投稿者: k.toyota

街歩き:目黒区駒場3・4丁目

 このところ風邪気味で、実は11月に参加を予定していた街歩きを2つキャンセルしたのだが、本日のにはなんとか参加できた。曇天のもと気温はかなり低めだった。

 京王井の頭線 駒場東大前駅東口で待ち合わせて、まずは構内のフランスレストランで早めの昼食をとり(¥1500:メインのカレイ小さいのが一切れ!)、その後、テニスコート方面から西に向かい、駒場公園南門に出て、先の角にある日本民藝館を目指すも、なんと不意打ちの臨時休業! 気を取り直して第二の目的地の旧前田家本邸をめざして、なかなか瀟洒な街並を楽しみながら北上。東に折れて駒場公園正門に至る。

 この公園内の見学は無料がほとんどなのがありがたい(来歴等、以下参照:https://www.city.meguro.tokyo.jp/kuminnokoe/bunkasports/rekishibunkazai/kyumaeda.html:戦後の連合軍接種が終わると、まず都に、その後目黒区に移管されて今に至る;「加賀藩の前田家、157年ぶりに生前の家督継承…新当主は京都の「イノダコーヒ」社長」https://www.yomiuri.co.jp/national/20231103-OYT1T50227/)。

 巨大な樹木の中を歩いて、まずは洋館に至り、邸内を見学させて頂く。かつてみたイギリスのTVドラマ「ダウントン・アビー」を彷彿させる館である。使用人は100名をこえていて、地上3階地下1階なのも興味深い。「ダウントン」では調理室などは地下だった。私的には3階の使用人部屋ないし屋根裏部屋も見たかったのだが、それは地下同様見学ルートにはなかったようで果たせなかった。さすがに加賀100万石の威光が感じられる豪華な内装だった。詳しく知りたければ一日数回の時間指定のボランティア見学も可能。

 あとから気づいたのだが、和館とその庭は見落としたようで、そのあと南側のお庭をぐるりと拝見。なんという鳥なのかさえずりが絶え間なく聞こえ、祖神を祀った霊社はここが連合軍に接収されたときに破壊され、今は基壇部のみ残存しているだけだが、そのあと鬱蒼とした築山奥の樹木の中をぐるりと巡ったあと、入口近くの日本近代文学館に。ここだけは財団法人なので施設を利用するのには料金が必要だが、ざっと構内を見学するのは無料。一階の奥に喫茶店があり、そこでお茶したあと正門に向かう帰り道、とても立派なトイレがあってここはその昔は車庫だったらしい。真新しいそれは、中央に古のイギリス型のクラシック・カー2台の写真が大写しになっていて(本当は4台収容)、その両側に2種類のトイレの入口が設置されている。下の写真は真ん中の部分を抜いた両脇の画像である。

上図左が「だれでもトイレ」で、右は普通の男女用。従業員さんがいたので左の右下の表示の意味を聞いたところ、台の上で着替えるためだそうだ。豊島園ではなし、トイレで着替えるだと? 私には意味不明である。帰宅して妻に言ったら先刻ご承知で、百貨店なんかにある由。でもそれってやばくないのかな。

 ところでこの施設、洋館内を含め至る所にトイレ表示があって、洋館では至る所にあるかつての暖炉からは熱風が吹き出ていて、私のような年寄りには親切このうえなかったが、私のような貧乏人には、その維持費がどうしても気になってしまったのである。

 来た道を辿って、駅に帰る。その道すがら、東大構内のイチョウ並木を通ったのだが、なんとなく不穏なにおいが漂っている。絵を描いている人たちがいたので最初油絵の匂いかと思ったが、どうやらイチョウの実のようだ。自宅玄関に持ち帰りたくないなあ。

 iPhoneによる本日の歩数は15530歩。

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同族殺しの現生人類

 地球上で有史以来人類は同族殺しを平然とやって来て、以来地球のどこかで殺戮がなかった時代などなかったかのようである。

 その原点を探る意味で興味深いのが、以下。「ホモ・サピエンス 私たちはなぜ生き残ったのか?」(ヒューマニエンス 40億年のたくらみ)。そのさわりを6分あまり以下で無料でみることができる。https://www2.nhk.or.jp/learning/video/?das_id=D0024010388_00000

