ペルペトゥア・メモ:(3)書評補遺

 『ペルペトゥアとフェリキタスの殉教伝』関連の、 ジョイス・E・ソールズベリ『ペルペトゥアの殉教:ローマ帝国に生きた若き女性の死とその記憶』後藤篤子監修・田畑賀世子訳 (白水社、2018年)の書評を某学会誌から求められて、8000字の原稿を提出し、査読を受けた結果700字の追加を認められて完成原稿を提出した。そのプロセスで字数制限で削除したり(この耄碌老人は、なぜか上限を12000字と思い込んでいたのだっ(^^ゞ)、削除部分をここに転載し、またその後気付いたことがあったので、記憶の新しいうちにそれをメモしておこうと思う。実は、この殉教伝、謎が満載なのである。

(1)先行研究:以下が冒頭での削除箇所

 最初に私事に触れることをお許し戴きたい。私が本書の存在を知り入手したのは出版直後のことで、翌年前期の演習で十四名のゼミ生たちとともに読み始めた。当時の授業記録を確かめると、演習をするにはゼミ生が多すぎたので、テキストとゼミを二つに分け週二回でそれぞれ読み進めている。註を含めて二〇〇頁強だったので半期で読了し、後期は関連著作のPeter Dronke, Women Writers of the Middle Age, Cambridge UP, 1984と、Cecil M.Robeck,Jr, Prophecy in Carthage : Perpetua, Tertullian, Cyprian, The Pilgrim Press, Clevel an Ohio,1992の関連箇所へと向かった。そして、一九九九年度の院ゼミでラテン語原典の精読に入った。その成果は幾つかの口頭発表のあと論考にまとめられた(1)

  註(1)「ペルペトゥア殉教者伝をめぐって」上智史学会第四八回大会(上智大学)、一九九八年十一月二二日;「『ペルペトゥア殉教者行伝』をめぐる一考察:「兄弟・姉妹」の意味するもの」日本西洋史学会第五十一回大会(東京都立大学)、二〇〇一年五月一三日;「『ペルペトゥア殉教者行伝』をめぐる一考察:「幻視」を中心に」キリスト教史学会第52回大会(梅花女子大学)、二〇〇一年九月二九日;「殉教者と北アフリカ:ペルペトゥアはキリスト教徒といえるのか:及び、西洋古代史でのパソコン利用の一試行作業」古代史の会月例会(東京大学文学部)、二〇〇一年一二月二一日. 

 思い起こせば足かけ四年の作業で、評者にとってことのほか思い入れ深く,同時にたいへん刺激的な体験だったことを告白しておこう。翻訳に付き合い共に考えてくれたゼミ学生・院生には感謝している。かくして、本書や『ペルペトゥアとフェリキタスの殉教者行伝』(以下、『殉教伝』と略称)に対する評者の見解は、すでに公にしているわけで、本書評の論がおもむくところ、必要に応じて再言ないし修正することになる。

 本『殉教伝』に触れた邦語文献は、長らくカトリック系の聖人伝を除き皆無といっていい状況だった(2)。それが様相を転じ出したのは、本書も基本史料としているH.Musurillo編訳の邦訳の出現で(以下、M訳 :但し著者が不可解な修正を時折加えたためか、邦訳者は著者訳に依拠。二七九頁)、以降多少とも関心ある識者の目に触れるようになった(3)

  註(2)「三月七日(2) 聖女ペルペチユア殉教、聖女フエリシテ殉教、他四名の聖殉教者」シルベン・ブスケ『聖人物語 三月之巻』一九一二(全十二巻、聖若瑟教育院、一九一〇~一九二六)年 ;「三月六日 フェリシタス、ペルペツア両聖女殉教者(Ss.Felicitas et Perpetua MM.)」光明社編『カトリック聖人傳』上巻、光明社、第三版、一九六三(初版一九三八)年、二一五~八頁 ; アダルベール・アマン(波木居斉二訳)「5アフリカの若き母、P」『初代キリスト教徒の日常生活』山本書店、一九七八(原著一九七一)年、二八八~二九八頁 ; ヤコブス・デ・ウォラギネ(前田敬作・山中知子訳)「167 聖サトゥルニヌス」『黄金伝説』4,人文書院、一九八七年、三三九〜三四三頁(原著は13世紀半ばの著作);M-L・フォン=フランツ(野田倬訳)「Pの殉教:心理学的解釈の試み」『ユング・コレクション4 アイオーン』人文書院、一九九〇(原著一九五一)年。

