Aurelius Victor, Liber de Caesaribus,1.1-5.12

 日進月歩といいたいところですが、そうもいかず・・・(一応の訳了は1年後の予定ですが、さて)。いつまでたっても手直しに切りがないので、ばらばらですが、手を加えたところから、恥ずかしながらたたき台としてアップさせていただきます。(といいつつ、次回がいつになるやら)
 秦剛平氏は、エウセビオス『教会史』や『コンスタンティヌスの生涯』において、意訳箇所に逐一訳註をつけて克明に明記されてます。それは一般読者としては相当にわずらわしいのですが、研究者の翻訳倫理としては本来そうあるべきだ、と私も思います(その彼に細かいことですが私なりにイチャモンつけたい箇所もありますが、それは別の場所で)。ここではできるだけ逐語訳で作業し、最終的に読みやすい「超訳」 (^^ゞを試みたいというのが、私の念願ですが、もとより文才なく、その上先のない身なので、期待しないでお待ちください。
 いずれエウトロピウス『首都創建以来の略史』全10巻もこの作業をしなければと思ってますが、そのためにはだいぶ先まで惚けずに頑張らないと。しかしたとえ私がついえても、若い世代で継いでやってくださる方が出てくることを信じています。それが研究というものではないでしょうか。

 本翻訳で使用のラテン語テキスト:
  Recensvit Fr.Pichlmayr et R.Grvendel, Sexti Avrelii Victoris Liber de Caesaribvs, in:Bibliotheca Tevbneriana, Leipzig, 1970=http://www.thelatinlibrary.com/victor.caes.html
 現代語訳註(*原文テキストを含まない):
  *by C.E.V.Nixon, An Historiographical Study of the Caesares of Sextus Aurelius Victor, Diss., Michigan, 1971.
  par Pierre Dufraigne, Aurelius Victor Livre des Césars, in:Les Belles Lettres, Paris, 1975.
  par Michel Festy, Sextus Aurelius Victor, Livre des Cesars, Thèse Doct. de l’Université Paul Valéry-Montpellier III, 1991.
  *by H.W.Bird, Aurelius Victor:De Caesaribus, Liverpool UP, 1994.
  von Kirsten Groß-Albenhausen u. Manfred Fuhrmann, Die Römischen Kaiser Liber de Caesaribus, in:Tvscvlvm, Darmstadt, 1997.
 索引辞書:
  Conscripsit Luca Cardinali, Aurelii Victoris Liber de Caesaribus Concordantiae et Indices, vol.I, in:ALPHA-OMEGA, Hildesheim/Zürich/New York, 2012.

 訳文中での記号、他:
  [ ]:テキスト段階の異読・付加等の場合
  ( ):文脈上の翻訳者の補い
  【 】:翻訳者のコメント
  ラテン語表示:訳語の統一を図るために、ここでは便宜上入れていますが、形式はふぞろいかもです。
  訳注:とりあえず『上智史學』60ー63号(2015ー17年)掲載を参照願いますが、ここでも修正がないわけではありません・・・。なお、そのpdf文書は「上智大学学術情報リポジトリ」(http://digital-archives.sophia.ac. jp/repository/)から「アウレリウス・ウィクトル研究会」と検索にかけると、入手可能です(但し、最近発行の第62号分は未掲載)。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

        セクトゥス・アウレリウス・ウィクトル
   『皇帝列伝:アウグストゥス・オクタウィアヌス以来の略史、
  すなわちティトゥス・リウィウス(の書)の末尾(前二七年頃)から、
正帝コンスタンティウスが一〇度目、かつ副帝ユリアヌスが三度目の執政官職
          (三六〇年)までの(略史)』

