古代ローマ・コインとOstia,Portus

 今、ポルトゥスを描いた皇帝ネロやトラヤヌスの貨幣を調べているのだが、しかるべき著書などには限られたものしか掲載されていないので、もちょっと悉皆調査めいたものはないのか、と思ってググっているうちに、おもしろいものに行き当たった。それが「acsearch.info」で、慌て者の私は年間会費80ユーロを支払った後になって、1ヶ月の試用期間があることに気づいたのだった。だいたいの問題はとりあえず1ヶ月もあれば解決するはずだから、またしても無駄金を支払った感じとなるが、ともかく会員にならないとピンボケ写真で決着しない欲求不満に苛まれ続けるわけで、ついついやってしまった次第。
 このリストは、過去二十年間の欧米におけるコイン・オークションを網羅して、なかなか興味深い。私は一応定評あるRICなどのカタログ・シリーズ本は所有しているが、これらにはごく一部の写真しか掲載されていないし、だいたいは小さくてしかも不鮮明なので、今の場合、私には用をなさないわけである。たとえば、下図は大英博物館所蔵のコインで、その解説が多くの書籍に一般化して述べられている場合が多いのだが、実際には金型によって千差万別であり、研究として1歩踏み込むとそんなに簡単ではない。なおこのネロ・コインについては、本年1/7でもちょっと触れている。

後64年ローマ造幣所発行、青銅貨、29.84gr、6h

 かのオークションでさっそく、「acsearch.info」で、coin,Nero,Portus,Lyonといった単語で検索してみた。そしたら188ヒットした(2023/4/10現在:なぜLyonかというと、このコインはローマとリオンの打刻しか発見されていないからだ)。世の中にはこんなにこの貴重なコインが遺っているのか、とまずは感心したのだが、リストの画像をよくよく眺めていると、妙なことに気づいたのである。ネロやポルトゥスと関係ないものが時々混じっているのはまあ識別が簡単なのだが、どうも胡散臭いものが少なくともとりあえず4例見受けられたことで、それらはいずれも打刻がやたら鮮明なのでどうしても注目せざるをえないのだが、それらの説明文にはだいたい共通してPadua人Giovanni Cavino(1500-1570)による模作と明記され、しかるに落札価格は500ドル前後だったりしているのである。近世のコピーでもそれだけの価値があるというわけか。逆に由緒正しい古代のコインであっても摩耗や破損がひどいものは捨て値となる(今回は10数枚見受けられた。当然のこと数枚は値がつかなかったようだが、それでも600ドルや1000ドルで落札されたものもある)。しかし私だったら50ドルでもぜったい購入しないものが、なぜか6000ドルで落札されたりしているのには驚かされる。あのコインは是が非でも入手したいというマニアの執着心によるのであろううか。

Padua人Giovanni Cavinoの模作品:26.98gr、34mm、8h

 油断できないのは、それと瓜二つのコインがあってそちらの落札価格はなんと134522ドル! 時価にして1800万円なのである。それが以下である。まあそれに似せて16世紀にコピーが作成されたというべきなのだろうが。

64年頃発行、24.76gr, 37mm, 6h

 というわけで、打刻が鮮明だけど価格が500ドル前後なのは後代の模作と見当つけて(19例あった)、よってあれこれ上記188から引き算してみると153枚となった。総数で一割が後代の作ということになる。

 ところで、同一造幣所においても金型は数種類あって、意匠が微妙に異なっているのが常なのだが、数ある意匠の中で、裏面が最も詳細な描写となっているのは、以下であろう。

66年リヨン造幣所発行、黄銅orichalcum(銅と亜鉛の合金)、26.69gr, 35mm, 7h

 このコインは、1983年にLyonのLa Favoriteのとある墓地から出土したもの。解説によると、このコインはリヨンの「ローマと劇場博物館」のクラウディウス展で展示されたものの、その後、常設展示されておらず、博物館のインターネットサイトでのみ公開されている由(https://lugdunum.grandlyon.com/fr/Oeuvre/16235-Sesterce-de-Neron)。それでこのコインに従って、私なりに多少の絵解きをしてみよう。