現生人類登場によって、それまで生き残っていた他の人類や大型動物は絶滅したことから、現生人類による他人類の殺戮説、それに資源の独占説が紹介されている。私見では両方あったといえると思うが、いずれにせよ、我らの野放図な欲望が他の生命を奪ってきたのだし、今もそうだし、それで我らは自滅への道を歩んでいるわけである。以下も参照。

https://www.mitsubishi.com/ja/profile/csr/philanthropy/interview16/

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ジェンダーレス・トイレの可否

 以前も触れたことあるが、誰でも入れるトイレが色々工夫されているようだ。ここではジェンダーレスを表題に掲げたが(https://toyokeizai.net/articles/-/668519)、似て非なるものにバリアフリー・トイレがあるが、こっちのほうは試行錯誤を経てそれなりに定着化している(https://toyokeizai.net/articles/-/647842)。

 他方で、今年4月に東急歌舞伎町タワー2階にできたジェンダーレス・トイレが「安心して使えない」という抗議殺到の末に、8月には男女別と多目的トイレに改修を余儀なくされたことが話題となっている(https://www.tokyo-np.co.jp/article/267703;https://news.yahoo.co.jp/articles/cfdee87108d2d0d90d055ace3ffc6e117150a6dd)。

 トイレ内で出くわしたら、特に女性は嫌うだろうなと、私でも思ってしまう。私見では、建物内での限られた空間なので、ジェンダーレスはバリアフリー(多目的)に任せた方がいいのではと思うのだが。

【追記】12/1の朝、目が覚めてテレビをつけたらNHK総合の「あさいち」で’なんとトイレ関係の絵本とかの紹介をしていた。最近新たに色々出されているようだ。どういう関連かゲストは役所広司だったが、昔の国鉄列車のトイレ、知ってるはずなのになんだか外していたのはなぜ?

  ➡ 役所広司の登場は、どうもこれ関係だったのだろう:2023年11月20日「役所広司さん、トイレ清掃員役で監督たちと紡いだ「美しい物語」」(https://yab.yomiuri.co.jp/article/ttt_3/)。おなじ企画で「生まれ変わった公衆トイレから見える日本:THE TOKYO TOILET対談「きづきのきづき」」(https://yab.yomiuri.co.jp/article/ttt/)

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「古代ローマ・トイレの落とし穴、その1」補遺

 今年の11/13に海外発注していた本が届いた(Ed. by Stefanie Hoss, LATRINAE : Roman Toilets in the Northwestern Provinces of the Roman Empire, Archaeopress Roman Archaeology, 31, 2018)。もろ円安影響で約1万円弱かかったのだが、副題的にはすぐさま利用価値はないけどと思いつつ、まあ念のためとりあえず入手しておこうと思った本である。

 届いてみると全部で150ページ程度の薄いA4版だった。パラパラめくっていて、導入的なGemma Jansen論文をどっかでみた写真が多いなとながめたり、あ、かつてブログで触れたことあるNijmegenの木造トイレも出ているぞ、と気づいたり、小便壺の話も出ていて意外と最新情報を掲載しているなと、あれこれ興味を持って見ているうちに、ふと一枚だけついていた冒頭のカラー口絵に目がいった。一見してえっと思ったのは、それがなんだかトイレで兵士たちが食事している、という感じの復元想像図だったからである。

 しかし、である。下に書かれているキャプションを読むと、それはBearsden(スコットランドのグラスゴーの北)、即ちアントニヌス・ピウスの長城の砦の一つでのトイレの様子の再現図で、最初私には食物に見えたものは「moss」すなわちコケとなっていた。となると…、こりゃ捨ておけない。この本でDavid Breeze論稿がそれを扱っていたので、さっそく読むはめになってしまった。Bearsdenの位置は下図左から6番目。