第1章
 1:ほぼfere首都(創建後)七七二年目(前三一年)に、今やetiamローマで一人(の人物)にただただ服従すべしとの慣習が生まれた。なぜならnamqueオクタウィアヌスは、オクタウィウスを父とし、大伯父との養子縁組によってカエサルの、そしてまもなく領袖たちの決議で、諸派閥への(彼の)派閥の勝利が控えめに行使されたことにより、アウグストゥスの添え名で呼ばれたがdictus(それは)、彼が金品で兵士たちを、穀物管理でとりわけ大衆vulgoを取り込んで、他の者たちをもまったく困難なく屈服させたからだった。
 2:そのようにしておよそcirciter四四年間が経過し、彼は病をえてノラで逝去したconsumptus。(その間)市民たちの帝国にラエティアとイリュリクムが加えられ、そして(帝国)外の諸民族の凶暴さは、ゲルマニアを除き沈静化された。
 3:ヌマの後の三人目として、(彼は)アントニウスに勝利すると、ヤヌス(神殿の門)を閉じた。それはローマ法によって諸戦争が鎮まると行われることだった。
 4:性癖的にかの人物は市民的で魅力的だったが、まったく節度がないほどの贅沢三昧と諸競技に熱中し、そしてまた睡魔には抑制がきかなかった。
 5:(今と違って)たくさんいた学者たちと(その)取り巻きたちに(彼は)大いに敬意を払っていた、(それは彼が)雄弁の研究と宗教儀式に驚くほどmire惹かれていたからであった。
 6:彼は寛容さゆえに国父で、また終身護民官職権tribunicia potestateを有していた。そのため(彼を)神に、ローマと全属州でのきわめて著名な諸都市を通じて、(彼の)生存中と死後を問わず、諸神殿、諸祭司団sacerdotes、および諸神官団collegiaが聖別していた。
 7:それほどにadeo彼は幸運felixに恵まれ[子供たちと、やはりtamen同時にsimul結婚は別だったが]、インド人、スキュタエ(スキュタイ)人、ガラマンテス人およびバクトリア人は諸使節を派遣して、同盟を嘆願したほどだった。

第2章
 1:次いで、クラウディウス・ティベリウス・ネロは、アウグストゥスの子供たちの中に継子から養子縁組で迎え入れられていたが、恐れていたことどもが(杞憂で)十分にsatis安全であると気づいてから、帝権を受け入れたが、かの(アウグストゥスなる)称号は老獪に拒んでいた。狡猾で必要以上に秘密主義の彼は、しばしば偽って殊にmaxime欲していたことどもを嫌ってみせ、嫌悪していたことどもに欺瞞的に専念したりした。素質的には突発的なことにはるかに鋭敏だった。はじめこそ良かったが、その後(彼)は有害となり、ほぼfereあらゆる年齢性別に対し非常に手の込んだ情欲を持ち、かつ無実だろうとなかろうと厳しく罰し、(これは)自分の身内であるなしに関わらず同様だった。
 2:その上つまりadhuc dum、諸都市や諸集会を忌み嫌うあまり、カプレア(カプリ)島を諸々の破廉恥行為を隠すために求めた。
 3:それゆえ軍事をなおざりにしたので、ローマ法(の下)の多くの場所が強奪された。(治世)劈頭のカッパドキアを除くと、何ひとつ属州として征服されず、(それさえ)アルケラウス(アルケラオス)王が追放されたからだった。ガエトゥリ族の諸々の盗賊行為が鎮圧されたが、彼らは頭目タクファリナスの下でいたるところを襲撃していた。
 4:同時にsimul、スエビ人の王マロボッドゥスは巧妙な計略ではめられた。加えて近衛大隊が集結させられた。(それまで)近くの諸自治都市や、あるいはローマ(市内)で各邸宅に分散宿営していたのを、彼は首都隣接の陣営内に移した。彼はそこで(近衛大隊を)指揮すべく近衛長官職の称号を与え、また(その職権を)強化した。これに対しnam、身辺警護隊員の別の者たちと首都警護隊員たちを設立したのは、アウグストゥスである。

