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こんなリール画像がいい

 最初は新鮮だったリール画像だが、あれこれ見ている内に玉石混交だなあという月並みな感想を持つようになった。そんな中、こういうのが相応しいのではと思ったのは、古代エジプトのミイラが生前の姿になるというもので、以下がアメンホテプ2世と3世でのそれだ。https://www.facebook.com/reel/1426723279612147

 フェイクには違いないが、なんとなくリアルな再現映像のように思えるからだ。似た画像は発掘された骸骨を生前に戻すという手法でよくみつかる。

 あれこれ見ていたら、面白い画像をみつけた。ローマ兵の日常生活のあれこれを漫画的に説明しているシリーズである。一番面白かったのは、戦闘において戦列の先頭者はどのように交替したのかを論じたものだったが(リール映像にしてはえらく長時間だった)、残念ながらその所在は失念してしまった。ご存知寄りの方からの情報をお待ちしている。

 こんな調子である:「ローマ兵はキャンプでどんな生活をしていたのか」(https://www.facebook.com/reel/2159363608320665)

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某市立大学の准教授の学会発表が教え子の卒論と類似

中国新聞 2026/10/21:https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/912723?utm_source=mail&utm_medium=letter_asa&utm_campaign=letter_asa

 こういう件が遡上に上がると、部外者にとって「教員がけしからん」と当然のことと思われるだろうが、大昔、10年ほど短大の幼児教育学科で卒業研究にも関わった身からすると、ちょっと微妙なのである。

 指導教員のアドバイスのもと、学生が保育現場にアンケート用紙を送付して調査する(精度を上げるためにはデーター数は多ければ多いほどいい、少なくとも50はほしい)、その集計結果を統計学的に優位差検定して、何らかの結論を導き出す。このやり方を私も多用していた記憶がある。ついでに言うと、私はこのアンケート調査で統計学上の「有意差検定」が必要なことを初めて学んだのだ:例えば、3例対1例の場合、安直に3例に軍配をあげるのは統計学上間違っている、ということを含めていて、私のような古代史でサンプル数が少ないのが常態的な場合、表面的な数字の過多では決着がつかないわけで(専門家の同僚に聞いた所、データ数が少ない場合、むしろ研究者の経験値のほうが重要となる、のだそうだ)、以来数字を扱った論文をみる場合、有意差検定を経ているのかどうかが気になるようになった。文学部ではこんなこと普通学ばないので、それだけでも幼児教育学科に所属していてよかったと思っている。

 さて今の場合、それが学生の卒業研究になるのは当然として、指導教員も同様の問題意識をもっておれば、その調査結果を自分の発表に加えて触れることは有り得るのでは、と私は考えざるをえないのだ。そもそも学生にそういう調査を勧めたのも、教員がそのテーマに関心をもっているからであって、たださすがにデータがそれのみであれば盗作と言われてもしかたないだろうが、発表データの一部だったら有りかもしれないな、とか、共同研究の体裁だったらセーフかなと。こうしてデータの出所を明示しておけば問題はないように思うのだが、テーマへの親近性ゆえにその手続きをつい疎かにしてしまったり、曖昧にした場合もなきにしもあらず、かも、とつい連想してしまうのである。

 私の主戦場は幼児教育ではなかったので、そんな状況は私の場合幸いにも起こらなかったが、しかし、圧倒的に横文字に依存しての我らの「研究」は、ともすると横を縦にしての「紹介史学」になりがちなことを思えば、自分は本当に「研究」しているのだろうか、あれこれ横文字の元論文をいじくってケチつけたりして、研究している振りしているだけではないか、と時折顧みざるを得ないのである。

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中東の宗教の根源を解明か:ユダヤ教、ゾロアスター教

 2026/10/18:NHK BSで「体感!グレートネイチャー:秘境コーカサス! 祈りの大地の絶景群 〜ジョージア・アゼルバイジャン〜」の再放送をやっていた(初回放送日 2025年2月24日)。https://www.web.nhk/tv/an/greatnature/pl/series-tep-J8QQ63X7V1/ep/PNR2LV274R
 未見の方は、是非NHKオンデマンドで視聴されることをお勧めします。

