アウレリウス・ウィクトル『皇帝列伝』第1章-第42章

 日進月歩といいたいところですが、そうもいかず・・・(一応の訳了は1年後の予定ですが、さて)。いつまでたっても手直しに切りがないので、ばらばらですが、手を加えたところから、恥ずかしながらたたき台としてアップさせていただきます。(といいつつ、次回がいつになるやら)
 秦剛平氏は、エウセビオス『教会史』や『コンスタンティヌスの生涯』において、意訳箇所に逐一訳註をつけて克明に明記されてます。それは一般読者としては相当にわずらわしいのですが、研究者の翻訳倫理としては本来そうあるべきだ、と私も思います(その彼に細かいことですが私なりにイチャモンつけたい箇所もありますが、それは別の場所で)。ここではできるだけ逐語訳で作業し、最終的に読みやすい「超訳」 (^^ゞを試みたいというのが、私の念願ですが、もとより文才なく、その上先のない身なので、期待しないでお待ちください。
 いずれエウトロピウス『首都創建以来の略史』全10巻もこの作業をしなければと思ってますが、そのためにはだいぶ先まで惚けずに頑張らないと。しかしたとえ私がついえても、若い世代で継いでやってくださる方が出てくることを信じています。それが研究というものではないでしょうか。

本翻訳で使用のラテン語テキスト:
Recensvit Fr.Pichlmayr et R.Grvendel, Sexti Avrelii Victoris Liber de Caesaribvs, in:Bibliotheca Tevbneriana, Leipzig, 1970=http://www.thelatinlibrary.com/victor.caes.html
現代語訳註(*原文テキストを含まない):
*by C.E.V.Nixon, An Historiographical Study of the Caesares of Sextus Aurelius Victor, Diss., Michigan, 1971.
par Pierre Dufraigne, Aurelius Victor Livre des Césars, in:Les Belles Lettres, Paris, 1975.
par Michel Festy, Sextus Aurelius Victor, Livre des Cesars, Thèse Doct. de l’Université Paul Valéry-Montpellier III, 1991.
*by H.W.Bird, Aurelius Victor:De Caesaribus, Liverpool UP, 1994.
von Kirsten Groß-Albenhausen u. Manfred Fuhrmann, Die Römischen Kaiser Liber de Caesaribus, in:Tvscvlvm, Darmstadt, 1997.
索引辞書:
Conscripsit Luca Cardinali, Aurelii Victoris Liber de Caesaribus Concordantiae et Indices, vol.I, in:ALPHA-OMEGA, Hildesheim/Zürich/ New York, 2012.

訳文中での記号、他:
[ ]:テキスト段階の異読・付加等の場合
( ):文脈上の翻訳者の補い
【 】:翻訳者のコメント
ラテン語表示:訳語の統一を図るために、ここでは便宜上入れていますが、形式はふぞろいかもです。
訳注:とりあえず『上智史學』60ー64号(2015ー18年)掲載を参照願いますが、そこでも修正箇所があるでしょう・・・。なお、そのpdf文書は「上智大学学術情報リポジトリ」(http://digital-archives.sophia.ac. jp/repository/)から「アウレリウス・ウィクトル研究会」と検索にかけると、入手可能です。

 ここに本文のほうを一応アップします。意味不明の箇所が散在し、現在進行形で訳語もあれこれ思案し、『上智史學』の試訳はすでにかなり修正しておりますので、このブログのほうを参照して下さい。
 このところ、いまひとつ著者の語感がつかめなくてどうしたものかと思案しているのは、死亡に関する単語をどう訳し分けるか、です。「亡くなった」「死んだ」「滅びた」「消えた」「殺された」「殺害された」「殺戮された」・・・。絞殺や斬殺など明確な場合はいいのですが、それも他の並行史料でどうあれ、それで見当つけるのは避けなければなりませんし、辞書的にも多義あって思いのほか面倒です。
 共訳者の林君に言わせると、それはウィクトルが同じ単語を使わないで別の言葉で言い換えようとしているせいだ、ということになります。そういえばエウトロピウスの場合は同じ単語を使う傾向があって、翻訳も簡単だったことを思い出しました。その翻訳の場合、同一単語で訳せばむしろ簡単なのですが、ここではあえてこだわってみて、全巻で1,2度しか登場しない単語には角度のある訳語を付してみました。
 よろずご意見・ご指摘は遠慮なくお申し出ください。
 その際、本翻訳では、「逐語訳」でやっている点だけはあらかじめご了解ください。具体的に言うと、「可能なかぎり単語の順番通りに訳す:勝手に入れ替えない」「複数形はそれがわかるように訳す:単数と明確に区別する」「時制も動詞の形どおりに訳す:歴史的現在は現在形で表記する」「極力同一訳語をつけるようにする:翻訳者の意訳によるニュアンスの変化をできるだけ排する」、といった、まあ当然のことなんですが。
 ただ、これまでこの翻訳作業に対して、共訳者間ではかなり辛辣にやり合っていて(だから先になかなか進みません:欧米現代語訳註も肝腎の箇所で参考にならない場合が多く)、ある場合はそれを押さえ込んで豊田個人訳として公表してきたのが実情ですが、であれば世の専門家の方々はもっと言いたいことがありそうなものですが、これまでわずかお一人のみしかご指摘頂戴してません。批判にも値しないしろものだからなのか、それとも、これが内弁慶な日本の学界の現状なのか、いずれにせよ、いずれまとめて公刊を予定している身からしますと、はなはだ残念なことです。  

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セクトゥス・アウレリウス・ウィクトル
『皇帝列伝:アウグストゥス・オクタウィアヌス以来の略史、
すなわちティトゥス・リウィウス(の書)の末尾(前二七年頃)から、
正帝コンスタンティウスが一〇度目、かつ副帝ユリアヌスが三度目の執政官職
(三六〇年)までの(略史)』

第1章
1-1:ほぼfere首都(創建後)七七二年目(前三一年)に、今やetiamローマで一人(の人物)にただただ服従すべしとの慣習が生まれた。なぜならnamqueオクタウィアヌスは、オクタウィウスを父とし、大伯父との養子縁組によってカエサルの、そしてまもなく領袖たちの決議で、諸派閥への(彼の)派閥の勝利が控えめに行使されたことにより、アウグストゥスの添え名で呼ばれたがdictus(それは)、彼が金品で兵士たちを、穀物管理でとりわけ大衆vulgoを差配し、他の者たちをもまったく困難なく強いさせたからだった。

1-2:そのようにしておよそcirciter四十四年間が経過し、彼は病をえてノラで逝去したconsumptus。(その間)市民たちの帝国にラエティアとイリュリクムが加えられ、そして(帝国)外の諸民族の凶暴さは、ゲルマニアを除き沈静化された。

1-3:ヌマの後の三人目として、(彼は)アントニウスを打ち負かすと、ヤヌス(神殿の門)を閉じた。それはローマ法によって諸戦争が鎮まると行われることだった。

1-4:性癖的にかの人物は市民的で魅力的だったが、まったく節度がないほどの贅沢三昧と諸競技に熱中し、そしてまた睡魔には抑制がきかなかった。

1-5:(今と違って)たくさんいた学者たちと(その)取り巻きたちに(彼は)大いに敬意を払っていた、(それは彼が)雄弁の研究と宗教儀式に驚くほどmire惹かれていたからであった。

1-6:彼は寛容さゆえに国父で、また終身護民官職権tribunicia potestate perpetuoを有していた。そのため(彼を)神に、ローマと全属州でのきわめて活気のある諸都市を通じて、(彼の)生存中と死後を問わず、諸神殿、諸祭司団sacerdotes、および諸神官団collegiaが聖別していた。

1-7:ことにadeo彼は幸運felixに恵まれ[子供たちと、やはりtamen同時にsimul結婚は別だったが]、インド人、スキュタエ(スキュタイ)人、ガラマンテス人およびバクトリア人が諸使節を派遣して、同盟を嘆願したほどだった。

第2章
2-1:次いで、クラウディウス・ティベリウス・ネロは、アウグストゥスの子供たちの中に継子から養子縁組で迎え入れられていたが、恐れていたことどもが(杞憂で)十分にsatis安全であると気づいてから帝権を受け入れたが、かの(アウグストゥスなる)称号は策略的に拒んでいた。狡猾で必要以上に秘密主義の彼は、しばしば偽って殊にmaxime欲していたことどもを嫌ってみせ、嫌悪していたことどもに欺瞞的に専念したりした。本性的にはingenio突発的なことにはるかに鋭敏だった。はじめこそ良かったが、その後(彼)は有害となり、ほぼfereあらゆる年齢性別に対し非常に手の込んだ情欲を持ち、かつ無実だろうとなかろうと厳しく罰し、(これは)自分の身内であるなしに関わらず同様だった。

2-2:そのうえつまりadhuc dum、諸都市や諸集会を忌み嫌うあまり、カプレア(カプリ)島を諸々の破廉恥行為を隠すために求めた。

2-3:それゆえquare軍事的諸学芸をなおざりにしたので、ローマ法juris(の下)の多くの場所が強奪されたdirepta。(治世)劈頭のカッパドキアを除くと、何ひとつ属州として強いられず、(それですら)アルケラウス(アルケラオス)王が追放されたからだった。ガエトゥリ族の諸々の盗賊行為が押さえ込まれたが、彼らは頭目duceタクファリナスの下でいたるところを襲撃していた。

2-4:同時にsimul、スエビ人の王マロボッドゥスは巧妙な計略ではめられた。加えて近衛大隊が集結させられた。(それまで)近くの諸自治都市municipiisや、あるいはローマ(市内)で各邸宅に分散宿営していたのを、彼は首都隣接の陣営内に移した。彼はそこで(近衛大隊を)指揮すべく近衛長官職の称号を与え、また(その職権を)強化した。これに対しnam、身辺警護隊員の別の者たちと首都警護隊員たちを設立したのは、アウグストゥスである。

第3章
3-1:かくしてigitur(ティベリウス・)クラウディウスは熱病ないし諸々の奸計により没した。そのとき彼は二十三年間帝権を行使しegisset、八〇歳に一歳足りなかったが、添え名カリグラなるガイウス・カエサルが、皆から熱望されて選ばれる。(それは)祖父たちと父(ゲルマニクス)への敬意のゆえだった。

3-2:なぜならnamque、(アウグスティヌスの)娘を通じて曾祖父がアウグストゥスで、母方の家系にアグリッパが、ドルススがゲルマニクスの父で、(カリグラは)彼(ゲルマニクス)の子で、彼ら(アウグストゥス、アグリッパ、ドルスス)が祖先だったからである。

3-3:彼らの慎み深さと、オクタウィアヌスを別にしての時期尚早の突然の滅亡に(加えて)、大衆vulgusは同時にsimul(カリグラの)母と兄弟たちの(死)にも同情していた。ティベリウスが彼らを気まぐれな死で命を奪ったからである。

3-4:その理由で、あらゆる者がこれほどの家系の没落を青年へのadulescentuli期待でなだめようと努めたわけで、その後たまたまtum quia彼は軍隊内で生まれ[そこから彼は添え名を軍用靴にちなんで得ていた]、諸軍団にとって愛らしくかつ受け入れられていた。

3-5:加うるに、彼はきわめて聰明だったので、誰もが彼ら(祖先)に似るだろうと信じていた。だがそれは、まったく期待とは裏腹がいわば自然法naturae legeであるかのように、しばしばまるで意図したかのごとく、悪人たちが善人たちbonisから、粗野な者たちがより教養ある者たちから(生み出され)、他のことどもでも同様で、また逆も真なのである。

3-6:ついにはdemumその先例から賢人たちの多くが、子供たちなどいない方がよりましだと考えるに至った。

3-7:しかもなおceterum、カリグラにおいては、彼らはそれほど間違ってはいなかった。実際、彼は長い間精神の狂暴さを慎み深さと見せかけの従順さで覆い隠していたので、その結果正当にもmerito人口に膾炙したように、彼よりより良い従僕たちはfamulosいなかったが、彼ほど残酷な主人もいなかった。

3-8:要するにdenique、職権を手に入れた彼は、このような諸々の本性(を持つ者)が近頃常にそうであるように、その年の数か月間諸々の偉業を、民衆に対し、元老院議員らの内部で、兵士たちと共に司った。そしてある陰謀が報告されると、とても信じられないかのように、(そんな陰謀は)自分にふさわしくない、なぜなら(自分の)生命など誰にとっても負担あるいはaut厄介でないからだ、とやっとのことで公言していた。

3-9:しかし突如、最初は気まぐれな悪行で無実のごくわずかな者たちを打倒してからはcaesis、あたかも獣が生き血を飲み干すかのように本性をむき出しにし、こうしてその後三年間が過ぎたがconsumptum、その間元老院と最良者たちoptimi各々のたび重なる災難で地球はterrarum orbisひどく傷つけられた。

3-10:むしろ今やetiam、姉妹たちを凌辱し既婚貴婦人たちを弄んでは、神々の装束を着て歩き回っていたが、それは「予は近親相姦によってユピテル神であり、さらにはバッカナリアの合唱でリベル神なり」と主張するためだった。

3-11:かと思えばneque secus、ゲルマニア内に踏み込む期待で一ヶ所に諸軍団を集結させた挙げ句、二枚貝や巻き貝を大海(大西洋)の岸辺で拾い集めるよう命じたりもした。

3-12:その際彼自身、あるときは流れるようなウェヌス女神の衣装で(兵士たちの)間に立ち、またあるときは武装して、自分への戦利品(貝殻)は人間たちからではなく天界から奪ったものだと強弁したが、明らかにこのような類いの魚(海産物)をギリシア人たちの呼ぶところにしたがいーー彼らはあらゆるものを大げさに言いたがるのだがーー、ニンフたちの瞳と彼は解釈したのである。

3-13:これらのことで増長して、(自分のことを)ご主人様dominusと呼ばせdici、そして王の標章を頭に巻き付けようと企てるに至った。

3-14:それが原因で、カエレアを首謀者として、鼓舞された者たちmotiーー彼らにはローマ人の武徳が宿っていたーーが、かくも恐るべき破滅からpernicie彼を刺殺して国家を(専制政治から)解放した。タルクイニウスを追放した際のブルトゥスの卓越した偉業が再現されたことだろう、もし真のローマ人において軍隊がそれを行ったのであれば。

3-15:だが(実際は)市民たちは怠惰にも外国人と蛮人を軍隊に徴募する欲望に取りつかれ、道徳は退廃し、自由は抑圧され、そして所有への欲求は増大していた。

3-16:とかくするうちにinterim、さらにdum元老院決議により今やetiam女性たちも含めた皇帝たちの一門とすべての縁戚関係を武装兵たちが捜索していて、たまたまforteウィミウスなるエピルス(エペイロス)生まれの(近衛大隊)歩兵所属の百人隊長がーー彼らは宮殿でしかるべき拠点で見張っていたーー、身を潜めていた(ティベリウス・)クラウディウスをぶざまな隠れ場所で見つけ出し、彼を引きずり出して、仲間たちに向かって叫んだ、「お分かりか、元首であらせられる」と。

3-17:そしてたしかにsane彼は(精神的に)より一層常軌を逸していたのでvecordior、きわめて扱いやすいと洞察力のない人々に見られていた。そのことが伯父ネロ(ティベリウス)の邪悪な気質に対して助けとなり、兄の息子カリグラにおいても嫉妬とならなかった。むしろ今やetiam彼は兵士たちと平民militares plebisqueの精神をanimos掴んでいて、つまりdum、彼への(一族の)目にあまる専制で、彼自身はきわめて哀れむべき存在と同情すらされていた。

3-18:そのようなこと、そして多数のことが突如思い出され、誰も躊躇することなく彼をそこにいた群衆trubaeが取り囲み、同時にsimul他の兵士たちmilitumと大勢の大衆vulgiが殺到してきた。それを元老院議員たちが把握するや否や、(自分たちが)この企てausumを鎮圧可能かどうかと、すぐさまocius(人を)派遣する。

3-19:しかし、種々のそして忌むべきtetrisque諸反乱seditionibusで共同体と全身分が引き裂かれてしまった後なので、いわばtamquam帝権からの(命令であるかの)ように全員が(彼に皇帝として)恭順したのである。

20:こうしてローマでは王的職権が強固となり、そしてより平易に露見されたのは、死すべき存在(人間たち)の努力など運命の女神fortunaにとってかくも空しく、そして打倒されてしまうcaesosqueということだった。

第4章
4-1:かくしてigiturクラウディウスは、恥ずべきほど胃(の腑の食欲)に従順で、同様に常軌を逸し、かつ忘れっぽくて臆病な精神でanimi、そしてきわめて怠惰だったにもかかわらず、多くのことを恐怖によってにせよ、とりわけpraecipue貴顕階層の諸助言にたいして、やはりtamenすばらしい配慮を示していた。その階層を彼は畏怖していたので尊重したのだった。実際quippe、愚か者たちの諸々の本性は、こうしてproinde助言者たちの意のままに行動するaguntからである。

4-2:要するにdenique、よき後見人たちによって彼においては諸悪徳が、かつガリアにおいてはドルイド僧たちの悪名高い迷信が押さえ込まれた。可能なかぎりの有益な諸法juraが提案された。軍事的職務も遂行され、諸国境は維持され、ないしローマ帝国に(新たに)以下が与えられた:東方ではメソポタミア、北方ではレヌス(川)とダヌビウス(川)、そして南方ではマウリ人が諸属州に加わったが、(最後のものは)ユバのあと王たちが廃されたことによる。そしてムスラミイ人の手勢manusが打倒されたcaesaque。同時にsimul極西では、ブリタンニアの各地が粉砕されたが、彼はブリタンニアのみを訪れ、オスティアより海路進発した。これに対してnam、他のところ(の征服)は将軍たちがduces遂行したのである。

4-3:その上さらにadhuc、穀物供給の欠乏が解決された。それをカリグラが引き起こしていた。つまりdum彼は、全世界から船舶を駆り集め、海上通路をmare previum諸劇場と諸戦車のため公共的損失をしてまでも造ろうと頑張っていたのだ。

4-4:かと思えばneque secus、人口調査を新たにおこない、元老院から多くの者たちが追い出されたがmotis、ある軽薄な青年がadulescensいて、彼を自分たちにとって素晴らしいと親が主張したのでそのままにした時、彼(クラウディウス)は正しくも付け加えたものである。父親こそ子どもたちにとって監察官なのだから、と。