第3章
 1:かくして(ティベリウス・)クラウディウスは熱病ないし諸々の奸計により没した。そのとき彼は二三年間帝権を行使しegisset、八〇歳に一歳足りなかったが、添え名カリグラなるガイウス・カエサルが、皆から熱望されて選ばれる。(それは)祖父たちと父(ゲルマニクス)への信望のゆえだった。
 2:なぜならnamque、(アウグスティヌスの)娘を通じて曾祖父がアウグストゥスで、母方の家系にアグリッパが、ドルススがゲルマニクスの父で、(カリグラは)彼(ゲルマニクス)の子で、彼ら(アウグストゥス、アグリッパ、ドルスス)が祖先だったからである。
 3:彼らの慎み深さと、オクタウィアヌスを別にしての時期尚早の突然の死に(加えて)、大衆vulgusは同時にsimul(カリグラの)母と兄弟たちの(死)にも同情していた。ティベリウスが彼らを気まぐれな災禍で葬り去ったからである。
 4:その理由で、あらゆる者がこれほどの家系の没落を青年への期待でなだめようと努めたわけで、特に彼は軍隊内で生まれ[そこから彼は添え名を軍用靴にちなんで得ていた]、諸軍団にとって愛らしくかつ歓迎されていた。
 5:加うるに、彼はきわめて聰明だったので、誰もが彼ら(祖先)に似るだろうと信じていた。だがそれは、まったく期待とは裏腹がいわば自然法であるかのように、しばしばまるで意図したかのごとく、悪人たちが善人たちbonisから、粗野な者たちがより教養ある者たちから(生み出され)、他のことどもでも同様で、また逆も真なのである。
 6:ついにその先例から賢人たちの多くが、子供たちなどいない方がよりましだと考えるに至った。
 7:その上ceterum、カリグラにおいては、彼らはそれほど間違ってはいなかった。実際、彼は長い間気質の粗暴さを慎み深さと見せかけの従順さで覆い隠していたので、その結果正当にもmerito人口に膾炙したように、彼より良い従僕たちはいなかったが、彼ほど残酷な主人もいなかった。
 8:要するにdenique、職権を手に入れた彼は、このような本性(を持つ者)が近頃常にそうであるように、その年の数か月間諸々の偉業を、民衆へ、元老院議員らの内部で、兵士たちと共に司った。そしてある陰謀が報告されると、とても信じられないかのように、(そんな陰謀は)自分にふさわしくない、なぜなら(自分の)生命など誰にとっても負担や厄介でないからだ、と公言していた。
 9:しかし突如、最初は気まぐれな行為で無実のごくわずかな者たちを粉砕してからはcaesis、あたかも獣が生き血を飲み干すかのように本性をむき出しにし、こうしてその後三年間が過ぎたがconsumptum、その間元老院と最良者たちoptimi各々のたび重なる災難で地球はひどく傷つけられた。
10:むしろ今やetiam、姉妹たちを凌辱し既婚貴婦人たちを弄んでは、神々の装束を着て歩き回っていたが、それは「予は近親相姦によってユピテル神であり、さらにはバッカナリアの合唱でリベル神なり」と主張するためだった。
 11:かと思えばneque secus、ゲルマニア内に踏み込む期待で一ヶ所に諸軍団を集結させた挙げ句、二枚貝や巻き貝を大海(大西洋)の岸辺で拾い集めるよう命じたりもした。
