古代ローマ男子専用トイレ:Ostia 謎めぐり(6)

 現地調査は休暇の都合で例年真夏となる。私にとってOstia antica遺跡が主要研究対象になって以来、とにかく現場に転がっているオリジナルな宝を求めて歩き回るのを信条に、というのも遺跡に不可欠な考古学や建築・土木の知識も皆無だったので、無手勝流でいくしかなく、「犬も歩けば棒にあたる、豊田が歩けば遺物にあたる」と念じつつ、猛暑の午後も遅くなると半ば朦朧として遺跡内を彷徨するのが常だったが(遺跡内レストランで14時頃の昼食時にいつもビール飲んだりするせいでもあるが (^^ゞ)、さていつごろだったか、たぶん早々と妙な構造物をみつけていた。それが私にとっての、古代ローマ時代の男子専用立ちション・トイレ開眼の瞬間だった。

 場所は、遺跡群の北西端といっていい「ミトラスの浴場」Terme del Mitra(I.xvii.2:その先には旧河口にあった宮殿以外ほとんど未発掘)。ここは1939-40年に発掘され、創建はハドリアヌス時代で、セウェルス朝時代と四世紀第1四半世紀に改造されたことがレンガ積みによって判明している。現況でみると、南北に細長いこの箇所は地上に浴場とキリスト教教会堂の遺跡が相前後して広がり、西外側地下にはミトラエウムがあってミトラス神のもっともらしいレプリカ像が置かれ(本物は遺跡内博物館に展示)、これらすべては通常の見学者でも見ることができる。逆の東側地下は南北の通路となっているが、こっちには許可なしでは入れない。

右写真の中央が東西通路の入り口で、すぐ右にそこから北への通路出入り口が見える
後述のNielsen & Schiøler, Fig.1による現況の地階=一階平面図:中央から左が浴場部分、右が教会部分、それに手前の壁体2列は地下構造と連動して地下では南北の通路となっている;なお、本構造体の西外側の左上のL字型は公共トイレ、その右手地下にミトラエウムが位置する

 しかしなかなか複雑な構造体なので、細かい施設の意味は当時の私には不明だった(後日、その理由が分かった。ここは一階=地階だけを見ている限りダメで、地下と上階を含めて初めて理解できる構造なのだっ)。だがそれだけに私にとって興味深い遺構であることも確かだった。東側の南北の道(ミトラス通り)から南寄りの、西へと建物を横断する通路に入ってすぐ右側に、北に向けての入り口があるが、現在では鉄格子があってそちらに進入はできなくなっている。

 その右壁の床に大理石製とおぼしき奇妙な構造物がある。さてそれが何なのか、排水口でよく見る切れ口の穴があり、屋内での壁際でもあるので、ひょっとしてとの思いは最初からあったが、本当に思い付きのレベルなので口には出せず、これが積年の課題だった。この狭い空間、逆方向も鉄門で閉鎖されていたが、鍵さえ開けてもらえれば進入できる感じだったので、そのころ遅ればせながらようやく見つけたほとんど唯一の先行研究文献(Nielsen,I. & Schiøler,T., The Water System in the Baths of Mithra in Ostia, in:Analecta Romana Instituti Danici, 9, 1980, pp.149-159+plate)を把握した上で、2016年に管理事務所の許可を得て開けてもらった。以下の写真がその時のもの(同時に、堀教授グループのレザー測量も入った)。

左、鉄格子越しに通路の北方向をみる;右、内側から南端部分をみる:右排水口付近に注目

 床に長年の土砂が堆積していたので、それを取り除いてみると、白色のモザイク舗床が微妙に凹になっていて(上掲写真では巧まずして、鉄格子の影でそれとわかる)、しかも南端のトラバーチン製敷居の下部に排水口とおぼしき穴が開いていることも判明。これは思わぬ収穫だった。要するにこの場所が水を使う場所であることの傍証だからだ。なお、見方によれば穴が2つ見える。ひょっとすると右上のそれは、掃除の際に栓を抜くと水が流れ出る仕組みだったのかもしれない(cf., Nielsen & Schiøler, Fig.10:但し、彼らはその左の排水口については無視しているようだ)。

上が実写、下が構造断面図(cf.,Nielsen & Schiøler, Fig.11)