4-5:だが彼は配偶者メッサリナの、そして同時にsimulque彼が身を任せっきりだった解放奴隷たちの甘言により堕落へと引きずられていった際に、ただ暴君たちのそれらだけでなく、夫や主人が愚かであれば、女性たちや奴隷の最も愚かな種族ができそうなことを犯したのだった。

4-6:なぜならnamque、かの妻は最初みさかいなく当然のごとく姦通をおこなっていた。そしてそれで、非常に多くの者たちが身内もろとも消滅させられたexstincti。それは本性あるいは恐怖から(彼女の誘いを)断ったからである。女性たちのよく知られた手練手管でartibus、彼女がかつて言い寄った者たちを自分に言い寄ったと告発したせいである。

4-7:その後dehinc、より凶暴になった彼女は、より貴顕な女性たちを、結婚していようが処女であろうが、娼婦のように自分とともに売春させ、男たちも参加を強いられた。

4-8:そしてこのようなことを恐れる者がいたら、犯罪をでっち上げて彼自身と家系全体に残酷極まりなく振る舞った。

4-9:なぜならnamque、クラウディウスは、上で我々が示してきたように、天性非常に怖がりだったので、彼らは、彼に恐怖、ことにmaxime共謀への(恐怖)を吹き込むことによって、悩ませていたからである。そのような策略で解放奴隷たちさえも今やetiam彼らが望んだ者たちを破滅へと追いやった。

4-10:彼らは、最初は(メッサリナの)諸々の悪事を黙認していたが、女主人と対等とされるや否や、彼女をもまた、主人も知らぬうちに、しかしあたかもやはり(彼が)命令したかのように、護衛兵たちをsatellitesたち通じて殺害した。

4-11:そしてたしかにsane、(その)女性は次のようなところまで進んでしまった。つまり、精神(趣味)animusと愛妾たち(に会う)ために夫がオスティアへと出立している間に、彼女はローマで結婚式を他の男と挙げてしまった。それでこのため(彼女は)より悪名を高めたのだが、つまりdum不可解にmirum思えるのは、彼女が皇帝の(目と鼻の)先で皇帝以外の男と結婚したことである。

4-12:こうして、最高職権を手にした解放奴隷たちは、淫蕩、追放、殺戮caede、財産没収によってあらゆることを汚し、そして家長(クラウディウス)の愚かさを駆り立て、その結果かの老人は兄弟の娘(小アグリッピナ)との結婚を渇望するまでに至った。

4-13:彼女は先妻よりも一層突拍子もないとみなされていたとしても、そしてそれゆえ同様の(運命)に怯えてもいて、毒薬で配偶者(の皇帝)を片付けてしまった。

4-14:彼の(統治)六年目にーー彼は一四年間統治したがーー、首都創建八〇〇年祭が驚くほどmire(の規模で)祝賀され、そしてアエギュプトゥス(エジプト)ではフェニックスが目撃された。うわさではその鳥は五〇〇年ごとにアラビアから名高い諸所へ飛来するとのことである。そしてアエガエウス(アイガイオス)海の中に突如巨大な島が、ある晩に出現した。それは月食が起こった時のことだった。

4-15:しかもなおceterum、(クラウディウスの)葬儀funusは、かつてのタルクイニウス・プリスクスのように長らく秘匿され、つまりdum女性の手練手管でarte堕落した番兵たちcustodesは、(彼を)病人に見せかけ、そしてとかくするうちにinterim、彼によって継子ーー彼(ネロ)を彼はほんの少し前に子どもたちの中に受け入れていたーーに国家の管理を任されたと(偽って見せかける)。

第5章
5-1:かくのごとき方法で、ルキウス・ドミティウス[これに対して(というのも)namそれが断然certeネロの名前で、父はドミティウスだった]が皇帝とされた。

5-2:彼ははるかに若くして義父に等しい年数専制政治をdominatum司ったgessisset。やはり(はじめの)五年間は、首都をurbe殊にmaxime飾ったので、正当にもmeritoトライヤヌスはきわめてしばしば証言したものである、すべての元首たち(の統治)はネロの五年間にはるかに及ばない、とその期間に今やetiamポントゥス(ポントス)を属州法のjus provinciae下に、ポレモ(ポレモン)の許可によって移動させた。その彼のために彼(ネロ)はポレモニアクス・ポントゥスと呼ばれているappellatur。そして同様にコッティアエ・アルペスもコッティウス王の死により、そうなった。

5-3:それゆえ、年齢が武徳にとって障害にならないことは、これから十分にsatis確知できるcompertum。(だが)放縦によって本性が堕落すると、それ(武徳)は容易に変化し、そしてその消失はいわば若気の至りの法則のように、より危険になって戻って来るものなのだ。

5-4:なぜならnamque、彼(ネロ)はその類の不品行で残りの人生を過ごしたのでegit、かくのごとき人物についていささかなりとも思い出すのは不快かつ忌まわしい、まして(彼は我が人類)一門の指揮者rectoremであったのだ。

5-5:彼は、つまりdum会衆者たちを前にギリシア人の発明による冠をかけての競技大会certamenにおいて竪琴を弾き始めた挙げ句、次のようなことにまで進んでしまった。すなわち、自分と他人の貞節に容赦せず、最終的にextremum結婚する乙女たちの衣装を身にまとい、公然と元老院で婚資を与えられ、皆が祝祭の慣わしで祝う中、あらゆる怪物どもから選り抜かれた者との手権婚に同意したのである。

5-6:それはたしかにsane、彼においてきわめて些細なことと見積もられるべきである。

5-7:実際、犯罪者のように拘束された者たちに対して野獣の皮を被った彼は、(男女)両性に対し(彼らの)生殖器に顔をこすりつけたり、男どもを去勢してより重大な破廉恥行為に及んだのだから。

5-8:その上atque、これらの中でも彼が母親すら今やetiam汚したと多くの者がみなしているが、つまりdum彼女もまた専制欲に駆られていて、悪事がなんであれ息子を服従させようと熱望していた。

5-9:それを著作家たちは種々証明に及んでいるので、私は真実だとみなしている。

5-10:なぜならnamque気質に諸悪徳が浸蝕するとinvaserint、人間たるもの、羞恥心から外部の人々に結びつこうとは決してしないものだからである。罪を犯す習慣、新奇さそして彼により甘美さをもたらすものは、最終的にはextremum彼の身内の者たちの中でin suos果たされるagit。

5-11:そのことは彼ら(二人)によってより以上に露見された。つまりdum、あたかも一種の進歩であるかのように、彼女(アグリッピナ)は他人たちから叔父との結婚へ、他人たちの拷問から夫の死mariti exitiumへと、(他方)彼(ネロ)のほうは漸次、ウェスタの巫女、それから自分自身へとin sui(進み)、最後に両者ともども彼らの身内での悪事scelusへと経過した。

5-12:だがかくのごとき(悪徳の)魅惑にもかかわらず、やはりtamen彼らは一体となれず、それどころかそれで彼らはやみくもに振る舞い、互いに奸計を巡らした挙げ句、先手を打たれて母のほうが亡くなった。

5-13:かくしてigitur彼はあらゆる人の法juxと神の掟fasを親族殺しで摩滅させ、そしてますますmagis magisque最良者たちの中でin optimos荒れ狂ったので、多くの者たちは当然のこと様々な時宜に国家を解放するために共謀した。

5-14:それらが露見し打倒されるとcaesisque、一層粗暴になった彼は、首都を焼き払いincendio、平民は至る所に放たれた野獣たちにより、元老院をも同様の死で廃棄することを決議し、王権という新しい座を求めだしたが、そしてそれは殊にmaximequeパルティア人のある使節が刺激したためだった。彼がたまたま宴会の中にいた時、いつものように宮廷楽士たちが演奏していたが、(使節は)自分用に竪琴奏者を一人(もらいたい)と(ネロに)求めたところ、彼には自由が与えられている(からだめだ),というのが返答で、(ただしネロは)付け加えた、「もしわが身内の者たちの中でほしい者がおれば差し上げよう」と、宴会の参加者たちを示しながら、「帝権のもとではいかなる者も自由を持っていないのだから」と言った。

5-15:ことに、ヒスパニアを統治していたガルバが自分の死exitinumが(ネロにより)命令されたことを知って、たとえ老年とはいえ、帝権を奪い取って(国家を)救済しなかったなら、もっと多くのことを(ネロの)悪行imperioが疑いなく成し遂げていただろう。

5-16:しかしながら、彼(ガルバ)の(ローマ)入城で、去勢された一人の男を除いて、彼(ネロ)はまったく見捨てられた。かつてその彼を去勢して女性に形を変えることを試みていたのだが。彼は自らを一刺しした。それは、長らく殺害者(が現れること)を哀願していたのだが、そんな死への役目を誰も引き受けようとしなかったからである。

5-17:これがカエサルたち一門の終わりだった。そうなるだろうと予兆の多くが告げていた。そしてとりわけ、彼らの地所で諸凱旋のために聖別されていた月桂樹の聖林が枯れ、雌鶏たちが滅亡した。それら(雌鶏)はことにadeo多くいて白く、諸々の宗教儀式により適していたので、それらのためにローマで今日でも場所が確保されているほどである。

第6章

6-1:しかし、ガルバ、彼は非常に傑出したスルピキウス一門の出のまさしく貴顕であるが、その彼がローマに入ったとき、あたかも贅沢あるいはaut残虐さをも援軍にしてやって来たかのように、彼は強奪し、略奪し、荒廃させ、嫌悪すべきやり方であらゆるものを荒らしvesto汚してしまった。

6-2:これらの事どもによってさらに忌まわしくなった彼は[もっと穏やかに配慮するだろうという期待を持った人々がよりひどく感情を害していたのだが]、というのは同様に、兵士たちからの支援を(ガルバの)あまりの金銭への欲望が弱めたので、オトが首謀者となって殺害されてしまう。彼(オト)は彼(ガルバ)の養子縁組でピソが優先されたことにとうてい耐えられず腹を立て、扇動されそして武装した(近衛)大隊をフォルムへと率いて行った。

6-3:そこに、(リンネルの)胴鎧を着用したガルバが騒動を鎮めるために急いでやって来たが、クルティウス沼そばで打倒された、帝権の七か月七日目のことだった。

第7章

7-1:かくしてigiturサルウィウス・オトは、ネロのかつて恥ずべきことに親友であったが、青年期の終わりからそう時を経ずしてより偉大となり、主権を奪取した。

7-2:それをほぼ八十五日間予見されたやり方で掌握した彼は、その後、ガリアから下って来たウィテリウスによりウェロナの戦闘で追い払われ、彼自ら自決した。

第8章

8-1:こうして、アウルス・ウィテリウスに職権が移されたが、より汚れたそれは、このような始まりで(その方向に)進行していったことであろう、もしウェスパシアヌスがもっと長い間ユダエア人との戦争ーーそれを、ネロの命令により招来されたのだがーーにかかずらわっていたならば。

8-2:彼はガルバによる事績と彼自身(ガルバ)の破滅(という情報)を受け取ったとき、同時にそれゆえモエシアとパンノニアの諸軍の使節たちが(決起を)促すべく来たのに応じて、帝権を占める。

8-3:実際先述の兵士たちは、オトが近衛兵たちによって、ウィテリウスがゲルマニア諸軍団によって(皇帝と)なったことを確知後、対抗心に駆られてーー彼らの間では常のことであるがーー、自分たちが(彼らに)劣っていると見られないために、ウェスパシアヌスを強く促したのだった。彼(ウェスパシアヌス)にすでにシュリアの諸大隊は(彼の)経歴の卓越性のため同調していた。

8-4:実際ウェスパシアヌスはレアテに祖先を持つ新家系の元老院議員だったが、勤勉さと、平時と戦時における事績によって、大いに貴顕であるとみなされていたのである。

8-5:彼の軍団司令官たちがイタリア内に越えてきて、クレモナでの自軍の敗走で、ウィテリウスは首都長官サビヌス、彼はウェスパシアヌスの兄だが、(その彼と)一億セステルティウスで兵士たちを証人として帝権放棄を約定した。しかしほどなくして、それが詐欺だとある情報から推測し、ほとんど怒りに任せて、彼自身(サビヌス)と敵対党派の他の者たちをカピトリウムもろともーーそこを彼らは安全のための避難場所に選んでいたーー焼きつくした。

8-6:とはいえ、何が正しいのかが、そして敵の接近が明らかになると、彼は隠れていた門番の小屋から引き出され、(ウィテリウスは)近親殺害者たちへのやり方で束縛されてゲモニアの階段へと(連れて行かれ)、階段を引きずられた。可能な限りの方法と人による殴打で、彼は肉体を刺し貫かれティベリウス(河)へと放り込まれた。それは暴君の八ヶ月目のことで、彼は生まれて七五歳を越えていた。

8-7:手短かに私が言及してきたこれらすべての者たち、とりわけ皇帝たちの一門はそれほどに文学的教養と雄弁術において秀でていたので、もしあらゆる悪徳でアウグストゥス以外の彼らが過度に陥らなければ、ことに(彼らの)諸学芸は疑いなく取るに足らぬ破廉恥行為を覆い隠したはずである。

8-8:彼らの事績より、性癖moresが勝っていることは十分明白であるが、しかしながらいかなる良き者にもbono、とりわけ最高指揮者には、両方がもし可能ならば等しく必要なのである。しかしもしそうでなければ、人生の計画など果てしなく後退するので、(指導者たるもの)少なくとも優美さの、そのうえ学識の権威を受け入れるべきなのである。

第9章

9-1:同様にこのような家系の出だったウェスパシアヌスは、あらゆることにおいて高潔で、気付いたことを明らかにする弁舌の才に欠けることはほとんどなく、長らく出血し疲弊した地球をterrarum orbemしばらくして元の状態に戻した。

9-2:というのも最初は、暴君のtyrannidis追従者たちをsatellitesーーもし彼らがたまたまひどく凶暴でなければだがーー、拷問にかけて抹殺するよりも、転向させるほうを彼は選んだ。非常に賢明にも彼は、邪悪な諸々の犯罪行為は多くの者によって恐怖によって遂行される、と考えていたからだ。

9-3:それから多くの悪事が犯罪の罰を免れて消え去ることを彼は黙認していたが、彼が(以前から)そうであったように親切にも、無知なる凡愚どもに、どれほどの重荷と煩わしさが帝権に内在しているかを示しながらであった。

9-4:同様に諸神事に傾倒していた彼は[それらの真実性を多くの業務により確知していた]、後継者たちに子供他日ティトゥスとドミティアヌスがなるであろうことを信じていた。

9-5:加えて、非常に公正な諸法令とlegibus注意喚起により、そしてより有効にも、(自分の)生き様の例によって、悪徳の多くを減らしたのだった。

9-6:だが、ある者たちが、(現在)誤ってみなしているように、金銭に対しては小心であった。とはいえ以下は十分明白である、国庫のaerarii窮乏と諸都市の破滅により、それほど長期間ではなかったが、彼は新たな国庫収入の課税をpensio求めたにすぎないのだ。

9-7:実際、ローマではカピトリウムーーそれが炎上したことを我々は上記で言及したがーー、平和の神殿、クラウディウスの諸記念建造物、円形闘技場など数多くの壮大なもの、それに他の多くのものや(彼の)フォルム(の建設)を彼は開始するか、完成させたのである。

9-8:さらにローマ法が及ぶあらゆる大地にomnes terrasおいて、諸都市は素晴らしい洗練さで再建され、諸街道は最高の技術により開通され、フラミニウス街道では山々が(トンネルを)掘られて、通行がたやすくpronoなった。

9-9:これほど多くのことがしばらくして、農民たちを使役せずに成し遂げられたconfectumことは、(彼の)貪欲さよりも賢明さを証明した。同時に人口調査が古き習いに従って実施されて、元老院から恥ずべき者たちが順にquisque追い出され、あらゆる所から最良の人物たちがoptimis uiris選ばれて一〇〇〇の氏族が整備された。(その中から)やっとのこと二〇〇(の元老院身分)を見いだしたというのも、暴君どものtyranuorum冷酷さによって多く(の家系)が消滅させられていたためだった。

9-10:そして戦争によってパルティア人の王ウォロゲススは和平を余儀なくされ、パラエスティナという名だったシュリアは属州となり、ユダエア人もまた配下となったが、それは息子のティトゥスの努力による。彼を、イタリアに移動する(時に)彼(ウェスパシアヌス)は対外軍事行動のために残し、しばらくして勝利者となった(ティトゥス)を近衛長官職に昇進させていたのである。

9-11:この顕職はやはり最初から有力であったのだが、さらに巨大となり、正帝から二番目と帝権に関してなった。

9-12:しかしこのご時世(現代)では諸顕職のhonorum品位は見下され、良き者たちに無教養な者どもが、賢明な者たちに役立たずたちが混在し、多くの者どもが統治権でpotentiaその名を空虚にし、そしてみじめな者たちに傲慢に振る舞い、誰であれ最悪者に服従を余儀なくさせられ、穀物供給という見せかけで(実は)強奪が行われているのだ。

第10章

10-1:しかもなおティトゥスが帝権を手に入れて以来、とても信じられないことだが、彼(ティトゥス)が真似ていた(ウェスパシアヌス)を、とりわけ文芸において、そして寛容さにおいて、かつ諸々の責務においてはるかに凌駕していたことである。

10-2:要するに、先行元首たちによる承認事項は後継(元首)たちによって追認されるべしとする慣習があったのだが、彼は帝権を得るやいなや、これらのことを保有者たちに一つの勅令によって自発的に担保し、そして(将来のために)あらかじめ備えたのだった。

10-3:同様に苦もなく、(ティトゥスは)たまたま自らに対し陰謀を企んでいた者たちを見張る用意があった。それは最高位の二人の者が計画していた悪事を否定することができず、元老院議員たちが告白者たちに関して処刑すべしと決意したときのことだが、見世物に連れて来られた彼らを(ティトゥスは)自分の両側に座るように命じ、意図的に剣闘士ーー彼らの戦いを見に来ていたーーの剣を求め、(刃の)鋭さを調べるように、一方ともう片方に(剣を)委ねた。