 12:その際彼自身、あるときは流れるようなウェヌス女神の衣装で(兵士たちの)間に立ち、またあるときは武装して、自分への戦利品(貝殻)は人間たちからではなく天界から奪ったものだと強弁したが、明らかにこのような類いの魚(海産物)をギリシア人たちの呼ぶところにしたがいーー彼らはあらゆるものを大げさに言いたがるのだがーー、ニンフたちの瞳と彼は解釈したのである。
 13:これらのことで増長して、(自分のことを)ご主人様dominusと呼ばせdici、そして王の標章を頭に巻き付けようと企てるに至った。
 14:それが原因で、カエレアを首謀者として、鼓舞された者たちーー彼らにはローマ人の武徳が宿っていたーーが、かくも恐るべき破滅からpernicie彼を刺殺して国家を(専制政治から)解放した。タルクイニウスを追放した際のブルトゥスの卓越した偉業が再現されたことだろう、もし真のローマ人において軍隊がそれを行ったのであれば。
 15:だが(実際は)市民たちは怠惰にも外国人と蛮人を軍隊に徴募する欲望に取りつかれ、道徳は退廃し、自由は抑圧され、そして所有への欲求は増大していた。
 16:とかくするうちにinterim、さらにdum元老院決議により今やetiam女性たちも含めた皇帝たちの一門とすべての縁戚者を武装兵たちが捜索していて、はからずもウィミウスなるエピルス(エペイロス)生まれの(近衛大隊)歩兵所属の百人隊長がーー彼らは宮殿でしかるべき拠点で見張っていたーー、身を潜めていた(ティベリウス・)クラウディウスをぶざまな隠れ場所で見つけ出し、彼を引きずり出して、仲間たちに向かって叫んだ、「お分かりか、元首であらせられる」と。
 17:そしてたしかにsane彼は(精神的に)まともでなかったので、きわめて扱いやすいと洞察力のない人々に見られていた。そのことが伯父ネロ(ティベリウス)の邪悪な精神に対して助けとなり、兄の息子カリグラにおいても嫉妬とならなかった。むしろ今やetiam彼は兵士たちと平民militares plebisqueの心を掴んでいて、つまりdum彼への(一族の)目にあまる支配で、彼自身はきわめて哀れむべき存在と同情すらされていた。
 18:そのようなこと、そして多数のことが突如思い出され、誰も躊躇することなく彼をそこにいた群衆trubaeが取り囲み、同時にsimul他の兵士たちmilitumと大勢の大衆vulgiが殺到してきた。それを元老院議員たちが把握するや否や、(自分たちが)この企てausumを鎮圧可能かどうかと、すぐさまocius(人を)派遣する。
 19:しかし、種々のそして忌むべき諸反乱seditionibusで共同体と全身分が引き裂かれてしまった後なので、いわばtamquam帝権からの(命令であるかの)ように全員が(彼に皇帝として)恭順したのである。
20:こうしてローマでは王的職権が強固となり、そしてより平易に明らかにされたのは、死すべき存在(人間たち)の努力など運命の女神fortunaにとってかくも空しく、そして粉砕されてしまうcaesosqueということだった。