 意地の悪いことに、その論稿の最後の最後にようやく以下が書かれていた(p.22)。The discovery of fragments of mosses in the outer annexe ditch suggests that this material may have been used for personal cleanliness, being dipped into the open channel running round the interior of the latrine. すなわち「外の別棟の溝でコケの破片が発見されたことは、この物質がトイレ内を走る無蓋の水路にちょっと浸されて、(大便の後始末として)個人の清潔のために使用された可能性があることを示唆している」。コケなんかどう紛れていてもおかしくないのでは、と思うのが普通だろうが、私が興奮したのには以下の子細があったからだ。

 ローマ時代のトイレでの大便の「落とし紙」に何を使っていたか、という「大」?問題に連結するわけであるが、地中海世界では海綿を使っていたのだが、スコットランドではコケを使っていたとどっかで読んだ記憶あると(翻訳ものの文庫本だったと思う)、かつて私の小論「落とし穴、その1」の冒頭で書いていた件が(https://www.koji007.tokyo/atelier/column_roma_toilette1/)、これにてめでたく立証されたので、1万円だけの価値あったというべきか。

 ところで、地中海世界での古代のトイレで海綿が発見されたという報告を私はこれまで寡聞にして知らない。上記のコケは土壌の成分分析して判明したのだろうが、同様のことを新発掘の地中海でも試みてほしいと思う。私は多分出てこないとタカを括っているが。

 しかし、足元を走る溝が本当に尻拭きに使われていたのかどうかとか、まだまだ未解決の問題が山積みのトイレ問題である。

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息をひきとる、ということ

 このところテレビでアタリが多い。2023/11/20のNHK BSプレミアム「“死の迎え方” ヒトの穏やかな死とは」は身につまされたこともありなかなかよかった。そのなかで、死ぬときを俗に「息をひきとる」と表現するが、これは、老衰で死ぬとき多くの場合最期が迫ると呼吸としては意味をなさない下顎呼吸になって、最後に息を「吸って死ぬ」という現象と一致していて、赤ちゃんがおぎゃあと息を「吐いて生まれ」ることと合わせて、「吐いて生まれ、吸って死ぬ」という出来すぎの格言?になっているのを、初めて知った。

 そして、下顎呼吸で酸素不足になると大脳から快楽物質エンドルフィンが放出されて、かつての臨死体験を立証するかのように、穏やかな最期を迎えることができるというわけであ〜る。

 昔、創価学会のことを調べていたときに、確か2代目会長の死に顔が鬼の形相だったのだが、死相に生前の生き様が現れ、穏やかだと成仏した証拠とみられていたので、たちどころに幹部だけの口外秘にしたという件が出てきた(最近死が公表された3代目はどうだったのやら)。ためにする意図的創作とも思えるが、これとは若干異なるが、今般ググっていたら「ネガティブな臨死体験」という項目があって、その割合はわずかだが、地獄的ともいえる世界に向かい、自らが発した非常にネガティブな感情を味わう、という例もあり、それは死因として自殺の場合だとしていたのは、キリスト教的世界観に基づいたできすぎの話に思えて、ちょっと眉唾に思えるのだが、どうだろう。

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異能を育てたい、育てよう!

小板橋律子「発達障害の人、IT業界で活躍 オムロンは独創性・集中力に着目」(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00474/112100018/):ニューロダイバーシティーの胎動(1)2023.11.22

 障害者雇用は身体障害者に片寄っているが、彼らは年齢的に高齢者に多いのだそうで、それに対して精神的障害者は就労年代が多いとか。まあ常識的に考えてそうだろう。異能力者が自立して生きていく道が開けることを祈っている。

 これからの掲載予定記事:但し有料

(2)入山章栄氏「脳の特性の違い、イノベーションの源泉に」(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00474/112400019/)
(3)産業医に聞く 発達障害を「戦力」にする上司の対応(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00474/112700020/0