  註(3)「聖なるPとフェリキタスの殉教」土岐正策・土岐健治訳『殉教者行伝』(『キリスト教教父著作集』二二)教文館、一九九〇年[英訳、邦訳に問題なきにしもあらず] ; 堤安紀「Pとフェリキタス : 三世紀初頭、北アフリカの殉教者たち」『上武大学商学部紀要』一〇-一、一九九八年、四一~六二頁 : 秋山由加「セプティミウス・セウェルス帝治下のキリスト教徒迫害」『学習院大学人文科学論集』一五、二〇〇六年、二一~四八頁。拙論は、前掲豊田HP「学術論文」(27)〜(30)参照。その動きと無関係だが、志賀亮一訳によるポーリーヌ・シュミット=パンテル「女たちの肉声」:モニック・アレクサンドル「Pあるいは自己意識」G・デュビィ、M・ペロー監修(杉村和子・志賀亮一監訳)『女の歴史Ⅰ 古代二』藤原書店、一九九四(原著一九九〇)年、七七八~七八九頁 ; モーリーン・A・ティリー(指谷朋子訳)「第三九章 Pとフェリシティの受難」エリザベス・シュスラー・フィオレンツァ編・絹川久子・山口里子日本語版監修『聖典の探索へ フェミニスト聖書注解』日本キリスト教団出版局、二〇〇三(原著一九九四)年、六二一~六四四頁。[なお、西洋女性史叢書の古代史篇の類いの邦訳で、本『殉教伝』の一部が巻頭言的にほんの数行転載されていたが、あまりにひどい訳だったものがあった。その典拠を思い出せない。ご存知寄りの方からの情報を期待している]

(2)『殉教伝』Ⅱの編纂者編集句の箇所: 書評ではⅡ.3にのみ言及したが、そこでの初期原稿と、1とⅢ.1についても素原稿を掲載しておく。

 Ⅱ.1の「若い洗礼志願者が逮捕された。レウォカトゥスと、彼と同じく奴隷のフェリキタス、そしてサトゥルニヌスとセクンドゥルス、そして彼らとともに」Pも逮捕された(一二五頁)、の箇所である。著者は「Pが家の奴隷二人とともに逮捕された」(一六頁)と先述していて、この二人とは「レウォカトゥスと彼の奴隷仲間[女性名詞単数]フェリキタス」(M訳)を指しているのだろうが、なぜ他の二人がそれに含まれないのかは説明しない。また二七頁で「Pと彼女の奴隷フェリキタス」としているが、彼ら二名がPの父のファミリアだったと断定する論拠も示していない。さらに、冒頭の「若い洗礼志願者」に該当するのは最初の四名のみで、すでに子をなして二十二才の既婚婦人Pは含まれていない可能性が高い。有り体にいうなら、少なくとも命名法からして、四名は全員奴隷で、おそらく十代半ば過ぎだったのではないか 。