 黒海とカスピ海の間のジョージアとアゼルバイジャンは、地下マグマの動きの造山運動のせいで、特異な自然現象が見られ、その風土のゆえに特徴的な宗教現象が見られる、ということを私は遅ればせながら知ることができた。

 私が特に興味深かったのは、アゼルバイジャンでの「燃える山、泥火山、火の神殿」だった。地中から天然ガスが出ていてそれで大地が燃えているわけだ。映像ではそれが空中で爆発して火の柱のようにも見える現象も映していた。泥火山も同じ現象で、ふつふつと浮かんでくる泡にライターで火をつけると一瞬燃えるわけだ。

 となると私がすぐさま連想したのは、旧約聖書の「出エジプト記」で描かれている現象である。もちろんシナイ半島の聖書記述をその地での事実とみる必要はないが、どこかでの現象が伝わって来て、神の奇跡として借りてきて再述されているのかもしれないな、と。

 そして、アゼルバイジャンの首都・バクーから約20kmの場所に位置している「アテシュギャーフ(Atəşgah)」にゾロアスター教の寺院跡があって観光地となっている。アテシュギャーフとは、アゼルバイジャン語で「火の家」を意味するそうだ。ここでも現象は地下から噴出してくる天然ガスのせいだが、ペルシア起源の炎の宗教ゾロアスター教をすぐさま連想してしまった。ま、イランでは天然ガスでなく地表ににじみ出た石油だったかもだが。

 しかしそんなこと知らなかったのは私ぐらいで、ウェブ見れば6千円ちょっとでの一日ツアー広告が出ているのには、驚いた。https://jp.trip.com/things-to-do/detail/107268103?language=JP&locale=ja_jp&ext-list=city_category_card_ppc&ext-seoslug=azerbaijan-natureanimals&lasttraceid=6b6bbcb9-a310-cc34-ba43-1e2ad1469638

 これもご同様に、すぐさまゾロアスター教の起源と短絡するのは軽率だろうが、超自然現象として古代人が崇めただろうなということは言えるだろう。

 もう10年早く知っていたら、行って実見したかったなあと思ったことだ。

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皇帝マクシミヌス・ダイアのセルビアの「要塞宮殿」?で浴場発見

 柄にもなく、この情報には「長生きはするものだ」と思わされてしまった(以前、ティキヌムのコンスタンティヌス・コインでもそう書いたことを思い出すが (^^ゞ)。ごくたまにではあるが、昔ちょっとやっていた研究と関連する新事実が出てくる場合がある。これも長生きしてたからの僥倖である。

 2026年9月4日発:セルビア東部のヴレロ・シャルカメン Vrelo-Šarkamen で発掘調査を行っていた考古学チームが、「宮殿」の塔の内部に設けられた豪華なローマ時代の浴場を発見した。この浴場は発掘した現地考古学者たちによって、305年から313年までローマ皇帝の一人だったマクシミヌス・ダイアMaximinus Daiaゆかりの邸宅の一部、と断定された。

             ⇩▲Šarkamen

              

 この遺跡は、ネゴティン Negotin 近郊のシャルカメン村から西へ6km、ヴレロ Vrelo 川の左岸に位置している。ここは1889年にフェリックス・カニッツ Felix Kanitz によって初めて記録され、1947年には建築家のジュルジェ・ボシュコヴィッチ Đurđe Bošković が地上の遺構(要塞、橋、左岸の神殿、右岸の浴場)のスケッチを残した。シャルカメンにおける最初の考古学調査は、1975年にネゴティンのクライナ博物館によって行われ、その際、皇帝の彫像の一部(赤色斑岩製)が発見された。研究者たちはこの貴重な石像をテトラルキア(四分統治)時代のものと特定し、要塞については6世紀の初期ビザンティン時代に築かれたものと年代を推定した。この古代末期の居住・記念複合施設は、90m×90mの正方形の平面を持ち、石と装飾的な煉瓦の列を組み合わせた「オプス・ミクストゥム opus mixtum(混合工法)」で壁が築かれている。施設には10基の多角形ないし円形の塔が設けられており、その塔は内径9m、外径15mの規模を誇る。