 さて、件の構造物である。材質は大理石か。縁が若干高くなっていての凹面に都合5つの穴が開いている。両脇2つが花片状切れ込み、内側2つが単純な丸型、中心の大きな穴はどうやら破壊された痕跡が認められるので、花片状だったのかもしれない(そこで左右に割れてもいる)。これらの穴で上からの流水を受け止めて、下のたぶんテラコッタ製の箱に流し込んでいたのだろう。この箱状の中の現状は枯れ葉や土砂が詰まっていて、私にはついに未確認のままなのだが、左隅に、溜まった液体を下に導く土管の穴が開いているらしい(以下参照)。Fig.11の断面図への我々の実測を記しておくと、上蓋部分は縦39cm、横185cm、穴の形式は大3と小2が交互に配置されていて、直径はそれぞれ20cm(中央15cmか)と12ー13cm(排水口自体は直径5cm)。深さはスケールを差し込んでの概算で36cm。小の排水口は単純な丸型だが、大のほうは、遺跡でもその気になればよく目撃される花片状の切れ込みが、この場合は6箇所入っている。Ostiaにはそれとちょっと異なった「丸に逆三つ巴」といった意匠の下水の上蓋なども見られる。

左はDomus del Protiro(V.ii.4-5):たぶん墓石の再利用品;右はよくある菱形三切込型(Terme del Faro:IV.ii.1)

 そうこうしているうちに、トイレ関係の色々な文献を目にすることができるようになってきた。イギリスのリタイア医師Barry Hobson氏(残念ながら氏の生年月日はウェブで見つからなかった。ご存知寄りからの提供を待つ:辛うじて以下から写真は得た:https://www.blogger.com/profile/10361942168808542040)、アメリカのAnn Olga Koloski-Ostro女史(1949- )、オランダ人のGemma C.M.Jansen女史(1963-)たちである。こうして私は自分の直感を信じていいことの裏打ちを得た。このように私の場合、まず現場があって、そこで浮かんだド素人の疑問を解決すべく文献調査に向かう、という段取なのであるが、それが実を結んだ希有な例であろう。

Barry Hobbson、    Ann Olga Koloski-Ostro、   Gemma C.M.Jansen

 ところで以下は参考資料。サルディニア島のCagliariの「全国社会保険公社」INPS改築時発見の洗濯工房fullonicaの床モザイク。銘文は「M(arci) Ploti(i) Silisonis f(ilius) Rufus」(マルクス・プロティウス・シリソネの息子ルフス)。おそらく同工房の所有者名と思われるが、fullonicaの必需品の男性用立ちション・トイレを図案化したものと想像。

 さて本筋に帰って、テラコッタ部分の左底の導管の下部はどうなっているのか。

 上記の図、Nielsen & Schiøler, Fig.12は、Fig.1のA-Aでの東西断面図である。左端がトイレとその部分拡大図、そして浴場湯沸・暖房構造、右端が地下のミトレウムである。部分拡大図を見ると、地下通路に導管が伸びていて、そこにはもとアンフォラが置かれていて、尿が集められたと想定されている。そしてそれは地下通路を北のfullonicaに運ばれて使用された。筆者はその構造を現地でつぶさに確認することができた。

地下構造図(九州大学・堀研究室提供):右端下のΓ字区画の2箇所「Full-1,2」表記が洗濯作業場
左、見つけたぞ!導管開口部;右、それにライトを当ててみた

 地下部分は一般的に奴隷の作業場であり、ここのfullonicaも劣悪な作業環境だった(オスティアには地階=一階部分でのfullonicaは別に数軒確認されているので、何を好んでの地下設置だったのか、私には疑問となっている:https://www.ostia-antica.org/dict/topics/fullones/fullones.htm)。しかも私ですら幾度も頭を天井についぶつけたほど、なぜか低く、大の大人よりも子供奴隷がもっぱら投入されていたのかもしれない、とは実感であったし、道路沿いを除いては自然光源も届かず暗闇の世界なのである。

左、こっから入った;右、内部の天井はこんなに低い
左が上図でのFull-1、右がFull-2:作業場は、ここも天井は低くとても狭苦しい:かなりの臭気を発したはずなので、劣悪な作業環境だったと思われる