10-4:彼らはひるんで(ティトゥスの)志操堅固さに感嘆するのだった。「見たかね」と彼は言う、「諸職権は天命によって与えられ、そして無益に(権力を)得るという希望や失う恐怖によって悪行が犯されるのだよ」。

10-5:こうしてita二年とほぼ九か月後に、円形闘技場の工事が完成してから、入浴した彼は毒によって生涯の四〇年目に死去した。一方(彼の)父は七〇年目に亡くなくなっていたが、皇帝として一〇年間(統治した)。

10-6:たしかに彼の死は諸属州の民にとって大きな悲しみであったので、人間種族の至宝と(諸属州の人々は)呼んで、(彼が)いなくなってしまった世界を嘆き悲しんだ。

第11章

11-1:かくしてigiturドミティアヌスは、兄にして最良の皇帝の殺害により、私的かつ公的な悪事によってさらに狂乱した彼は、同時に堕落した青年時代において略奪、殺戮、処刑を行ない始めた。

11-2:さらに諸々の情欲を伴った破廉恥行為によってより大胆になった彼は、号萬以上のもので元老院議員たちを利用したのである。というのも、彼は自らを主人にして神と言わせ始めたからである。そのことは速やかに後継者たちによって廃止されたが、ずっと後により堅固になって次々に復活された。

11-3:しかしながらドミティアヌスは,始めは寛容さを装いつつ怠惰ではなかったので、内政でも戦争でもdomi belloqueより忍耐強いとみなされているほどであった。

11-4:それゆえ、ダキア人とカッティ人の軍勢に完勝した際には九月と一〇月を、ゲルマニクスと前者を、自分自身の名から後者を呼んでいたのだった。父によって、あるいは兄の熱心さによって始められた多くの工事を、とりわけカピトリウムを完成させた。

11-5:それから良き者たちの殺戮によって凶暴となった彼は、滑稽なほどに無気力と化してすべての者を遠くに追い払ってからハエの群れを追いかけていた。それは情欲にふけって精力が消耗した後のことであったが、その恥ずべき実践のことをギリシア人の言葉で「寝台の格闘」と彼は呼んでいたのである。

11-6:これゆえ、多くの冗談があった。たとえば、宮殿に誰かいるかと尋ねた人に、次のような返答があった。「一匹のハエすらいないよ、ひょっとして格闘技訓練場ではないかな」と。

11-7:こうして彼はますますmagis magisque凶暴さにおいて極端となり、自分の身内の者たちによってすら一層不信の目で見られていたのだが、解放奴隷たちの助言によって、妻ーー彼女は役者の愛を夫より好んでいたーーも(その陰謀を)知らなかったわけではなかったのだが、生涯の四五年目、専制のおよそ一五年目に諸々の処罰を受けることとなった。

11-8:ところで元老院は剣闘士の方式で葬儀を執り行って、(彼の)名前を削り取るべして決議した。

11-9:そのことによって動揺したmoti兵士たちがーー彼らには諸々の私的便宜が公共の出費によってたっぷり及んでいたのでーー、殺害の首謀者たちを罰することを彼らの習慣でより扇動的に嘆願し始めたのだった。

11-10:彼らは気乗りせず不本意であったが、賢明な者たちを通じて抑えられてやっとのことでvix最良者たち(に)敬意(を払うこと)に同意した。

11-11:同様に彼らによって戦争が企てられていたのだが、それは、方向転換した帝権は物惜しみのない贈り物による諸役得の略奪のために彼らにとっての悲嘆であったからであった。

11-12:このときまでローマかイタリア出身の者たちが帝国を統治していたが、このときから外国人も(支配することとなった)。たぶんプリスクス・タルクイニウスに見られるようなはるかにより良い人物たちを私は知らない。

11-13:そして多くのことを聞き読んできた私にとって、たしかに以下のことはまぎれもなく明白なことである(確知)compertum。すなわち、首都ローマが異国人たちの武徳とか外から持ち込まれた諸学芸によってとりわけpraecipue成長したことは。

第12章

12-1:というのも、誰がクレタ人ネルウァよりも聡明で、そして殊にmaxime温和であったというのであろうか。

12-2:彼は非常な高齢でセクアニ人の地(にいたのだが)ーーそこに暴君(ドミティアヌス)を恐れて退去していたーー、帝権を諸軍団の恣意により占めたが、(自分より)肉体的にも精神的にも勝っていて、強靱な人々によってでなければ(帝権は)司れないと知覚したとき、一六か月目で自らそれ(帝権)から退位した。それ以前に(現在)「通路」Perviumと呼ばれている広場をforo奉献し、そこにはミネルウァ神殿が(他以上に)突出しかつ華麗にそびえていた。

12-3:常に褒めるに値することではあるが、あなたにどれほどの事ができるにせよ、野心でやみくもに追い立てられないよう判断すべきで、他方帝権においても死すべき者ども(人間)は熱望のあまり、それを非常な老齢にある者でさえ貪欲に求めるものである。

12-4:この点、彼は(そういう判断能力を)付与されていて、後継者(トライアヌス)の武徳について、それがいかほど賢察だったかを、ますますmagis magisque明示すべきなのである。

第13章

13-1:というのも、ヒスパニアの都市イタリカ出身ながら非常な高位でかつ執政官職の地位にあったウルピウス・トライアヌスを、彼は養子縁組に受け入れて(帝権を)与えたからである。

13-2:彼よりわずかでもaegre内政ないし軍事においてdomi seu militiaeより傑出した者を見出すのは難題であろう。

13-3:実際彼は初めて、それどころかaut(現在まで)この人のみがローマの諸力をイステル(ドナウ河)の向こうまで拡大した。すなわち、ダキア人たちのフェルト帽をかぶったそして豊かな[粗野な]諸種族や、デキバルス王、そしてサルドニ人がひとつの属州内に馴致された後の事であった。同時に太陽の昇る地(東方)においては周知のインドゥス河とエウフラテス河流域の間にいるあらゆる諸部族が戦争によって弱められ、コスドロエスという名のペルシア人の王に対し人質たちが命じられ、そしてそれら(の地)の中に未開諸部族を通る一本の道路が建設されたが、それによって(今日においても)容易にポントゥス海からガリアまで移動できるのである。

13-4:諸要塞が(防衛上)懸念がありあるいはaut攻撃を受けやすい場所に建設され、一つの橋がダニビウス(河)に架けられ、そして諸々の植民都市のためにcoloniarum多くの人々が移住させられた。

13-5:そのうえ彼は、ローマでドミティアヌスによって着手された広場および他の多くのものをより立派に手入れして飾りつけた。そして永続的な穀物供給の決議を驚くべきことに製パン挙動組合に提案して確立した。同時に公益のため国家のどこであれ起こっていたことをより迅速に知らせるべく、公共駅便を運用した。

13-6:無論、(その維持は住民からの租税の)責務が十分に活用されてのことだったが、(それも)ローマ世界の破滅の中で、後世の者たちの貪欲と傲慢により変わり果ててしまった。だが、ここ数年イリュリクム道長官アナトリウスが軽減したことでその諸力が十分なものとなっていることは除く。

13-7:とりわけ国家にとって良い悪いはなにもないわけだから、属州長官たちのやり方次第で反対に変えることができなことなどありはしない。

13-8:彼(トライアヌス)は公正にして寛容で非常に忍耐強く、そして友人たちに対して非常に義理堅く、実際親友スラのためにスラナエという建築物を聖別したほどであった。

13-9:彼は(自らの)高潔さに自信を持っていたので、スブラヌスという名の近衛長官に、そうするのが習慣であったのだが、職権のpotestatiaしるしである短剣をpugionem与えたときには繰り返し次のように諭したほどであった。「汝にこれを私の警護のため委ねる、もし私が正しく行動しているのなら。もしそうでなければ、それ以上にmagis私に対して用いよ」と。なぜなら万人の統治者が間違いを犯すほうこそ、正当性がないからである。

13-10:むしろ彼は酒好きーーその悪徳にネルウァと同じく苦悩していたのだがーーもまた分別により克服したが、それはかなり長い宴会のあとで出された諸命令を遂行するのを禁止してからのことであった。

13-11:これらの武徳によりほとんど二〇年にわたり帝権を行使して、アンティオキア(アンティオケイア)とシュリアの他の諸所での大地震のterrae motu絶望的状況によって彼は衰弱し、元老院議員たちの懇願によってイタリアに引き返す途中に高齢で亡くなった。その前に帝権に一市民にして近親であるハドリアヌスが受け入れていた。

13-12:それ以降、副帝たちと正帝の称号は分けられ、国家に次のことが導入された。つまり、二人あるいはそれ以上の者たちが種々の最高統治権を持ち、家族名と職権において異なったものとなった。

13-13:しかしながら他の者たちは、トライアヌスの妻プロティナの(ハドリアヌスへの)偏愛により帝権が獲得されたとみなしていて、(それを)彼女は夫の遺言によって統治相続人に定められたように見せかけたのだ、と。

第14章

14-1:かくしてigiturアエリウス・ハドリアヌスは雄弁術とトーガをまとう仕事のほうにより適していたが、東方で和平を整えてローマに帰還する。

14-2:そこでギリシア人たち、ないしヌマ・ポンピリウスのやり方で諸々の儀式、諸法令、諸体育場、教師たちを差配し始めた。

14-3:それほどにたしかに、有能な人々のための諸学芸のための一つの学校、それを人々はアテナエウムと呼んだのだが、

14-4:それを彼は創設し、そしてケレスとリベラの秘儀、それらはエレウシナと名付けられているが、それをアテナエ人の方式でローマにおいて執り行うほどだった。

14-5:その後、平穏な状況では常のこととはいえ、より怠惰になった彼は田舎の所有地ティブルに隠棲し、首都を副帝ルキウス・アエリウスに託した。

14-6:(そこで)彼自ら、幸福で富裕な者たちにとってそれが習いとはいえ、諸宮殿を建設し、宴会、彫像、絵画を差配したのである。とうとう彼は、あらゆる事どもを十分念入りに調達するようになった、(といっても)それらは放蕩でふしだらなものだったのだが。

14-7:かくして諸々の悪いうわさが生じた。すなわち、彼が青少年たちと淫蕩に身を投じていたと、そのうえアンティノウスの悪名高い犯罪行為に身を焦がし、(あげく)他の諸理由からではなく、彼(アンティノウス)の名前による一都市を建設したり、それどころかaut(かのギリシア的な)青年のためにephebo諸立像を(各地に)設置したことである。

14-8:それらをたしかにある者たちは、敬虔かつ信心深い(行為)と思い込んでいる。というのはハドリアヌスが天命の延長を切望したとき、魔術師たちは(ハドリアヌスの)身代わりとなる一人の志願者を求めたが、全員が尻込みした時、アンティノウスが自らを差し出した、と彼らは記載している。それ故に彼に上述の諸儀礼が(行われたのだ、と)。

14-9:我々はその件を未解決のまま残さざるをえないが、とはいえ本性的にいい加減な(彼のような人物の場合)、(彼ら=ハドリアヌスとファンティのウスのように)年齢がはるかに離れた関係(もありではと)我らは見積もるからである。

14-10:その間に副帝アエリウスが死んだ、彼は精神的にあまり優れておらず、それゆえ軽蔑的に扱われていたのだが、(ハドリアヌスは新たに)副帝を選出するために元老院議員たちを召集する。

14-11:彼らが急いで集まっているとき、たまたまアントニヌスが老齢の舅あるいはaut父親の足取りがおぼつかないのを片手で支えているのを見た。それを見て驚くほど喜んだ彼は、(アントニヌスを)諸法令でもって副帝に採用するよう、そして直ちに彼(アントニヌス)の名前で元老院の大部分が殺害されるべしと命じる。(というのは元老院を)彼は嘲笑の的にしていたからである。

14-12:それからほどなくして、彼はバイアエで癆症によって亡くなったが、それは帝権(にあること)二十二年目に一ヶ月足らずで、かくしゃくとした老年だった。

14-13:しかし元老院議員たちは元首(アントニヌス)の懇願にもかかわらず、彼(ハドリアヌス)に神君の栄誉honoremを授ける件で決して心を動かされなかった。それほどまでに、多くの自分たちの(元老院)身分の人物たちを失ったことを悲しんでいたのだ。

14-14:しかしその後すぐさま彼らの死が悲嘆であった人々が突然現れて、自分たちの(親族を)抱きしめたので、拒絶していた(ハドリアヌスの神格化)を決議する。

第15章

15-1:かくしてアウレリウス・アントニヌスにピウス(敬虔なる者)の添え名が(与えられた)。この者をほとんど諸悪徳の破滅は汚していなかった。

15-2:彼は非常に古い家系の、自治都市ラヌウィウム出身の人物で、首都の元老院議員であった。

15-3:とりわけ彼は性格的に均衡がとれていて有徳だったので、彼が明瞭に示したのは、永続的な平和と長期の平安によってすら揺るぎなき諸々の本性は堕落しないし、そして彼により、もし英知の諸統治が存在するなら、諸都市はついには幸運(に恵まれる)、ということであった。

15-4:要するに、同じ人物は二〇年間国事を遂行したのだが、(帝権を)持続し、首都創建九〇〇年目を壮麗に祝った。

15-5:はからずも、彼は諸凱旋式の欠如のゆえに怠慢とみなされているけれど、それはまったくそうではない、というのも疑いなくより重要なのは、誰も敢えて確立された秩序を乱さないこと、自分自身を誇示するために自分自身の(名声の)ために戦争を平穏な諸部族に行わないということであるのだから。

15-6:そのうえ彼は、男(の子たち)に恵まれなかったので(自分の)娘の夫でもって国家に配慮したのである。

第16章

16-1:というのも、マルクス・ボイオニウスーー彼はアウレリウス・アントニヌスと呼ばれ、同じ町の出身で同様の貴顕の出であり、まさに哲学と雄弁術への熱意において格段に際立っていたーーを、家族と帝権の中に受け入れたからである。

16-2:彼(マルクス・アウレリウス)のすべてのことは、神意により内政と軍事(の両方)において行動され決議された。それらを妻の統治の無思慮が汚していたのであるが。なぜなら彼女は(以下のように)たいへんな好色さへとのめり込んでいたからである。彼女は、カンパニアに滞在した際に水夫たちから(相手を)選ぶ目的で海辺の心地よい諸所に居座った。なぜなら彼らの多くは裸で働いており、(彼女の)破廉恥行為にとってより一層都合よかったからである。

16-3:かくしてigiturアウレリウスは、義父がロリウムで生涯の七五年目の後に亡くなると、直ちに兄弟であるルキウス・ウェルスを統治権の共有に受け入れた。

4:その彼(ルキウス・ウェルス)の指揮によって、ペルシア人は最初優位にあったにもかかわらず、最終的にはウォロゲスス王の時に勝利を許すこととなった。

16-5:ルキウスは日ならずして亡くなる。そのため彼が血縁者(マルクス・アウレリウス)の策略に嵌められたという作り話の材料となった。

16-6:うわさでは、彼(マルクス・アウレリウス)は彼(ルキウス・ウェルス)の諸々の事績への嫉妬で悩まされ、食事中にある計略を行ったのだ、と。

16-7:というのも彼は片面に毒を塗った小刀ーーそれが意図的にひとつだけ置かれていたのだがーーで豚の子宮の一片を切り分け、その一片を食べてから、親しい者たちの間で常であるように、毒が触れてあったもう一方を兄弟に差し出したのである。

16-8:これらは、これほどの人物においては、悪事へと傾きがちな諸精神抜きなので信じることはできない。

16-9:というのも、ルキウスはウェネティアの都市アルティヌムで病死したこと、そしてマルクスには聡明さ、柔軟性、高潔さ、そして文才が備わっていたことはよく知られていて、マルコマンニ人を息子コンモドゥスーー副帝として代行していたーーとともに攻撃しようとしていた彼は、懇請する哲学者たちの集団に取り囲まれたことがあった。彼らは、諸学派で(決着が)困難で、かつ未解明(の諸論点)について彼が説明する前に、遠征あるいはaut戦いに身を委ねないようにと(懇願したのである)。

16-10:かくのごとく戦争の諸々の不確かさが彼の安全を(脅かしかねないと)して、学問の諸研究によって恐れられていたのである。そして彼が支配していた間は良き諸学芸がartes非常に栄えたが、(それは)諸時代における彼の功績だと私はみなしている。

16-11:諸法令のあいまいさもおどろくほど解消された。そして再出頭保証契約の習慣を廃止して一日のうちに訴訟を通告して執り行うべしという法が導入された。

16-12:万民に区別なくローマ市民権が与えられ、多くの都市が創建され、植民され、修復され、装飾を施されたが、とりわけポエニ人のカルタゴーー火災が無残にも被害を与えていたーーと、地震でterrae motu崩壊したアシアのエフェスス(エフェソス)とビテュニアのニコメディア(ニコメデイア)ーー我らの時代におけるケレアリスの執政官在職年にも(地震があったが、それと)同じニコメディアーーがそうだった。

16-13:諸凱旋式が次の諸民族から(の勝利で)行われたが、それら(の民族)はマルコマルス王のもと、カルヌントゥムという名のパンノニアの都市からガリア人の中心部まで広がっていた。

16-14:こうして帝権の一八年目に、生涯にわたりきわめて壮健だった彼はウェンドボナで、すべての死すべき運命にある者(人間)たちの多大な悲嘆の中で、亡くなったのだった。

16-15:最終的に、他のことでは別々に別れていた元老院議員たちと大衆が、ひとつにまとまって、諸神殿、諸円柱、祭司たちを決議した。

第17章

17-1:だが息子(コンモドゥス)は始めから暴力的専制によってきわめて忌まわしくみなされていたが、とりわけ(彼の)父祖たちの記憶と正反対の(ことをやった)時にそうだった。その記憶は後継者たちにとってとても重大で、不敬な者たちへの一般的は嫌悪とは異なり、あたかも(自分たちの)家系の破壊者たちであるかのように、より一層彼らは呪うことになるのである。

17-2:彼はたしかに戦争については精力的だった。それをクアディ人に対して上首尾に行われたので九月をコンモドゥス(の月)と呼んでいた。

17-3:彼はローマの統治権にふさわしくない諸家屋をやっとのことで入浴に用立てるため建てた。

17-4:彼はただただ生来残忍かつ粗野でferoqueあったので、とりわけたしかに剣闘士たちを見せかけの闘いでしばしば殺戮した。その際、彼自身は鉄製の、対戦者たちは鉛製の(なまくら)刃を使用したのである。