第4章
 1:かくしてigiturクラウディウスは、恥ずべきほど胃(の腑の食欲)に従順で、同様に(精神的に)まともでなく、かつ忘れっぽくて臆病な気質で、そしてきわめて怠惰だったにもかかわらず、多くのことを恐怖によってにせよ、とりわけpraecipue貴顕階層の諸助言にたいして、やはりtamenすばらしい配慮を示していた。その階層を彼は畏怖していたので尊重したのだった。実際quippe、愚か者たちの本性は、こうしてproinde助言者たちの意のままに行動するaguntからである。
 2:要するにdenique、良き後見人たちによって彼においては諸悪徳が、かつガリアにおいてはドルイド僧たちの悪名高い迷信が鎮圧された。可能なかぎりの有益な諸法が提案された。軍務も遂行され、諸国境は維持され、ないしローマ帝国に(新たに)以下が与えられた:東方ではメソポタミア、北方ではレヌスとダヌビウス、そして南方ではマウリ人が諸属州に加わったが、(最後のものは)ユバのあと王たちが廃されたことによる。そしてムスラミイ人の手勢manusが粉砕されたcaesaque。同時にsimul極西では、ブリタンニアの各地が粉砕されたが、彼はブリタンニアのみを訪れ、オスティアより海路進発した。これに対してnam、他のところ(の征服)は将軍たちが遂行したのである。
 3:その上さらにadhuc、穀物供給の欠乏が解決された。それをカリグラが引き起こしていた。つまりdum彼は、全世界から船舶を駆り集め、海上通路を諸劇場と諸戦車のため公共的損失をしてまでも造ろうと頑張っていたのだ。
 4:かと思えばneque secus、人口調査を新たにおこない、元老院から多くの者たちを締め出したが、ある軽薄な青年がいて、彼を自分たちにとって素晴らしいと親が主張したのでそのままにした時、彼(クラウディウス)は正しくも付け加えたものである。父親こそ子どもたちにとって監察官なのだから、と。
 5:だが彼は配偶者メッサリナの、そして同時にsimulque彼が身を任せっきりだった解放奴隷たちの甘言により堕落へと引きずられていった際に、ただ暴君たちのそれらだけでなく、夫や主人が愚かであれば、女性たちや奴隷の最も愚かな種族ができそうなことを犯したのだった。
 6:なぜならnamque、かの妻は最初みさかいなくあたかも法に則っているかのように姦通をおこなっていた。そしてそれで、非常に多くの者たちが身内もろとも消滅させられたexstincti。それは本性あるいは恐怖から(彼女の誘いを)断ったからである。女性たちのよく知られた手練手管で、彼女がかつて言い寄った者たちを自分に言い寄ったと告発したせいである。
 7:その後dehinc、より凶暴になった彼女は、より貴顕な女性たちを、結婚していようが処女であろうが、娼婦のように自分とともに売春させ、男たちも参加を強いられた。
 8:そしてこのようなことを恐れる者がいたら、犯罪をでっち上げて彼自身と家系全体に残酷極まりなく振る舞った。
 9:なぜならnamque、クラウディウスは、上で我々が示してきたように、生来非常に怖がりだったので、彼らは、彼に恐怖、ことにmaxime共謀への(恐怖)を吹き込むことによって、悩ませていたからである。そのような策略で解放奴隷たちさえも今やetiam彼らが望んだ者たちを破滅へと追いやった。
10:彼らは、最初は(メッサリナの)諸々の悪事を黙認していたが、女主人と対等とされるや否や、彼女をもまた、主人も知らぬうちに、しかしあたかもやはり(彼が)命令したかのように、従者たちを通じて殺害した。
 11:そしてたしかにsane、(その)女性は次のようなところまで進んでしまった。つまり、気質(趣味)と愛妾たち(に会う)ために夫がオスティアへと出立している間に、彼女はローマで結婚式を他の男と挙げてしまった。それでこのため(彼女は)より悪名を高めたのだが、つまりdum不可解にmirum思えるのは、彼女が皇帝の(目と鼻の)先で皇帝以外の男と結婚したことである。
 12:こうして、最高職権を手にした解放奴隷たちは、淫蕩、追放、斬殺caede、財産没収によってあらゆることを汚し、そして家長(クラウディウス)の愚かさを駆り立て、その結果かの老人は兄弟の娘(小アグリッピナ)との結婚を渇望するまでに至った。
 13:彼女は先妻よりも一層突拍子もないとみなされていたとしても、そしてそれゆえ同様の(運命)に怯えてもいて、毒薬で配偶者(の皇帝)を片付けてしまった。
 14:彼の(統治)六年目にーー彼は一四年間支配したがーー、首都創建八〇〇年祭が驚くほどmire(の規模で)祝賀され、そしてアエギュプトゥス(エジプト)ではフェニックスが目撃された。うわさではその鳥は五〇〇年ごとにアラビアから名高い諸所へ飛来するとのことである。そしてアエガエウス(アイガイオス)海の中に突如巨大な島が、ある晩に出現した。それは月食が起こった時のことだった。
 15:その上ceterum、(クラウディウスの)葬儀funusは、かつてのタルクイニウス・プリスクスのように長らく秘匿され、つまりdum女性の手練手管で堕落した番兵たちcustodesは、(彼を)病人に見せかけ、そしてとかくするうちにinterim、彼によって継子ーー彼(ネロ)を彼はほんの少し前に子どもたちの中に受け入れていたーーに国家の管理を任されたと(偽って見せかける)。  