【追記】

「17歳まで気づけなかった娘の発達障害 母はもう謝らないと決めた」(https://digital.asahi.com/articles/ASRCQ3TNKRCPULOB01C.html?pn=17&unlock=1#continuehere)

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今日、いや明日はJFK60回忌

 私が16歳の今日11月22日、というか日本時間だと1963年11月23日土曜(勤労感謝の日で祝日)の早朝、翌年の東京オリンピックのため、初めての日米宇宙中継だっけの放送があるというので、それ見たさに早起きするため前夜からつけっぱなしだった白黒テレビから音声が流れ出し、それで目が覚めた。画面がなぜ砂漠の風景なんだろうと思っていたら、なんと飛び込んできたのがJFK暗殺の報道だった。「午前5時28分、モニターテレビに史上初めて太平洋を越えてきた映像が鮮やかに映し出された。ところが、この歴史的な電波に乗って送られてきたのは、ケネディ大統領暗殺の悲報。中継のアナウンス「この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念」と伝え、衝撃は全国に広がった」。ケネディが今回のためにホワイトハウスで事前に録画していたステイトメントが流されたのは、だいぶたってからだったろうか。私はおかげで興奮してその日は寝不足なのに寝る余裕もなかったことを覚えている(https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030052_00000)。

 これに関連して、ケネディ一族の近況が伝えられている。https://wedge.ismedia.jp/articles/-/32167?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=20231122

 そして3年前のNHKスペシャル「未解決事件 File.8 JFK暗殺」の再放送もあって、「ケネディ大統領暗殺のすべては日本が起源だった」とちょっと刺激的表現で再検討されているし、日本でも11/17から新しい映画(オリヴァー・ストーン監督の新作「JFK/新証言 知られざる陰謀」)が公開された由。

 また、同日夜、テレビ局が2箇所でこの問題を取り上げていて、両方とも見た。私はイエズス会経営の中高にいたので、このアメリカではじめてのカトリックの大統領にはどうしても肩入れしちゃうのだが(私は中三の編入なので目撃していないが、1960年のニクソンとの大統領選挙の時、イングリッシュ担当のハンド神父は、「ケネディが大統領になったら、中間試験はなしにする」と明言され、公約通りそうなった由)、同時に、彼が暗殺されなかったら次期大統領選での敗北は濃厚だったという当時の風評には一切触れられることがないのは、どうかなと思わざるを得ない。

 実は、このような同時中継的な出来事への遭遇を、福島以外に、私はもうひとつ記憶している。それはニューヨーク現地時間2001年9月11日火曜日の朝8時45分、日本だと同日午後9時45分のことだった。どの放送局だったか記憶していないが、テレビニュースでニューヨーク特派員が机に座って喋っているのを聞いていて、背後のガラス窓越しに例のツインタワーが真っ青な晴天の中に見えていたが、そこに画面左側からなにかがすーと横切ってきてビルで消えたのである。私はあれれと思ったが、もちろん特派員はうしろのことだから気づかない。しばらくして今度は逆に右からはっきりと航空機の接近が認識できた。こっちはチャンネルを変えたのだろうNHKで見たような気がする。

私はそれをテレビではっきり見た記憶があるのだが、なぜか最初の突っ込み画像はその後どこを探しても見当たらない。それこそスクープだっただろうに、なぜだろう。

 画像がいいのでちょっとコメントが煩わしいがこっちを張り付けておく(https://www.nicovideo.jp/watch/sm29629059)。

【補遺】これは暗殺と関係ないが、JFKの妻ジャクリーンは1963年8月に早産して、5番目の息子パトリックを8/9に失っていたことを今回初めて知った。娘キャロライン、息子ジョン・ジュニアを得る前に2回流産を体験していたことも。たぶん、公の場に久しぶりに出て来たときの夫の死だった。これは彼女にとってたび重なる悲劇であったはずだ。https://ja.celeb-true.com/patrick-bouvier-kennedy-last-child-american-president-john-kennedy#google_vignette

