生20名切る

 中国新聞デジタル版2025/5/9発信:

 広島県には一学年一学級の公立高校は14あるのだそうだが、今春の新入生が再編・統廃合の基準一学年20名ないし全校生徒60名を下回った3校が出た。以前このブログで触れたことあるが(2024/5/10:「人口減がこういう形で」)、今回は県北2校以外に瀬戸内海に面した1校の名前が出てきた。前回と重複するのは向原高校だけであるが、となると背後で危うい高校が数校はあるということか。

 向原高校勤務が長かった 私の友人がいるのだが、さぞや無念だろうと思う。

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毎日新聞情報:カトリック教会性加害問題

 2025/5/7発信:「コンクラーベで「聖職者による性加害の議論を」ある女性信者の願い」(https://mainichi.jp/articles/20250504/k00/00m/030/175000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailyu&utm_content=20250507)。

 今回の加害神父はドイツ神言会神父で、すでに帰国させられているとのこと。日本の新枢機卿にとってなんとも幸先の悪いことである。

 ただ、コンクラーベは議論の場ではなく、教皇選出の場なので、タイトル的に若干場違いな願いのように思える。そういった問題に積極的な人物の選出を求めている、という意味なのだろうが。

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今日日の無洗米は…まずい

 私は20年以上前から南魚沼の農薬80%減を月5kg予約していて食している。ちょっと割高であるがそれなりに美味しいので満足していた。ささやかな贅沢である。その5kgで老夫婦2人分はまずまず1か月もっていた(妻は私の3分の1くらいしか食さない)。孫が来たりして足りないときには電話すれば追加も送ってくれていた。

 それが今般の米不足で、おり悪しく妻が孫の弁当を作らないと行けないとかで、通常以上のスペースで米が消費され足らなくなった。それで販売元のHPを調べたが在庫はないとのこと。それでしょうがなく近くのスーパーで千葉産の2kgを2回持ち帰って食してみたのだが、…パサパサしてまずい、のである。

 無洗米にはそれなりの炊き方があると書いてあったので、十分水分を吸収させていたのだが(実は私は水にも多少凝っていて霧島の「のむシリカ」を事前の浸水と本番の炊飯で使用している)、それでもパサパサなのである。理由は素人の私にはわからないが、たぶん古米とか古古米をかなり混ぜているのかもしれない。

 これから日本の米がどうなるのかわからないが、今回の騒ぎで二極分解を私は実感したようだ。

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最近の「クリスチャン・トゥデイ」

 ◎ ローマ教皇フランシスコ逝去とコンクラーベ開催へ

  一般報道ですでに報告されているが、復活祭の翌日の2025/4/21の朝、死去した。彼は男子修道会のイエズス会出身の最初の教皇で、解放の神学と深い関わりがある初の南米出身でもあった。

 教皇空位の間を教皇代理として取り仕切るのは教皇秘書長のカメルレンゴcamerlengoで、今回は枢機卿がその職にあるが、ダン・ブラウンの小説『天使と悪魔』でのように、教皇秘書長職にあるのはいつも枢機卿とは限らない。

 次期教皇選挙(コンクラーベconclave)を仕切るのは首席枢機卿で、5/7より開始することが公示された。

 ◎ 京都にある学校法人ノートルダム女学院は2025/4/25に傘下の「京都ノートルダム女子大学」の2026年以降の学生募集停止を発表した。この学校法人は、1833年南ドイツに誕生したノートルダム教育修道女会に淵源し、カナダ・アメリカでドイツ系子弟の教育に従事。日本には戦後にシスターが派遣され、中学・高校・小学校を創建し、1961年に女子大を設立。2020年には定員330で429名だったが、翌年から定員割れが続き、24年度の入学者数は186人だった。

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「私は日本のスパイだった」を見た

 2025/4/28のNHKBSで、1982年のNHK特集で放映されたもの。副題は「秘密諜報員ベラスコ」

 当時ぎりぎり当事者が生き残っていて、肉声を残し得た貴重なドキュメンタリー。

 冒頭で、戦争中の日本側電信文をアメリカはほぼ凡て解読していたと。それが「マジック」と呼ばれる書類で、通信文ともども保存され、その中に、第2次世界大戦前夜から在マドリッド日本公使館(公使須磨彌吉郎、一書記官三浦文夫[通訳])が組織したスパイ組織「東」(=盗、とう)の記録も残っていた。公使の発案で中立国スペインで計画がなされたが、その諜報機関の中心メンバーがアルカサール・デ・ベラスコで、総勢20名ほどの要員がアメリカに貼り付けられた。主力はカリフォルニアの6名。

左:当時の写真       右:インタビュー時の映像

 それによって貴重な情報がもたらされたが、問題は、日本政府や軍部にそれを活用する発想がまったくといっていいほどなかったことだ。それが日本がガダルカナル戦線や原爆製造情報への有効対応をとれなかった結果となった。

 神父になりすまして戦線に出る米軍兵士や海兵隊員から情報を得ることもあったようで、この着眼点はなかなか面白かった。ここではカトリック信者の告解での情報なので精度は高い(逆に言うと、カトリックの戦争協力ということになる:私が昔聞いた事情通によるとフィリピンでは宣教師の年次報告などが利用されたらしい)。

 日本側の参謀本部・軍令部関係者の生き残りの言も出てきていて、その情報を把握していなかった現実を明言している。あの時代、日本に有利な都合のいい情報のみが採用される傾向があった、と。米軍側では、日本にも情報分析組織があると思っていたが、終戦後にどうもそれがなかったと判明したとは、笑い話にしか聞こえない。海軍・陸軍・外務省での情報一元化がなされていないどころではなく、その逆ばかりやっていたという当事者の言はもう宿痾だ。

 情報戦で日本はすでに敗北していた件は、日本人の弱点としてこれまで口が酸っぱくなるほど言われてきたことである。「虫のいい楽観論」「希望的観測」。現在においても、その教訓が活かされているといえない現実を我々は日々体感している。

 当時、三浦書記官44歳、ベラスコ33歳、そして40年が経った。「まだ生きているよ。…あれから40年がたった、そう40年だ」。このドキュメントが放映されてから、さらにもう45年が経とうとしている。何も変わっていないという認識は実に重い。

 このドキュメントもちろんアーカイブまたはオンデマンドで見ることができる。見るべきだろう。

【付録】この件がらみで以下を無料でみることができることを知った。ただし今年7月末まで。

「NHKスペシャル ドキュメント太平洋戦争 第4集」1993年放送

【追記】寺島実郎の以下の講義を偶然見た。彼の警告はよく理解できるが、日本政府や外務省には対米追従外交以外に期待できないのは残念である。彼らはよかれと思ってやっているのであろうが。https://www.youtube.com/watch?v=rSExUm9_9WE

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