「特別展ポンペイ」を見てきた

 2022/1/21に、めったにないことだが知人から無料鑑賞券を2枚もらったので、某読書会の予習を兼ねて、これもめずらしく妻と2人で東博に「ポンペイ展」を、念のため事前予約して見に行った。会場の平成館は奥にあるので、上野駅公園口からそこまで行くのが寒かったが、駅前の自動車道がなくなっていたり、西洋美術館が改修中とかで、久し振りだったのでその変わりように驚いてしまった。

 14時半予約していたのだが、それ以前に検札を通ろうとしても、入場者はそんなに多くなかったのに、待合室で待たされてしまった(たぶん予約してなければ直に入れたと思う)。今回は、空間構成にかなり余裕があって、鑑賞者もそう多くなかったので、気分的にゆっくり見ることできた。写真が自由に撮れたのもイタリア的でよかったが、これって日本ではいつものように人が多いとはた迷惑になるはず。以下の動画がある。

 「ファウノの邸宅」「キターラ奏者の邸宅」「悲劇詩人の邸宅」に焦点合わしているのはいい試みだった。私的には「Julia Felixの邸宅」関係があちこちに、特にあの有名な「賃貸広告文」があったのも嬉しかった。

 また「Lucius Caecilius Iucundusの邸宅」(V.1.26)関係の4点が出品されていて、これはまさにちょうどその遺跡の出土品を別件で扱っていたので、その偶然が嬉しかった。とりわけ、玄関を入ってアトリウムを直進するとタブリヌム(家長の執務室)に至るが、その両脇に設置されたヘルマ柱の左側のほうには、青銅製胸像が載っていて、柱に「GENIO・L[uci]・NOSTRI ・FELIX・L[ibertus]」(我らのLucius(Caecilius)の守護霊に、Felix L.が[献じた])と刻まれている(本物はナポリ博物館に展示されているし、これまで日本にも来たことあるが、今まで無関心で気付かなかったのだ)。なお、1930年代から1970年代までこの原位置には青銅レプリカを載せたヘルマ柱が設置されていたようだ。なお、簡単に往年の様子を想像したい向きには、以下があります。https://www.youtube.com/watch?v=ETd7pszxhnc

 その末尾の刻文「L(ibertus」(=解放奴隷)から、解放奴隷のFelixが、たぶんご主人様のLucius Caeciliusへの敬愛の念から胸像を守護霊に寄進したと考えるのが順当なのだが、研究者たちは必ずしもそのようにとっていない。それはなぜか。今回のカタログではこの家で出土した最古の後15年の書字板にLucius Caecilius Felixが登場しているので、それが解放奴隷Felixと同一人物なのでは、というわけである。こうなると、献呈されたLucius Caeciliusは、このLucius Caecilius Felixと、そして当時の当主Lucius Caecilius Iucundusと、そして解放奴隷Felixは、どういう関係になるのか、これが当然問題になる。もちろん、あくまで解放奴隷Felixは主家と血縁関係なく、解放時に当時の当主Felixの名前を頂戴しただけ、ととることもできるはずだ。

 ところが今般のカタログではそう考えていない(p.106:署名RC=Rosaria Ciardiello)。Iucundusの祖父なり父が解放奴隷Felixであり、胸像そのものもFelixだった可能性を指摘している。かなり入り組んだこの解釈もまんざら無視できはしない。このようにたかだか2行足らずの刻文なのだが、なかなか決着がつきそうもない。問題解決にタブリヌムの右に設置されていたもう一柱は参考にならないのだろうか。Fausto & Felice Niccolini(1816?-1886?)によると、右のヘルマ柱は、噴火後に穴を掘った盗掘者たちによって頭部が破壊されてしまい、発掘時にそのまま見つかった由だが(https://pompeiiinpictures.com/pompeiiinpictures/R5/5%2001%2026.htm)、破壊された胸像のほうはともかくとしてヘルマ柱上に何の痕跡(刻文)もないのだろうか、気になるところである。もうひとつ、同家から出土した書字板史料の詳細な検討から何かヒントが見つからないだろうか。いずれにせよ、今後のさらなる検討対象となりそうなテーマではある。