 かくのごとく、歴史とは枝葉の情報は忘れさられ、一番目立つ定番の公式見解へと収斂されていく。その背後で繊細な人情の機微に触れる事実は歴史の闇に消えていき勝ちなのだ。プロならそれの再現に努めなければならないはずなのだが。

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IOWN:久々に明るい未来を聞かせてもらった

 2023/11/21夜、フジテレビ181のプライムニュースで聞き慣れないIOWNなる構想をちょっとだけ学んだ。https://www.rd.ntt/iown/0001.html

 NTTドコモがiModeを1999年に公表したが世界標準になれずに、後発のiPhoneに駆逐されたことがあったが、日本が同様な目に会ったのは半導体戦争である。端的に言うと、日米半導体摩擦が生じて日本の独占を恐れたアメリカによって理不尽かつ強引にねじ伏せられたという恨みがあった。

 今日の番組で、NTTドコモの副社長川添雄彦氏が強調していたのは「iModeの轍は踏まない」ということで、彼は電気から光への移行の中で、IOWNがそのための構想であると述べる。https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2112/09/news012.html

 ド素人の私であるが面白いなとおもったのは、20年前のiMode失敗は、それが完成体であった、すなわちNTTの独占状態を予定して提示されたわけであるが、それだと他の企業はつけいることができないので(儲けられないので)、潰しにかけられてしまった、と。その点で、iPhoneは未完成で、他の企業の参入が可能であった、そういう隙間があったので、世界標準として認められたのだ、と。このあたり、商いにはド素人の私には面白い発想に思えた。

 今般のIOWNは、まさしくそれを意識して、世界の多種業界をライバルを含めて呉越同舟で結集したものだという。その中で主導権は握りつつ、世界標準をリードしていこうという目論みとみた。

 同時に、「電気」に依存している限り壁となる現状を「光」で乗り越えるという側面もある。それが及ぼす影響は地球への負荷を軽減させるというサステイナブルな社会実現にも寄与する、と。

 この試みが成功すると、かつて世界をリードしていた日本の没落現状を反転させる契機となるはずだというわけで、まあ私の生存中にそれを目撃することができるかどうかは横に置いておいて、沈滞・没落の30年払拭の夢を見させてくれる、なんだか元気が出る話であった。

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NHKアカデミアで「ナスカ絵前編」を見た

 2023/11/21午後NHKテレ1再放送で、山形大学の坂井正人教授がご登場。本来は水曜午後10時からのようで、後編は11/22である。それら両方は以下で今みることができる。

https://www2.nhk.or.jp/learning/academia/video/?das_id=D0024300125_00000

 ナスカ絵については、以前、佐藤健がらみでこのブログで触れたことあるが(「殉教のテンション」2019/2/10:ここでも坂井教授ご登場か)、今回、30年にわたる研究、その20年以上かかってようやく思い至った坂井教授なりの新説は、現地研究の重要性をあますところなく吐露していると思う。机上の空論で研究者が空想しての立論の空しさを再確認する思いである。そう、自称研究者やマニアのもっともらしい精緻を装った想定など、無知蒙昧なはずの現地の庶民によるあっけない現実の前には即崩壊なのだ。

 日本への地上絵の紹介が、具象的なものに片寄っていることが全体像を見失わせてきたこと(彼はより多い直線の絵に注目)、地上絵の描き方だが、なんと農夫の女性が日頃の種蒔きでの目測で足幅を使って簡単に書けたというあっけない話、なぜ書かれたのかを解明するために地上絵の全体像をどう捉らえたか、挙げ句、使用した人工衛星画像(2002年)が世界遺産の申請の時に大いに役だって、直線の絵が巡礼の道で地上絵はそれとの関連があったのではという話が非常に面白かった。

 後編で、データをAIに読ませてから地上絵を探させたら、これまでもっとも研究が進んでいた場所で数件の新発見があったと述べていたが、これなんかは我らの研究にも応用ができるような気がする。