遺跡全体図:右の四角部分(A)が要塞部 塔⑩発掘以前の航空写真:発掘済み
分、円塔浴場は左下角の円形塔土台   は①、②、⑧で、遺構はさらに北側
(⑩)、南側をVrelo川          に展開しているはずだが、未着手
要塞邸宅が小高い丘の南端上にあり、塔⑩が滑落しそうなのがわかる。
発掘中                   発掘後
          加熱室「スダトリウム sudatorium」

発掘調査により、3つの浴槽(またはプール)と、蒸し風呂として使用された加熱室「スダトリウム sudatorium」が確認された。このシステムの中心には、「プラエフルニウム praefurnium」と呼ばれる炉が設置され、この炉から送られた熱気は「ピラエ pilae」と呼ばれる小さな円柱で支えられた床下空間(ハイポコースト hypocaust)を通って循環する仕組みになっていた。もうひとつ興味深いのは、湯を沸かすための銅製ボイラーが設置されていた基部が確認されたことである。ボイラー本体は現存していないが、これは驚くべきことではない。銅は原材料として価値が高く、建物が放棄された後には頻繁に再利用されたからである。まさにそうした理由から、ローマ時代の銅製ボイラーが現存している例は極めて稀であり、現存する最も有名なものの一つはポンペイで発見されたものである。[ローマ市郊外のオスティア・アンティカにも「ミトラス浴場」(I,XVII,2)に同様に基部だけ遺存している件は、すでに触れたことがある]

  このようなローマ式浴場システム balneum は、他の諸遺跡からも確認されてきたが、今回のような円塔の最下層に組込まれた事例は初出である。文字情報では私には不分明な部分があるが(例えば、ボイラーの場所とか)、それも現状では詳細な図面は未発表のためである。さて私が生存中に公刊されるであろうか。

 マクシミヌス・ダイアは、第二次テトラルキア体制の主導者だった東部正帝ガレリウスにより、305年に東部副帝(シリア・エジプト属州担当)として登用された。彼は属州ダキアのドナウ川周辺生まれの農民だったが、兵士となり順調に昇進したのだろう。ガレリウスは母方の伯父だった。308年にリキニウスが正帝となるや(イリリクム・バルカン半島を占有)、コンスタンティヌスとともに”filius Augustorum”(正帝たちの息子)を名乗り、310年のササン朝ペルシアとの戦い後は公然と正帝として振る舞い、311年のガレリウス死後、リキニウスと帝国東部を分有していたが、313年4月、ツィラルム Tzirallum の戦いに大敗北し、小アシアのニコメディアを経由してタルソスで再起を図っていたが、8月に死亡した。

コンスタンティノポリス防衛地点だった Tzirallum

 ところで以上のような地理的政治状況を考えるなら、発掘者たちが主張しているがごとき、マクシミヌス・ダイアがこの要塞邸宅なり浴場なりを常時使用できたという想定はかなり無理があるだろう。当初の6年間は伯父ガレリウスの統治下だったので利用可能ではあったにしても、この地は一貫して彼の統治領域ではなかったからだ(逆に言うと、この遺跡をマクシミヌス・ダイアに帰すなら、その設立年代の上下限は305ー311年となる)。この要塞邸宅の西方300mに位置する皇帝霊廟(上記平面図でのB:標高差で要塞邸宅より約20m高い)および奉献用墳丘tumulus(C)を含む記念建造物群をこそ重視すべきではないか。しかもである、後述予定のガレリウス構築の要塞宮殿 Gamzigrad-Romulianaとの類似性を重視するなら、マクシミヌス・ダイアのと言うよりもむしろガレリウスの方が可能性ある洋に思える。

B=霊廟を南から見る

  それは 1994年から2003年にかけての発掘での豪華な出土品から、名が知られていない彼の母、すなわち皇帝ガレリウスの姉妹皇后のために築かれたものと判断されるに十分な内容だった。1996年に霊廟内から、皇后の火葬遺骨とともに、総重量約250グラムに及ぶ一揃いの金製装身具(ネックレス3点、指輪3点、イヤリング2点、ペンダント1点など)が発見された。遺骨と共に発見されたこの金製装身具に加え、金箔製の奉納板9枚も出土した。これらの板の表面には、テトラルキア(四分統治)時代の金貨(アウレウス)の意匠が浮き彫りにされており、ディオクレティアヌス、コンスタンティウス・クロルス、マクシミヌス・ダイアといった皇帝の名が刻まれていたのである(詳しくは、Edited by Ivana Popovć, ŠARKAMEN:A TETRARCHIC IMPERIAL PALACE THE MEMORIAL COMPLEX, Belgrade 2005)。この場所がおそらくは彼女の出生地付近だったのかもしれない。