17-5:そしてそのような方法で彼が多くの者たちを屠っていた時に、たまたま(そんな)彼に対し、名をスカエウァという者ーー彼は、勇敢さと肉体の強壮さ、そして戦闘の技にarte熟達していたーーが、(コンモドゥスの)かくのごとき道楽に冷や水を浴びせた。彼(スカエウァ)は役に立たないと見極めた剣を放棄して、彼(コンモドゥス)自身が武装していたその(剣だけあれば奪い取るので)両者ともに十分だ、と言う。

17-6:それで恐れをいだいた彼(コンモドゥス)は、試合の中で常に生じがちな(ことだが、)短剣をもぎ取られて屠られないようにconficereturスカエウァを(対戦相手から)はずし、(そればかりか)他の者(剣闘士)たちをとても恐れて、野獣や猛獣(の野獣狩り)に凶暴さに方向転換するようになった。

17-7:そのような事どもで血に飽くことを知らない者(コンモドゥス)を皆が恐れ、彼に対して殊にmaxime近親の者が(各々)陰謀を企んだ。実際quippe専制に対し忠実な者などおらず、彼自身の取り巻きどもすら(実は)そうなのである。というのも、彼らによって(専制者たちの)統治権は維持されているのだが、彼ら(取り巻きども)が冷酷さに走りがちな(専制者の)淫らなpronos気質にmentem用心しているうち、いかなる方法ででも(彼を)倒すほうがより安全だと考え出すものなのだが、コンモドゥスをたしかに(その通りに)最初ごく秘密裏に毒殺しようとしたのだった。統治のほぼ一三年目のことだった。

17-8:(しかし)毒薬の効果は、(コンモドゥスが)たまたま腹を食べ物で満たしていたために(希釈され)台無しになった。しかし彼が胃痛を訴えたので、医学の専門家で、(当の)陰謀の首謀者の指図によって、彼は格闘技訓練場に急行した。

17-9:そこでマッサージ担当の下僕によってーーというのもたまたま彼の計画に関与していたからだがーー、喉をあたかも(レスリングの)技のようにarte両腕を結んでかなり激しく圧迫されて、彼は息絶えたのだった。

17-10:そのことを知ると元老院はーーヤヌスの祝祭(正月元旦)のために夜明けに全員集合していたのだがーー、(そして)平民たちも同様に、(彼を)神々と人々の敵(と認定し)、かつその名の抹殺を承諾した。直ちに首都長官アウルス・ヘルウィウス・ペルティナクスに帝権が委譲される。

第18章

18-1:彼(ペルティナクス)はあらゆる学識、非常に古風な習慣を持ち、過度に吝嗇で、(その点で)クリウス家とファブリキウス家に匹敵していた。

18-2:彼を兵士たちーー彼らには、すでに世界が疲弊して衰弱していても、何ごとも十分だと思えなかったーーは、ディディウスが扇動者となり、(ペルティナクスが)帝権の八〇日目にむごたらしく刺し殺した。

第19章

19-1:だがディディウス[あるいはサルウィウス?]・ユリアヌスは、かなり法外な諸々の約束で連帯を強いていた近衛軍兵士を当てにして、夜警隊長官職から専制政治のdominatus諸顕章へと進み出た。

19-2:彼の家系は貴顕で、都市法の知識で目立っていた。実際彼は多様かつ拙劣に法務官たちによって提示されていた勅令を順序正しく整理した最初(の人物)だった。

19-3:ここから十分確知されているのはcompertum、功名心を抑制するのを本性が支えなければ、博識は無力ということである。

19-4:というのも、厳格な指導者がなるほどより正しく生きるべきところ、悪行へと進んでしまうなら、それは新罰則で償われるべしと、彼は布告していた。だが彼は熱望(していた権力)を長く我が物とすることはできなかった。というのも、彼(ディディウス)に起こった事ども(の情報)を受け取ると直ちに、セプティミウス・セウェルスーー彼はたまたまシュリア総督として大地の果てでextremis terris戦争を行っていたーーが皇帝に選出されてミルウィウス橋付近の野戦で完勝したからである。そして(セウェルスにより)派遣された者たちは、逃亡者を追跡し、ローマの宮殿で討ち果たしたのだった。

第20章

20-1:かくしてigiturセプティミウスは、ペルティナクス殺害の際、諸々の破廉恥行為への憎しみと同時に、悲嘆と怒りでかき乱されて、近衛大隊を直ちに軍務から解き、(反対の)党派のすべて(の人々)を打倒し、ヘルウィウス(ペルティナクス)を元老院決議で神君たちの間に記載する。サルウィウス(ユリアヌス)の名と彼の諸著作あるいは事績が廃棄さるべく命じる。(だが)彼はそのことのみ成し遂げることができなかった。

20-2:それほどまでに諸学芸の学識へのdoctarum artium敬意は力を持っていたので、著述家たちにとって(専制者の)蛮行すらたしかに記憶の邪魔とはならないのだ。

20-3:いなむしろ、このような類いの死は彼ら(著述家たち)自身にとっては栄光(のきわみ)で行為遂行者には呪詛となる。

20-4:すべての人々、とりわけ後世の者たちはかくして、そのような諸々の本性は、おおっぴらな悪巧み抜きに、また狂気による場合を除き、鎮められることはありえない、と考えているからである。

20-5:そのことをすべての良き者たち、そしてそれ以上にmagis私は信じるべきなのだ。なぜなら、私は田舎(生まれ)で取るに足らぬ無教養な父から生まれたが、これらの諸時代の中で上流身分層たちの生活を多くの学問(を収めたこと)によって過ごしてきたからである。

20-6:そのことは、私個人としては、我らの種族の(特徴)だと考えている。その(種族)はある種の天命により良き者たちをごく稀に生み出すのだが、しかし彼らを育てた者が誰であれ、それはそれ自身の(努力で)各々種々の高みを持つ。たとえばセウェルス自身のように。彼以上に国家の中で立派だった者は(かつて)誰もいなかった。彼は高齢で死去したにもかかわらず公務停止と弔辞によって喪に服することが(元老院によって)同意されたが、(それは)彼の(ような残酷だが有能な)人物の、生まれるべきかあるいはaut死すべきかについての正当性を(云々することは)、決して妥当でないと按配してのことだった。

20-7:明らかに風紀を糺すことに彼が過酷だったので、(人々は)古人たちの高潔さへとあたかも気質の健全さが到達した後で、彼を寛容であるとみなしたのだった。

20-8:したがって率直さは、始めは不安であるとみなされるが、(それに接した)暁には、快楽と放縦になるのである。彼はペスペンニウス・ニゲルをキュジクス(キュウジコス)近郊で、クロディウス・アルビヌスをルグドゥヌムで打ち負かして死を強いた。

20-9:彼らのうち前者はアエギュプトゥスを保持していた軍司令官で、戦争を専制の希望で仕掛けmoverat、後者、すなわちペルティナクス殺害の張本人は、そのこと(で報復を受ける)恐れからブリタニアへとーーその属州を彼はコンモドゥスにより得ていたのだがーー渡ろうとしていて、(しかしセウェルスは)ガリアで(アルビヌスの)帝権を奪取したのだった。

20-10:これらの数え切れないほどの殺戮caede行為により、彼(セウェルス)はあまりに残酷で、頑固者との添え名を受けたのだが、その一方で、(日々の)生活においても同様の倹約(家だったの)でそれ以上にmagis彼が(その添え名を)採用したと、多くの者はみなしている。我らには、(彼の)過酷さ(のゆえその名を)課されたと信じるのを好む気質がある。

20-11:というのも、(セウェルスの)敵対者たちのある者がーー諸々の内戦においてよくあることだが、地理的条件でアルビヌス側についたのだがーー、そうした理由の説明で以下のごとく最終的に締めくくった、「私は尋ねたい、もし貴官(が私の立場)であれば、どうしたかと」。彼は答えたものだ、「予も耐えるだろう、汝と同様(これから受けるはずの処刑を)」と。

20-12:こんなことを言ったりしたりすることほど、良き者たちにとって無情なことはない。というのも神聖な者たちは、この種の諸軋轢に対し、それらがいかに入念に仕組まれたとしても、そんな宿命をとがめ立てするものであり、そして、破滅(を選ぶ)よりもそれ以上にmagis隠蔽へと、市民たちは事実を曲げることを享受してしまうものなのである。

20-13:だがかの者(セウェルス)は(当初敵対する)諸党派の抹殺に執着していたが、そのためその後はより温和に振る舞いはしたものの、むしろ彼は(そういった)行動(がもたらしかねない)不可避性を罰するのを好んでいた。それは思いやりを期待して国家的破滅へと諸陰謀が徐々に進展する(のを未然に防ぐ)ためだった。(そういった)事どもへと諸時代の欠陥で[なり勝ちな]諸感覚を彼は悟っていたからである。また私は否定しない、法外に猛威を振るいかねないこのような諸犯罪は、ほとんど幻覚以上の(やり方でようやく)根絶されうると。

20-14:彼(セウェルス)は幸運かつ聡明で、のみならずとりわけ諸々の戦闘でにarmis、いかなる交戦においても勝利者とならずに(戦場を)去ることはなく、そしてアッガルスという名のペルシア人の王を強いて帝国を拡大した。

20-15:そう間を置かずアラビア人をも同様に攻撃し、今あるように(帝国の)支配内に属州の形で移した。

20-16:アディアベニ人もまた、もし彼が大地のterrarum不毛さで忌諱しなければ、貢納諸国の中に引き渡してしまっただろう。

20-17:これらの偉業から、アラビクス、アディアベニクス(であった彼)を、パルティクスの添え名で元老院議員たちは呼んだ。

20-18:これらのことよりさらに偉大なこととして、彼はブリタンニアを攻撃し、それ(ブリタンニア)が役に立つ限り、敵どもを追い払って壁を造り上げたが、その壁は島を横切って両方から大海の境界まで築かれた。

20-19:それどころかさらにトリポリスーー(セウルスは)そこのレプティスという町の出身なのだがーーからも好戦的は諸部族を遠くへと遠ざけた。

20-20:こういった厄介ごとは苦もなく彼によって達成されていたのだが、それだけに一層彼は失敗した者たちに対しては容赦がなかったが、勤勉な者に対しては誰でも褒美によって称揚した。

20-21:のみならず些細な略奪行為でさえ確かに罰を受けないままにしておくことはなく、身内の者たちに対してそれ以上にmagis厳しかった。そのことが軍司令官たちのducum不正、それどころかいまやaut etiam一党派を装ってさえ行われることを、敬虔ある人物(の彼)は悟っていたからである。

20-22:彼は哲学、演説の練習をすること、すなわちあらゆる一般教養に傾倒した。同時に彼は自伝を文飾と信頼性の両方を(兼ね備えて)作成した。

20-23:彼は格段に公正な諸法令の考案者であった。内外においてこれほど偉大な彼だったが、妻の諸々の醜聞が栄光の極みを取り去った。とりわけadeo名高いことだが彼女に愛情を持っていたので、放蕩が知れても、かつまた(彼女が)陰謀で有罪でも手放さなかった。

20-24:これは、一方で最下層の者にとって、他方統治権者たちにとっても恥辱で、それ以上にmagis彼にとってそうであった。その彼に私人たちのみならず特権身分の人々、それどころかaut破廉恥な者ども、実に諸帝国や諸軍隊、そして諸々の悪徳自体も従ったのである。

20-25:というのは、彼は両足を病んでいたので、ある戦争を逡巡していたのだが、そのことで兵士たちは不安に駆られ、彼の息子バッシアヌスーー副帝として居あわせていたーーを正帝としたので、彼(セウェルス)は命じた、自らを法廷に運び入れ、そのことに関わった首謀者全員、すなわち、命令権保有者(息子のバッシアヌス)、軍団将校たちtribunos、百人隊長たちcenturiones、そして諸歩兵部隊cohortes、すべての者たちを、被告人という形で出頭させよ、と。

20-26:それで恐懼し、多くの(闘いでの)勝利者たる軍隊が地面にひれ伏し、慈悲を懇願したのだが、その時、彼は言う、「お前たち、(やっと)わかったようだな」、と片手で(自分の頭を)たたきながら「頭が片足以上に支配する能力があるということが」と。

20-27:それからほどなくしてエボラクムという名のブリタンニアの自治都市で、統治すること一八年間で病没した。

20-28:彼はやや下層(家系)の出であり、最初は自由七学科を(学び)、その後法廷で鍛えられたが、そのことであまり満たされずーーその種の事どもにはよくあることだがーー、彼は様々なそしてより良き職を試しあるいはaut求めた挙げ句、帝権に登り詰めた。

20-29:そこできわめて困難な事どもーー激務、諸々の心労、恐怖、そして一言で言えばあらゆる不確実性ーーを経験させられた彼は、あたかも死すべき運命にある者たちの人生の目撃者であった。彼は言う、「私はあらゆることをやってみたが、何も役に立たなかった」と。

20-30:遺骸は、息子たちのゲタとバッシアヌスがローマへ運んだのだが、驚嘆するほど(盛大に)祀られ、マルクスの墓所に埋葬された。彼(マルクス)に彼はとりわけadeo敬意を抱いていたので、彼のために(マルクスの息子)コンモドゥスを神君たちの中に記載することを命じ、彼を兄弟と呼んで、バッシアヌスにアントニヌスの呼称を付加したほどであった。なぜかというと、彼(コンモドゥス)から、多くの疑わしい出来事のあとで、諸々の顕職のhonorum諸前兆として元首金庫の弁護士職を受け取ったからである。

20-31:このように、苦労人たちは、諸々の幸運の始まりと彼らの保証人たちのことを覚えているものなのである。

20-32:だが、(セウェルスの二人の)跡継ぎたちは、あたかもお互い同士の闘いを命令で受け取ったかのように、直ちに関係を絶った。こうしてゲターー彼の名前は父方の祖父から来ていたのだがーーは、彼のより控えめな本性のため兄弟(バッシアヌス)に圧迫感を与えていたので、(ゲタは)襲われて殺害された。

20-33:その勝利は、パピニアヌスの死によって一層忌まわしいものとされた、なぜならたしかに記録に興味ある者たちが見なしているところによれば、彼(パピニアヌス)はその頃バッシアヌスの文書箱を管理しており、それが習慣であるが、ローマに宛てた(文書を)可及的すみやかに作成するよう命令されたのだが、ゲタの(死を)悲嘆して、同僚に、親族殺しを犯すより覆い隠すほうがぜったい簡単でないと言って、それゆえ死を賜った。

20-34:しかしながらこれらのことは悪意に満ちたたわごとである。というのもかれ(パピニアヌス)が近衛長官職を司っていたことは確かに明白なことで、彼(バッシアヌス)の愛人であり長官職に就けていたその人物に見境なくこれほどの侮辱を加えることはできないからである。

第21章

21-1:しかもなおアントニヌスは考えられない類いの贈り物をローマの平民に施し、両の踵まで垂れた衣服を贈与したので、カラカッラと呼ばれた。のみならず同様の服にアントニヌス風(アントニニアナエ)という名を自分自身にちなんで与えた。

21-2:彼は、人口も多く場上で驚くほど巧みに戦うアラマンニ人の部族にモエヌス川付近で完勝した。彼は忍耐強く、愛想がよく、穏やかだった。幸運にも同僚にも恵まれ、その配偶者においても父と同じだった。

21-3:というのも、彼は義母のユリアーー彼女の悪行を上記で私は言及しておいたがーーの美しさの虜となって、妻に(したいと)熱望したからである。なぜなら彼女はきわめつきの権勢願望家で、青年の目の前であたかも(彼の)存在を知らなかったかのように、裸の肉体をさらけ出して、そして「したいものだ、もしできることなら」と言い出した彼に、とても厚顔無恥にも[実際彼女は貞節を衣服とともに捨て去っていた]、彼女は、「したいのですか。どうか仰せのままに」と答えたものだ。

21-4:アエギュプトゥスの祭儀が彼を通じてローマに持ち込まれ、肥大化した首都に一つの新しい街道のすばらしい増加と、そして一つの浴場用建築物が美しい装飾で完成された。

21-5:それらのことを成し遂げてからconfectis、シュリアを巡回していたときにエデッサで統治権の六年目に死ぬ。

21-6:遺灰は公共の哀悼(に供する)ためにローマへ持ち帰られ、アントニヌスたちの間に葬られた。

第22章
22-1:その後dehincオピリウス・マクリヌス Opilius Macrinus は、近衛長官職を司っていたが、皇帝として、そしてその同じ人物の息子、名はデァドゥメヌスが副帝と、諸軍団から呼ばれたappellantur。

22-2:彼らのうち、彼(息子ディアドゥメヌス)に対しては、失った元首(カラカラ)への強い憧憬があったため、(諸軍団は)青年をアントニヌスと称した vocavere。

22-3:(だが)彼ら(両帝)については苛酷で saevos かつ反市民的な性格としてしか、さしあたりinterim我々には思えない。

22-4:それゆえに、14ヶ月あまり、かろうじて帝権が保たれただけで、(両帝を)擁立した彼ら(諸軍団)によって、彼ら(両帝)は殺害された。

第23章
23-1:そしてマルクス・アントニヌスが呼び寄せられた。彼はバッシアヌスから生まれ、父が亡くなると、ヘリオガバルスとシュリア人たちが呼んでいる太陽神ソルの神官職にあった。あたかもアジールのように奸計を恐れて(その神殿に)逃げ込んでいたので、そしてそれゆえ(彼は)ヘリオガバルスと呼ばれる;そしてローマに神の似姿 dei simulacrum(御神体)を移して、パラティヌスの奥殿 penetralia の中に諸祭壇を設置した。

23-2:彼以上に破廉恥で impurus 、邪悪で improbus 、たしかにそれどころかquidem aut厚顔無恥な petulans 女性たちはいなかった:なぜなら全世界から最も淫らな者たち obscoenus を彼は探していたからで、(すなわち)見た目で、情欲を駆り立てる諸々の手練手管においてartibus(最も淫らなものたちを彼は探していた)。