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池田大作死亡報道に想うこと

 創価学会から池田大作名誉会長の死亡(2023/11/15)が公表された(11/18)。95歳ということだが、2010年半ばに入院して、症状は脳梗塞で、植物状態と報道されたのは、その翌年あたりだっただろうか。それ以来12年経ったわけだ。早くから死亡説も巷で囁かれていた。だから「ようやく」といういささか不謹慎な感想ともなる。彼が公の場に登場しなくなった頃、入院中のベッド上だったか車椅子だったかの写真をどこかでみたことがある。もちろん週刊誌の隠し撮りだったはずだ。車椅子の写真なんかひょっとして、空中から撮られた文京区目白の大邸宅の庭での田中角栄の車椅子写真と混同しているかもしれないが。

 厳重な箝口令の下、姿を見せなくなったのに、折に触れての文書公表が続いたので(実に稚拙な糊塗反応!)、それ以前の彼の著作物もゴーストライターの手になっていたという憶測も真実味を帯び出していた。それを含め面白い見解をQuoraでOhta Mutsumi氏が展開している(https://jp.quora.com/profile/Ohta-Mutsumi:そこで触れられている別件「ザビエルはどうやって日本語を習得したのでしょうか?」も面白かった)。私も彼とはちょっと違ってしかし似ているような、医者を捲き込んで死亡届などどうにでもなる政治力環境下で、すでにエンバーミング化されていて、端的にいって池田家による創価学会私物化が完成するまで、ないし取り巻きの既得権益集団が自らの延命のため、時間稼ぎしているのかもなどと想像していたが(背教者となった元公明党委員長の矢野絢也が既にミイラ化構想に言及していたようだ:https://www.mag2.com/p/news/469368)、いずれにせよ学会にとって大きな節目が白日のもととうとう訪れたわけである。

 32歳という若さでに会長に躍り出た彼の人心掌握術がいかなるものであったのかについて、Webで週刊文春が2010/12/2の古い記事を再掲載している。ちょっと横道に入るが、北朝鮮を占領したソ連が抗日活動でソ連に亡命していた金日成を北朝鮮のトップに抜擢したのだが、そのとき彼は弱冠34歳だった。周囲が自在に操れるだろうという目論見だったのだろうが、それと同じ状況だったにしても、その後そうはならなかったということか。

「10人きょうだい、初恋のラブレター、32歳で会長に…創価学会・池田大作名誉会長の意外な“実像”とは「将来大物になりそうな雰囲気はまったくなかったなあ」」(https://bunshun.jp/articles/-/67096)

「「ナンバー2を嫌って、人を育てなかった」池田大作氏が創価学会で“究極の権力構造”を作り上げるまで」(https://bunshun.jp/articles/-/67097)

 また、今年の8/19公表の外国人記者の邦訳もウェブで見つけた:UNSEEN JAPAN「行方不明の池田大作創価学会会長を探せ!」(https://unseen-japan.com/ikeda-daisaku-yukue-fumei-sagasu/)。これなんか読んでいてなんだか客観的に感じられたのはなぜだろう。我ら同朋だと存在する生々しさが、外国人というフィルターを濾過することで消え去るせいかもしれない。

 しかしながら、私が仄聞する彼の行動は生やさしいものではない。たとえばなり振りかまわないヴァチカンへの接近もそうで(ノーベル平和賞取得のため、手土産がすごかったとか)、キ生臭いそれについては私がぐだぐだ書くよりも、以下をご一読いただいて連想して願いたい(http://sudati.iinaa.net/karuto/Vatican.html)。私的感触からすると、ヴァチカンはすでに立正佼成会とかなり密接だったからという裏話もあるのだが。ただイタリアで驚かされたのは、20年前のことだが、予想外のところで私が日本人だと分かると「私、創価学会の会員なの」という女性たちに出会うことで、シシリアのラグーザでの店の店員とか、なんとオスティア遺跡のグッズ売り場の店員さんがそれだった。その後彼女たちがどうなっているか、今は知らない。そのとき心中で「極東の俺が、カトリックの洗礼受けているのだから、実態を知らずに異文化に惹かれるという意味では同じだな」と思ったものだが。

