投稿者: k.toyota

今月の『図書』巻頭言につくづく思うこと

 本日届いた『図書』2026/4 月号ネコ特集の巻頭言でネコの撮影で著名な岩合光昭がいいことを書いていた。

 一芸に秀でた人だけにいい文章である。

 私も及ばずながら「半世紀以上」やってきて、世間的には専門分野については「知識は一応持っている」と思われているかもだが、「思惑は見事にはずれる」ことばかり多くて・・・、まだまだだなと言ってる場合ではなく、もう先がない。

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誤報だったあのモザイク情報

 2025/7/15にブログ「第二次世界大戦中にドイツ国防軍大尉が盗んだモザイク画、ポンペイに返還」の情報を報告した。すなわち第二次世界大戦中にイタリアでナチス将校によって略奪され、返還者に寄贈されたとされていたが、ところがその後、モザイク画の真の起源が、研究者によって発見された(https://www.thehistoryblog.com/archives/75534)。このモザイク画はポンペイとその周辺地域とは全く関係がなかった、らしい。おそらく件の大尉が盗品を入手する際売人にそう吹き込まれたのだろう。

 その決定的な手がかりとなったのは、2025年に返還されたモザイクが報道陣に公開された際の偶然の出会いだった。その発表会に出席した考古学者の一人、ジュリア・ダンジェロ Giulia D’Angelo はマルケ州出身で、彼女の地元での知見が謎の解明に結びついた。

 このモザイクは、マルケ州フォリニャーノ Folignano 郊外のロッカ・ディ・モッロ Rocca di Morro 村にあるローマ時代の別荘から出土していた。最初の記録は1790年、バルダッサーレ・オルシーニ Baldassare Orsini がアスコリ・ピチェーノ Ascoli Piceno にあるフェデリコ・マラスピーナ Federico Malaspina 侯爵の宮殿の古代遺物の中にこのモザイクを記述したものがあった。それから80年後の1868年頃、画家で考古学者のジュリオ・ガブリエッリGiulio Gabrielli(1832-1910)は、このモザイク画のスケッチを描き、主題と発見場所についてメモを残していた。それが以下である。

ただスケッチは実物を見たものではなく記憶に基づいて描かれたため、いくつか誤りがある。彼は、男性が女性に性的サービスの見返りとして金銭の入った袋を差し出している場面だと解釈し、盛り上がった覆いを金袋と誤解した。

 ガブリエッリはまた、モザイク画の所有者歴も記録していた。彼は、モザイク画がロッカ・ディ・モーロにあるマラスピーナ家の邸宅で発見され、マラスピーナ家はこのモザイク画をオークションで売却し、その後「詐欺師」の手に渡り、さらにアスコリ・ピチェーノ出身の蚕業を営むジョヴァンニ・トランキッリ Giovanni Tranquilli という人物の手に渡った、と。そしてシルヴェストリ Silvestri 家が最終的な所有者だったことにも触れている。この最後の記述は、ミラノ国立考古学博物館の調査部門のアーカイブにあった。そこには、ルチア・シルヴェストリ Lucia Silvestri という女性がモザイクを彼らに売り込もうとしていた記録が残されていた。

 「素晴らしいチームワークです」と、ポンペイ考古学公園のガブリエル・ズフトリーゲル Gabriel Zuchtriegel 園長は述べる。「最新の研究のおかげで、ラツィオ州には貴重なモザイクを専門的に生産する生産者がおり、おそらく相当な量をマルケ州、カンパニア州、プーリア州などの地域に輸出していたことが明らかになりました。これはローマ美術史だけでなく、ローマ世界の経済史にとっても非常に興味深い発見です。」

 あらぬ冤罪がそそがれたドイツナチスにとっても朗報である。私の推測だが、売人が外国人に盗品を売る場合の常套句だったのだろう。それにしても購入しなかった美術品に関しても記録が残しているなんて、美術品がらみで問題多いお国柄のせいだろうが、さすが北イタリアだなあと感じ入ってしまった。

