学会発表レジメ再録:ペルペトゥアとフェリキタスの殉教者行伝:2001/5/16、及び追記

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【追記】 この発表内容、まだきちんと論文にしていないなあ。史料的には絶対にそれ以外読めないのでそうなるのだが、その事実があまりに刺激が強すぎて、時期尚早という自制心が働いていたのかもしれない(そんな配慮なんか全然しないくせに、とは陰の声(^^))。

 で、この発表での自分的に一番の目玉は、ペルペトゥアの夫(というか、今風に表現するとパートナー)は、サティルスであると断定した点にあるのだけれど、発表時においても今に至っても、それに注目する研究者は例の如く反応は皆無であった。これが、そもそも研究者層の薄い我が国の学界の常態なので、別に驚きもしないが、もう先のない身であるので、ここに事後談を含めて書き残しておこう。

 実は、この発表の1年以上後になって文献検索をしていて以下を見つけた。 Carolyn Osiek, Perpetua’s Husband, in:Journal of Early Christian Studies, 10-2, 2002, pp.287-290.

 そこにはなんとなんと、私と同じ結論が書かれていたのであ〜る。ただこの件については理系論文よろしくどっちが早いとかの先陣争いということよりも、私見が妥当だったという安堵感のほうがむしろ強かった(実際,口頭とはいえ当方の発表の方が先だったという満足感はある。私の研究史上、全世界レベルでの新説発見はこれが初めてかと:もちろん極東の無名の私は、インターナショナルな知名度でOsiek女史に負けているが)。私が何をいってもそれは我が国では「珍説」にすぎないのだが、欧米研究者によってそれの「新説」の可能性が生まれたのだから、これを慶賀しないでどうする。

 その後今にいたるまで、この件に関して私の確信はいささかも揺らいでいない。

 今回その後の様子をググっタリ、手元文獻でちょっと調べてみた。まず、Osiek女史がカトリックの聖心侍女会(英語表記でRSCJ:我が国では聖心女子大学を経営している女子修道会)の修道女らしいことを知って仰天した(https://rscj.org/carolyn-osiek-rscj-provincial-archivist)。どうやら新約聖書学が本業のようで、すでに10冊以上の単共著を持っているシスターだったのである。

 次いで、ペルペトゥアの夫問題にはシスターの文献がなぜか2012年以降ようやく引用されるようになってはいるが、やはり全幅の賛意からではないように感じるのは、私のひが目であろうか(たとえば、Thomans J.Heffernan, The Passion of Perpetua and Felicity, Oxford UP, 2012, p.273, 328;Ed.by Jan N.Bremmer & Marco Formisano, Perpetua’s Passions :Multidisciplinary Approaches to the Passio Perpetuae et Felicitates, Oxford UP, 2012, p.59, n.12;Rex D.Butler, The New Prophecy, and ‘New Visions’ : Evidence of Montanism in the Passion of Perpetua and Felicitas, BorderStone Press, 2014, p.91, n.18;Petr Kitzler, From Passio Perpetuae to Acta Perpetuae, de Gruyter, in:Arbeiten zur Kirchengeschichte, vol.127, 2015, S.41, Anm.178)。

 このあたり俗世にまみれた一般研究者のほうがより身近なので、体験に基づいて積極的に発言すればいいのにと思うわけだが、そんなこと書くと自らの旧悪を暴露・追求されかねないので避けているとしか思えない立ち振る舞いなのであ〜る(実際、常に珍説を唱えている私など、周囲から「お下劣」「好き者」と誤解されまくっていて、たいへん迷惑している。この機会に声を大にしていっておこう。言われなき冤罪だ!、と。ただひたすら史料の忠実な読み取りをしているだけなのだ。攻撃は史料解釈への批判であってほしい)。研究者など学問的真理追求を気取り清廉潔白づらしていても一皮むけば、史料の身勝手なちょい読みで、手早く業績を稼ごうというそのレヴェル。現実の追究など実は少しもできない、する気もない輩の集団なのである。その証拠に、私はともかく、清浄な生活を送ってこられたシスターの方がむしろ本質に迫ることができている、というこの事実は無視できないはず。これをみてどう判断するのか、よーく考えてみてほしいものだ。

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