要するに、あの要塞邸宅は皇母の霊廟への参拝に際しての皇帝宿舎として建築されたというべきなのではないか。今日においてもきわめて辺鄙な場所にあることだし、水が豊富な土地柄なのにわざわざ導水渠を構築してのテルメなのは、あるいは温泉を引いていたのかもしれない。

 こんな想定がまんざらでもないのは、シャルカメン Šarkamen のこの施設は、実は、ガムジグラード Gamzigrad にある皇帝ガレリウスの宮殿「フェリクス・ロムリアナ Felix Romuliana(ササン朝ペルシアへの勝利後、298年から311年にかけて建設)や、その東約1kmに位置する皇帝とその母ロムラ Romulaに捧げられた聖地マグラMagura の記念・聖域複合施設と呼応するように建設されたとしか私には思えないほど類似しているので、それに関して少しだけ触れておく。両者の高低差はMaguraの方が 60m高い(詳しくは、以下参照:Ed.by Ivana Popović, Felix Romuliana : Gamzigrad, Belgrade, 2011)。マグラには皇帝神格化儀式 apotheosis の基壇があり、ローマ帝国最後の祭礼地だった。

            ⇧Felix Romuliana                    聖地 Maguraの霊廟他 ⇧

  ガムジグラードは、セルビアのザイェチャル Zajiećar 市、ドナウ川の南に位置する遺跡であり、温泉保養地、そしてユネスコ世界遺産でもあった。この地には、ダキア・リペンシス Dacia Ripensis 属州において皇帝ガレリウスによって建設された、古代ローマの宮殿と神殿からなる複合施設「フェリクス・ロムリアナ」Felix Romulianaが存在する。主要エリアの広さは10エーカー(40,000平方メートル)に及ぶ。初期の探検家たちは、この古代遺跡をローマの軍事キャンプだと考えていたが、1953年以降に行われた体系的な考古学調査により、この場所が実際には皇帝の宮殿であったことが明らかになった。この施設は、四分統治(テトラルキア)体制の一角を担った皇帝ガレリウスによって構想・建設された。ガレリウスはダキア系の出自で、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの養子かつ義理の息子でもあった。彼は、ササン朝ペルシアへの勝利によって名声と栄光を手にした後の298年、自身の生誕地を記念するために建設を開始した。その名「フェリクス・ロムリアナ」は、ダキアの異教信仰の巫女でもあった母ロムラを偲んで名付けられた。この神殿と宮殿の複合施設は、主に3つの目的を果たしていた。すなわち、神格化された母を崇拝する場所、皇帝としての自身の功績を称える記念碑、そしてガレリウスのための豪華な別荘。ロムリアナは5世紀半ばにフン族によって略奪され、その歴史を閉じるまで存続した。

 このロムリアナRomulianaの遺跡群を東側から見下ろしているマグラ Magura の丘がある。その頂上には、それぞれ2基の霊廟 mausoleum と「トゥムルスtumulus」と呼ばれる墳丘があり、皇帝を神々の列に加える「アポテオシスapotheosis」という神秘的な儀式が行われる場所だった。西暦305年頃、ガレリウス帝の母ロムラがこの霊廟に埋葬されたと推定されている(息子は311年に死亡し隣りに埋葬された)。この構造物は高さ約12メートルあった。現在それらは廃墟となっているが、その部材は後期ローマ時代のロムリアナ建設に流用されたと考えられている。

  皇太后ロムラの霊廟に付属しているトゥムルスは、直径30メートル、高さ最大2メートルの石の環で囲まれた区域で、その内部からは木製の火葬用壇(薪の山)が発見された。このトゥムルスは当時の皇帝や皇族が神々の列に加えられる「神格化apotheosis」の儀式が行われた場所だった。しかしこの場所で焼かれたのは蝋(ろう)で作られた像であり、実際の遺体が焼かれたわけではない。