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ここ一ヶ月の発掘・発見情報

◎ 3/29 :Exceptional Roman cargo shipwreck found in Lake Neuchâtel

  http://www.thehistoryblog.com/archives/75705

◎ 3/21:Asparagus foraging mission yields Roman tombstone

 http://www.thehistoryblog.com/archives/75650

◎ 3/17:Only image of Gallo-Roman god found in Burgundy sanctuary

 http://www.thehistoryblog.com/archives/75624

◎ 3/14:Mosaics from early Christian churches found in Albania

  http://www.thehistoryblog.com/archives/75598

◎ 3/8:Two rare Roman lead ingots found in Wales

  http://www.thehistoryblog.com/archives/75549

◎ 3/4:Roman shield umbo, Greek inscription found in necropolis in Romania

  http://www.thehistoryblog.com/archives/75516

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期限延長の真意がみえた感じ?

 タコにとって、すっかり恒例になっている猶予期限延長であるが、こんたびも「48時間」から「5日間」に延長した。それで世間は和平への道が開けた、水面下で交渉しているのだといった楽観論も出ているようだが、私には疑問であった。一方の当事者のイランがそういった交渉をしていないと断言しているわけで、タコが交渉中などといっても信じられないからである。いや、タコが交渉中といっていても、これまでそれを裏切る行動をとるのが常だったからだ。

 私の疑問は、辛坊治郎がこの火曜のラジオで言っていたことで、納得がいった。すでに沖縄の海兵隊が出発した、というのがミソなのかも、と。彼らが現地に到着し、参戦するのに5日間が必要なのだ、ろう。種々雑多な情報収集の必要を感じてしまった。

 なのに、我が国のいわゆる公共放送は油の話ばかりで、まったくそのような観測すらしていないように見えるのはどうしたことか。

 タコのやり口はいつも不意打ち、騙し討ちである。彼の商いの仕方(ディール)をそのまま政治・外交に持ちこんでいるだけである。私は商売に関わったことはないが、そこでは恫喝による値引き要求など日常茶飯なのだろう。和平を求めているスタンスを表面でとっていても、真珠湾攻撃を地でやってるわけだ。座学の軟弱エリートとは出発点から違う思考方法である。

 イランも地上戦への対応を十分準備していると思いたいが、実際にはどうなんだろうか。もちろん、地上戦が起こってほしいのではないが、イランの覚悟の程は想像できても、彼らの軍事力の実力がどれほどのものなのか、私は知らない。イラクのように一方的な敗走になるのか、持久戦に持ち込めるのか。そうこうしていたら、しびれをきらしてイスラエルが戦術核兵器を使用しないとも限らない。押さえをきかす存在がいない現状では悲観的にならざるを得ない。

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これからの歴史教育はこうなる?!

 皇帝Diocletianusの首都ニコメディア(現トルコのIzmit)関係を調べていてみつけました。https://www.youtube.com/watch?v=m0CS0aMRhgg

 AIを使ってもうこんなことも可能になっているのですね。今後、歴史の教育環境が劇的に変化しそうな予感がしてます。

 登場人物が喋っているのはトルコ語です。ちなみに解説文は以下です。Google翻訳を使いました。一切手を加えてません。
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 イズミットの歴史を形作った人物たちに初めて出会うかもしれません。この街に最初の集落を築いた人々、イズミット生まれでヨーロッパ中に名を馳せた医師、敵の占領から街を解放した際に叙事詩を著した人々など、彼らは決断、貢献、そして英雄的行為によって街の歴史に名を刻みました。
 AIを活用した新たな都市史プロジェクト「クロノバイザー・イズミット」は、2700年にわたるイズミットの歴史を巡る特別な旅へとあなたを誘います。

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YouTubeでアクセスすると「〇〇をAIで再現してみました」という作品がすでに目白押しでした。

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イエズス会の日本布教は失敗だったのか

偶然見つけました。是非一度ご覧下さい。
 
 【軌跡特集】日本にキリスト教が普及しなかった理由│ザビエル “論破されて逃げた
説” の真相(1549-1551)
 https://www.youtube.com/watch?v=vB2VRKVfXMI

