誤報だったあのモザイク情報

 2025/7/15にブログ「第二次世界大戦中にドイツ国防軍大尉が盗んだモザイク画、ポンペイに返還」の情報を報告した。すなわち第二次世界大戦中にイタリアでナチス将校によって略奪され、返還者に寄贈されたとされていたが、ところがその後、モザイク画の真の起源が、研究者によって発見された(https://www.thehistoryblog.com/archives/75534)。このモザイク画はポンペイとその周辺地域とは全く関係がなかった、らしい。おそらく件の大尉が盗品を入手する際売人にそう吹き込まれたのだろう。

 その決定的な手がかりとなったのは、2025年に返還されたモザイクが報道陣に公開された際の偶然の出会いだった。その発表会に出席した考古学者の一人、ジュリア・ダンジェロ Giulia D’Angelo はマルケ州出身で、彼女の地元での知見が謎の解明に結びついた。

 このモザイクは、マルケ州フォリニャーノ Folignano 郊外のロッカ・ディ・モッロ Rocca di Morro 村にあるローマ時代の別荘から出土していた。最初の記録は1790年、バルダッサーレ・オルシーニ Baldassare Orsini がアスコリ・ピチェーノ Ascoli Piceno にあるフェデリコ・マラスピーナ Federico Malaspina 侯爵の宮殿の古代遺物の中にこのモザイクを記述したものがあった。それから80年後の1868年頃、画家で考古学者のジュリオ・ガブリエッリGiulio Gabrielli(1832-1910)は、このモザイク画のスケッチを描き、主題と発見場所についてメモを残していた。それが以下である。

ただスケッチは実物を見たものではなく記憶に基づいて描かれたため、いくつか誤りがある。彼は、男性が女性に性的サービスの見返りとして金銭の入った袋を差し出している場面だと解釈し、盛り上がった覆いを金袋と誤解した。

 ガブリエッリはまた、モザイク画の所有者歴も記録していた。彼は、モザイク画がロッカ・ディ・モーロにあるマラスピーナ家の邸宅で発見され、マラスピーナ家はこのモザイク画をオークションで売却し、その後「詐欺師」の手に渡り、さらにアスコリ・ピチェーノ出身の蚕業を営むジョヴァンニ・トランキッリ Giovanni Tranquilli という人物の手に渡った、と。そしてシルヴェストリ Silvestri 家が最終的な所有者だったことにも触れている。この最後の記述は、ミラノ国立考古学博物館の調査部門のアーカイブにあった。そこには、ルチア・シルヴェストリ Lucia Silvestri という女性がモザイクを彼らに売り込もうとしていた記録が残されていた。

 「素晴らしいチームワークです」と、ポンペイ考古学公園のガブリエル・ズフトリーゲル Gabriel Zuchtriegel 園長は述べる。「最新の研究のおかげで、ラツィオ州には貴重なモザイクを専門的に生産する生産者がおり、おそらく相当な量をマルケ州、カンパニア州、プーリア州などの地域に輸出していたことが明らかになりました。これはローマ美術史だけでなく、ローマ世界の経済史にとっても非常に興味深い発見です。」

 あらぬ冤罪がそそがれたドイツナチスにとっても朗報である。私の推測だが、売人が外国人に盗品を売る場合の常套句だったのだろう。それにしても購入しなかった美術品に関しても記録が残しているなんて、美術品がらみで問題多いお国柄のせいだろうが、さすが北イタリアだなあと感じ入ってしまった。

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