左、東博で撮影;右、写真の左隅のヘルマ柱にレプリカが置かれていた写真もみつけた
携帯で撮ると歪みますね

 もうひとつ興味あったのはこの家から153点出土した書字板のひとつのレプリカだったのだが、これは薄暗い照明の中では真っ黒の炭板としか見えなかったのが残念。実はそれらの中に「円形闘技場の乱闘」のフレスコ画関係の傍証記述を記載したものがあるのだが(H69-82)、それの展示だと連携的でよかったのだが。

 炭化といえば、炭化したパンも展示されていたが、どうせなら刻印stampを押してあるものにしてほしかったのも、一時それを調べていたことあるからだが(これも余談だが、なんでパンに刻印押したのかが問題で諸説ある。私は誰が無料配布したのかを示すため、というのが一番当たっているように思ったのだが、奴隷の名前が多く押されているので、一般化は無理でしょうね。どなたかいい知恵出してください)。

 私的に今回一番の収穫は「奴隷の拘束具」だった。この種の拘束具は初見だったので驚いたこともある(ちなみに、2010年の京都・古代学協会主催の横浜美術館の時は、ポンペイ郊外出土の給湯システムが初見で、たいへん興奮したものだ。なにしろ私はそれまでドイツ出土のものを写真でしか見たことなかったので(その経験が、オスティアでも役立った、といってもそこでは金属は回収されたあとの単なる空間が残っていただけだったが)。蛇足だが、このときのグッズ売り場は私にとって実に充実していて、18禁の品々をいっぱい教材用に購入したことを思い出してしまった、もっとも刺激的すぎるそれらは実際には研究室に死蔵してしまったのだが)。

上がピラネージのエッチングを使っての解説文:件の拘束具は大劇場の回廊から出土とのことだが、農業奴隷ではあるまいし、本当にこんな拘束をしていたのだろうか、いささか疑問。農業奴隷だってだいたいは円形の足枷だったはず。新人奴隷の調教ないし懲罰用?
 ところで、全部で158を数える展示物のうち、「東京のみ」が34もあるのは、展示空間の問題だということだが、立像「ビキニのウェヌス」、モザイク画「辻音楽師」、フレスコ画「円形闘技場の乱闘」「賃貸広告文」「サッフォー」「パン屋の店先」などはせっかくの貴重な逸品なのに、東京以外では見られないのは残念なことだ。私だったら他を省いてもこれらをとるのだが。特に私は今般モザイク画で署名を、フレスコ画で落書きを自力で確認できたのも収穫だった。たぶん、ナポリ博物館よりも低く私の目線に設置されていたので、容易に気付けたのだろう。

 上記ギリシア語:ΔΙΟΣΚΟΥΡΙΔΗΣ ΣΑΜΙΟΣ ΕΠΟΙΗΣΕ「サモスのディオスクリデスが[これを]作成す」。だが、といって彼がこのモザイクを実際作成したかどうかは不明、というよりこの署名すら原作品からの模写だろう。

 下記の2つの落書きは、Casa di Anicetus(I.3.23)のペリスタイル(中庭)の後壁に描かれていた壁画「円形闘技場の乱闘」に刻まれていたもの。

  ラテン語:D(ecimo) LVCRETIO FE[L]ICETER「デキムス・ルクレティウスに幸運を」

  ギリシア語:ΣΑΤΡΙΩ / OYΑΛΕΝΤΙ / OΓΟΥΣΤΩ / ΝΗΡ ΦΗΛΙΚΙΤΕΡ「サトリウス・ウァレンス、アウグストゥス・ネロ[の奴隷]に幸運を」(他の読み方もあるので検討中)