読書会メンバーから以下の反応あり、それに私は以下のように答えました。

>当時の人々にとっては、先祖が救われない、と言う不安や恐怖が強かったと聞いた事
があって、作り話だと思っていましたが、本当だったのですね。

このエピソードはザビエルの書簡集で、当時のカトリック神学にしたがって洗礼受けて
ないと救われないと回答したら、ご先祖様が救われず自分だけが救済されるのは受け入
れられない、とキリスト教から離れた人が多くいたと報告されてます。現代ではこの教
義は放棄されてます。

>論破されて逃げた、と言うか、出直さなきゃダメになって、そのまま亡くなってしま
ったと言う事ですかね。

 そもそもイエズス会の日本布教の目的は、当時鎖国政策だった巨大人口を有する中国
布教を可能にするためという位置づけだったので、一概に失敗というわけではありませ
ん。イエズス会日本管区はいまだそのために存在している、と私は考えてます。

>じゃあ、仏教は外来宗教なのに何故定着したのでしょう? 唯一絶対、ではないとこ
ろが受け入れやすかった?

 仏教思想の根幹はどうすれば解脱できるのかという哲学だったので、そもそもインド
でも仏教は一般に普及しませんでした(庶民はヒンズー教;ちなみに中国では道教)。
日本には最初、鎮護国家思想として入ってきて、鎌倉時代になって日本的風土に組み替
えられて初めて庶民層にも受容され出した、といわれているはずです。現世で苦しんで
いる庶民にとって、極楽浄土に救済されるという信仰にすがってたわけ。

 あの映像でちょっと出てきたのですが、言葉の問題って実は重要です。ま、仏教でも
お経は大多数の庶民には不可解ですが、この呪文性が民衆宗教には必要で、だからカト
リックでもミサがラテン語から日本語になったら、ありがたみが失われてしまったわけ
です。宗教には必ずこのダブルスタンダードが存在します。
 映像では農民に説く姿がかなり頻繁に出てましたが、上からの改宗を目論んで、支配層(武士階層)への布教を追究していたのがイエズス会の方針だったはずです。
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TACOの現実

  ここでのタコは「蛸」ではない。「Trump Always Chickens Out」の略称であることはみなさん先刻ご承知であろう。そのタコがやたら好き勝手をやっていて、世界中が右往左往させられているが、その秘密は案外イスラエルの情報網に彼が絡みとられているのでは(エプスタイン文書をはじめとするスキャンダル情報で唯々諾々とさせる手法は、彼のみならず叩けば埃が出るアメリカ政財界人を屈服させる手段になっている、のかも)、と素人の私などは単純に思ってしまうのだが、どうだろう。所詮まともに税金も払っていない守銭奴である。

 もちろん露骨に恫喝なんかしてないだろうが。チクチクとほのめかして。そういえば、学名Octopodaの軟体動物も、危うくなるとすぐに目くらましのスミを吐いて逃げ出す習性の輩であった。

我が国においてのみ、このカリカチュアは意味を持つ。

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古代ローマ人も死亡乳幼児を悼んでいた

 私は十二表法に「ひどく奇形の子供はすみやかに殺せ」という規定(Ⅳ.1)があることは知っていたが、「嬰児の死を弔ってはならない」というローマ法があったことを未だ史料的に確認していない(ご存知の方からの典拠情報を求めてます:baru007@spa.nifty.com)。その意味が法的レベルであって、親族の感情までも禁止できなかったであろう言うまでもない。また従来の学説では、乳幼児の死亡はありふれていたので(死亡率は30%以上と想定)、いちいち悼むという感情はなかった、とされてきたことは知っていた。ただ、バチカン・ネクロポリスを扱った時に、子どもたちのデスマスクが墓廟に飾られていたので、その見解の表層的な底の浅さ(横文字で書かれている内容に無条件で追従)、特に男性研究者の人間理解の感性欠如を感じてきていた。

