ニコメディア出土のレリーフ:遅報(41)

 小アジア半島の北西端に位置するニコメディア(現在名イズミット)は、テトラルキア体制の上級正帝ディオクレティアヌスが自らの都に定めた場所であるが、なぜかこれまでめぼしい遺跡に恵まれず、他の諸皇帝の首都(トリーア、ミラノ、シルミウムないしテッサロニカ)に比べて、もの足らないものがあった。21世紀に入り、市内中心部のチュクルビク地区のビル解体時に地下に眠っていた遺跡が発見され、2度(2001,2009年)の緊急発掘にめぐまれ、そこからかつての煌びやかな帝都にふさわしいディオクレティアヌス時代の多色レリーフや立像が出土した。ニコメディアはかの時代、大理石の集散地で、主としてマルマラ海に浮かぶプロコンネソス島産や、ニコメディアの南東200kmのフリュギア地方のドキミオン産大理石を扱っていたが、今般の出土品はプロコネンソス産。出土品はレリーフ30以上、少なくとも4体の巨像の諸断片、1ダースほどの建築資材であった由。

右平面図の黄土色が、ビルに取り巻かれた発掘地点で、黒点箇所からレリーフが発見された:まず下方、次いで上方、だったのだろう

 まだ悉皆的な紹介・報告はなされていないようだが、もっぱら報道され目を奪うのは、何らかの歴史的場面を描いた諸レリーフで、軍事遠征、戦闘、捕虜の移送、凱旋式、将軍たちの会合が描かれていた(といっても、公表されているのは、ここで示したものに限られている)。ヘラクレス、アテネ、ローマ、ニケないしウィクトリアといった神々は持物(「じぶつ」と読む)によって容易に判別可能で、また、剣闘士競技、戦車競走、劇場での演劇など、ニコメディアの人々の日常生活も描かれている由。いずれも完品の出土ではないが、部分的に着色がまだ残っているほど保存状態は良好である(劣化を防ぐため保存処理中で、現在非公開)。私の印象では、人物の描き方が後期帝国に顕著な静的で冷厳な様式からはかけ離れていて、むしろ帝国東部の緻密で繊細なモザイク表現に似かよった親しみやすささえ感じてしまう。たとえが変かもしれないが、肩肘張らず一本力が抜けた感じの造形なのだ。

入城式adventusでの、中央に女神ローマ座像、手に女神ニケ像、左右両端はトガ姿の市民たちか(少年もいる)

 2001年の発掘をもとに当初は、後2世紀末のセプティミウス・セウェルス帝関係の戦勝記念物と想定されたが、2009年の発掘結果により、ディオクレティアヌス時代がらみ(後284-330年の間)の戦勝記念物で、ただ、幾つかのレリーフはより以前の建造物の再利用や奪取spoliaによるせいで、より以前の表現形式が見られる、と分析された。注目すべきは、幾つかのレリーフがテトラルキア時代の芸術で基本となるモチーフが表現されていることで、その代表例が以下である。これは2009年に発見されたレリーフで、中央にひときわ大きく二名の人物が描かれており、彼らは、玉座が設えられた4頭立4輪馬車carrucaから降りて歩み寄り抱擁しているので、この二人をディオクレティアヌス帝とマクシミアヌス帝と特定して同定することも可能であろう。ならば、テトラルキア以前の二皇帝diarchia時代(後293年以前)の場面を表していることになる。となると、コンスタンティヌスのアーチ門(315年落成)に先立つこと20数年前、テッサロニカのガレリウス凱旋門(303年落成)に先行することわずか10年ほどの作ということになり、必然的にそれらとの比較が可能となるはずである。とりわけ風雪で摩滅が甚だしいガレリウス凱旋門上のレリーフの復元の参考になるであろう(ここでは詳しく触れないが、同時代の画像として、エジプトのLuxor神殿内のフレスコ画、スペインはCentcellesの天井モザイク画、シシリー島のVilla Romana del Casaleの床モザイク等との比較研究は心躍るものがある。これらのいずれについても現地訪問も果たしているのだが。問題は私に残された時間である・・・)。

1枚のレリーフはおおむね高さ1m、幅1.5m

 ところで、これがなぜディオクレティアヌス時代の基本的モチーフなのかというと、以下のヴェネツィアのサン・マルコ聖堂前の四帝立像や、ヴァチカン図書館所蔵の二帝立像(いずれも紫斑岩製)がどちらも抱擁の挨拶を交わしていて、それによりテトラルキア体制でのスローガン「一致 concordia・一様 similitudo・友愛 fraternitas」が強調されているからである。この件は貨幣その他のデザインとも通底しており、いずれ詳しく比較検討したいテーマではあるのだが、その時間が残されているかどうかは神のみぞ知るなので、ここでも興味深いネタが転がってますよと、若い後進にお知らせしておこうと思う。

左からヴェネツィア、ヴァチカン、ニコメディア:比較してみると、右端の緻密さは圧倒的だ

 なお、色彩が鮮やかに残っているので、発掘プロジェクト責任者のTuna Şare Ağtürk博士などは、建築後そう時を経ず、おそらく358年に当地を襲った大地震でこの記念建造物が破壊されてしまったのであろう、と想定している(http://archive.antiquity.ac.uk/projgall/sare346;https://www.jstor.org/stable/10.3764/aja.122.3.0411)。屋内の展示であればその仮説も可能かもしれない。私はそれ以上に、コンスタンティヌス王朝時代の意図的破壊や、コンスタンティノポリス建設材料に回されてしまった可能性ありかもと、想像しているがどうだろう。

Tuna Şare Ağtürk博士:生誕年不明

【参考図版】

① Luxor神殿内のフレスコ画:

② Centcellesの天井モザイク画:https://www.mnat.cat/en/monumental-complex-of-centcelles/

上図のように四人の玉座が描かれている;下図での人物像表現にも注目したい

③ Villa Romana del Casaleの床モザイク:https://www.piazzaarmerina.org/villa-del-casale/la-villa-del-casale

皇帝と目されもする人物たち:左中央がマクシミアヌス、右中央がマクセンティウスと想定説あり

④ テッサロニカのガレリウス凱旋門:http://galeriuspalace.culture.gr/en/monuments/kamara/

上部中央のトガ姿の4名がテトラルキア・メンバー:中央着座の2名の左右に月桂冠を捧げる有翼のアモル
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