 2つ目のトゥムルスは、皇帝ガレリウスの霊廟からほど近い場所にあり、石の基部の上に高さ8.5メートルの盛土が施されていた。高さ約10.5メートルの円錐形をなすこのトゥムルスの上には、3段構造の火葬用壇が設置されていた。伝承によれば、ロムリアナの構想者である皇帝ガレリウスが神格化され、神となったのもこの場所だった。

  なお、この両地点の相関関係を見ておこう。両者は直線距離で約44km離れている。

 この両構造物がいずれもGalerius領に存在するということを根拠に彼の主導説を採用するなら、東部正帝という権威の下で彼が母と姉妹の埋葬と神格化をおこなったということになる。もちろんそこにマクシミヌス・ダイアも参列しただろうが。

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国内初、新潟県糸魚川でラピスラズリ発見

https://mainichi.jp/articles/20260303/k00/00m/040/231000c

2026/3/3 毎日新聞

 アフガニスタン東北部がほぼ唯一の産地で、交易によって古代ギリシアやローマ、中国、日本の正倉院などにも伝わり、古来珍重されてきた瑠璃色のラピスラズリが、予想外の地糸魚川で発見された。ここはこれまで翡翠(ひすい)の産出地として著名だったが、これまでの収集品に青い石が含まれていて、国立科学博物館(茨城県)が昨年6月にそれを解析したところ、ラピスラズリと判明した。アフガニスタン産とは鉱物の組み合わせが少し異なっており、糸魚川産と特定された。

 古代・中世の地中海世界で靑色顔料として珍重されてきたので、私も教材としてそれらしき石片を1つ購入している。さて、どこで購入したのかは忘れてしまったが。

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コロッセオ近くの高校体育館地下からローマ時代の邸宅出土

 ローマのコロッセオの北300mに位置しAnnibaldi通りに面した「カヴール理数系高校」 Liceo Scientifico Cavourの体育館の床下から1800年前の邸宅 domus の遺跡が再確認された。

 以下の写真からもかろうじて確認できるように、これまで1940年代や1950年代の落書きも色々書かれていて、生徒には以前から知られていて地下探険の肝試しの対象だったようで、今年の1月に生徒から打ち明けられた女性教師が考古学管理当局に報告して明るみに出て、それが公表されたのは5月末だった(別説では、コロナ禍の2021年)。本格的な発掘はこれからのようである。

 厳密に言えば、この遺跡はかつて19世紀後半に宣教団の本部が建設された際に知られていたし、この複合建築の一部は、1895年に行われたアンニバルディ通り(Via degli Annibaldi)の建設工事の際に姿を現していたが、すっかり忘れ去られていたらしい。

 この邸宅は、西暦2世紀半ば(約1800年前)のものとされ、サムニウム地方出身の裕福なウンブリウス(Umbrius)家の人物が所有していた可能性が高いと見られている。土に埋もれていたせいで保存状態もよく、ヴォールト(アーチ状の天井)を持つ部屋、保存状態の良い淡い色の漆喰、人物や植物が描かれた壁のフレスコ画、装飾的な漆喰細工、そして上流階級の邸宅に見られるモザイク床などが残っている由。

 ことほど左様に、帝都ローマにおいてはとにかく地下を掘ればかならず何か出てくるわけで(地下鉄C線工事のベタ遅れを思い出すだけでいいはずだ)、その意味でワクワク感も満載であるが、文化財当局は、この広大な地下遺跡を一般公開する計画を立てており、生徒たちがツアーガイドを務める可能性もある由。なによりの実物教育である。

 この遺跡はすでに「カヴール高校の邸宅」Domus Liceo Cavour と呼ばれているらしい。

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エディンバラ大学、牧師養成向けの神学学士・修士課程廃止へ

https://b.bme.jp/17/846/7839/4844

2026/9/30 スコットランド国教会における重要な聖職者養成学部大学院だったエディンバラ大学であるが、このたびグラスゴー大学にその学部大学院が統合移管されることになり、廃止されることになった。全体的な組織改革の一環である。

 なお、この記事の末尾に、「この記事は、英国クリスチャントゥデイの記事を日本向けに翻訳・編集したものです。一部、加筆・省略など、変更している部分があります。」との注意書きが附されていて、内容がかなり微妙との印象を私は受けざるを得なかった。

