田川建三氏が一昨年毎日文化出版賞をもらった。それは知っていたが、それがらみで『新潮』2018/2に「パン屋さんと学者の仕事」を書いていることを最近知って、わが専用図書館で調べてみた。そこにこんなことが書いてあった(pp.300-301)。
「学者稼業の人間は、学問をやることができるようにと、いろいろ優遇されている。いろいろ面倒もあるとはいえ、やっぱり、学問をやるための自由な時間を大量に保証されて、必要な資料等を入手する便宜もはかられている。しかしこれは、与えられたものである。我々がしっかり仕事をするようにと世の中の皆様から与えられたのだ。とすれば、その学問の成果は、与えて下さった方々にお返ししないといけない。・・・ つまり学問の成果も、少なくともそのことに興味を持つすべての読者の方々に、十分に明晰でわかり易い仕方で提供されないといけない。・・・ 読者が専門家の書いたものをお読みになって、どうも何だかよくわからいね、とお思いになったら、それは、その読者に理解力が不足しているからではなく(そういう場合もないとは言わないが)、たいていは、その学者さん自身が事柄をよくわかっていないから、それでうまく説明することがおできにならない、というだけのことである。 ・・・ このたび七巻八冊の大著を仕上げることができたが、この程度の仕事をやったとて、自慢にはなるまい。・・・ 世の中の多くの方々が黙ってそれぞれの義務を果たしていらっしゃるのだから。」
それを読んで、久し振りに弓削達氏が似たようなことを昔書いていたのを思い出した。大学教員は、国立はもとより、私立でも給与の半分は私学助成、すなわち国民の血税で養われているのだから、学問的成果を国民にお返しする義務がある、とどこかで書いてあらしゃった。
私など、常日頃、自分の不勉強は棚に上げ、ろくに社会還元もせずに「ああ、研究費がもっとあれば・・・」と身の不甲斐なさをかこち不満ばかり言っているので、こういう謙虚なお言葉に触れると、深く反省させられる。かろうじて、年間一本をとにかく書くことを自らに課してはきた。それでいばれることでもないし、わかりやすく書けていたかどうかは、だましだましの内実を一番よく知っているので、胸張っていうことはできないが。
しっかし、それにしても、国民からの禄を食みながら、ロクに論文すら書かない(書けない、書けなくなった)大学教授がなんと私の身近にもいらっしゃったようだが、なにをお考えになっているのか、頭の中をかち割って覗いてみたい気がする。たぶん納税者のことなんか、意識もしていないのだろうな。
と、まあ他人のことは簡単に言えちゃうわけですが。
【補遺】ここで述べておこう。私はこれまで私なりに将来追求しようと思ってきていた研究ネタを「企業秘密」と称して秘匿してきたが、ことここに至り先のない身であるので、公表していく。願わくば、立志後進の益ならんことを。
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