イギリス出土の拘束具付き骸骨をめぐって

 2021/6/4研究雑誌Britannia情報:

https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/06/unique-burial-thought-to-be-rare-direct.html;an-unusual-roman-fettered-burial-from-great-casterton-rutland.pdf

 イギリスのラトランドRutland州グレート・キャスタートンGreat Castertonで、2015年に民家の改築工事中に骸骨が発見され、放射性炭素年代測定の結果、遺骨は男性で、後226年から427年と判明したが、この遺体の両足首には鉄製の足かせが付けられていたので、俄然研究者の注目を浴び、MOLA(Museum of London Archaeology)の詳細な調査が行われてきた。

イギリスとフランスでの奴隷用首枷出土地点と、グレート・キャスタートン
発掘地点と、発掘状況(頭部はない)
件の遺骨と足枷

 この男性は遺骨に残されていた痕跡から生前苛酷な労働に従事していたこと、またほんの60m先にローマ時代の墓地があったにもかかわらず、その外のしかも溝に斜めに埋葬されていた。

 古代ローマ時代の鉄製の足枷は数多く発掘されていて、当時の奴隷の拘束具だったと考えられているが、遺骨に装着されての出土はイギリスでは今回のものが初めてではとはMOLAの研究者の見立て。

はレントゲン写真で鍵の部分が詳細に見えてる感じで興味深い
たぶんこのような鍵構造だったのだろう:A pair of slave shackles linked by a padlock bar, on display in Norwich Castle Museum (image: Murdilka)

 とはいうものの、イタリアと違いさすがイギリスの研究者、なかなか慎重で、こういった拘束具付きでの埋葬は、奴隷に限らず死者を侮蔑したり、死後の霊魂を縛る目的でのものもあるので、一概に奴隷とは考えられないとの見解も示している(が、結論的には奴隷だったとにおわしているが)。それにDNA鑑定で、意外と遠隔地からの訪問者も確認された。北アフリカや中近東出身者である。

 この情報に接して思い出すのは、京都の古代学協会によるポンペイのいわゆる「カプア門」付近の発掘調査の最終段階の2002年に、北側城壁から約20m外側で、火砕流で流されてきた男性遺骨二体が、地表下7mから発見され(第一報の新聞報道では一人は少女とされていた)、男性は身長170cmで(もう一体は150cm)、彼の足首にやはり鉄製の足枷が付けられていたので、おそらくウェスウィオス山の裾野の農業ウィッラで労働・拘束されていた農業奴隷だったのだろうと結論された事例である(https://www.kodaigaku.org/study/study.html)。この発見はそれまで獣骨やゴミ出土ばかりだったので、「最後の最後に人骨が」と古代学協会の皆さん大変喜んでいたのを懐かしく思い出す。それにしても、もう20年も昔になるのか・・・

【補足】2020/6/12の報道によると、フランスのサントSaintesの円形闘技場は18000人収容できる現在フランスに残る最大のものであるが、その西250mの建築現場から後1-2世紀の墓地が発掘された。

サントと、円形闘技場の位置
サント円形闘技場の現況と想像図

 そして、約300の墓地の中から鎖で繫がれたままの大人四人、子供一人の骸骨が出土した。大人の三人は足首を鉄の鎖で縛られ、四人目は首に首輪も、子供は手首に鎖が付けられ、溝の中に互い違いに埋葬されていた。それで彼らは奴隷身分で、この墓地は、おそらく闘技場で処刑された人々の墓地だったのかもと想定されている。

、拡大頭部の首輪;、同じ人物の足枷にも注目

 だが、2005年にはイギリスのヨークで、大腿骨に野獣に噛まれた跡のあるのがDriffield Terraceで出土していた由で、それは野獣刑で犠牲になった者と想定されているし、同時に両足首に足枷嵌められた遺骸も出土しているようで(しかも頭部が切断されているのがここの特色とか)、そうなるとグレート・キャスタートンのものが最初という言説は成り立たないような気がするがどうだろう(https://www.theguardian.com/science/2010/jun/07/york-gladiator-graveyard;https://static1.squarespace.com/static/5c62d8bb809d8e27588adcc0/t/5d0779edfb33ed00011bbe70/1560771061518/Driffield-Terrace.pdf)。

、ヨーク西南の墓地地帯の地図、川向こうの北東隅に軍団駐屯地;、野獣の咬み跡
件の遺骸と、両足首の足枷

 しかもである。ブリテン島には、Isca Augusta(Caerleon)、Deva(Chester)、そしてEboracum(York)にローマ軍団が常駐していた歴史があり(Viroconium(Wroxeter)にも一時:今は補助軍には触れない)、上記2箇所には当然のように円形闘技場遺跡が確認されるにもかかわらず(ブリタンニア全体では都合15)、ヨークだけは未だその場所が不明とされ、現地ではその発見が話題となっていて、古代ローマ史ハンターたちの格好の調査対象となっている由。現在のヨーク大学構内の地下駐車場の下ではとか、セント・メアリーズ修道院構内地下じゃなかろうかとか・・・。

、軍団駐留地;、円形闘技場遺跡

 と、まあこのようにこの分野の研究はそれなりのエビデンス(えー、わざと使ってます)の蓄積あるので、研究対象になり得るとは、若いの誰かやらんかいという、老爺のお節介です。

 ただ、コンスタンティヌス大帝がご当地軍団によって皇帝歓呼されたと想定されているのは現在のミンスター教会で、そこはかつての軍団駐屯地だったから納得できても、円形闘技場の候補地に想定されているセント・メアリーズ修道院もヨーク大学もその区画、ということは、今般の遺骸出土地とはウーズ川を挟んで1.5km離れていることになり、この距離はちょっとありすぎのような気がしてならない。むしろ、墓地に近い川の南側に想定すべきではと愚考したくなるのである。

、中央から右側がDriffield Terrace
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