315年打刻Ticinum銀貨補遺

 あれからもう7年経ったのか。上智大学文学部史学科編『歴史家の窓辺』上智大学出版、2013年で、「歴史研究は刷り込みとの闘い:後315年ティキヌム造幣所打刻「記念」銀貨をめぐって」を書いてから。この歳になるとすでに過去の時間感覚は曖昧で混濁している。

 この銀貨は現存が3例のみで、当時その所蔵博物館に連絡をとって画像の掲載許諾を求めた。ドイツの国立ミュンヘン貨幣博物館(M)とオーストリアのウィーン芸術歴史博物館(W)からは迅速に許可が帰って来たが、ロシアの国立エルミタージュ博物館(E)からは音沙汰なしで、それもあって貨幣の表裏両面掲載写真も1930年代のものしか入手できず、不満が残っていた。

 昨日、美術史の後輩から教えてもらった以下の本が届いた。Idler Garipzanov, Graphic Signs of Authority in Late Antiquity and the Early Middle Ages, 300-900, Oxford UP, 2018. パラパラとめくっていたらその55ページに、なんとコインの表側だけにせよEの予期以上に鮮明な写真をみつけたのである。そのキャプションには、登録番号(inv.no.OH-A-ЛP-15266)まで明記されているではないか。スキャンしようとして、ふと思いついてググってみると、あっさりウェブ画像にもうアップされていた。それが以下の写真の上図右側で、中央はいつでも出てくるMである(博物館のHPに登場しているのであたりまえであるが)。左のWは摩滅で細部が不鮮明であるが、今回のEとの比較から、特に馬のたてがみや兜の羽毛飾りや皇帝の髪、それにぐっと下を見据え、顎を引いた細面の顔全体の表現の仕方から、おそらくEとWが同一金型だった可能性が強くなったように思われる。もちろん更に、裏側の詳細な比較検討が必要なことはいうまでもない。裏面の鮮明な画像の所在をご存知の方からの情報提供を期待している次第である。

W                     M                    E

 この機会に、小論執筆時みつけて言及しておいたフェイク・コインも掲載しておこう。

 ところで、それを探すためにHDiskをチェックしていたら、これらのコインを論じていた2014年3月段階のウェブ書き込みからのスクリーンショットをみつけた(https://www.lamoneta.it/topic/120825-dubbi-sul-medaglione-con-cristogramma/page/2/?tab=comments#comment-1373743)。その中にすでに上のEも入っていた。こんな調子だから、やれやれだ。かくしてこの最新ニュース(のつもりだったが)は、「遅報」であり,同時に私の「痴呆」状況を示す報告となった、という落ちがついてしまった。

 さて、これらのコインのテーマ、改めて論じる機会を持てるだろうか。もうないような気がする。

【コイン市場に第4番目が登場していた!】https://www.numisbids.com/n.php?p=lot&sid=2518&lot=1051

オークション出品なので、以降Aと略記

 他の件でコインをチェックしていたら、とんでもないものにぶつかった。業者はNumisBids、オークション は2018/5/9-10、業者評価額は25万スイスフラン、落札価格もその価格、ということは、言い値で競争相手もおらず落札されたということだろう。日本円に換算すると、2825万円。この時のオークション1626ロット中、断トツの高額だったのもぬべなるかな〜。どこのどなたの手に渡ったことやら。

 簡単にコインの表側をチェックしてみたが、こちら側はMとほぼ同一金型と見た。裏側でも、WとEでは皇帝の左側に小さく描かれた人物が介在するが、Mにはそれがない。しかしこれほど保存状態がよければ、巧妙な贋物でなければいいが。というのは、裏側の皇帝像の腰巻き風な描き方(Mだと明らかに胴鎧)に私は激しく違和感を感じざるを得ないからである。さらに、騎兵や皇帝の背後の人物(ないし女神像)などの細かい描写が微妙に異なっており、さらに刻印も「PVBLIC AE」と分かち書きしておらず、それはWとEの特徴である。まあこれらは工房における違いといえば言えるのだが。

Filed under: ブログ

コメント 0 件


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Comment *
Name *
Email *
Website