先達の足跡:(4) 弓削達『ローマはなぜ滅んだか』

 我孫子での読書会で今読んでいるテキストである。一回に50ページくらい進む。前のテキスト(ヨセフス『ユダヤ戦記』)が絶版で高かったり購入できなかったりしたせいで、受講生から「安いのにしてください」と言われ、アマゾンで1円プラス郵送料で購入できるので、これを選んだという裏話もある。

 何せ1989年初版の、30年前の古い本なので、糊が剥がれやすく、少々力を入れてページを開くとベリッと剥がれてばらばらになってしまう消耗品なので、今回のために2冊購入した。読書会2回目の準備ですでに一冊目はばらばらである。この調子だともう一、二冊押さえておいた方がいいかも。

 しかし内容的には、未だ消耗品ではないことを再確認している今日この頃である。弓削先生が一般向けの本書で読者に語りかけている内容の高度さを痛感し、さて私は出版当時、本当に彼を理解していたのであろうかと、つくづく反省する昨今なのだ。もちろん私なりの「えっ、先生それでいいのですか」と突っ込みを入れたくなる箇所がないわけではないが、それを凌駕する質の高さと弁術の冴えに酔いしれていることを正直に告白しておきたい。

 彼の筆法の鋭さは、たとえば以下に示されている。ローマ帝国の経済構造を論じる場面で、商工業に対する農業の優位を論じて、「そのことは農民一般が豊かであったことを意味しなかった。むしろ反対であって、ほとんどの農民は常に飢餓線上を彷徨する貧農であったが、それにもかかわらず、農業という生産部門への関与ということがもつ社会的威信は、商工業者が容易には得られない社会的権威であった。商工業者も一般には農民と同様に、貧窮状態にあるうえ、かりに致富しえても都市支配者層にはなれないという社会的差別の中に置かれていた」(pp.67-8)と,差別社会の実態と矛盾を赤裸々に指摘した後、「それにもかかわらずローマ帝国の経済的繁栄が、広大な帝国内外を通じての商業取引と貿易にあったという印象を与えつづけて来たとすれば、それは、アレクサンドリア、オスティア、エペソス、アクイレーヤ、カルタゴ、アルル、リヨンのような、数えるばかりの少数の港湾都市、河港都市の花やかな経済活動に眩惑されたからにほかならない」(p.68)と、ばっさり都市伝説的な古代ローマ帝国繁栄論を一刀両断してみせる手際の良さは見事というほかないだろう。いわずもがなの駄弁を弄するなら、一,二世代のちの研究者がそのような認識を共有しつつ、たとえばオスティアの繁栄と富を論じているのか、はなはだ疑問なのであ〜る。

 もっとも、貪欲な読書会メンバーの方々は、すでにその後の酒池肉林のほうに目を奪われてお読みになっているようなのであるが (^_^;

 弓削先生の面白いところは、あやしい数字でもとにかく出してくることである。それが臆面もなく発揮されているが第4章「経済大国ローマの実体」で、そこでの数字を私は授業でもカルチャでも使用してきた。これはこれで面白いのだが、それを現代に応用する姿勢が、最近なぜかマスコミで希薄になっていることに気付かされたのは、以下のウェブ情報だった。https://www.mag2.com/p/news/424962

 これだけではない。森本問題、加計問題・・・。必ず権力は腐敗する。権力とはそういうものである。その認識を常民は常に持っていなければならない。

【追伸】毎日新聞に続報が。これはお金を払ってでも読む価値があるだろう:桜を見る会、新たな疑義「首相枠と官邸枠14年3400人→19年2000人に減少」https://mainichi.jp/articles/20191126/k00/00m/010/325000c?fm=mnm&pid=14606

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