名誉除隊証明板diploma出土をめぐって

 前年年末にトルコ南東部のアドゥヤマン県にある古代都市ペッレPerre(ないし、Perrhe / Pirin)から1898年前の青銅製の「名誉除隊証明板」 diploma 発見の報告がなされた。

 このかつてのコンマゲネ王国の5大都市のひとつは、2001年以降断続的に発掘調査がおこなわれ、ローマ時代の水道や噴水、155平方メートルの床モザイク、それに岩をくり抜いた様々な建築物が出土している(https://www.youtube.com/watch?v=kFzflnFUXEU)。この町はMelitene (Malatya) と主都 Samosata (Samsat)を結ぶ街道筋に位置していたし、325年のニカイア公会議に当地の司教も参加しているので、地政学的にも宗教的にも重要でそれなりに栄えたが、ビザンツ時代になると重要性を失い、再び興隆することはなかった。

小アジア半島の根本にコンマゲネ地方、中央のADIYAMANの直ぐ北の赤字のPerreがそれ

 「名誉除隊証明板」diplomaとは、元首政下(後52-3世紀末)で非ローマ市民が補助軍Auxilia、海軍、皇帝特別警護騎兵連隊equites singulares Augusti、帝都治安維持大隊cohortes urbanaeに採用されて、25(海軍は26)年間の兵役を終えて満期除隊したことを証明するもので、ラテン語で書かれており、ローマ市民権を保証するもの。ローマ正規軍の軍団兵たちlegionesはローマ市民が採用されていたので基本発行されていないし、212年のカラカラッラ帝発布「アントニニアーナ勅令」で全帝国の自由身分にローマ市民権付与されて後は不要となったが(現段階で知られる補助軍の最後のそれは203年発行;但し帝国居住民以外が採用された海軍、皇帝特別警護騎兵連隊、帝都治安維持大隊には3世紀末まで発行され続けた)、今回のものは皇帝ハドリアヌス時代の後123年にシリアで軍務に従事したCalcilius Antiquusに付与されたもの(https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2021/12/1898-year-old-bronze-military-diploma.html)。

 銘文の読み下しが公表されていないようで内容は確かめることできない。発掘者の言として、この種の証明板は10万部は作成されたと思われるが(cf., Wikipedia:私的にはもっとだろうと納得いかない)、大部分は最終的には炉で溶かされてしまい(所有者の没後にだろうが)、現在800部しか発見されておらず、うち650部が研究されてきた、などと紹介されている。

 ディプロマには、発行日の皇帝護民官職権回数、執政官名、属州総督名、同時に一括発行された補助軍名(4−25記載の例あり)が記載されているので、当時の各州の補助軍配備を知る重要なデータだった。受領兵士個人の記録としては、所属連隊名、連隊長名、受領兵士の階級、姓名、出身地、妻の名前とその父の名前と出身地、市民権を得た子供の名前が書かれていた(基本本来現役中に持てなかったはずの妻や子をめぐっての詳細については、とりあえず以下参照:http://www.romancoins.info/MilitaryDiploma1a.html)。

Filed under: ブログ

コメント 0 件


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Comment *
Name *
Email *
Website

CAPTCHA