 ところで、1970年代での私の研究の周辺課題に日本における明治以降の新宗教の蠢動にあった。素人ながら、大本教のことを勉強したり、とりわけ当時物議をかもしていた創価学会の過激な活動にそれなりの関心を払っていた。それが原始キリスト教の歩みの実態解明に資するのではないかとの思いがあったからである。直接それを論じた論稿を書くことはなかったが、講義の枕として導入で述べてはいた。宗教集団が現世の支配勢力を攻撃し変革を叫ぶことは珍しいことではない。その点で初期キリスト教の台頭と大本教や創価学会の運動形態に共通項があるのではないか、否、逆に新宗教の諸団体は原始・初期キリスト教の運動形態を密かに探求し、それらが自らに資すことを構想しなかったであろうか、と考えたからだ。

 オウム真理教や統一教会が問題視されると、世の著名な宗教学者たちは口を揃えて「あれは正しい宗教ではない、カルトである」と自らのそれとの差別化の発言をする。マスコミも巨大既成集団に忖度して同様に既成宗教とは別物であるかのごとき情報の垂れ流しが見受けられる。しかしいかなる集団といえども決して一枚岩などではなく、実際には多種多様な思いの雑多な構成員からなっているので(部外者はこれを誤解していることが多い)、一部突出部分の”暴挙”もありえるし、そういった初心を温存した「青い」存在を体制は巧妙に育み常に内包しているものである。「正統と異端」の区分けとは、反主流派を排除した挙げ句の主流派の歴史の正統性を示し、しかしそれは自ら宗教運動の核心部分(活動分子)を放擲する自滅行動につながりかねないが、既成宗教化とは批判の牙を抜かれた無毒化=体制化への道程であると同時に、刷新運動として原初メンタリティへの回帰を常に志向すること抜きにいかなる既成宗教の活力は持続できないのだ。

 もちろん、このような問題意識には70年に先行する60年代の諸々の社会現象があった。かくのごとき思いを背景に置きつつ、文書史料に基づいてまとめたのが『キリスト教の興隆とローマ帝国』(南窓社、1994年)であった。ことの本質に切迫することなく表面的かつ牧歌的な読解で由としてきたこれまでの解釈を根底からひっくり返す仮説であったからこそ、30年経っても未だに我が国で学界的に認知されているとはいえないのだが(欧米ではすでに19世紀末に言及されている)、言っている内容はキリスト教的先入観を廃せばしごく当然なのだが、初期キリスト教研究の担い手がキリスト教(とりわけプロテスタントの)信者であるので、自らの信仰に抵触する学説など受け入れがたいので敬遠というか黙殺されちゃうわけだ。より保守的と思われるカトリックは意外とこういう人間くさい問題(人間は誤りを犯す罪深い存在という認識が強い)には開明的で受け入れやすい面があるのだが。

 私の学位申請論文ともなったその著書出版後、某学会輪読会でそれが取り上げられたことがあったが、その終了後の雑談の中で、ある若い研究者の質問に私が答えて「実は私の研究動機と射程には創価学会があるのですよ」と言った途端、ぎょっとしてそそくさと私の前から姿を消したのがとても印象的だった。それが、危ないものには触れない、それが無難、という本音の表白に見えたからである。しかしそれでは研究対象に肉薄することはできないわけで、まあそのとき、日本人に深く根ざした民族的メンタリティーによる研究の限界みたいなものを感じてしまったのである。

 さて時間稼ぎには十分の12年間だったはずだ。その間どのような組織的手立てをしたのか、これからお手並み拝見というわけである。https://mail.nifty.com/mailer/pro/mailview.html;https://www.mbs.jp/news/column/scene/article/2023/11/097795.shtml

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