 さて、今回私は試しにAIに「どこにそんなこと書いてますか」と質問してみたのだが、答は「古代ローマの法資料では、生後1年未満の乳児は公的に悼まれないとされていた、だがそれは家族が私的に抱く悲しみや喪失感を否定するものではなかった」という典拠明示なしでの抽象的な表現に留まリ、失望した。次いでデスマスクの画像を手軽に得ようと「画像をみつけて」と質問してみたのだが、「現在のところ、古代ローマ時代の子供のデスマスクの存在を直接示す確かな情報は見つかっていません。古代ローマ時代は医学が未発達だったため、子供の死亡率が高かったとされています。当時の子供たちは、邪悪なものから身を守るため、「ブラ」や「ルヌラ」といったお守りを身につける習慣がありました。しかし、デスマスクに関する具体的な記録や遺物は確認されていません」だった。データ的にフォローし読み込んでいなければ、あさっての回答で逃げるか、差し障りのない一般叙述を越えてこんな誤った答となるわけである。

 実際には以下のようなデスマスクがバチカンのネクロポリスから既に1900の40年代には出土している(出典は、ピエトロ・ザンデル『バチカン サン・ピエトロ大聖堂下のネクロポリス』上智大学出版、2011年:原著、2007年)。さすがに通常の発掘では生後1年以内の乳児(児童福祉法において満1歳に満たない者)というわけにはいかないが、おそらくいずれも男児の幼児(同、1歳から6歳前後)ないし児童(同、満18歳に満たない者)には該当する。ただ、このマウソレオからは成人女性の彫像は出土しているが、なぜか明確に女性乳幼児とおぼしきデスマスクはないようだ。

左から、p.46、図64;p.88-89、図161(ただし限りなくデスマスクに近い彫像)、166. いずれも男児。

誤解なきよう付言しておくが、石棺には男女の子供の肖像も多い。バチカン・ネクロポリスでの一例として以下を掲載しておく。

p.56、図82:夭逝したMarcus Ulpius Pusinnio Cupitianus像:幼い顔で大人のトガを着用しているが、はかない夢となった息子成人時を想起してのことかもしれない。

 バチカン市国内で発掘された他の古代墓地からも、決して多いわけではないが、同様の出土があった。以下は凱旋門街道、Santa Rosa出土の逸品である。墓石と彫像を組み合わせたもので、上部銘文「ここにTiberius Natronius Venustusが横たわる」、下部銘文「彼は4年4か月10日生きた」(典拠は、Paola Liverani et als., Le Necropoli Vaticane, Museo Vaticani, 2010, p.226, 図72)。

Tiberius Natronius Venustus像

 さて、本論に入ろう。2026/2/26に以下が発信された。「古代ローマ人も乳幼児の死亡を悼んでいた」(https://www.livescience.com/archaeology/romans/babies-werent-supposed-to-be-mourned-in-the-roman-empire-these-rare-liquid-gypsum-burials-prove-otherwise?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAc3J0YwZhcHBfaWQQMjIyMDM5MTc4ODIwMDg5MgABHqIOqv7qXfm3gZ8_rxSSxwWrZPAKTzfHw_DHSCK_TG1FZDwcSKtxJKZcE61C_aem_AKzNPhypFIC2xzobCiTqRQ

 私はこれまで全く知らなかったが、19世紀後半以降、イギリスのヨークとその周辺で少なくとも64体の「液体石膏埋葬」liquid gypsum burials が集中的に記録されている由で、ヨーク大学教授のモーリン・キャロル Maureen Carroll女史は、これまで70体以上の「液体石膏埋葬」を研究してきたが、そのうち少なくとも7体は子供で、生後4か月以下の乳児3体も含まれているという。謎に満ちたこの埋葬方法は、時代的には3〜4世紀だそうだ。