 そして、Ⅱ・3の最後の一文である。ラテン語原文を、M訳は版本的根拠がないにもかかわらずカッコで括り、著者(=邦訳者)もそれに準拠し「(ここからの彼女の試練の物語はすべて彼女自身が、彼女の考えに従い、彼女自身が選んだ順序で書き記した通りである)」(一二五頁)と訳す。土岐訳は当然のことカッコをはずし「Pその人が、自分の受けた殉教の顛末を、直接自分の手で書いたかのように、すべて順序立てて物語り、自分の意志で(我々のために)残したのである」として、拙訳「彼女は彼女の殉教のすべてを・・・自ら物語った。いわば彼女の手で、そして彼女の意志で書き付けて残したのだった」に近い(以上、下線は評者)。M訳=邦訳者と土岐=豊田の違いは、P自身が書いたのか、彼女は物語っただけで第三者が書いたのか、にある。サトゥルスの場合、彼は「自身の以下の幻を述べた。それを彼自身が記した」としている(Ⅺ・1。 但しXIV・1に誤解を招きやすい文言あり)。よってこの件での軍配は、もちろん編纂者の意図的改竄の可能性も含めて、わが方にあると確信しているが、多くの先行研究者は前者を採用してきた。彼らは、後述のYouTube(「The Perpetua Documentary」)で市井の一視聴者が「She did not write it herself」と喝破しているのを、どう受け取るのだろうか。この一事をもってしても殉教伝全体の構造把握に決定的に重要な文言に、著者を含め研究者が意外に無頓着なのは驚かされる。

 もうひとつ指摘するなら、M訳と邦訳者が、Ⅲ・1「essemus」と5「baptizati sumus」での一人称複数形を、後者だけ単数で訳しているのも疑問だ。また「私たち」とは具体的に誰を指しているのか、これも問題である。Pの父は上流市民の権限を最大限に利用して、娘が収監されるまでに暫時自宅で説得する時間をえた(皇帝祝日挙行の野獣刑用の死刑囚確保は逃亡奴隷で十分だった官憲にとっても、それが好都合だったはず)。奴隷たちはこの特権を享受できるわけもなく、直ちに収監されてしまっていたはずなので、したがって史料を忠実に読む限り、ここでの「私たち」とはPとその幼子だった。洗礼は信者なら誰でも執行できたので、父の不在(Ⅲ・4)を狙って行うことは十分可能だった。おそらく奴隷たちも獄中で陣中見舞いの世話役から受洗したのだろう。ならば先取りして触れておこう。Ⅵ・1-4の裁判の場では彼らがキリスト教徒であることが前提となっていて、これはそもそもの逮捕の根拠となっていた皇帝セウェルスの改宗禁止令(すなわち洗礼志願者とその幇助者が逮捕要件)と微妙に罪状がずれていて違和感がある。殉教伝編纂者の場面短縮によるのか、総督代理の恣意的な審理指揮だったのか。そもそも改宗禁止令など存在しなかったのか。いずれにせよ、著者はそれにまったく関心を示していない。

(3)その後の研究の進展について:以下も全面削除箇所。

 本書出版の翌年から二〇〇〇年にかけて、著名なキリスト教史研究誌に書評が掲載された(4)。興味ある向きは併読されたい。Amazon.comでの一般読者の反応を読むと、おおむね好意的であるが、殉教者というキリスト教徒にとって崇敬対象の人物を、著者が歴史事象の中で解明しようとしていることへの素朴な反発・戸惑いも表明されていて、なるほどと思わされもした。研究対象として扱うことが信仰者をして「何も分かっていない」「headではなくheartでとらえるべき」と苛立たせるのである(この点では、評者は言うまでもなく著者の側であるが)。また本書の表題から『殉教伝』そのものの翻訳の一括掲載が当然のこと期待されていたのに、ばらばらの断片で掲載されていることへの不満も示されていた。なお、本書後も注目すべき学術研究書が上梓されているし(註5)、その上最近、世界に冠たる大学出版会からコミックを加味したものさえ出版されたことに言及しておこう(註6)

  註(4)管見の限りでも、Amy G.Oden, Church History, 67-3, 1998 ; S.Benko, The Catholic Historical Review, 84-4, 1998 ; Shira L.Lander,  Journal of Women’s History, 11-3, 1999 ; Judith E.Grubbs, The American Historical Review, 104-2, 1999 ; M.Heintz, Journal of Early Christian Studies, 7-2, 1999 ; S.Hervé, L’Antiquité Classique, 69, 2000 ; M.Whitby, Classics Ireland, 7, 2000.