23-3:このような事どもが、日ごとに増えていったので、ますますmagis magisqueアレクサンデルの(人気が)増し、オピリウス(前帝マクリヌス)の死が確知されcomperta、彼(アレクサンデル)を貴顕階級 nobilitas は副帝と正式声明していたが、彼への愛情が積み重ねられ、近衛軍兵舎内で、統治の三〇番目の月に(ヘリオガバルスは)窒息死させられた。

第24章
24-1:そしてただちに、アウレリウス・アレクサンデルが、ーー彼はシュリア生まれで、(その場所は)カエサレアとアルケという二重の名前があるーー、彼の配下の兵士たちの尽力で正帝の統治権を委ねられた。

24-2:彼は青年にもかかわらずquamquam、年齢以上の才覚 ingenium をもっており、やはり、大々的に準備してペルシア王クセルクセスに対して戦争を仕掛ける。彼(ペルシア王)は撃破され、そして逃亡したので、(アレクサンデルは)ガリアへときわめて迅速に赴いた、そこがゲルマン人たちの強奪にさらされていたからである。

24-3:その時、諸軍団の騒動が起こり、そして彼は断固として打ち負かしたがabjecit、それは当面は栄光と、後には死exitioと見なされた。

24-4:というのはnam、それほどの厳格さの力 vis を兵士たちは恐れていたので、<そこから今やetiam、彼はセウェルス<厳格>の添え名を与えられた>、偶然少数の者たちと共に行動していたagentem彼を、ブリタンニアの村 vicus で、それへの名前はシキリア Sicilia だが、(兵士たちは)殺戮したのだった。

24-5:きわめて華やかな建造物が首都ににぎにぎしく建造され、そして母への献身については、彼女の名前はマンマエアであったが、(通常の)敬愛以上だった。

24-6:その上さらにadhucドミティウス・ウルピアヌスを、ヘリオガバルスは近衛長官に任じていたが、(アレクサンデルは)彼を同じ顕職honoreに留めおき、そしてパウルスを(統治の)初めに祖国に戻すことでーー両者とも法律の権威であったーー、選良たちに対し等しくとても熱心に、説いた。

24-7:(彼は)13年間を越えることなく帝権を行使したが、国家をあらゆる点で強化して残した。

24-8:それ(国家)はさてその後、ロムルスからセプティミウスまで競って上昇していく。バッシアヌス(カラカッラ)の数々の賢察consiliisによりいわば頂点に立ったのだった。

24-9:そこからすぐに落ちなかったのは、アレクサンデルの(おかげ)だった。それ以来abhincつまりdum(諸皇帝は)自国民を支配するのを他国民を服従させることよりもより熱望するようになり、彼らの中でそれ以上にmagis武装していて、ローマの地位をほとんど深淵に突き落とした、そして帝権へと入ってきた者たちは種々雑多になり、善人も悪人も、貴顕な者たちも卑賤な者たちも、あろうことか多くの野蛮人たちさえいることになった。直ちにconfestim

24-10:実際、すべての事どもが、至る所で混乱させられ、そして何事もその本来のやり方でできなくなると、各々が、喧噪(のただ中)においては常であるがuti、他の人々の諸職務ーー彼らが(本来)指揮することのできない(はずの)ーーをひったくるのを当然fasとみなして、そして、善き諸習慣の諸学芸を無残に退廃させるのであるcorrumpunt。

24-11:かくして、運命の女神の力が、(一旦)奔放に解き放たれると、破壊的な衝動(情欲)によって死すべき者たちを駆り立てるagit。それは、長らく確かに壁のごとき武徳により制止され(てきたのだが)、ほぼpaeneすべての者たちが、様々な破廉恥行為へと駆り立てられた後になると、今やetiam生まれや教育でinstituto最下層の者たちにすら国事publicaを委ねたのである。

第25章
25-1:なぜならnamque、ガイウス・ユリウス・マクシミヌスは、トレベッリカで属州統治していてpraesidens、兵士たち出身として初めて、ほとんど文盲であったが、統治権を諸軍団の投票で得た。

25-2:しかし元老院議員たちも今やetiam、つまりdum非武装(の自分)たちが武装者(マクシミヌス)に抵抗するのは危険と判断して、これを承諾した。そして彼の息子も、同様に名前はガイウス・ユリウス・マクシミヌスだったが、副帝とされた。

第26章
26-1:彼らは2年間全権を掌握し、まったくhaud不都合なく、ゲルマン人たちに対して戦闘が行われていたのだが、突如アントニウス・ゴルディアヌス(一世)、アフリカ総督proconsulが軍隊によって、元首としてprincepsテュドルスの町Thydri oppidumで、本人不在で任命される。

26-2:(ゴルディアヌス一世は)そこに呼ばれ、あたかもそのことによって選出されたかのように、到着する。反乱seditioで迎えられるも、それを容易に鎮めてカルタゴへ向かう。

26-3:そこで、諸々の凶兆ーーそれらの恐怖で彼は苦悩させられていたのだがーーを追い払うため、神儀を常のごとく行っていたageret時、突如一頭の犠牲獣 hostiaが子を産んだ。

26-4:それを腸卜師たちと殊にmaxime彼自身が <というのはnam、彼はその知識の実践において半端なく精通していたので>、次のように解釈した。彼(ゴルディアヌス一世)には確かに死が定められている、しかしながらverum彼は子孫たちに帝権をもたらすであろう、と。そして彼ら(腸卜師たちとゴルディアヌス一世)はより詳細に解釈を進め、同様に一人の子供(ゴルディアヌス三世)の結末exitumを告げたのである。彼らは予言した、(その子は)あの(産まれた)羊pecusのように温和で純真だが、長寿ではなく、そして陰謀にさらされる、と。

26-5:とかくするうちにinterim、ローマではゴルディアヌス(一世)の滅亡が確知されるとcomperto、ドミティウスの教唆により、首都長官と残りの(死刑執行権を持つ)裁判官たちが至るところで近衛大隊によって打倒されるcaeduntur。

26-6:実際、ゴルディアヌス(一世)は、自身に帝権がゆずり渡されると知った後、量的に十分な報酬を約束し、ローマへと使者たちと諸書簡で確約していたのだが、これら(の約束)が彼の殺害で台無しにされたのではと、兵士たちはやきもきしていたのだった。(連中のような)人種は、金銭により強く執着し、そして忠実で有能なのは金もうけのみなのだ。

26-7:だがat元老院は、本当に誰ひとり指揮者たちrectoribusがいないと、外見上首都が占領されたように見え、忌まわしい事どもが勃発するのでは、と怖れ、最初に諸職権の差し替えをし、続いてより若い人々を(元老院議員)名簿に登録し、クロディウス・プピエヌスとカエキリウス・バルビヌスを副帝caesaresに任命した。

第27章
27-1:そして同時期に、アフリカにおいて兵士たちがゴルディアヌスーー彼ははからずもforte父の幕下で、緋色の縁飾付トガを着用し、そして次いで近衛長官として居合わせたのだがーー、すなわちゴルディアヌス(一世)の息子を正帝に選出した。たしかにsane貴顕階級 nobilitas はその行為をはねつけなかった。

27-2:要するにdenique、彼は首都の起伏に富んだ(場所の)中に呼び寄せられ、しかもその中心部で近衛軍の諸隊manusは、剣闘士の諸隊と新兵たちの部隊によって、戦列をacie抹殺(殲滅)させられたdeletae。

27-3:これらのことがローマで行われているgeruntur間に、ユリウス・マクシミヌス(父子)たちは、彼らをたまたまforteその時にトラキアが留めていたのだが、これらのことが生じたことを受けて、イタリアへと急いで向かうpetunt。

27-4:彼らをプピエヌスは、アクイレイアの攻囲で屠った。それは戦闘で、打ち破られた者たちを(他の)生存者たちが次々に見放した後のことだった。

27-5:彼ら父子の帝権については、2年間に、このような諸経過のため、(もう)1年が必要とされた。

27-6:その後あまり時を置かないで、兵士たちの武装蜂起で tumultu クロディウス(パピエヌス)とカエキリウスは、ローマで、パラティウムの中で打倒されcaesis、ゴルディアヌス(三世)は単独で統治を継続した。

27-7:そして、その年に(ゴルディアヌス三世は)五年ごとの競技大会certamineーーそれをネロがローマへと導入し、(その後)拡大強化されていたがーー(それを開催した後に)、彼はペルシア人たちに向けてin Persas進発した。それはまずマルクスが閉じていたヤヌスの聖所を古のやり方で開けてからのことであった。

27-8:それから、戦争が目覚ましくinsigniter行われている時に、マルクス・フィリップス近衛長官の数々の奸計により、彼(ゴルディアヌス三世)は帝権6年間で亡くなったperiit。

第28章
28-1:かくしてigiturトラコニテス(出身)のアラビア人マルクス・ユリウス・フィリップスは、息子のフィリップスを同僚とし、様々な事柄に関して(帝国)東部について処理し、そしてアラビア(属州)にフィリッポポリスの町oppidumを創建して、彼ら(父子)はローマへと向かった。そしてトランス・ティベリス(地区)に貯水場が建てられた。というのは、その地区を水の窮乏が悩ましていたからだった。彼らは、首都の一千番目の年を、あらゆる種類の祝祭で祝賀することになる。

28-2:そしてそれゆえ、それは一人の名前を(私に)思い出させるのであった。またもや私の時代にその後に一千一〇〇番目(の年)が、執政官フィリップスにより、いつものごとく(ut solet)、何らの宗教儀式も行われずに過ぎ去ったからだ:とりわけadeo日に日に首都ローマへの配慮は縮小しているのである。

28-3:無論、その時代に怪奇現象と異常現象によって(このことは彼に)通告されていた、と言われている;これらの事どもから一つをすぐさまbrevi思い出すのが望ましい。

28-4:というのはnam神祇官たちpontifexのおきてlexにしたがって犠牲獣たちが捧げられた時に、一頭の雄豚の胎児(腹部)に雌の生殖器が認められたのである。

28-5:そのことを、腸卜師たちは、子孫たちの崩壊と予告し、そしてより重要な諸凶事が生じるだろうと解釈した。

28-6:予言通りにならないように見積もって、皇帝フィリップスは、その後たまたまtum quia、はからずもforte息子に似た一人の(ギリシア人風の)青年 ἔφηβος を(男色楼の)貸部屋meritoriumの前を通り過ぎたとき気づいたので、男娼の習慣を除去せんものと、きわめて気高くも(顧問会議?に)諮問した。

28-7:とはいえ、それは(今でも)残っている:実際、場所の状態を変え、一層の破廉恥行為で悩まされている。つまりdumより貪欲にavidius危険な事どもを何であれ、死すべき者たちは禁じられていても追い求めるものなのである。

28-8:それに付け加えるなら、はるか以前に別のことをエトルリア人たちの(腑分けの)諸学芸が(予言して)吟じていた。それら(予言の内容)は、良き人々は大部分がおとしめられ、最も女々しい者どもが誰であれ幸福になるであろう、と主張していた。

28-9:彼らはまったく真理を無視している、と私はみなす。というのも、どんなにすべての事どもが望み通りに成功していたとしても、しかしながら、慎み深さが失われて誰が幸運でありえるというのか。それ(慎み)を保持することで、その他の事どもは我慢できるのである。

28-10:これらが行われてactis、息子は首都に残され、彼(フィリップス)自身は、年齢のため肉体が弱っていたにもかかわらずquamquam、デキウスに対してウェロナへと進発し、滅びるcadit/cado。(というのは)軍隊が追い払われ、失われたからである。

28-11:これらがローマで確知されるとcompertis、近衛軍陣営で息子は殺害されるinterficitur。彼らは、統治の年数で五(年)を行使したagunt。

第29章
29-1:だがatデキウス(249年6月か? パンノニアで皇帝歓呼)は、シルミウムのある村vicusの出身だったが、軍務の段階から帝権を志していた、そして敵対者たち(フィリップス父子)hostiumの殺害nexをきわめて喜び、エトルスクスという名前の息子を副帝にする(250年5ないし6月;251年6月以前に正帝);そしてただちに彼(エトルスクス)をイリリア人たちへと先遣させ、(彼自身は)しばらくの間ローマに留まる、(それは)彼が築いている諸建造物を奉献するためだった。

29-2:そしてその間に、彼(デキウス)に対しヨタピアヌスの、ーー彼はアレクサンデル(大帝、ないしセウェルス)の後裔を鼻にかけ、シュリアで諸変革を試み、兵士たちの意向により死没したのだがoccubuerat、(その彼の)ーー頭部が、それが慣習であるがuti mos est、予期せず(ローマに)運ばれてくる。そしてそれらの日々と同時にsimul、ルキウス・プリスクスに、ーー彼はマケドニア人たちを総督として支配していたが(249/50年)ーー(兵士たちにより)専制dominatioが委ねられた、(それは)ゴート族の攻撃によって、トラキアの大部分が強奪された後に、彼らが彼のところに到達したからだった(250 年末)。

29-3:このため、デキウスが可能なかぎり迅速にmaturrimeローマから離れると、ユリウス・ウァレンスが民衆を煽って帝権を占めた。しかしながらverum両者(??)はまもなく打倒されたcaesi、それはプリスクスを(元老院の)ノビリタスが祖国の敵hostemと決議した時のことだった。

29-4:デキウスたち(父子)は、蛮人たちをダヌビウス(川)を越えて追撃していて、アブリットゥスで奸計にかかって死んだcecidere(251年6月前半)、統治の2年間が過ぎていた。

29-5:しかしデキウス(父子)の輝かしい死を、多くの人々が称賛している。なぜならnamque息子はきわめて向こう見ずに交戦していて、戦列内で in acie 死んだのだがcecidisse、父もさらに、気落ちした兵士たちが皇帝を慰めようと多く(の言葉)を投げかけた時、即座にstrenue答えた、一人の兵士の損失は自分にとって軽微と思われる、と。こうして(父帝は)戦争を再開し、弛みなく闘っていた時に、(息子と)同じような仕方で消え去ったinterisse。

第30章
30-1:これらの事どもを元老院議員たちpatresが確知したcomperereときに、ガッルスとホスティリアヌスに正帝での帝権を、ガッルスから産まれたウォルシアヌスを副帝と定めたdecerno。

30-2:その後、疫病が起こる。激しく猛威を振るっていたそれにより、ホスティリアヌスは亡くなった。ガッルスとウォルシアヌスに(民衆の)賛意が獲得された。というのは、気にかけてそして入念に、彼らは最貧層の個々人の埋葬を差配したからである。

第31章
31-1:かくしてigitur彼らはローマに留まっていたので、アエミリウス・アエミリアヌスが(モエシアで)最高職権を兵士たちを買収してcorruptisかっさらった。

31-2:この(権力)奪取に対し、進発した彼ら(ガッルスとウォルシアヌス)は、インテランInterammで自らの(兵士たち)によって打倒されるcaeduntur、(彼ら兵士たちが)アエミリウスからより大きな報酬を期待したからである。彼(アエミリウス)にとって、労苦も不利益も全くなく、勝利が転がり込んだ。同時にsimulそれゆえ、節度のない者どもが、贅沢と放縦によって(帝国に)果たすべき公的職務を退廃させてしまったcorrupeant。

31-3:これらすべてにより、たしかにsane二年間が経過したprocessit。これに対してnam、アエミリアヌスもまた三か月間帝権の使用に際し控えめに振る舞ったが、病気で命を奪われたabsumptus est、(その彼のことを)(元老院の)領袖たちはproceres初めは(国家の)敵hostemと呼んでいたが、その後、先行者たちsuperioribus(ガッロやウォルシアヌス)が運命の女神によって消滅させられるexstinctis と、常のことだがuti solet、(彼アエミリアヌスに)正帝の称号を与えたのだった。

第32章
32-1:だがat兵士たちーー彼らは(帝国内の)至るところからラエティア付近apud Raetiasに集結させられて、差し迫った戦争のためにとどまっていたーーは、リキニウス・ウァレリアヌスに帝権を譲り渡すdefero。

32-2:彼は十分にsatis傑出する出自にもかかわらずquamquam、やはり、またその時でさえ習慣だったとはいえut mos etiam tum erat、軍事に邁進していた。

32-3:彼の息子ガッリエヌスを、元老院は副帝に選出する creat。そしてすぐに、ティベリス川が夏の盛りに(もかかわらず)洪水の様相を示して(まだ雨期でもないのに)氾濫した。

32-4:(予言の)精通者たちprudentesは、国家の破滅を、かの青年の不安定な本性によるものであると歌った cecinere。というのは、(ガッリエヌスは)呼び寄せられて accitus、エトルリアからやって来ており、前述の(川の)流れはそこから(来ている)からである。それ(国家の破滅)は、無論すみやかにconfestim起こった。

32-5:これに対してnam、彼の父はメソポタミアにおいて、どっち転ぶか分からないそして長期間の戦争を準備中だったが、ペルシア人たちのPersarum王の、彼の名前はサペルSaperだったが、(その彼の)たくらみによりdolo計略ではめられcircumventus、むごたらしく切り裂かれて laniatus、亡くなった:帝権の6番目の年であり、きわめて頑健な老年期だったのだが。

第33章
33-1:同時期に、リキニウス・ガリエヌスは、ガリアからゲルマン人たちを即座にstrenue遠ざけarceret、イリュリクムへ急ぎ下った。

33-2:(それは)そこでibi、インゲブス Ingebusをーー彼はパンノニア人たちを差配していたが、ウァレリアヌス(ガリエヌスの長男のJunior)の災難を確知してcompertaーー、帝権への欲望が襲っていたからで、(ガリエヌスはインゲブスを)ムルシアMursiaで完全にうち破り、そしてつづいてレガリアヌスを(完全にうち破った)、(そのレガリアヌスは)、ムルシアMursinaで破滅が生き残らせた兵士たち受け入れ、戦争を再び行ったのである。