 これら2つの落書きに通底する同一意図を想定するとき、後59年のヌケリア市民との乱闘の後始末として、元老院が一旦定めた10年間剣闘士競技禁止令を、皇帝ネロが早くも数年後に解除した件で(この後段は、なぜか誰も触れようとしないのはなぜ)、そのために奔走し関わった人物たちを顕彰してのもの、という仮説もなりたつであろう。ここらにも宝の山が埋もれている予感がする。

 主催者が宣伝している「アレクサンドロス大王のモザイク」については、一時期博物館で舐めるように詳細を観察したり、文献もちょっと調べたことあったし、現地「ファウノの家」でレプリカ再現の作業中に薄い石片を張り付けていた(本式のモザイク埋め込みではなく)のに遭遇した経験もあるので、感激はそうなかった。ただ現在修復中であの周辺の部屋も閉鎖中なのが奏功してか、そこの展示物がたくさん送られて来ていたのは思わぬ僥倖である。

あとは感想:  

 いつも思うのだが、館内で鑑賞できるビデオを編集・販売してくれると、教材とかで大いに役立つのにと。

 各々の展示物の傍に、出土場所を示したカードがあったが、カタログにあるような地図を配布解説文の裏面にでも印刷してくれていると、手軽に参照できてよかったような気がする。 

 部屋が暗いこともあって、音声ガイドのポイント(場所)が分かりにくく、手こずった(ガイドリストには書いてあったにしても)。  

 それと、あろうことか図録に4箇所間違い(ないし、展示物の差し替え?)の修正が挟み込まれていて、これは責任者の芳賀女史の律儀な性格のせいかなと。  

 ミュージアムグッズ売り場で、関係図書の販売を期待していたが、はずれだった。そのくせポンペイと無関係なもの、無意味なものがたくさん売られていたのは、私的にはいかがなものかと(ワイン、菓子、クッション、キャラその他:すでにメルカリに山ほど出品されているじゃないか:本来あるべきガルムがなぜないのだっ)。・・・とはいえ、うちの嫁さん、指輪だっけを嬉々として買っていたようでして (^^ゞ、ったくもう。

 新コロナ下でもあり博物館の推奨見学時間90分となっていたが、ゆっくり見てもその時間内でまずまず見学できる感じかと。

【追記】3/10午前中に2回目の見学を10:30から90分間にした。この時は別件でこれも頂戴した無料鑑賞券で、事前予約していなかったが、検問で予約せよとご指導いただいてしまったので、事前にしておいたほうが面倒がないだろう。とはいえたかだか数分のことだが。

 というのも、前回にくらべて今回は人出がかなり多く、展示物の前に人がいてなかなか前に進めないことが多くなったし、12:30頃、帰り際に見ていると例のごとく並ばされている人数も相当いたからである。

【追記2】なぜか東京で掲示不可だったものが京都では掲示されているというので、6/2の帰省の折、途中下車して行ってきた(交通費が直行より7000円余分にかかったのはこたえた)。新幹線で降りる人がほとんどいなかったのでしめしめと思っていたが、駅前のバス停では長蛇の列となりびっくり。といっても同胞ばかりだったが。ま、会場の市京セラ美術館での人出はまずまずだった。

 お目当てはカタログのNo.147(2022/6/3のブログ参照)の「キターラ奏者の家」(Casa del Citarista:I.4.5)で、あの背景の山をウェスウィウス山とする説に出会い、かなり急な坂道の果てに平たい頂上が見えるわけだが、おそらくそれがストラボン叙述「山頂以外は非常に美しい畑地が取り巻く。山頂は大半が平らだが全体が不毛の地で」との関係でそう注目されているのだろうが、単にそれを確認するための寄り道であったのだが、残念ながら19世紀半ばのN.La Volpeによる描画のようには明確に認識することはできなかった。それに、天空を飛翔するクピド?は別として、頂上にどっしり根付いた樹木をどう解釈するのかも問題だろう。以下、左が描画、中が今回撮った全景写真、右がその頂上と裾野の部分の拡大合成図である。

現状況では頂上付近に顕著な剥落、右端下図で坂道は明確ではないが、かすかにその痕跡らしきものがあるといえばあるような(^_^;。

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