漱石とあばた(痘痕):遅報(49)

 感染症でググっていたら、以下で、夏目漱石(1867-1916:49歳)が3,4歳頃の種痘の失敗であばた面の持ち主だったことを初めて知った(2020/5/24)。小森陽一「夏目漱石と感染症の時代:『吾輩』の主人・苦沙弥先生はなぜ「あばた面」だったか」https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020052200006.html;佐藤博「生誕150年・夏目漱石は病気のデパートだった・・・PTSD、パニック障害、糖尿病、胃潰瘍」https://biz-journal.jp/2017/04/post_18711.html

 これはけっこう有名な話だったらしく、彼のイギリスでの3大劣等感のひとつとされている(他の2つは、英文学者なのに英会話はきわめて苦手、イギリスでは短躯:158cm52kg:「倫敦に住み暮らしたる二年はもっとも不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあって狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あわれなる生活を営みたり」『文学論』序)。昔読んだとき、そんな箇所私はすっ飛ばしていたのだろう、全然記憶にない。しかしそれにこだわって彼の書いたものを読むと、当時のイギリスにおける人種差別にまで考察が至ることができるわけだ。

は晩年、が大学予備門時代、写真の傷のように見えるが、両者でその位置が共通しているし、彼の写真はだいたい左側を正面に見せているのも気になる

 それはともかく、彼の写真はあばたがきれいに修正されているのだということも、初めて知った(見合い写真は言うまでもなく、切手や昔の千円札でも)。ちょっとウェブ検索しても明確にそれらしい写真はみつからなかったが、ロンドンでもじろじろ見られたというからにはかなりのあばた面だったに違いない。とはいえ日本ではそのころこんな感じ↓の人は珍しくはなかったのだろうが。

幕末の通弁御用役・塩田三郎、1864年撮影

 そういえば「あばたもえくぼ」っていうことわざもあったっけ。当時鉛をいれたおしろい(鉛白粉)が女性の化粧に使われていたが、それだとあばたがきれいに隠せたそうだ。ただし「引きずり痘痕」になるとそれも無理だったが、とのこと(https://www.isehanhonten.co.jp/wp-content/uploads/2019/10/vol47.pdf)。どんな傷だったのか見てみたい気がするが、ぐぐっても出てこない。

この宣伝ってどう考えても嘘くさい。右に細工しての左だろう、ぜったい

【補記】こんな漱石観もあるようだ(2021/6/15):筒井清忠「初めて「漱石神話」を解明した書:夏目漱石と帝国大学」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/23099)。とにかく脱神話化はけっこうなことだ。立身出世主義とか蓄財とか、明治人なら当然のことではあろうが、なにしろ彼は49歳で死亡しているのだから残される家族のこと思っていたのはよくわかる。とはいえ、私なども感激した「則天去私」と異なる実像を知ることはいいことだ。

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