  註(5): そのうち主要四冊(二〇一二〜一四年)が以下で書評に取り上げられている。Journal of Early Christian Studies, 24-3, 2016, pp.458-460 ; 25-2, 2017, pp.307-319. とりわけ,今後の研究において版本レベルの検討から出発して逐語的・テーマ的に詳細にいるThomas J. Heffernan, 2012は、見落とせない。

  註(6) Jennifer A.Rea and Liz Clarke,  Perpetua’s Journey : Faith, Gender, & Power in the Roman Empire,Graphic History Series, Oxford UP, 2017. DVDもある(Catholic Heroes of the Faith:The Story of Saint Perpetua, 2009)。 また、関係アニメ・動画も枚挙にいとまない。興味ある向きはYouTubeで、たとえば以下のキーワードを入れると、簡単に鑑賞することができる。 The Story of Saint Perpetua and Saint Felicitas(スペイン語版やインドのドラヴィタ族のマラヤーラム語版もある);Martyrdom of Perpetua; The Perpetua Documentary;St Perpetua and her vision of her little brother in Purgatory !

(4)邦訳について:ここでも初期原稿を転載しておこう。

「訳者あとがき」によると、原書の誤記は断りなしに修正されている由だが(二七八〜九頁)、英語表記「Felicity」については一言あってよかったのではないかと思う。これは書評でBenkoが「Felicitas」とすべきだと指摘していた点である(初出十一頁:但し本訳書では修正済み)。評者が気付いた範囲でも、なぜか一次文献にポリュビオスが抜けているし、六九頁でカルタゴのそれが帝国第二の闘技場となっているのも、通例はカプアがそれに当てられているので異論があるかもしれない。ちなみに、最大はローマのコロッセオ、次いでスパルタクス叛乱で著名なカプア[現Sanata Maria Capua Vetere]、スペインのItalicaと続き、その後は僅差とはいえフランスのCaesarodunum[Tours]、Augustodunum[Autun]、そしてカルタゴとなる計算だからだ。

 邦訳はよくこなれていて読みやすい。そのために邦訳者は多くの時間を費やしたはずである。しかし重箱の隅をつつくようで申し訳ないが、ケアレス・ミスがないわけではない。たとえば、編纂者の手になる冒頭部分に限っても、Pを考える上でキー・ワードとなりえる「matrona」が本文中では「貴婦人」とされている割には(たとえば一〇、一五頁)、[図1・1]では通常訳の「既婚婦人」となっている(二一五頁も)。ここは予断を避けるためにニュートラルな後者で統一すべきではなかったか。また、註(2)の位置が一文ずれたりもしている(一六頁)。六八頁でcolumnsを「円柱」としているが、遺跡写真を見れば一目瞭然で「(土留めの)支柱」とすべきだろう、云々。文献一覧で(そして註記でも)、邦訳を並記する労多き作業をされていて有難いが、管見の限り少なくとも一〇以上見逃しがある。専門家にはいずれも周知とはいえ(たとえば、von Franz, Prudentius, Dumézilなど)、一般読者のために是非再版の機会に付加してほしい。ここで見過ごしやすいものを挙げるなら、第二章註 (17)のオットー・キーファー(大場正史譯『古代・ローマ風俗誌』桃源社、一九六四年、三二頁[但し全訳ではない]; 初版Otto Kiefer, Kurturgesichte Roms unter besonders Berücksichitung der römischen Sitten, Berlin, 1933 ; 英訳初版 Sexual Life in Ancient Rome,  London, 1934)にしろ、彼が引用しているウェレユス・パテルクルス(西田卓生・高橋宏幸訳『ローマ世界の歴史』京都大学学術出版会、二〇一二年、三六頁)など。また、第三章註(19)以降数カ所引用のテルトゥリアヌス『スカプラへ』も目立たないところで邦訳がある(大谷哲訳『歴史と地理:世界史の研究』No.664:235, 二〇一三年、二九〜三三頁)。こういったことを敢えて指摘するのは諸先達の業績に敬意を表したいがためである。

