首都ローマの集合住宅跡:遅報(78)

 古代の都市ローマでアウレリアヌスの城壁で囲まれている領域は、ほぼ直径8km程度で、要するに二時間程度、東西とか南北を縦断して歩けばフォローすることができる環状、もとえ勘定となる。そんな中で、しかし2000年を経て古代ローマの庶民生活を彷彿させる遺構はすでに現代首都ローマではそう残ってはいないのだが、カンピドリオ丘の西麓に、当時庶民も居住していたはずの賃貸住宅、すなわち「アラ・コエリの集合住宅」Insula dell’ara Coeli がひっそりと保存されている。これは、1929年から1933年にかけてムッソリーニが国威発揚のため大規模な都市再開発で、カンピドリオ丘の西側斜面にあったルネサンス様式の建物を解体した時に、古い教会の下から再発見されたものだ(他には、Casa Cristiana、taberna delle Tre Pile、Caseggiato dei Molini、Balneumなど)。ただ、ヴィットリオ・エマニエル二世記念堂とサンタ・マリア・アラ・コエリ教会へのあの急な階段の設置時に、この集合住宅の一部が破壊されてしまったのは、残念と言うよりほかないだろう。

 現在の地面の9m下から、4階までが残っているが、元来は少なくとも5階はあって、約300〜380名の住民を収容していたとされている。ほぼ垂直な斜面を利用して建てられているので、3階まではそんなに奥行のない構造だったようだ。4階は若干平地が広がり、そこにあたかも奴隷部屋を彷彿させる11の独房風の部屋が確認され、カンピドリオという場所柄興味深い、というか、以前書き込んだ「ダウントン・アビー」との類似が見てとれる。

、横断面図;写真は、北から写したもの

 まあカンピドリオという特等の立地を考えれば、高級マンション(コンドミニウム)というべき存在だったからこそ残り得たともいえる。その意味で、典型的庶民のインスラはやはりむしろオスティアで確認されるべきかと思われるかもしれないが、しかし、オスティアは帝都ローマの外港という特殊事情もあって、いわば皇帝直轄領的扱いを受けていたと考えると、本当の庶民のうらぶれた集合住宅はもはや跡形もなく消え去ってしまったとするのが至当であると思わざるを得ない。

、エウルのローマ文明博物館の模型;、地階と中二階までが現在の地面の下になる

 この建物は紀元2世紀建設とされていて(上から下までレンガ構造)、現在許可なく内部の見学をすることはできないが、幸いにも、2014年6月にレザー・スキャンが完了していて、それがウェブにアップされたのは2015年2月だった。それが以下で、上手に編集されているので、臨場感をもって一見の価値がある。https://vimeo.com/109825918;他にも、この箇所の時代の経過を分かりやすくアニメ化したものや、見学用の説明などもある。https://www.youtube.com/watch?v=qRt5Swtih_E;https://www.latinacittaaperta.info/2021/05/14/archeotour-linsula-dellaracoeli-mini-video-conferenza-2/

うらぶれた集合住宅想像図:上階の実際はもっとひどかっただろう

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