第5章
 1:かくのごとき方法で、ルキウス・ドミティウス[これに対して(というのも)namそれが断然certeネロの名前で、父はドミティウスだった]が皇帝とされた。
 2:彼ははるかに若くして義父に等しい年数権勢を司ったgessisset。やはり(はじめの)五年間は、首都を素晴らしくmaxime飾ったので、正当にもmeritoトライヤヌスはきわめてしばしば証言したものである、すべての元首たち(の統治)はネロの五年間にはるかに及ばない、とその期間に今やetiamポントゥス(ポントス)を属州法の下に、ポレモ(ポレモン)の許可によって移動させた。これにより彼(ネロ)はポレモニアクス・ポントゥスなる称号を与えられているappellatur。そして同様にコッティアエ・アルペスもコッティウス王の死により、そうなった。
 3:それゆえ、年齢が武徳にとって障害にならないことは、これから十分にsatis確知できるcompertum。(だが)放縦によって本性が堕落すると、それ(武徳)は容易に変化し、そしてその消失はいわば若気の至りの法則のように、より危険になって戻って来るものなのだ。
 4:なぜならnamque、彼(ネロ)はその類の不品行で残りの人生を過ごしたのでegit、かくのごとき人物についていささかなりとも思い出すのは不快かつ忌まわしい、まして(彼は我が)一門の指揮者rectoremであった。 
 5:彼は、つまりdum会衆者たちを前にギリシア人の発明による冠をかけての試合certamenにおいて竪琴を弾き始めた挙げ句、次のようなことにまで進んでしまった。すなわち、自分と他人の貞節に容赦せず、最終的にextremum結婚する乙女たちのヴェールを身にまとい、公然と元老院で婚資を与えられ、皆が祝祭の慣わしで祝う中、あらゆる怪物どもから選り抜かれた者との手権婚に同意したのである。
 6:それはたしかにsane、彼においてきわめて些細なことと評されるべきである。
 7:実際、犯罪者のように拘束された者たちに対して野獣の皮を被った彼は、(男女)両性に対し(彼らの)生殖器に顔をこすりつけたり、男どもを去勢してより重大な破廉恥行為に及んだのだから。
 8:その上atque、これらの中でも彼が母親すら今やetiam汚したと多くの者がみなしているが、つまりdum彼女もまた支配欲に駆られていて、冒瀆がなんであれ息子を服従させようと熱望していた。   
 9:それを著作家たちは種々証明に及んでいるので、私は真実だと思っている。
10:なぜならnamque精神に諸悪徳が浸蝕するとinvaserint、人間たるもの、羞恥心から外部の人々に結びつこうとは決してしないものだからである。罪を犯す習慣、新奇さそして彼により甘美さをもたらすものは、最終的にはextremum彼の身内の者たちの中で果たされるagit。
 11:そのことは彼ら(二人)によってより以上に明らかにされた。つまりdum、あたかも一種の進歩であるかのように、彼女(アグリッピナ)は他人たちから叔父との結婚へ、他人たちの拷問から夫の死mariti exitiumへと、(他方)彼(ネロ)のほうは漸次、ウェスタの巫女、それから自分自身へと(進み)、最後に両者ともども彼らの身内での冒瀆へと経過した。
 12:だがかくのごとき(悪徳の)魅惑にもかかわらず、やはりtamen彼らは一体となれず、それどころかそれで彼らはやみくもに振る舞い、互いに奸計を巡らした挙げ句、先手を打たれて母のほうが亡くなった。

Filed under: ブログ

コメント 0 件


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Comment *
Name *
Email *
Website