セントルイス大学の歴史学教授ダグラス・ボインDouglas Boin氏がアメリカ考古学協会の年次総会で公表した:発信2024/1/6
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18世紀に劇場から発見された勅令碑文に導かれてボイン教授はウンブリアのスペッロ(Hispellum)にやってきて、地中レーダーを利用して、現代の駐車場の下にある構造物を発掘した。今回発見された神殿は4世紀前半、すなわちコンスタンティヌス1世統治時代に建立されたものとされているようだが、親キリスト教皇帝とされているコンスタンティヌスがスペッロ市民に対し剣闘士競技の許可を与える代わりに、自らの先祖であるフラウィウス家を祀る神殿を建て、彼らを崇拝することを求めたことは、碑文史料から知られているが(この皇帝のダブル、いなトリプルスタンダードが如実ではないか:そもそも彼はローマ国家宗教の最高神官Pontifex maximus職を終生手放さなかった、なのにキリスト教皇帝とされているのは教会側の後付けでなくてなんだろう)、そのため建立された神殿発見が本当だとすると、こりゃすごいことである。
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私自身、2012年にスペッロを訪問する機会があり、偶然折しも町おこし的にコンスタンティヌスの1700年祭の展示会をやっていたし、そこの博物館で件の碑文とも対面し、ウンブリア平原を見下ろすリストランテで美味な昼食を堪能したあと、円形闘技場跡も訪れたことがあったので(その手前に現代の競技場もあって紛らわしい)、個人的にもいささか興味はあるのだが、なにぶん今般の報告内容が遺跡の石組みだけなので、現状では私にはそれがなぜ神殿と断定できるのかすら理解できないわけで(他情報から、この丘には聖域や神殿、劇場などの遺物も散在しているようでなおさらだ:https://en.wikipedia.org/wiki/Sanctuary_of_Venus_at_Hispellum。地図には出ていないが、北東の駐車場にはテント形式でドムスの発掘現場も見学できた)、今後の発掘報告待ちというのが正直なところである。
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