オランダで新約聖書関連の新銘文発見?:cohors II Italica

https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/2019/07/inscribed-roman-road-marker-found-in.html#Tl8zOm57yVzwEmEp.97

 昨年の9月に、オランダのLeiden・Katwijk間をつなぐRijnland Route自動車道路工事中にValkenburg近くで125mのローマ道が発掘され、そこから合計470本の木材の柱が出てきたが、そのひとつから「COH II CR」と彫られた銘文が発見され、このたび公表された。

(https://www.dutchnews.nl/news/2018/09/roman-road-artifacts-found-during-digging-for-a-new-motorway/)

 年代は後125年頃の由。発掘者によってこの銘文は「Cohors II Italica Civium Romanorum」(ローマ市民たちのイタリア第2大隊)を示していると考えられているようである。碑文ではVoluntariorumが付く場合もあるので、「志願者のローマ市民たちのイタリア第2大隊」というのが正式名称というべきか。とはいえ部隊名確定のポイントとなる「Italica」が今回の場合ないので、さて。cohorsは一般的に500人強の規模だったようなので、ここでは「大隊」という訳を当てておこう。

 なぜこれが話題になるかというと、キリスト教がらみだからである。新約聖書の「使徒行伝」10.1に「カイサレイアにコルネリオスという名前の男がいた。イタリア隊と呼ばれた部隊の百人隊長である」(1)とあるからに他ならない。この部隊についてはこれまで色々論じられてきたが、一般にこれまで安直にそう想定されてきたローマ正規軍たる軍団legioについての通説(共和政的イタリア半島的視点)とは異なって、帝国東部では、ユリウス・クラウディウス朝期からすでに必ずしもローマ市民権を持つ兵士によって構成されていたわけではなかったと考えられている。ちょっと考えてみれば当然のこと、東部にローマ市民権保有者は少なかったのだし、まあ江戸時代の旗本株を購入して、といった裏技もあっただろうし。すなわち、部隊の主体兵士は属州で徴募され、であれば今の事例も正規軍団の分遣隊と解することも、補助軍auxiliaであった可能性も生じてくるはずだ。要するに、帝国東部では一般軍団兵士はローマ市民権を保有していない属州民、とりわけ社会的上昇に意欲的だった解放奴隷からなっていたのが現実と思われるが(私は西部でも、市民権の売買や養子といった抜け道もあって、いかにもイタリア的に大いに活用されていたと想像している)、また補助軍の場合、おそらく指揮官や上級将校には正規軍団あがりの退役兵(ローマ市民権保有者)が再就職していたかもで、もしそうだったとしたら現代と通底する実情となっていて面白い。逆に、イエスの生涯などを描いた映画では、えてしてローマ正規軍団兵として登場している在ユダヤ・ローマ軍分遣隊の実態は、この補助軍だったと考えるのも一興であろう。ま、だからこそ本来非軍団駐留属州のユダヤの地にコルネリオスがいることができたわけである(cf., ヨセフス『ユダヤ戦記』II.13.7:カイサレイアの地の部隊の大半はシリアから徴募した者たちだった)。

 というのも、ヘロデ大王以後第一次ユダヤ戦争にいたるまでに、カイサレイアのユダヤ駐留ローマ軍部隊は、シリア駐在のローマ軍団の分遣隊で、具体的には一騎兵大隊(ala I Sebastenorum)と5歩兵大隊(少なくともその1つがcohors I Sebastenorum)の総勢三千で構成されていたようだからだ(ヨセフス『ユダヤ戦記』II.3.4)。これについてはやはり新約聖書に平行記事がある。それが「使徒行伝」27.1で、イタリアに出航するとき、パウロとほか何人かの囚人がセバステ部隊の百人隊長でユリウスという名の人物に委ねられた(2)。しかし逆にそれを補助軍からの分遣隊と見ることも可能のはずである。上記2史料でシリアとセバステと異なった地名・名称が登場しているが、整合性をとる立場からすると、シリアで徴募され大隊名がセバステ[このギリシア語はラテン語のAugustaの翻訳とみる説と、サマリアの地名セバステとする説があるようだ;但し、その語源はご同様にアウグストゥスではあるが]だったと考えておこう。いずれにせよ当然その運用指揮権は実質的にユダヤ総督が持っていたはずである。

 もしこの新約聖書での部隊が今回出土銘文のそれと同一だとするなら、大変貴重な発見で、同時に彼らの移動距離が従来よりも相当広範だったことになるが(たいたいが、シリア方面だったが、オーストリア東端のカルヌントゥムから碑文が出土している(3))、しかし、今回出土の銘文は単に「COH II CR」なので、新約聖書の部隊と同一と考えていいのか、現段階ではやはりちょっと首をかしげておいたほうが無難なのかも知れない。続報を期待しつつ、ここにも宝が埋もれている予感がするが、私は老い先短いがゆえに、これ以上深入りするのはどなたか興味を持たれる後進にお任せしたいと思う。

(1) Ἀνὴρ δέ τις ἐν Καισαρείᾳ ὀνόματι Κορνήλιος, ἑκατοντάρχης ἐκ σπείρης τῆς καλουμένης Ἰταλικῆς

(2) εἰς τὴν Ἰταλίαν, παρεδίδουν τόν τε Παῦλον καί τινας ἑτέρους δεσμώτας ἑκατοντάρχῃ ὀνόματι Ἰουλίῳ σπείρης Σεβαστῆς.

(3) CIL III.13483a(cf.p.2328,32), ILS 9168. cf., Michael P.Speidel, The Roman Army in Judaea under the Procurators:The Italian and the Augustan Cohort in the Acts of the Apostles, Ancient Society, 13/14, 1982/3, pp.233-240.

Filed under: ブログ

コメント 0 件


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Comment *
Name *
Email *
Website