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シチズン・サイエンス?:出でよ素人研究者

 2026/9/29:NHK総合「クローズアップ現代」「あなたも歴史的発見?市民と科学の新時代」

 AIの発達とオープン・データの公表により、専門知識がない一般人も歴史的発見が出来る可能性が開けてきた。詳しくは以下参照:https://datazoo.jp/n/あなたも“歴史的発見”?+市民と科学の新時代/25442934

 なんとも皮肉なのは、専門家はいわば〇〇村の共通語に縛られて、それが枷になって先に進めないのだが、一般人はそういう思い込みから解き放たれているのが幸いして、そのうえ、趣味的に多数の一般人が参加することで、個人営業的な研究者にはとうてい不可能な網羅的検証も可能となったわけである。

 AIを駆使した新発見の可能性の追求は、我々には、ナスカの地上絵での山形大学の坂井正人教授の手法としてすでに知られているわけであるが、それがずぶの素人さんにも道を開くという今回の報道はなかなかのド迫力で、研究進展の新傾向として注目すべき動向であった。

 となれば、研究者ってなんなのさ、という問いかけも再燃してこざるをえないよね。

 

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私のパソコンが危ない・・・

 昨晩から私のメインのパソコン iMac(2020, 27-inch)の調子が悪い。すぐに起動しないし、何度か試して起動すると「問題が発生したためコンピュータを再起動しました」との表示が。そして、しばらく作業しないで置いておくとまたもや自動的にシャットダウンしちゃっている感じ。

 このパソコン、作られてから6年目なのでそろそろ寿命なのだろうか。読書会の準備でレジメ作成してる途中でプッツンして死んでしまったら困ったことになる。それでなくともなぜかワードが瞬時記憶できなくなっているので、途中でプッツンしたら再作業しないといけないし(昔は出来た記憶あるのだけど)。

 とりあえず、今は使っていない古いiMac(Late2014, 27-inch)をクラウドで繋いでおいて、万一にそなえることにしようと思う。それに 退職時に購入したノートパソコンMacBook(2017, 12-inchi)も健在でクラウドで同期しているから用意万端なのだが、さて。

 年金生活者としては新規購入は3、40万円かかるので避けたい事態である。

 就職した孫娘が置いていったiMac(Late2012, 27-inch)も使ってみるか。

【その後】あれから1週間、昨日あたりからどういうものか、勝手にシャットダウンしなくなった。当方がなにをしたわけでもないのに、だ。さてこの調子でいつまで使えるのやら。

【追記その2】広島に帰省し、そこのiMacが悲惨な状況に。インターネット見るためのブラウス・ソフト(Safari, Firefox)が「ヴァージョンアップやめました」と表示され、それでもアクセスしたら見たこともない画面が出てきたり・・・。しょうがないからGoogle Chromeをインストールしたら、私のHPでは画像が消えてしまって・・・。最悪!

 東京に帰ってみると何ごともなくこれまでのブラウザ使えているのに。あれはなんだったのか。

 と思っていたら、なんとワードがこれまで通りに機能しなくなった。途中で固まるのだ。それで試しに保存して再度開いてみると、以前修正したものが元の木阿弥。またフリーズして、再度開く、なんどやり直しても元の木阿弥。・・・・ 我が家のマック、私より先に認知症になってしまったのか・・・。

 【追記その3】2026/9/29:またまた勝手にシャットダウンする場合も生じだした。これはiMacの問題か(となると、もう寿命ということになる)、それともソフトのヴァージョンの問題か、いずれにせよ、もはや信頼できない感じ。

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面白い指摘かも:なぜ幕末に日本だけが独立を保ち得たのか

 2026/09/07 「坂本龍馬でも西郷隆盛でもない…明治維新を成功させ植民地化から日本を救った”ラッキーな2つの出来事”」(https://president.jp/articles/-/118466)

 書かれている内容は、西洋史と日本史を年表で重ねれば自明のことであるが。

 案外この件を書いた予備校教師はこういった単純作業をしていて気付いたのでは。

 自称専門家たちが陥りやすい専門性の間隙(盲点)を縫っての着眼点と、私には思える。

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