(5)その他の気付き:書評を書いているうちに、ペルペトゥアをめぐる言語状況の複雑さ(と先行研究者の杜撰さ)に気付くことができた。これは私的にはアウグスティヌスのそれと連動してのことなのであるが、それで多少修正付加することができたのはありがたかった(著者ソールズベリはまったく気付きもしていないようだが)。

 また、たとえば『殉教伝』Ⅲ〜Xでの記述が、彼女の獄中日記が元になっているかどうかという論議はなかなか進展しないようである。私見では、彼女を明らかに預言者として位置づけようと種々工夫を凝らして読者を意図的に(誤読へと)誘導している編纂者はいうまでもなく、獄中でおそらく「キリスト再臨直前の最後の預言者」との思いで彼女の言動を逐一聞き漏らすことなく記録しようとしたはずの筆(速)記者が存在したはずなのであるが、そのような視点で立論している研究者が皆無である。管見の限りで、たしかに一応検討している論文があるものの(Jan N.Bremmer, Perpetua and Her Daiary : Authenticity, Family and Visions, in : Hrsg. von Walter Ameling,  Märtyrer und Märtzrerakten, Stuttgart, 2002, pp.77-120;Vincent Hunink, Did Perpetua Write her Prison Account ?, Listy filologické, 133, No.1/2, 2010, pp.147-155)、それでも私見からすると核心に迫っているとは言いがたい現実がある。

 また、あとから気付いたことだが、著者は北アフリカの邸宅の床を飾っていた舗床モザイクに血なまぐさい図像が多く、それが北アフリカ的風土の特徴でペルペトゥアにも影響を与えていた、と強調している(92頁)。まあそう言われてみるとその種の画材がたしかに多くあったなと思い出したりして、なんとなく納得させられてきたのだが、しかしまんまと著者の罠に嵌められていることに気付いたのは、本ブログに掲載するため「野獣刑 ad Bestias」や「野獣狩り Venatio」のモザイクを収集し出してからだった。すなわちバルドー博物館などの所蔵品を総体として見た場合、血なまぐさいモザイクはあることはあるが、著者のようにことさら声高に言って強調するほどには多くないのである・・・。そしてまた、帝国東部や北部においてもこの種の「残酷なモザイク」は存在していて、それについて著者はもちろん知らぬ振りを決め込んでいるわけで、このあたりの印象操作には気をつけないと、とは自戒を込めての反省点。たしかに野獣刑はかなり刺激的な描写となってはいるが、それは再発防止を含めての犯罪者の処刑方法なので、見せしめという別要素が入ってくるわけで、猛獣の狩りなどと同列には論じ得ないように思えるのだが、どうだろう。

野獣刑:リビアのジャマヒリーヤ博物館所蔵
Sousse出土、The J. Paul Getty Museum所蔵
Carthage出土、Tunisia:上記2点、残酷かなあ。噛みつかれているロバの表情がなんだか他人事のようで滑稽
紀元後6世紀イスタンブル大宮殿博物館所蔵:これは残酷ではないわけですね、ソールズベリさん
同上
Römerhalle、Bad Kreuznach,ドイツ
野獣狩りでの思わぬアクシデント? 闘獣士が熊に襲われて:Römische Villa Nennig、ドイツ

【追記】2019/3発行の『西洋古典学研究』67に、本書の監修者の後藤篤子氏が,シンポジウム「古代ギリシア・ローマ世界におけるgender equality:理念と現実」の中でのご発表「古代ローマ社会における女性たちの現実」(pp.95-100)を寄稿されているが、本書やペルペトゥアにまったく触れられていないことを付記しておく。ま、正直いって残念ながらこのような西洋古典学的「上から目線」で論じる限り、いつまでたっても「現実」への接近は果たせないだろう。

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