最後の被爆者:いつかニュースで:飛耳長目(12)

 2019/8/17深夜、とんでもない朗読を聞いてしまった。私としたことが、本当におくればせもいいところだが(なんせ、原爆投下2年後の1947/8/9広島市生まれの原爆二世)。NHK Eテレ特集「少女たちがみつめた長崎」で、知った(再放送は8/21深夜予定)。林京子『やすらかに今はねむり給え』(講談社、1990年)の、「あとがき」にあるらしい。著者は1930-2017年、86歳で死没。

左写真:長崎県長崎高等女学校3年(14才)で学徒動員中、三菱兵器工場で被爆

   「今日、広島・長崎の、最後の被爆者が死にました」。二十一世紀のいつの日か、こういう記事が、新聞の隅に載ることでしょう。見出しが大きくとも、小さくとも、その日が平和であるのを願うのみです。

【追記】林京子がその作品中でなんども引用している「工場日記」2冊は、高女の引率教員3人が書いていて、その一人角田京子の遺族が保管。それが長崎原爆資料館に寄贈されたのは、2017年9月のこと。林京子は彼女の教え子だったので、それ以前にそれを見せてもらっていて作品中に参照引用していたことになり、創作でなかったことが判明。【同様に、文中で引用されていた同学年生だった山口美代子と吉永正子らの手記も、実在していて、テレビでも紹介されていた:参考せよ https://mainichi.jp/articles/20190809/k00/00m/040/334000c】

 生前、福島原発事故に際し、林京子は「日本人は結局なにも学んでいなかったのではないか」といい、彼女の思いを継承しようとしている作家・青来有一が「書いたものを読んでくれるのは、被爆についてすでによく知っている人たちで、でも、本当に読んでほしい若い人たちは、またあの話かと、なかなか読んでくれない」現実があると言っていたのが、実に示唆的だった。

 8/16深夜には、後半だけだが、映画「ひろしま」を見た。戦後7年目に当時の日教組が製作したもので、一種の臭さと群像を多用するわざとらしさが漂っていたが、まあ収容施設での被爆者のぼろぼろの姿なんかはリアルなんだろうな、と思いながらみた。許せなかったのは、登場人物がそろいもそろって東京弁だったことだ。きつく響くその違和感はいかんともしがたい。

こんなに顔がきれいなわけもなし。髪も逆立っていた、いや燃えていたはず

【追記2】埋もれてきた戦争孤児たちの戦後史(2017/8/13):https://www.youtube.com/watch?v=L0A1i1ddSlY;https://digital.asahi.com/articles/ASK7Z4CHWK7ZULZU006.html

 そういえば、NHK総合の朝の連続小説「なつぞら」もそれ扱ってましたね。厚生省あたりの統計では12万3千となっているが、それは生き残った数にすぎない気がする。おそらく誰からも見捨てられて餓死した孤児たちはその数倍はいたのでは。

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