33-3:これらのことが幸運かつ祈願以上の結果となったので、人間たちの性(サガ)で、より放逸な者solutior(ガリエヌス)が、息子サロニヌスSaloninusーー彼が副帝の栄誉honoremを授けていたーーともども、国家ローマをほとんど難破状態へと突き落とした。とりわけadeo次のごとくであった、トラキアを自由に闊歩したゴート人たちが、マケドニア人たちとアカエア人たち、そしてアシアの諸境界までを占拠し、メソポタミアをパルティア人たちが、オリエンスについては盗賊ども、否むしろあの情婦(ゼノビア)が支配し、アレマンニ人たちの軍勢visがその時同時にイタリアを、フランク人たちの諸部族がガリアを強奪しdirepta、ヒスパニアを確保しpossiderent、タラコ人たちの町oppidumを強奪direpto、そしてほぼpaene荒らしvastato。そしてちょうどよくin tempore船々を入手し、一部はアフリカにまで渡った;そしてイステルIster(ダヌウィウス)川の向こう側(の領土)が失われた、それらを(皇帝)トラヤヌスが得ていたのであったが。

33-4:こうして、ほとんどあらゆる方向から風神たちが荒れ狂いsaevientibus、小者に大者が、最低の者が最高の者に、世界全体で混在させられていたのであるmiscebantur。

33-5:そして同時にsimul、(帝都)ローマを疫病が猛威を振るった。それ(疫病)はしばしばきわめて深刻な不安と精神の絶望を引き起こす。

33-6:これらの出来事の間に、彼(ガリエヌス)自身は諸々の料理屋popinaeや居酒屋ganeasを巡り、ポン引きたちlenonumや大酒飲みどもvinariorumとの親交を深め、配偶者サロニナ(どころか)、そしてゲルマニア人たちの王アッタルスの娘で破廉恥きわまりない愛人、名はピパに身を任していた;

33-7:そのため、今やetiam(ローマ)市民たちははるかに凶暴な諸暴動を起こしたのだった。

33-8:(ガリア分離帝国皇帝たち)全員の最初の人物、ポストゥムスは、たまたまforte蛮人たちをガリアで統治していたのだが、帝権をひったくるべくereptum取りかかっていたierat。大勢のゲルマニア人たちを追い払ったが、彼はラエリアヌスとの戦争に引きずり込まれた。その彼を(ポストゥムスは)同様に幸運に恵まれて撃退したが、彼自身の部下たちの騒動でtumultu、亡くなったperiit, というのは、(部下たちは)モンゴティアクム[現マインツ]人たちの強奪をしつこくせがんだのだが、彼ら(モンゴティアクム人たち)はラエリアヌスを支持していたからだったが、彼(ポストゥムス)が拒絶したからである。

33-9:かくしてigitur彼は殺されeo occiso 、マリウス、かつてquondam鉄鍛冶職人で、その時でさえetiam tum軍務に十分satis秀でていたわけでないが、(その男が)支配をregnum掴む。

33-10:こうしてporinde、全てのことが限界までextremum落ち込んでいき、それでこのような連中のために、諸々の帝権と全ての人びとの武徳の栄誉decusが嘲りとなったのである。

33-11:このゆえにhinc さらにdenique ふざけてioculariter (以下のように)呼ばれてもdictum 決して不可解でないと思われるmirum videri、たとえ、ローマ国家をマリウスが再建しようと努力したとして、それは、それ(ローマ国家)を同様の職種artisと血統と名の始祖たるマリウス(伝説の鍛冶職人Mamurius Veturius、それとも共和政末期の軍人政治家Gaius Marius、元首政の皇帝Marcus Aurelius Antoninusのことを示しているのか)が強化しているからだった、と。

33-12:この者が二日間の後に喉を掻ききられるiugulatoと、ウィクトリヌスが選ばれる。彼は戦争の知識においてポストゥムスに匹敵したが、しかしながらverum 収まり切れない性欲を持っており、始めのうちは抑制されていたそれ(性欲)によって、二年間の帝権の後に、ほとんどの者が暴力的に凌辱され、Attitianusの妻をconiugem熱望し、そして悪行が彼女によって夫に知らせられた時、密かに兵士たちによって、暴動へと焚きつけられて扇動されaccensis、アグリッピナ(現ケルン)で殺されるocciditur。

33-13:アッティティアヌスがその地位に置かれていた主計担当官の一団(派閥)はactuariorum factiones、軍隊exercitu内で勢力があり、それはやばいことを追求しても悪行がなし遂げられ得るほどだった;人間の中でこの種の連中はとりわけpraesertimこの時代において放埒でnequam、賄賂がききvenale、狡猾で、反逆的でseditiosum、所有に貪欲で、さらにはatque諸犯罪をなしそして隠匿するについては、まるでquasi天性そうであったかのようだった。(この種の連中は)穀物配給を支配していて、そしてそのためeoque生産物を差配する人びとや耕作者たちの幸せにとって有害で、都合よくin tempore[=33.3]これらの人びと(諸皇帝)に賄賂を使うことに精通しており、これらの人びと(諸皇帝)の愚行や窮乏damnumで財をかき集めていたのであった。

33-14:とかくするうちにinterim、ウィクトリアが息子のウィクトリヌスを失うとamisso、諸軍団から莫大な金銭でもって承認を得て、テトリクスを皇帝にした。その彼は、貴顕な家系の生まれで、属州長官職でpraesidatuアクイタニア人たちを治めていた。そして彼の息子テトリクスにも副帝の諸徽章がinsignia分け与えられる。

33-15:だがat、ローマに居たガリエヌスは、すべてが平和であると、国家の危機について無知な人びとに、邪悪にも(厚かましくも) improbe説いていた。今やetiam頻繁にcrebro、望んでいるように物事が行われるのが世の常であるが、諸々の見せ物ludosと諸凱旋の祝典を、より一層抜かりなく見せかけて正式に認められるように、挙行する。

33-16:しかし、危機が迫ってきてはじめて、(ガリエヌスは)ようやく首都(ローマ)をurbe発つ。

33-17:なぜならnamque、アウレオルスは、ラエティア(二州)のために諸軍団を管理していていたpraeessetが、皇帝権へと呼び寄せられた、いつものことだが、これほどの無気力なignavi軍司令官(ガリエヌス)のducis怠慢socordiaに刺激され、帝権を得ようとしてローマへと急行しつつあった。

33-18:彼をガリエヌスは橋の付近で、その橋は彼の名前からaureolusという名付けられているが、戦列で撃破された彼をメディオラヌム(現ミラノ)へと追い込んだ。

33-19:その都市を、彼(ガリエヌス)があらゆる種類の攻城兵器によって攻撃している間に、彼は身内(の部下たち)によって滅びたinteriit。

33-20:実際quippe、アウレオルスは、包囲の緩む望みがほとんどないと見て、ガリエヌスの軍司令官たちducumと軍団将校たちtribunorumの名前を、あたかも彼(ガリエヌス)が殺害を決定したような(文書を)彼の策略astuで作成し、そしてその諸文書をlitteras城壁外へと、意図的にこっそりと投げ捨てた。それらがたまたまforte(書類上に)言及された者たちに発見され、死をexitii命じられた(という)恐れと(それが本当なのかという)疑念を引き起こさせたが、しかしながらverumそれら(の文書)が流出したのは、(ガリエヌス)の従者たちのministrorum不注意incuriaによるのだ、と(理解された)。

33-21:このため、アウレリアヌスの助言consilioによりーー彼(アウレリアヌス)の軍隊内での敬意gratiaと栄誉honosが際立っていたのでーー、敵対者たちのhostium突入が偽装され、不意で危険な事態にはよくあることだが、護衛たちがstipatoribus誰一人守っていなかった(彼)を彼ら(敵対者たち)は天幕から真夜中に引きずり出した。そして一本の投げ槍telumで彼は刺し貫かれるtraicitur、(それが)一体誰のものだったのか暗闇のため確かめようもないのだが。

33-22:こうして、殺害necisの張本人たちを特定できなかったことにより、ないし、それというのは公共善のため起こった(ということで)、(この)殺戮caedesは罰を免れたのである。

33-23:にもかかわらずquamquam、諸道徳はそれほどまでに沈み込まされたわけであるprolapsi、(すなわち)国家よりも自分(の利害)のために、そして栄誉への熱意よりもより以上の統治権のために多くの人々が行動してしまうagantほどまでに。

33-24:このためまた、同様に物と名の本質もが堕落し、しばしば破廉恥行為によってより強大になった者が、たとえ武装集団によってarmis征服して、専制を排除したところで、公的なものが毀損される(という事態を)もたらすのである。

33-25:むしろ今やquin etiam、かなり多くの人々が(ガリエヌスと)同等の性欲(を持っているにもかかわらず)天上の集団numerumに連れ帰られている、(彼らは実は)ようやくのこと葬列に値するだけなのだが。

33-26:誰かがもし、諸事績への信頼を妨害しなかったならば、ーー(その)信頼は、正直な者たちhonestosを記憶の報酬praemiumによってあざむかれたままにさせておかず、(そしてまた)邪悪な者たちimprobisに不朽かつ輝かしい名声をもたらすはずもないのだがーー、わだかまりなく武徳が追求されていたであろう。というのは、かの真実にして唯一の栄誉decusは、かのもっとも悪しき者(ガリエヌス)に対して各人の好意によって授けられていたからで、それは非道にも良き者たちから取り去られたdemptumものであった。

33-27:要するにdenique、ガリエヌスをクラウディウスによって元老院議員たちは神君と呼ぶことを強いられた、というのは彼(クラウディウス)は彼(ガリエヌス)の意向arbitoriumで帝権を得ていたからだ。

33-28:というのはnam、出血でそれほどにひどい傷で自分に死が差し迫っていることを彼(ガリエヌス)が悟った時、帝権の諸々の徽章insigniaをクラウディウスへと定めたからでdestinaverat、(その時、クラウディウスは)将校tribunatus[?]の顕職でTicinum(現パヴィア)攻撃軍を指揮するために留め置かれていたのだった。

33-29:それ(帝権)はたしかにsane(ガリエヌスから)もぎ取られたのだ、(というのも)ガリエヌスの数々の破廉恥行為は、(未来において)諸都市が存在する限りdum、隠し通されることはできず、また、誰であれ(未来において)最も邪悪な者であれば、常に彼と同様で類似した者とみなされるであろうからだ。

33-30:とりわけ(orそれほどに)adeo、(いずれ)死すべき運命にある元首たちや最高の人士たちは、人生の栄誉decusとして、なるべく名声を乞い求めでっち上げて、推測の限りではあるが天に近づくか、あるいは人々の評判によって神君として賞賛され(ようとす)るものだからである。

33-31:だが、元老院はこのような死exitioが確知されるとcomperto、(ガリエヌスの)取り巻きどもsatellitesや親族たちをpropinquosque、ゲモニアの階段へとやみくもにpraeceps追い立てるagendosべしと決議し、(彼らは)元首金庫の保護者patronoque fisciによって、元老院議事堂内に連行され、両目をえぐり出されたことは、十分にsatis周知のことで、乱入してきた大衆vulgusは、同一の雄叫びで、大地母神と冥界の神々に対しても懇願した、不敬な諸座sedes impiasがガリエヌスに与えられますように、と。

33-32:そして、Claudiusがすみやかにメディオラヌム(現ミラノ)を奪還して、あたかも (降伏した)軍隊の要請であるかのように、彼らの中でたまたまforte生き残った者たちは容赦されるべきであると指示しpraecepissetなかったならば、(ミラノの)貴族と平民はplebesqueより残酷に猛威を振るったgrassarenturであろう。

33-33:そして、元老院議員たちをたしかにローマ世界共通の不利益以上に、彼(ガリエヌス)は固有の身分の侮辱contemeliaによって苦しめ続けていた。

33-34:というのも、はじめてprimus彼自身が、自らの怠慢の恐怖metuを、帝権が貴族たちの中で最も優れた者たちに移されることのないように、元老院が軍務に(奉職すること)を、そして軍隊が(元老院に)近づくことを禁止したからである。この者には、九年間の統治権potentiaがあった。

第34章
34-1:しかしクラウディウスの帝権を、兵士たちは、一般的なfere(彼らの)本性に反して、絶望的な諸事実が正当に諸々の対処をするように強いていたので、あらゆるものが破滅にシンしているのを認識すると、熱心にavide賛同しかつ褒めそやした。その人物(クラウディウス)は諸々の苦難に耐え、そして公正かつacただただprorsus国家に献身的で、

34-2:実際quippe、長い中断から(共和政代の)デキウスたちの慣習を更新したのだった。

34-3:というのはnam、彼(クラウディウス)はゴート人たちを追い払うことを切望していたcuperetのだが、彼らを長い期間があまりに強固にし、かつacほとんどprope居住者たち(同然)にしてしまっていたのであるが、シビュラの書から伝承されていたのは、もっとも身分の高い第一人者が勝利に誓約されるべきvovendumということである。

34-4:そして、彼(クラウディウス)派そう見られていたので、自身が献げられるべきだった時に、彼はむしろ自らそれを責務と心得て進み出た。彼は実際元老院のそしてすべての者たちの筆頭者princepsであった。

34-5:こうしていかなる軍隊の損失もなしに、蛮人どもは追い払われfusi、そして撃退されたsummotiqueが、(それは)かの皇帝が生命を国家に奉納するべくdono委ねたdedit後のことだった。

34-6:とりわけ(それほどに)adeo善き者たちには市民たちのcivium安全と長い彼らの記憶がより貴重なのである;それらは栄光にとってのみならず、ある程度はratione quadam子孫たち[彼の子孫と称したコンスタンティウス一族]の幸運にも役立つのである。

34-7:その彼から、もしほんとうにコンスタンティウスとコンスタンティヌス、そのうえatque我らが諸皇帝[コンスタンティウス二世や(副帝)ユリアヌス]が(由来している)なら、・・・・・・そして・・・の体の・・・、それは兵士たちによって、諸特権の、あるいはseu 放縦の希望speでより一層受け入れられた。

34-8:その結果、勝利はみじめで、そしてより残忍だった、つまりdum、臣下にとってそれが常であるが、欲望を罰なしで犯すためには、弛緩した諸帝権(のほう)を有用なそれらよりもより都合いいので守ろうとするからである。

第35章
35-1:しかもなおceterum、アウレリアヌスはこれほどの成功によってよりたくましくvehementior、すみやかにconfestim、あたかもquasi戦争のやり残しがあったかのように、ペルシア人たちの中に進んだprogressus est。

35-2:彼らを殲滅させdeletis、彼はイタリアへと戻ってきたrepetivit。そこの諸都市がurbesアラマンニ人たちの諸々の荒涼vexationibus によって破滅に瀕していたaffligebanturからである。

35-3:同時にsimul、ゲルマン人たちがガリアから駆逐されdimotis、テトリクスーー彼について、我々は上記で言及しておいたーーの諸軍団は、軍司令官自身(テトリクス)ipso duceが裏切者proditoreになって、打倒されたcaesae。

35-4:なぜならnamque、テトリクスは、属州長官praesesファウスティヌスのたくらみでdolo、買収された兵士たちによってしばしば襲われたので、アウレリアヌスの庇護praesidiumを書簡で哀願していたimploraverat、そして彼(アウレリアヌス)が到着すると、戦列をacie見せかけで戦闘に出撃させ、自ら(はアウレリアヌスに投降して)委ねる。

35-5:こうして、指揮者rectoreなしだとありがちなことだが、混乱した諸隊列はordines制圧されoppressi sunt、彼自身は高慢なcelsum二年間の帝権の後、(捕虜として)凱旋式の中で行進させられ(たけれど)、(アウレリアヌスは彼を)ルカニアの監督官職correcturaに、そして(彼の)息子に恩赦veniamと元老院議員の栄誉honoremを追綬したcooptavit。

35-6:かと思えばneque secus、首都の中で貨幣鋳造職人たちが殲滅されたdeleti、というのは、彼らは、首謀者フェリキッシムス、貨幣鋳造会計官rationaliと共に、貨幣の刻印を削り取っていた(量目をごまかしていた)ので、処罰への恐怖から、彼らは戦争を実施したが、以下のようにゆゆしき(事態)だった、彼らはコエリウムの丘に結集し、戦闘員bellatorumのほぼfere7000人を屠ったほどだった。 

35-7:これほどたくさんの、そして大きな功績を幸運にも行って、彼(アウレリアヌス)は、ローマに太陽神Solのために壮麗な聖所をfanumを築いた、それは豪華な奉納物で飾られていた。そのうえac、ガリエヌスに関して起こった事どもが決して生じないように、彼は、城壁で首都を可能なかぎり強固に外周をより広くして取り囲んだ。そして同時にsimulque、豚肉の利用を、ローマの平民に十分与えられるよう思慮深くかつ気前よく調達した、そして殲滅されたのは、財政上のそして告発者たちの乱訴でcalumniae、それらは首都を悲惨にしていたのだが、このような業務の諸書き板tabulisや諸記録monumentisqueを火で消滅し、そのうえatqueギリシアの慣習によって破棄が決議されたdecreta。それらの間に、貪欲avaritiam、公金横領peculatum、諸属州の略奪者たちを、軍人たちのやり方に反して、彼も彼らの集団numeroの出身だったが、法外なまでに追求した。

35-8:そのために、ある下僕のministriの悪事によって、その彼に秘密の職務を彼(皇帝)は任せていたのだが、彼(皇帝)は計略ではめられcircumventus、コエノフルリウムで亡くなったinteriit。かの者は諸略奪praedaeと違反の自覚があったので、巧妙に作成された諸文書を軍団将校たちにtribuni、あたかも恩恵からであるかのように委ねた、それらは彼らを殺害することをinterfici命じていた;彼ら(軍団将校たち)はその恐怖で刺激されて、悪行をfacinusなし遂げたのだった。

35-9:その間にinterea、兵士たちは、元首(アウレリアヌス)を失って、諸使節をlegatosただちにstatimローマへと向ける。それは、元老院議員たちが彼ら自身の判断で皇帝を選ぶためだった。

35-10:彼ら(元老院議員たち)によって、それは汝らの自身の責務にmunusなかんずくふさわしいconveniretと答えたので、もう一度rursum諸軍団は彼ら(元老院議員たち)に委ねるreiciunt。

35-11:こうして、どちらも慎み深さと抑制によって張り合うことは、人々の武徳において類い希れでrara、とりわけpraesertimこのようなことについて、そのうえac 兵士たちにおいてはほとんどprope知られていない。

