忘れられた名著?

 また悪いクセが出た。
 アウグスティヌスに絡んで、ある邦語の本を読んでいたら、とんでもない本にゆきあたってしまった。それは、戦前に出たイタリア語からの翻訳書で、上智だとキリシタン文庫に所蔵されていて、戦後も改訳版が出ていて、そっちは中世思想研にあった。
 それらを見ていたら、原本がみたく(ほしく)なり、年金生活者のくせに性懲りもなく海外古書に発注してしまったのだ。届いた紙装本は節約して安物にしたせいか、もうぼろぼろで・・・、ウェブ写真で見たものとは似ても似つかぬ姿だったのだが。
 以下は、原稿を書いたEvernoteからの転写である。いずれ写真を添付して紹介したい。

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 Giovanni PapiniのSaint’Agostino,1929 が出版されて、五十嵐仁は、すぐさまフィレンツェ在住の著者に翻訳許可を求める書簡をしたため、快諾を得た。翻訳の出版は1930(昭和5)年12月21日で、『パピニ 聖オーガスチン』発行所アルス、がそれである。
 なぜか翻訳者名には寺尾純吉という筆名を使っていた。上智大学図書館の「キリシタン文庫」には、その翻訳者が和名の筆名で(だが、ローマ字でIgarashiのサインも添えられている)ヘルマン・ホィヴェルス先生(神父)に献呈したものが未だ所蔵されている。ちなみに献呈の日付は1930年12月29日。どういう経緯か不明だが、その献本は長らくキリシタン文庫長だったヨハネス・ラウレス神父の手に移った。
 装丁は小豆色のしっかりしたハードカバーで、背表紙には金字で著者名、書名、譯者名がイタリア語と日本語で表記され、表紙には黒字でイタリア語のみで、上に書名、下に著者名、その間に心臓に2本の矢が上から交差状に刺さり、下まで貫通し、心臓の上に炎が描かれた図案が配置されていて(今は詳しく触れないが,他に、炎の火花状のものが4箇所描かれている)、かなり凝った作りとなっている。

 その図案のあらましは、たぶんアウグスティヌス『告白』9.2に由来し、直接原著の表紙から構想を得たものだろう。調べてみると、13世紀創設の聖アウグスチーノ修道会の会章は心臓を貫いている矢こそ1本であるが、やはり心臓の上には炎が見えている。私のところに北イタリアのAlessandriaの古書店から来た原本古書の表紙は、白地で文字は黒、心臓関係の図案が赤、という違いはあるが、シンボル関係は翻訳本と同じである。

 翻訳書を開くと、口絵に白黒で、なんと私も好きなアリ・シェフェール筆「聖オーガスチンと聖モニカ」(1854年)の白黒写真(原著にはない)、そのあとに「譯者序」が付されていて、翻訳の機縁などが述べられている。そこに1930年がかの聖人の没後1500年に当たることも明記されているので、原著や翻訳の契機は自ずと明らかであろう。ちなみに著者パピーニは1881年1月9日フィレンツェ生まれだから、当時49歳と気鋭の時期だった【逝去は1956年7月8日、65歳:ウェブ検索すると、若いときの個性的な頭髪の野心満々な姿と一緒に、どういうものか、言語障害をもたらした大病を患って衰えた姿の彼が、自宅の書斎で孫娘に口述筆記させている1955年9月19日付けの写真や、もう一人別の孫娘で役者の写真なんかも出てきた。巻末に付された同出版社の既刊本の列挙の先頭に、パピニ著大木篤夫譯『基督の生涯』も掲載されていて、著者はこの時期日本でもすでに定評ある書き手だったようだ。実は,その翻訳も後日入手してしまった。ところで上記シェフェールの絵は、ヌミディア人的風貌のアウグスティヌスを表現していて私には好ましいのだが、実は吉満義彦(1904-1945年)の『告白碌における聖アウグスチヌスの囘心への道』(Congregatio Mariana 2)上智学院出版部、1945年、の口絵にも使われていて、さすがと思わされる】。