 「液体石膏埋葬」とは、液体石膏を使った埋葬法である。ヨークでは上流階級に限られていたようで(ヨークにある3つの石膏埋葬地で、地中海とアラビア産の芳香性樹脂の痕跡が以前発見されており、衣服や包帯に高価で珍しい物質が使用されていたことが示されている。これらの物質は、上流階級の人々しか入手できなかった)、成人に用いられるのが普通で、乳児は、アンフォラと呼ばれる大きな壺、陶器製の箱、あるいは小さな木製の棺に埋葬されることが多かった。この特異な慣習はしかし、ローマ時代のイタリア、フランス、ドイツでも知られている由。年月の経過で石膏に密閉された遺体が朽ちて空間を生じ、それを3Dスキャンすることで埋葬時を偲ぶことができるだけでなく、石膏の中には屍衣、衣服、履物の痕跡も残っており、ローマ時代の墓ではほとんど保存されていない、腐りやすい素材に関する貴重な証拠となっている。ただし、なぜ石膏埋葬なのか等、子細については不明である。

 以下が石膏埋葬の子どもたちのリストである。

乳児

  • YORYM : 2007.6126:クレメンソープ、石棺。長さ63cm、生後約4ヶ月。仰向けに寝かされ、布切れに包まれている。
  • YORYM : 2007.6212:鉄道駅、鉛棺。外套部分長さ約58cm、生後約1~2ヶ月?。仰向けに寝かされ、一部は紫に染めた羊毛と金糸の外套で覆われている。
  • YORYM : 2013.152:鉄道駅、石棺。外套部分長さ65cm、体型印象部分長さ約50cm、新生児?仰臥位で、くるまれているか、毛布にくるまれている。

中~後期幼児期の子供

  • YORYM : 2007.6211:ヘスリントン、約7~9歳、女性。石棺。仰臥位で、片手を骨盤/大腿部に、もう片方の手を体側(?)に置き、布で覆われている。靴、サンダル、宝石、木製の宝石箱、鶏と共に埋葬されている。
  • YORYM : 1956.3.9:キャッスルヤード、埋葬1、約7歳。鉛棺。推定身長約1.20メートル。

青年期の子供

  • YORYM : 2007.6205:ミルマウント、約11~14歳。石棺。仰臥位。副葬品には鉄製の鋲2本、革片1枚、硬貨2枚。 14世紀頃、西暦250~350年頃
  • YORYM : 1971.303:トレントホルム・ドライブ、13~14歳頃、石棺、仰臥位、推定身長1.37m。
リストのYORYM : 2007.6126の3Dスキャン画像、包まれた乳児は二人の成人(おそらく夫婦)の脚の間に置かれている。なんらかの理由で一家が同時に死亡したと考えられている。
リストのYORYM:2007.6212の復元想像図か 。但しここでは石棺で描かれているが。

 「乳児死亡率が高かったから、ローマ人は赤ん坊の死を気にしなかった」という通説は、少なくともヨークの石膏葬を見る限り、成り立たない。石膏の中に残された小さな身体の痕跡は、2000年の時を超えて、当時の家族が確かに感じていた悲しみを静かに語り続けている。この感情は、今に痕跡を残すことができなかった貧民層や中産層の家族においても同様だったはずだ(もちろん、望まない出産とか親の都合は多種多様かもしれないが)。

 ヨークシャー博物館を中心に石膏埋葬のコレクション研究成果を逐次展示する予定である。

 この情報に接し、私の探究心はいたく刺激されたのだが、先のない身である。大学図書館をリサーチしたら、基本文献もすでに国内にあるようだ。どなたか研究やってほしいと念願せざるをえない。

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アッシジのフランチェスコの遺骨公開

 この著名な聖人の没後800年を記念して、2026年2月21日に彼の遺骨が史上初めてアッシジのフランチェスコ大聖堂の下部教会で一般公開された(彼の遺骨はこれまで一度だけ、1978年に科学的検証のため、1日だけごく限られた人々に公開されたことがあった)。これは本年3月22日まで展示され、すでに世界中から40万人の巡礼者が見学予約を入れているらしい:このへんがイタリアの商売上手なところ。