35-12:それほどまでに、かの人物(アウレリアヌス)は、厳格でそのうえ清廉なincorruptis諸学芸でartibus影響力があったので、彼の殺害のnecisの<通知>nuntiusは首謀者たちにとってはauctoribus死でexitio、邪悪な者たちにとっては恐怖でmetui、おぼつかない人たちにとってもdubiis同様でsimulata、最良の者各々にとっては憧憬で、誰にとっても傲慢あるいはaut誇示ではなかった。そのうえ今やatque etiam、あたかも彼にだけロムルスに(起きたような)空位期間が転がり込むのだから、はるかにまさに(他の誰よりも)より一層誇りにするに足るのである。

35-13:その事実は、とりわけpraecipue以下を徹底的に知らしめた、すべてはその中で円環のように回転する(だけで)、そして(新たなことなど)何も起ったりはしなかった、ということを。というのは、これに反し天性の力は時の機会をaevi spaioもたらすことはできないからである。

35-14:その上さらにadhuc、元首たちの武徳によって、物事は容易に復興できたり、ないし衰弱させられたりもし、そしてより強固な人々をもやみくもにpraeceps諸不品行に委ねるのである。

第36章
36-1:かくしてigiturようやくtandem元老院は、アウレリアヌスの滅亡interitum後およそcirtiter 6か月目に、タキトゥスを執政官格たちのうちから、たしかにsane温厚な男だったので、皇帝に選出するcreat。ほとんどあらゆる者にとってより喜ばしいのは、兵士の凶暴さferociaから元首を任命する法iusを領袖たちがproceres取りもどしたことだった。

36-2:(とはいえ)やはりtamenその喜びはlaetitia短くbrevis、結末はexitu我慢できるものではなかった。なぜならnamque、タキトゥスはすみやかにconfestim統治の200日目の昼luceにティアナで死んだからであるmortuo、その時やはりtamen(彼は死の)直前にアウレリアヌス殺害のnecis首謀者たち、そして殊にmaximeque、軍司令官ducemムカポールーー彼自身の一撃で(アウレリアヌスを)殺していたocciderat——、その彼を(タキトゥスが)拷問にかけてい(て死んだのだっ)た。同一人物の兄弟フロリアヌスは、元老院か兵士たちの決議consultoなしに、帝権を侵蝕したinvaserat。

第37章
37-1:彼は一ヶ月あるいはaut二ヶ月やっとのことで専制を手放さずにいたがretentata、タルススで彼の配下の者たちにab suis殺害される。

37-2:それは彼らがプロブスをイリュリクムにおいてなされたことを受け入れた後のことで、(プロブスが)戦争に関する並はずれたexercitandisque知識(を持ち)、そして様々に兵士たちを訓練すること、新兵たちを鍛えることに関して第二のハンニバルも同然だったからである。

37-3: なぜならnamque、その者(ハンニバル)がオリーブの木々でアフリカの大部分を諸軍団を用いて(満たしたが)、諸軍団の余暇は国家やリーダーたちにductoribus疑われてしまうと考えてのことで、同じやり方で、この者(プロブス)は、ガリア、両パンノニアおよびモエシア人たちの諸々の岡をぶどう畑で満たしたからである。その後たしかに野蛮人たちの諸部族が疲弊させられたのであるが。その諸部族は、我らの元首たちが彼らの配下の者たちの悪事によってscelere 殺害されinterfectis、同時にsimul サトゥルニヌスがオリエンスで、アグリッピナ(現ケルン)でボノススが軍隊により打倒されるとcaesis、闖入してきていたのだったirruperant;これに対してnam、(サトゥルニヌスとボノススの)両者とも専制政治をdominatum、軍事司令官たちが指揮していたmanu手勢を使って、試みていたのだったtenvaverant。このためqua causa、(プロブスは)すべてのことどもを受け入れreceptis、そして平和をもたらし、短時間でbrevi兵士たちは不用になってしまうだろうと言った、ということが暴露されたproditur。

37-4:このためhinc要するにdenique、それ以上にmagis苛立った者たち(兵士たち)が、わずか6年以内にシルミウムで(プロブスを)惨殺した、それは貯水地と水路で彼自身の故郷の都市を干拓させることを強いられたからで、その都市は湿地帯にあって冬の雨水で損なわれているからであるcorrumpitur。

37-5:それ以来abhinc 軍隊の統治権potentiaは増強し、その上、元老院によって選出されるべきcreandique帝権や元首の法は、我々の記録にいたるまで引ったくられた、それを(元老院)それ自体が怠惰のために望んだのか、(軍隊への)恐怖によってか、あるいは(軍隊との)軋轢を嫌悪odioしてのことだったのかどうかは、不確かであるがincertum。

37-6:実際、ガリエヌスの勅令により失った(元老院議員の)軍務を回復することも可能となったであろう、タキトゥスが統治する時に、諸軍団が慎み深くmodeste (その支配を)甘受しておれば、そしてまたneque フロリアヌスが無謀にtemere(帝権を)侵蝕するinvasissetようなことをしなかったなら、あるいはaut (共和政代の規律正しい)歩兵中隊のmanipularium見識judicioでもって、帝権が、だれか良い人物に、(すなわち元老院議員という)最高位の amplissimo、その上それほどの身分の者が陣営内で過ごしていればdego、与えられたであろう。

37-7:しかしながらverum つまりdum、彼ら(元老院議員たち)は余暇を享受し、そして同時にsimulque富に十分注意を払い、その使い方と奢侈を不滅(の栄光)よりもより高く評価し(た結果、彼らは)、兵士たちやほぼpaene野蛮人たちが、(元老院身分)自らとその子孫たちを支配するようになるべく、道を整えていたことになる。

第38章
38-1:かくしてigiturカルスは近衛長官職の重職にあったが、正帝の衣をまとわされ、息子たちカリヌスとヌメリアヌスを副帝に(した)。

38-2:そしてそれゆえet quoniam プロブスの死が知られたので、蛮族の各々が好機とみてopportune(帝国国境を)侵蝕していたのでinvaserant、ガリアの防衛のためad muninentum長男を派遣し、(カルス自身は)ヌメリアヌスを随行してメソポタミアにすぐさまprotinus進んだpergit。というのもquod、そこがあたかもペルシア人たちとの恒常的な戦争(状態)にあったからである。

38-3:敵どもをhostibus敗走させた際、つまりdum、(カルスは)軽率にも栄光へより貪欲となり、パルティアの有名な首都[ク]テシフォンを越えてしまい、雷に打たれ炎上してしまった。

38-4:このことを、ある者たちは当然のごとく彼に起こったことだと言及している。というのもnam cum諸々の神託は、前述の町oppidumまでは勝利によって到達できると告げていたが、彼はより先に進んでしまい、処罰を受けたpoenas luitからである。

38-5:こうしてproinde、(凡夫の常であるが)もろもろの宿命をfatalia逸らすのは厄介でarduum、そのためeoque未来の知らせも聞き流してしま(い勝ちになるものである)。

38-6:だがatヌメリアヌスは、父を失い、同時に戦争がなし遂げられたconfectumと評価し、軍隊を撤退させようとしたとき、近衛長官で義父アペルの諸々の奸計によりinsidiis、彼は消されるexstinctis[3節でのカルスの「炎上」と対句で、ヌメリアヌスは「消火」されたと、言葉遊びか]。

38-7:その機会をもたらしたのは、青年(ヌメリアヌス)の両眼の苦痛である。

38-8:要するにdenique、長い間その(ヌメリアヌス殺害の)悪行facinusは秘匿されていた、つまりdum、輿で閉ざされ、死人を外見上病人のようにみせ、風で視力が損なわれないように(という口実で)、運ばれていたからである。

第39章
39-1:しかし、腐ってきた四肢の臭気で、悪事がscelus露見するproditumと、軍司令官たちducumと軍団将校たちのtribuniorumque助言により、警護兵たちを指揮しているdomesticos regensウァレリウス・ディオクレティアヌスが、英知(に優れていた)ため選ばれるがdeligitur、彼はやはりtamenその諸々の(性格的な)特徴によりmoribusi気位の高いmagnus男であった。

39-2:実際quippe,彼は金を(織り込んだ)絹の衣服をもとめ、その上紫と貴石の力を靴下に熱望した、最初の人だった。

39-3:これらのことは、市民性を越えていて、そして思いあがった尊大な精神にもかかわらずquamquam、やはりtamenその他のことどもと比べれば軽微なことである。

39-4:なぜならnamque、彼はすべての人々のうち、自らをカリグラとドミティアヌスの後で、ご主人様と公然と言わせ、自らを神のごとく崇拝させ呼ばせることを受容した最初の人だったからである。

39-5:これらのことでもって、(ディオクレティアヌスの)本性がどうであれ、私は以下を確知するcompertum(自明であると考える)、最下層の者たちは誰であれ、殊にmaxime高みに上がった時、傲慢と野心によって抑制のきかない者となる、と。

39-6:それゆえ、マリウスが父祖の記憶において(そうであったように)、それゆえかの者(ディオクレティアヌス)が我らの(記憶)において、(ローマ人)共通の振る舞いを超越してしまっており、つまりdum、統治権に関与したことのない精神は、あたかもtamquam飢餓から回復した者のように、飽くことを知らないのである。

39-7:そのためquo、貴顕階級nobilitatiに大多数の者たちが傲慢を帰しているのは、私には不可解に思えるmirum videtur。貴族patriciaeの子孫のgentis諸々の煩わしさのmolestiarum思い出memorは、 (それで)悩まされている者にとって、特権のjuris避難場所 remedioとしてほんの少し際だたせて扱(ってほしいだけの)ことなのだが。

39-8:しかしながら、ウァレリウスの中のこれ(傲慢)は、その他の長所で隠され、さらには彼自身しかしご主人様と呼ばれることを黙認し、父親として振る舞った。そして(彼が)十分に聡明な男である事は明白である、現状のうとましさを知らしめることを、(ご主人様という)名の凶悪さを妨ぐこと以上にmagis欲したことで。

39-9:とかくするうちにinterimカリヌスは、起こったacciderant事どもについてより一層知らされ、より安易に起こっている動乱が平定の方向に向かっているという期待で、イリュリクムへと急いでイタリアを迂回して向かう。

39-10:そこでibi、彼(カリヌス)はユリアヌスを、彼の戦列を敗走させて討ち果たすobtruncat。なぜならnamque、彼(ユリアヌス)はウェネティ人たちに監督官職をcorrectura行使していたのでageret、カルスの死をmorte知り、 帝権をひったくることeripereを熱望し、到着した敵hosti(カリヌス)に向かって進んでいったのだった。

39-11:だがat、カリヌスはモエシアに到達した際に、即刻illicoマルクス川Marcus(Margus)ちかくでディオクレティアヌスと交戦しcongressus、つまりdum敗残兵たちを貪欲にavide圧迫していて、配下の者たちの一撃でictu亡くなったinteriit。というのも、(彼は)情欲においてlibidine抑制がきかず、兵士たちの大多数(の女たち)を手に入れようとしたからである。彼女らの男たちはより一層敵対感を募らせていたが、やはりtamen憎しみと侮辱を、戦争の終結eventumまで先延ばししていたdisfulerantのであった。

39-12:その(戦争への)不安が消え失せて(カリヌスは)より一層幸運となったので、このような(カリヌスの)本性がますますmagis magisqueかの勝利によって放縦にならないように、彼ら(兵士たち)自身によって報復されたultus。これがカルスと息子たちの最期である;(カルスは)ナルボが祖国で、二年間の帝権だった。

39-13:かくしてigiturウァレリウス(ディオクレティアヌス)は、軍隊への最初の演説で、剣を抜き、太陽を見据えて、ヌメリアヌスの災難を知らず、また帝権を熱望していないと誓いを立てていた時、すぐ近くに立っていたアペルを一撃で一刺しする;彼(アペル)の策略によって、我々が先述している通り、若者(ヌメリアヌス)は善良で能弁で、(アペルの)婿であったが、滅びたからだった。

39-14:その他の者たちには恩赦が与えられ、そして敵対者のほぼ全員と、殊にmaxime突出した男、(すなわち)アリストブルスという名の近衛長官が、彼ら自身の職務に留め置かれたretenti。

39-15:このことは、人間が記憶して以後、内戦で誰も資産fortunis、名声fama、地位dignitateを奪われなかったことなど、新奇でそのうえ驚くべきことだった。というのは、我々は、(事後処理が)非常に誠実にpieそして穏やかに行われ、追放、財産没収、かつ処刑suppliciisや殺戮caedibisに限度が設けられることを歓喜するからである。

39-16:なぜ、私はそれらのことについて言及すべきであろうか、(すなわち)多くの人々や外国人たちを仲間に引き入れ、ローマ法の恩恵の下で見守りまた促進することについて。

39-17:なぜなら、彼(ディオクレティアヌス)が、カリヌスの(ガリアからの)出立によってdiscessu、ヘリアヌスとアマンドゥスがガリアで、住民たちがバガウダエと呼ぶ粗野な連中と盗賊たちの手勢により駆り立てられ、広範に荒らされていた地域において諸都市の多くを襲っているのを確知すると、(ディオクレティアヌスは)直ちに、(彼との)友情に誠実なマクシミアヌスを、半分田舎者だったが、やはり軍務とそのうえ本性において優れていたので、皇帝に命じる。

39-18:この者にその後、守護神礼拝でヘルクリウスという添え名がcognomentum付け加わった。ウァレリアヌスがヨウィウスとされたように;そこから今やunde etiam、軍隊内ではるかにlonge図抜けているpraestantibus補助軍auxiliis兵士たちに、その名が課せられた。

39-19:しかしヘルクリウスはガリアに進発し、敵は撃破されるか、あるいはaut受け入れられ、すべてを短期間で鎮圧することをなし遂げた。

39-20:その戦争で、カラウシウスは,メナピアの市民であるが、より抜かりない諸行動で耀いていたenituit;そして彼を、同時に舵取り[その職務で青春時代に賃金を(得るべく)訓練されていたので]に精通していたので、彼ら(マクシミアヌスとディオクレティアヌス)は艦隊を調達しparandaes、そのうえ海を脅かしているinfestantibusゲルマン人たちを撃退するために、その長官職に任じた。

39-21:(カラウシウスは)このことによって一層傲慢となり、未開の地で多くの人々を屈服させながらも、戦利品のすべてを国庫に持ち帰らないようにしていたため、ヘルクリウスを恐れて、というのもそのヘルクリウスによって彼自身の殺害が指示されたことが確知されたので、帝権を引き寄せるためにブリタンニアへと急行した。

39-22:その頃、東方ではペルシア人たちが、アフリカではユリアヌスとクインクエゲンティアニの諸種族が、激しく混乱を巻き起こしていた。

39-23:その上さらに、アエギュプトゥスのアレクサンドリアでは、アキレウスという名の者が専制の徽章insigniaを身に帯びていたinduerat。

39-24:これらのことが原因となって、彼ら(マクシミアヌスとディオクレティアヌス)はユリウス・コンスタンティウスと、ガレリウス・マクシミアヌスーーアルメンタリウス[家畜の群れ armentum=牧夫]という添え名であったーーを副帝に擁立しcreatos、縁戚関係に呼び寄せる。

39-25:前者(コンスタンティウス)はヘルクリウスのまま娘[テオドラ]を、後者(ガレリウス)はディオクレティアヌスから産まれた娘[ウァレリア]を得る、それぞれ最初の妻たちと別れて娶る。ティベリウス・ネロと娘ユリアについてアウグストゥスがかつてquondam行なったように。

39-26:彼らのたしかにsane全員にとってイリュリクムが祖国であった。彼らは教養には乏しかったにもかかわらずquamquam、やはり田舎や軍隊(での生活)の諸々の悲惨さに鍛えられており、国家にとって十分にsatis最良の者たちであった。

39-27:それゆえに、以下は自明であるconstat。高潔で聡明な者たちのほうが、悪しき意識に対してより抜かりなく対応できるが、そしてそれに対し困窮を免れていた者たちは、つまりdum自分たちの諸力をopibusすべてと過信しがちなので、ほとんど対処できないのである。

39-28:しかし、彼らの一致が殊にmaxime知らしめたのは、武徳において本性とよき軍務の経験がーーそれは彼らにとりアウレリアヌスとプロプスの教育によってinstitutumだったーー、ほぼpaene十分だった(ということである)。

39-29:要するにdenique、彼らはアウレリウスを、父として、偉大な神のように敬仰していたsuspiciebant。そのことをどのようでかつどれほどのものであるかは、首都の創建から私たちの時代まで、近親の者たちのpropinquorum諸悪行facinoribusによって明示されている通りである。

39-30:そしてその諸戦争の重荷がmoles、それについて我々は上で言及したが、より鋭くacrius急迫していたために、帝国を四分して、アルプスの向こう側の諸ガリア全体はコンスタンティウスに委ねられcommissa、アフリカとイタリアはヘルクリウスに、イリュリクムの沿岸からずっとポントゥスの海峡まではガレリウスに(委ねられた);残り(の東部)をウァレリウスは手放さなかったretentavit。

39-31:このため要するにdenique、イタリア(半島)の一部[北部]に、諸貢(納税)の莫大な損害malumが引き起こされたinvectum。これに対してnam、(ヘルクリウスは他の)全土には、同じ実行に際してしかし控えめにmoderate振る舞ったageret、それというのも軍隊とそのうえ皇帝も常にあるいはautだいたいの場合その部分(ミラノを中心とする北イタリア)にいたからだが、(そこが軍隊と皇帝を)支えるのができるように、諸課税pensioniusのため新法が導入されたのである。

39-32:それは、たしかにsane、かの諸時代の抑制(慎み深さ)modestiaにおいては我慢できるがtolerabilis、このような嵐(の諸時代)においては、破滅になってしまったのである。

39-33: とかくするうちにinterim、ヨウィウスはアレクサンドリアへと進発してproficio、一つの任務を副帝マクシミアヌス(ガレリウス)に信託していたcreditaが、それは(ガレリウスが自分に託されていた)諸領土をあとに残して、ペルシア人たちの諸突進を遠ざけるべくarceret、メソポタミア内に進むように(という任務だった)。

39-34: 彼らによって初め激しく苦しめられた彼(ガレリウス)は、すぐさまconfestim古参兵たち、そのうえ新兵たちからなる軍隊を結集し、アルメニアを経由して敵対者たちhostesへと急行したcontendit;それが、ほぼ唯一の、またはより容易に打ち負かすための道なのである。