  本書は、戦後の昭和24(1949)年3月に、中央出版社から、ジョヴァンニ・パピーニ(五十嵐仁訳)『聖アウグスチヌス』として訂正再版された。これは中世思想研究所にある。敗戦後という時代を反映して、薄っぺらな紙装本だが、表紙の図案は今回むしろイタリア語原著と同様となっている。ただ、すでに酸性紙特有の劣化が進んでいて、むしろ戦前もののほうが読みやすいくらいだ。この版には口絵も前書きもないが、その代わりに巻末に「譯者の言葉」が添えられていて、そこに版権取得時に著者から送られてきた快諾の書簡が紹介されていたり、翻訳者はその後1938年から「一官吏として」ローマに行き、終戦の暮れに浦賀に帰国したこと、原著者の生まれ育ったフィレンツェにもよく行ったし、ローマで最後に住んでいたジョヴァンニ・セヴェラーノ通りVia Giovanni Severano(ここはローマ・テルミニの北北東、というよりティブルティーナ駅の西側のといったほうが早いだろうか、Bologna広場の北西に延びている通りである)ではすぐ近所に著者のお嬢さんの婚家があって、「眼の不自由な作家が、ちょいちょいやってくることを、門番の口から聞きもした」が、訪れることもなく終わった、などと書かれていて、亡くなるだいぶ前から作家として著者が不自由な体だったこと、たぶんそれもあって訪問を遠慮していたことも窺える文章に出会え、私にとって興趣大いなるものがある。

 そして、問題の箇所は、原著でp.45-47、戦後の翻訳でp.42-44で、読者は見逃しがたい叙述に出くわすことになる。さすがイタリア人!と絶句せざるをえない、はずなのだが。

 アウグスティヌスは、マダウロスから学業半ばで故郷に帰ってきて、無聊を囲う1年を過ごした時に堕落した生活に陥るが・・・
 
p.43-4「ここにかれは偽らない、しかも明瞭な言葉をもって、友情の堕落、肉慾にまで堕落した友情、肉慾と合體した友情に就いて暗示しているのである。・・・「肉慾によって穢された友情」とは、男の友だちを暗示している。」

 な、なんと、アウグスティヌスが女だけでなく、男色もやってた、とパピーニが明言しているわけで、もう脱帽するしかない。
 かくして、私の「珍説その3」も、90年近くも昔にすでに喝破されていて、新説とはいえないことに。まあ男色は、ローマ史からすると別段驚くべきことではないのだが。養子皇帝で帝権をつなげたいわゆる「五賢帝」の最初の四人は、まさしく女性に興味なかったからから子もなしえず、その故の養子縁組だったことを想起すれば十分だろう。
 しかるに、我が国の自称アウグスティヌス研究者でこれを指摘している者を私は知らない(西洋では、ある女性研究者がそれを指摘している、とどこかで読んだ記憶があるが、それにしてもそれはここ2,30年前のことだったとボンヤリ記憶している)。しかも、パピーニのこの書物を利用して、アウグスティヌスとアンブロシウスの冷たい関係を指摘している、として引用している研究者はいるのだが、男色のほうにはまったく触れないのである。これを偏向といわずしてなんと言うべきか。それにしても、これでは最近の研究者は相も変わらず縮小再生産に嬉々として従事している、と言われてもしょうがないだろう。

 実は、私主宰の読書会で,昨年出版された以下の岩波新書を読んだ社会人女性が、読後感としてそれを指摘していた。
  出村和彦『アウグスティヌス 「心」の哲学者』
 私は、筆者にこの点をどう考えるかメールで問い合わせたのだが、返事は「書き手が意図してない読み方をされてビックリです」だった。
 これこそ素人がプロを凌駕する健全な読解力を示した典型例というべきではなかろうか。繰り返す、これでは、専門家とは実はお仲間の中での共通言語で遊んでいる輩にすぎない,といわれても弁解の余地はないだろう。赤面して、研究者の看板を下ろしていさぎよく退場すべきだろう。

 付記:ここでアウグスティヌス関係の「私の珍説」とは以下の事例である。(〇付きが現在オリジナルのつもり、△は先行研究不十分)
  彼の『告白』叙述の秘密
   彼の出生の秘密:ヌミディア性 △
   彼の家族の秘密:母はめかけ? 〇 
   彼の男色疑惑 〇 → △
   彼の異性関係の秘密
   彼の立身出世の秘密:マニ教ネットワーク
   彼の回心の秘密:△
   彼の司祭・司教就任の秘密 〇
   彼の設立修道院の秘密 〇
  彼の使用言語の秘密 △
  彼の神学の秘密:山田氏にお委せ
  彼の死後の図書移動の秘密 △
  彼の遺骸移動の秘密 △
  彼の神学が西部帝国に伝播した本当の理由△

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