少しだけ進んだ?、欧米のコンスタンティヌス観

 別件をググってて以下のウェブ論文が偶然ヒットした。Rebecca Denove, Constantine’s Conversion to Christianity(https://www.worldhistory.org/article/1737/constantines-conversion-to-christianity/)。

 著者は合衆国のペンシルベニア州にあるUniversity of PittsburghのSenior Lecturerらしい。なにしろ簡単な叙述なので、意を汲む方向で、細かいことはご容赦ください。

 冒頭で、コンスタンティヌスはキリスト教を受け入れた最初の皇帝として称賛されているが、彼はキリスト教を合法化した最初の皇帝ではなかった、と喝破していて、これで私は彼女の所説に関心をもったわけ。女史はその理由として、軍人不足に悩んだ紀元3世紀の様々の将軍たち(これに正規ないし簒奪の諸皇帝も含まれるはず)がキリスト教徒採用のため統治領域内で寛容令を発布していたが、彼らが戦闘で殺害されると、それら勅令は道端に捨てられてきたのだ、と主張していて、この解釈は要点で正鵠を射ていると、私は思う。もっといえば、彼らは自分の兵士がキリスト教徒であるかどうかなんか問題にしなかっただけのことだろう。生きるすべとしてキリスト教徒で兵士になった者たちにしても兵士と信者であることの葛藤なんかほとんど感じなかったに違いない。

 313年のミラノ勅令の評価にしても、それでキリスト教は許容されていた帝国内の幾千もの帝国先住民たちnativesの信仰の一つに過ぎなかった、としていて、この理解もおおむね正しいと思う。あえていえば、その時々の事情で乱発されていた勅令(というよりももっと軽い、現在日本での政令、といったほうがいいはず)を、いずれにせよ金科玉条のごとく奉って捉えるべきではない、と私は思っている。ま、他に史料がないのだからそれなりに検討しなければならないが。

 女史は、当時の帝国民6000万のうち、300万がキリスト教徒だったにすぎないが、他方、ユダヤ教徒は1100万人[も!]いた、という数字を挙げ、コンスタンティヌスが変化の風を予見してたと主張する研究者もいるが、彼には事前になんらかの信念があってのキリスト教公認だった可能性がある、としていて、このくだりには私も「おおっ」と思わず前のめりになったものだが、その根拠が父コンスタンティウスと同様に彼も不敗太陽神信仰に帰依し、それを父に同行しての従軍中に受け継いだのだろう、と想定していて、このあたりから、私はちょっと女史と距離をとりたくなってしまった。

 だがまあ、コンスタンティヌスはすべての帝国住民の諸宗教を受け入れていたし、彼のアーチ門には異教的モチーフしかないし、死に至るまで洗礼はうけていない、として彼は敬虔なキリスト教徒とは言えなかったとしていて、まあここまでは私も受け入れることができたとしても、だが、ドナティスト問題やニカイア公会議などを論じた後半の論述は、私には大いに不満で異を唱えたくなる内容だった。すべてが彼個人の宗教観に求められていて平板だからである。

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