ローマ皇帝ウァレンティニアヌス1世 Valentinianus I(321 – 375年:在位364年-)は、パンノニア州(現在のハンガリー)のブリゲティオ Brigetio(現Szőny)の軍団要塞で、急死した。そこは後86年以降5世紀半ばまで、Legio I Adiutrix の駐留地だった。そこを2017年ハンガリーの調査隊が航空画像調査中に、プラエテントゥーラpraetenturaの南東部、右門付近に、東西方向に延びる大きな建物の遺構が確認された。複数の部屋から成り、アプスで終わるこの構造物は、2017年から2018年にかけて発掘調査が行われ、注目すべき遺構が発見された。それが新築の迎賓館であり、皇帝死亡場所であろうというわけである。

皇帝死去の僅か6日後に後継者になった4歳の息子ウァレンティニアヌス2世(371-392年;在位:375年 – )の皇帝宣言の場もブリゲティオかアクィンクムかと長らく論争となってきたが、ブリゲティオのほうだろうと、発掘者たちは想定しているようだが、私はむしろ、なにしろ幼帝だったので、名目上はともかく実際には彼が居住していたカルヌントゥム近郊の可能性が大のように思えてならない。


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