39-35:要するにdenique、ちょうどその時ibidem(ガレリウスは)ナルセウス王を、同時にsimul子どもたちと妻たち、そして王宮を、支配下にin dicionem 強いたsubegit。

39-36:とりわけ(それほどに)adeo、勝利者ウァレリウスが、彼の意向によってnutuあらゆることが行われたので、不確実をincertum理由にして(新獲得領土を属州にすることを)拒絶しなかったならば、ローマのファスケスが新属州内に運び入れられたferrenturであろう。

39-37:しかしながらverum、(占領地の)より有用な諸々の大地のterrarum一部が、やはりtamen我らに獲得された;それらがより執拗に返還要求されるので、最近の戦争が、非常に深刻かつ破壊的に招来されたのである。

39-38:だが、アエギュプトゥスの中ではアキレウスが(ディオクレティアヌスによる)巧みな取引で追い払われ、諸々の処罰を受けた。

39-39:アフリカにおいて、あちこちで諸々の同様の事績がなされ、そしてカラウシウスのみに、(ブリタニアの)島の帝権が付託された。(それは彼が)住民たちへのもろもろの指図と防衛で好戦的な諸部族に対して、より好都合と認められた後のことだった。

39-40:彼に対し、たしかにsane 6年後にアレクトゥスなる名前の者が計略により包囲する。

39-41:彼(アレクトゥス)は彼(カラウシウス)の許可で、財務をsummae rei管理していたが、破廉恥な諸行為とそれらを行ったゆえの犯罪による死への恐怖から、悪事によって帝権をもぎ取ったのであった。

39-42:彼(アレクトゥス)によって使用された(帝権)を、短期間でbreviコンスタンティウスは、アスクレピオドトゥスーー彼は近衛長官として統括していたーーによって、艦隊(20節参照)と諸軍団の先遣されていた一部と共に殲滅した。

39-43:そしてその間にinterer、マルコマンニ人は打倒されcaesi、そしてカルピ人たちの種族全体が我らの土地に移動させられた、ほとんどその一部はすでにその時アウレリアヌスの(時代)からいたのだが。

39-44:より少なくない平和への熱意によって、諸職務が最も公正な諸法令によって拘束され、そのうえ、穀物価格調査官のfrumentariorum有害な輩が取り除かれた、今やそれらと最も似た存在は伝奏官たちagentes rerum(=a.in rebus)である。

39-45:彼らは、諸属州内でひょっとしてforte何らかの騒動になるかもしれない動きがあるかどうかを、調査および告げ知らせるべく存在したとみられていたのだが、非道にも諸々の告発がでっち上げられ、至る所で恐怖が引き起こされ、とりわけpraecipueもっとも遠隔地では誰でも、彼らはあらゆるものをむごたらしく強奪していたのだった。同時にsimul、首都(ローマ、ミラノ?)の穀物と納税者たちの安全は気にかけられ、そして用心深く保たれ、そして上流身分層のhonestiorum上昇、その代わりにa contra 、破廉恥行為者たちは償わされ、諸武徳へのあらゆる熱意は増大されていた。最古の宗教諸儀式は非常に敬虔に遂行され、そして驚くべき方法でmirum、新たにその上さらに立派に洗練された諸々の建物によって、ローマの諸々の丘の上、および他の諸都市が装飾された、殊にmaxime、カルタゴ、メディオラヌム、ニコメディアがそうだった。

39-46:しかし、彼らはこれらの事を行っていたにもかかわらず、度を越した諸悪徳が存在した。というのも、ヘルクリウスはあまりにも情欲で行動し、(男女の)人質たちの身体に関して(彼の)気質の欠陥をまったく抑制できないほどだったからだ。ウァレリウスに関しては、同僚皇帝たちへの誠実な信頼がほとんどなかった。それは多大なる不和を恐れるあまりのことだった。つまり様々な主張によって共同統治の平穏を乱される、と彼が考えていたからである。

39-47:このため今や首都(ローマ)の武装集団armisすら無力化されたも同然で、諸近衛大隊の、そして都市警備隊の中の数が減らされた、これにより、まさにquidem多くの者たちが帝権(の首都機能)が移ったと主張するのである。

39-48:なぜなら、差し迫った事どもの検査官scrutatorが天命(神託)によって国内の諸災難が、そして何らかの崩壊が目前に迫っているとローマの状況を確知すると、統治の二〇年目が祝賀された際に、(まだ壮健だったにもかかわらず)より権力を有している者(ディオクレティアヌス)が、国家の管理を放棄したのであった。その際、(彼は)ヘルクリウスをその見解へと、やっとのことで導いていた。彼(ヘルクリウス)は彼(ウァレリウス)よりも1年短い職権だった。そして、とはいえ、他の者たちは別の事どもを高く評価するので、真の敬意がgtratia実際には崩壊していても、我々には(彼の)卓越した天性によって、周囲(の思惑)から離れて、(彼は)普通の生活へと下野したのだと思われたのである。

第40章

40-1:かくしてigiturコンスタンティウスとアルメンタリウス(ガレリウス)が彼らを継承し、セウェルスとマクシミヌスがイリュリクム生まれであるが、副帝として、前者はイタリアを、そして後者はヨウィウスが得ていた諸領土を任じられる。

40-2:そのことに、コンスタンティヌスは耐えられず、彼の精神はすでにその時少年のころから誇り高く強かったので、(父を継いで)統治すべきであるとう激情によって苦しめられていたので、(ガレリウスのもとからの)逃走を計画し、追跡が台無しになるように公用馬などを、通過した行路の至るところで殺して、ブリタニアへと到着する。というのは、彼はガレリウスによって(父コンスタンティウスの)忠誠をつなぎとめるために、人質のような形で引き留められていたのである。

40-3:そしてたまたま同じ日々に、同じ場所(ブリタニア)では国父の、否むしろ(コンスタンティヌスの)産みの親のコンスタンティウスに、臨終が差し迫っていた。

40-4:彼が死ぬと、居あわせたすべての者たち、すなわち(コンスタンティウスの)配下の者たちによって、彼(コンスタンティヌス)は帝権を手に入れる。

40-5:とかくするうちに、ローマの大衆と近衛軍団騎兵部隊turmae praetoriaeが、マクセンティウスを、父ヘルクリウスにより長い間却下されていたのであるが、皇帝に正式に認める。

40-6:その情報をアルメンタリウス(=ガリエヌス)が受け取ると、副帝セウェルスに対して、たまたま(セウェルスが任地である)首都(ローマ)へ向かっていたので、武装集団(の態勢)でarma敵に向かって速やかに進むよう命じる。

40-7:彼(セウェルス)が城壁の周囲に滞陣していた時、自身の(手勢)によって見捨てられた。彼らを褒賞でマクセンティウスは引き込んだったのである。彼(セウェルス)は逃走し、そしてラヴェンナで包囲され、没した。

40-8:このことで激したガレリウスは、会議の中にヨウィウス(=ディオクレティアヌス)を受け入れ、古くからの知己リキニウスを正帝に選出し、そして彼(ガレリウス)は彼(リキニウス)をイリュリクムとトラキアの防衛に残して、ローマへと急行した。

40-9:そこでibi 彼は包囲により長引かされ、兵士たちが先の連中がそうであったように、同じ方法で誘惑されるのではと、心配して、イタリアから退却した。そして少し後に paulosque post 悪疫性の(ただれた)傷により消耗死した。それは、土地が十分にsatis国家に益するように広大な森を伐採しcaesis、そのうえatque ダヌビウス(川)へとパンノニア人たち(の地に)にあるペルソ(現バラトン)湖から放流させるよう行っていた時の事だった。

40-10:そのためcuius gratia、彼はその属州を妻の名前にちなんでウァレリアと呼んだ。

40-11:この者(ガレリウス)にとり(正帝として)五年の帝権で、コンスタンティウスにとり一年のそれであった。たしかにsane両者とも副帝の統治権を13年間司どった後のことだった。

40-12:とりわけadeo(ディオクレティアヌスによって与えられた)驚くべき天性の諸々の恩恵によって、彼らはそれ(素質)を、もし学識の諸心情からa doctis pectoribus進発させ、そして愚昧により害されなかったなら、彼らはまったくhaud疑いなく出色なもろもろを持ったであろうに。

40-13:それゆえquare確知されていたのは(自明であるのは)compertum、博識、優美さ、人品のよさが、とりわけ元首たちにとって不可欠であるということである。というのも、それらなくしては、天性の良きものが、ほとんどあか抜けないだけでなく、それどころか今やaut etiamおぞましい存在として軽蔑されるようになってしまい、そして逆に、それらは、ペルシア人たちの王キュルス(キュロス)に永遠の栄光を調達したのである。

40-14:しかし私の記憶では、それらがコンスタンティヌスを、にもかかわらず(彼は)それ以外の諸々の武徳を備えているとはいえ、諸天まですべての人々の祈願によって遡上させたのであった。

40-15:彼がたしかに、もし気前よさとそのうえ野心に抑制を、そしてそれらの諸学芸によって設けていたら、とりわけpraecipue増長した諸々の本性ingeniaは、栄光への執着によりむしろ一層対極へと進んだのだが、まったくhaudそれほど神から遠くない存在になっていただろうに。 

40-16:彼(コンスタンティヌス)は、首都とイタリアが荒らされたvastariことを確知する(comperit自明である)。そして、(二人の)軍隊と二人の皇帝たち(セウェルスとガレリウス)が敗走もしくは買収されたことを知る。(その時コンスタンティヌスは)和平を諸ガリアで確立して、マクセンティウスに向かう。

40-17:その時点でea tempestate、ポエニ人たちの所でアレクサンデルが長官prefectoとして[実際は、管区長官vicarius]司っていたが、専制政治へとdominatui愚かにも身を投じた。彼自身は老齢で弱っていたが、農夫でパンノニア人の両親たちよりも常軌を逸しており、兵士たちが拙速に求められ、武装集団のarmorum半分をやっとのことでvix持ちえたのだった。

40-18:要するにdenique、彼(アレクサンデル)に暴君から送られたごく少数の歩兵大隊によりcohortibus、近衛長官ルフィウス・ウォルシアヌスとそのうえ軍事(に長けた)軍司令官たちが、小競り合いでlevi certamine(彼を)屠ったconfecere。

40-19:彼を打ち倒すと、マクセンティウスはカルタゴ、すなわち諸々の大地の栄誉decus で、同時にsimulアフリカの中できわめて美しい(街)が荒らされvastari、強奪されdiripi、そして焼き払われるようincendique命じた。彼は、粗野でそして非道でinhumanus、そのうえac著しい情欲のためより忌むべきtetrior(存在)だった。

40-20:そのうえさらにadhuc(彼は)臆病で、そして戦争嫌いで、そのうえatque恥ずべきことにfoede無為へとdesidiam傾きがちで、そこまでusque eoイタリア中で戦争が燃えさかり、そしてウェローナで彼の(手勢)が敗走させられても、少しもhihilo くじけることなく、普段通りのことをsolita差配していて、父の死によってもexitio動揺させられなかった。

40-21:なぜならnamqueヘルクリウスは天性きわめて放縦で、同時にsimul 息子の無気力さをsegnitiem心配して、軽率にも帝位へ舞い戻ってきたのだった。

40-22:そして、外見上役目と見せかけて諸々の策略を企んで、婿のコンスタンティヌスを苛酷に苦しめていた時に、当然のごとく、ようやく亡くなった。

40-23:しかしマクセンティウスは日々より凶暴になり、ようやく首都からサクサ・ルブラへと9ローマ・マイルほど辛うじて進んだが、戦列がacie打倒され caesa、逃亡して、自身ローマへと舞い戻ろうとして、敵に(向けて)ミルウィウス橋に設置しておいた諸々の奸計によって、テヴェレ川の渡河中に命を奪われた。暴君の6年(目)のこと(だった)。

40-24:彼の殺戮によってcede、とても信じられないことだが、喜びと歓喜で、元老院そのうえac平民たちも小躍りしたはずであった。彼らを、彼(マクセンティウス)がこれほどまでに痛めつけていたからであった、彼は近衛兵たちに大衆の打倒をかつて賛同したことがあり、そして以下の最初の人物として、最も悪い企てをもってinstituto、(租税の)責務を口実にして、元老院議員たちpatresと自営農民たちにaratores、自らが浪費するために、金銭をpecuniam調達するように強いたほどだったからである。

40-25:彼ら(元老院義委員たちと自営農民たち)の嫌悪によって、近衛諸軍団praetoriae legionesと諸々の補助部隊はsusidia、首都ローマ(のため)urbi Romaeよりも諸党派により適合していたので、徹底的にpenitus廃棄させられsublata、同時にsimul武器armaそのうえatque軍服(戎衣じゅうい)のindumenti militaris使用も(廃棄された)。

40-26:その上さらにadhuc、彼(マクセンティウス)が壮麗に建設していたすべての建造物、首都の聖所(ロムルス神殿)、そのうえバシリカをフラウィウス(コンスタンティヌス)家の功績のために、元老院議員たちはpatres聖別した。

40-27:彼(コンスタンティヌス)によって、その後においてもetiam post、大競技場は驚くほど飾り立てられ、そのうえ、入浴のためにad lavandum企てられた建造物[クイリナリス丘の現在の大統領府のすぐ東南にあった:大統領府前のオベリスク横に設置されているディオスクロイ像と、サンジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂玄関間左のコンスタンティヌス1世像、カンピドリオ広場前面に飾られているコンスタンティヌス1世と2世像はもともと公衆浴場由来のものだった]は、他の諸(浴場)に  まったくhaud引けを取らないものであった。

40-28: (コンスタンティヌスの)諸彫像ができるだけ活気のある諸々の場所に置かれ、それらの多くが金を素材にしてex auro、あるいはaut銀製なのargenteaeである。他方tum、アフリカでは、フラウィウス(コンスタンティヌス)氏に向けて神官団が決議され、そしてキルタの町にoppido、そこはアレクサンデルの攻囲によって崩れ落ちていたが、原状復帰されそして装飾を施され、コンスタンティナの名前が下賜された。

40-29: とりわけadeo、(コンスタンティヌス以上に)より受け入れられそしてより卓越した者は、暴君どもの撃退者たちのうちに誰もいない。彼ら(撃退者たち)への好意は、彼(コンスタンティヌス)よりも、ついにはdemumより増大したであろう、もし彼らが控えめでそのうえ節度があれば(の話)であるが。

40-30:実際quippe、台無しにされた人間たちの諸気質は、良き人(コンスタンティヌス)への期待に対して、より残忍に害されるのである、破廉恥きわまりない指揮者rectorが変えられ、さまざまな困窮の力が持続している時には。

第41章

41-1:これらのことがイタリア内でなされている間に、マクシミヌスは東方において、2年間の正帝の帝権の後、リキニウスによって撃破され、逃亡させられ、タルススで亡くなる。 

41-2:このようにローマ世界の権能はpotestas、二人によって掌握され、たとえ彼らがリキニウスに嫁がされたフラウィウス(コンスタンティヌス)の妹によって、二人の間が結びつけられていたとしても、(両者の)相反する性質のため、やはり気を配って3年間(だけ)協同することができた。

41-3:なぜならname

41-4:  死  今やetiam   要するにdenique   顕職honore  そしてきわめて忌むべきteterrimumque

41-5:

41-6:たしかにsane  諸戦闘   同時にsimul  gratia

41-7:無論

41-8:

41-9:そこでici        制圧されたoppressa

41-10:意向でrbitrium  司る、行う   なぜならname

41-11:突如repente

41-12:同時にsimul   あるいは、それどころかaut

41-13:その間に   任命される

41-14:不可解 mira         gratia   忌むべきtetrum   

41-15:ほぼfere

41-16:  称したvocant   称したvacant      

41-17:たしかにsane  武装集団armis

41-18:  ダヌビウス(川)

41-19:

41-20:  本性   gratiam 敬意、恩恵、人望

41-21:   本性    むしろ今やquin etiam     栄誉decus  それ以上にmagis

41-22:かくしてigitur、   ただちに

41-23:    その上さらにadhuc   鎮圧する  同時にsimul  たしかにsane

41-24:

41-25:それ以上にmagis   なぜならnamque   まったくhaud  同時に  本性simul  消滅させられるexstinctis

41-26:その後たまたまtum quia  ウェトラニウスにVetranio    邪悪なimprobe  本性  愚行vecordia   

第42章

42-1:

42-2:  経過した

42-3:これに対してnam   ほぼfere  あるいは、それどころかaut

42-4:十分に satis   呼ぶ   屠る、成し遂げるconsiciuntur 

42-5:殊にmaxime   やはり  ただちに  そして殊にmaximeque

42-6:   任命される   手勢manu    同時にsimul       打倒されたcaeso

42-7:     死exitio  本性

42-8:  今やetiam

42-9:

42-10:  諸戦闘   最終的にextremum

42-11:その間に   反乱   制圧されたoppressa

42-12:  荒れ狂う    亡くなった

42-13:ほぼfere

42-14:

42-15:   なぜならnamque    同時にsimul

42-16:   殺戮した

42-17:天性   粗野feras

42-18:  はやり

42-19:

42-20:    武装集団armis

42-21:    栄誉decus

42-2:確知、自明であるcomperimus

42-23:   番兵custos   十分にsatis   

42-24:  その上さらにadhuc   同時にsimul  指揮者たちrectories

42-25:

【後記】 2019年1月に一応完訳して、現在見直しに入っている。先日いつものことながら偶然、1年前放映の「風雲児たち:蘭学革命篇」の再放送を見て、なんだか我々に似ているなと思わされた。「誠に艪舵なき船の大海に乗り出せしか如く茫洋として」(杉田玄白(翼)著『蘭学事始』明治23年4月)という彼らと違って、我々には辞書も近代語訳もそしてコンコルダンスさえあるのだが、やっていることはエピソード「フルヘッヘンド」並の試行錯誤の連続であった。『解体新書』は語学の完璧主義者前野良沢と、実は蘭語が苦手な、しかし世事に長けた杉田玄白の両様あって陽の目を見たわけだが、両方とも寸足らずの我らにどこまでできるのかごろうじろ、といったところか。いずれにせよ、52年後といわずどなたか全面改訂版をお出しいただけるまでの捨て石になればと、と思う。

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