 彼は1181/2年に生まれ、1226年10月3日に死亡したが、死後二年未満という短期間で列聖されたのは、かつての庇護者ウゴリーノ枢機卿がグレゴリウス9世教皇になっていたからである。彼の庇護がなければ確実に異端にされたであろう。そんな微妙な存在だった。

 1818年に、フランチェスコ大聖堂地下から伝承通りにフランチェスコの遺骸が発見された。

 1939年に、シエナのカテリナとともにイタリアの守護聖人となる。https://www.bbc.com/news/articles/cz7glr9dpy8o

生前の1223年にベネディクト修道院のスビアコの聖窟に描かれた肖像画
EPA The body of St. Francis of Assisi is displayed to the public for the first time in history in a glass shrine in front of the altar of the Lower Basilica in Assisi, Italy, 21 February 2026.
こんなに群がって見られて、なんだか悪趣味な感じしないでもないが・・・

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真珠湾攻撃じみたトランプの暴挙

 勝てば官軍なのだろうか。西部劇の時代と本質的にかわっていないアメリカ(国民の半数)に、他国に民主主義など唱える資格はあるのだろうか。騙し討ちではないか。ウクライナに侵攻したロシアと同じではないか。次々と疑問が湧き出る昨今の動きである。

 2026/3/3:「イラン攻撃、米軍が作戦詳細明かす 最初に動いたサイバー軍と宇宙軍」(https://ml.asahi.com/h/a8vIaifx5Sqd4Fab

 成功したからこそ手の内を曝すわけで、これからも成功談は虚実を含めて次々吐露されるのは間違いない。他方で、失政はとことん隠匿して恥じないのはどこでもいつものこと。

2026/3/2:「なぜ米国とイスラエルがイラン攻撃 8つのポイント」(https://digital.asahi.com/articles/ASV2N4RC8V2NUEFT00TM.html?linkType=article&id=ASV2N4RC8V2NUEFT00TM&ref=yoru_mail_20260303_bunmatsu

 それにしても、幾度も同じ失敗をやらかしてしまうイランも抜かっているという他ない。民族的抜けなのか。否、この状況を冷静に分析するなら、イラン政府内に親米的で反体制的な情報提供者集団がいるととらえるのが正しい判断ではないか。こういった分析が我が国のマスメディアにおいて未だ出てこない現状は目を覆いたくなる惨状であるが(内容のない形式民主主義信奉者たち)、いつもの田中宇氏がまたまたえぐった解説を送りつけてきた。

 田中宇の国際ニュース解説 無料版 2026年3月3日 https://tanakanews.com/ 

 「トランプの優勢」(https://tanakanews.com/260303trump.htm

 さて、秋の中間選挙でどういう結果となるか。田中氏は民主党の勝利はありえない、「民主党は今後も負け」続ける、としている。そして、中国もトランプ追従のイスラエル諜報大国に手も足も出ない状況にある、と。

 お口直しに以下はいかが。王様の気まぐれ戦争は長続きしない、と思いたい。

 2026/2/26「矛盾だらけの米国、絶望とエリート攻撃の行方 日本の取るべき道は? 」(https://digital.asahi.com/articles/ASV2J2PGCV2JULLI00RM.html?linkType=article&id=ASV2J2PGCV2JULLI00RM&ref=mor_mail_kaiin_topix1_20260304

 2026/3/10「トランプのイラン空爆は「衝動」か「計算」か。米国内で囁かれる“エプスタイン疑惑”という不穏な影」(https://www.mag2.com/p/news/670805?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000001_tue&utm_campaign=mag_W000000001_20260310):弱体化しているからこその軍事力誇示、というのは的を得ているだろう。古代ローマでも凱旋将軍徽章ほしさに弱小国・野蛮人部族への遠征が行われていたよね。

【追記】さすがに米国政府内部からも反逆者が出てきたようだ。2026/3/18「イラン攻撃「支持できない」トランプ氏指名の情報機関トップが辞意」(https://digital.asahi.com/articles/ASV3K6287V3KUHBI039M.html?pn=5&unlock=1#continuehere

発言内容は至極当然だ。MAGAの分裂が進むのだろうか。

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