 こうして、立ちション・トイレがおのずとfullonica研究につながってくるわけである。となると、ポンペイ出土のフレスコ画に触れておきたくなるのも人情というものだが(但し、もう遺された時間がないので、fullonica研究は後進に譲っておこう:とりあえず以下参照、Miko Flohr, The World of the Fullo:Work, Economy, and Society in Roman Italy, Oxford UP, 2013)、私はこれを所蔵場所とされていた国立ナポリ博物館で探していたのだが、偶然まったく予想外の部屋でみつけることができた。これについてだけ紹介する機会を持ちたいが、そこでも子供の作業員が描かれていて示唆的である。

 閑話休題。ところで、この階段下に構築された小空間がトイレだったことは、階段の3段目に換気のための穴が穿たれていることからも明らかかと思われる。そして2017年に、筆者は意を決してこれをよじ登って階段を上がってみた。そうすると、上階の左右になんと貯水槽を確認できた:もちろんそのための地下貯水槽から上階への揚水装置も2段構えで併設されていたわけであるが、今はそれに触れる余裕はない(cf., https://www.ostia-antica.org/regio1/17/17-2.htm)。そこに登って大規模な仕掛けが工夫されていることを、私はようやく実感をもって理解できた次第である。高所揚水の利点は、いうまでもなく重力を利用しての配水の便にある。

左、高台から撮ってみると階段は踊り場を経て更に上に伸びていた;右、下の階段の3段目の下に空気穴が開いていることが確認できる。これは同時に光源にもなっていたはず。

 それにしてもこの階段は途中から上に伸びていてなんとも奇妙な外階段である。しかし歩道に数段分伸びていたとしたら歩行者の邪魔になるし。最初は関係者以外が登れないようになっていて、たぶん利用時に木製の踏み台が設置されたのであろうと思っていたが、同じ通りに面した北側でこれまた奇妙な構造物を見つけてしまったので、この仮説はあっけなく撤回となった。ま、素人の淺知恵でありんした。

北側の階段構造の遺物:中空構造なのである

 要するに、この壊れた遺物はローマ時代の階段の構築方法のひとつを示してくれているわけである。そういえば南のそれにも歩道にわずかだが一段目の踏み台のトラヴァーチンが残っている。この階段構造の類似物はフォロ・ロマーノのアントニヌス・ピウスと妻ファウスティナの神殿の階段でより大規模に目撃できる。

Tempio di Antonino e Faustina:左、復元想像図;右、遺跡ならではの現況で構造丸見え

 さらに、この件で写真を見ていて色々気付くことあった。私には歩道に見えていたものがどうやらそうではないこととか、その「歩道」はこの浴場の北端まで延びておらず途中で途切れていることとか、その「歩道」の下のところどころに穴が開いていることとか。

南から北を見る:「歩道」の下の穴に注目。たぶん光源や空気穴かと

 下の写真のほぼ中央部に件の階段構造遺物。たまにはいつもと逆の視点で見直してみると思いがけない発見をすることもできる。なにごとによらず正面玄関からばかり見ていると実態を見逃しかねないわけだ。いやあ、なかなか難物だが実に興味深い構造体である。

北から南を見る:「歩道」の路肩が途切れている?;そういえば道の対面にはそれはまったくない

【備忘録】もうひとつ、男子専用立ちション・トイレが確認されている中部イタリアのMinturno遺跡について触れる機会を得たいものだ。ここには写真だけ掲載しておくが、例のJansen女史の論文もある。Gemma Jansen, in: a cura di Giovanna Rita Bellini e Henner von Hesberg, Minturnae.Novi contributi alla conoscenza della forma urbi, Edizioni Quasar, Roma, 2015, pp.129-138.

壁に向かって石畳の道路に設置されている。ここでは下部構造は確認されておらず、今となってはなんとも希有な例である(私的には壁の穴も気になっている)

 上階トイレの総まとめや、そうそう、トイレの宝庫、Piazza ArmerinaやVilla Adrianaにも触れなきゃ。さてさて私に残り時間はどれほどあるのやら。学部演習で完訳した以下の内容も紹介したいものだ。B.Hobson, Latrinae et Foricae:Toilets in the Roman World, London, 2009.

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