 まずは刻文であるが、表側では「IMP・NERO・CAESAR・AVG・PONT・MAX・TR・POT・P・P」、すなわち「最高軍司令官・ネロ・カエサル・アウグストゥス・最高神祇官・護民官職権・国父」。月桂冠を戴いた左向きのネロ帝横顔、首の正面には丸いブローチ?(aegis=メドゥーサの顔が描かれた楯、と特定している解説あり) 裏側の刻文は下部に「PORTV・AVG」、すなわち「アウグストゥス(=皇帝)の港」(但し、「PORT」と表記するのがルグドゥヌム=リヨン造幣所の通例なので厳密に言うと「V」は誤記となる。これがローマ造幣所打刻だと上部に「AVGV-STI」=「アウグストゥスの」,下部に「POR OST」=「港オスティア」,その両側に「S」と「C」=「元老院決議」senatus consultum表記が通例となる)。

 問題は裏面の港風景で、まず弧に沿って左側に列柱廊ないし倉庫が2つ並び、最後に神殿、その前に不明瞭ながら犠牲を捧げる人物、右側の弧に沿ってアーチ状の防波堤らしきものが、そして、港の入口を示す左右上部中央には巨大な神像(左手に三叉の槍をもっているなら、海の神ポセイドン:それゆえに右手にはイルカを所持しているとする解説もあるが、私にはそう見えない)。本来あるべきはずの灯台はなぜか描かれていない。今まさに入港しようとしている帆船が左側に、出帆しようとしている軍船が右側に描かれている。内湾の中にはここでは大小7隻の船が帆を畳んで碇泊している(タグボート=曳船と覚しき小型船が3、中・大型船が4隻:但し、左上の帆船は完全に帆を畳んでいないし、船尾での接岸にようにみえる)。うち左下では船首側から渡り板を使って荷揚げ作業中の3人が描かれている。中央の大型船では今まさに帆を畳む作業が進行中で甲板に2名、マスト上に2名の姿がみえる。その右手の小舟はひょっとしてタグボートで、立っている人物はパイロットかもしれない。コインの一番下には横臥した半裸の男性神が描かれていて、右手には船の櫂を持ち、左手付近にはイルカが見える。これは典型的な河神の姿なのでティベリス河神を表しているものと思われる(別説ではPortus神)。

[研究者による図版解読の違いは、たとえば、以下はJean-Claude Golvin/Gérard Coulon, Häfen für die Ewigkeit : Maritime Ingenierskunst der Römer, Philipp von Zabern, 2021(Aus dem Französischen von Birgit Lamerz-Beckshäfer), p.82による解説文参照:紀元66年、ネロ時代にリヨンで打刻されたセステルティウスの裏面に描かれたポルトゥス。下の髭を生やした川の神は、イルカに乗って伸びをし、手に舵を持ち、テヴェレ川の擬人化していると。右側はアーチと橋脚を持つ桟橋で、その足元には波が打ち寄せている。左側には、倉庫や柱が立ち並ぶ岸壁を見ることができる。上方には、ネプチューンが台座の上に像として立ち、軍艦に囲まれている。モチーフは非常に精巧に彫られており、漕ぎ手、帆を揚げる水夫、荷物を降ろす荷物運搬人たちsaccaliiまでわかるほどだ。ルグドゥヌム、リヨンの「ローマと劇場博物館」、とまあこんな調子である]

 しかも、である。現在までの発掘調査結果においては、右側突堤にコインで描かれているようなアーチ状の構造物は発見されておらず、単なる突堤でしかないので、こうなるとコインのデザインははたしてどれほど事実を反映しているのか、と疑問視せざるをえないことになる。さてどうしたものか。謎のひとつというべきか。

北側突堤の中央部を覆うトラバーチンのブロック:Otello Testaguzza, 1970, 87.

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