追記:コロッセウムのトイレ

 本年9月18日にこのブログで報告したように、到着したローマ市内のトイレ研究書が届いた。86ユーロに郵送料が3千円ほどかかって(カラー写真多用のため重量がかさむ)、2万1千円。目先の仕事が終わったので、一番気になっていたコロッセウム内のトイレの箇所を紹介するが、できればこれからもちょこちょこ紹介できればいいと思っているので、まず、市内とその近辺の66箇所を地図で示しておこう。とはいえ小さい表示で見にくいだろうが、今回紹介するのは通し番号19-21がそれである。

 コロッセウムの一般的でかつ簡明な解説は3Dを駆使した以下のYouTube参照。https://www.youtube.com/watch?v=q7Yee9NbccY&t=6s(また、地下構造にも目配りしている以下も一見の価値あり:https://www.youtube.com/watch?v=bmvxRMYxlhE

 このYouTubeはなにしろ件の巨大ネロ像(後代では太陽神像)を並記して描いてくれているので、私好みなのである。但し、翻訳は問題なしとはいえない。「円形闘技場」を「円形劇場」、コンスルを「領事」と訳したり、剣闘士の生死の決め言葉を「いいぞ。ダメです」と訳したりしているのは、訳者が古代ローマ史にド素人のようでいただけない(最後ごろに、なぜか兵馬俑と見まごう画像が一瞬登場するが、これは訳者のせいではないだろう)。

 結論を先に述べると、コロッセウムにも当然トイレはあった。しかし古代ローマ遺跡で普通見かけるいわゆる常時流水・便座型 toilets は確認されていない。私のいわゆる男性用立ちション・トイレurinalsと思われる遺構は確認されている(これは私が南仏のニームの円形闘技場で目撃したと記憶する構造物と同一のものである)。その際、私が未見のチルクス・マクシムスのそれら(本書、26−28)と類似している由なので、できれば実見していずれ言及したいと考えているが、さて・・・。

  5万人から7万5千人収容のコロッセウムでは、人々はショーを見るためにほぼ一日中建物内に滞在したし、その間、食事を摂ったり飲料水も飲んだので、当然トイレが必要だった。水源を近くのチェッリオ丘の貯水槽とする泉水は構内に少なくとも28あって、あふれた水は廊下の床にある長いopus signinum(今で言うコッチョペストで、粉砕したレンガに、石灰石と砂を混ぜたもの。壁や床の湿気を防ぐために使われた)とトラヴァーチン製の溝に流され、そこから縦樋を経て建物の下水道へと流れ込んでいた。しかも円形闘技場は雨期に大量の水を集める構造で巨大なボウル状になっているので、アレーナや下層部の浸水を防ぐための広範な下水道システムが不可欠で、大規模な排水構造が地下構造に組み込まれていた(私はその地下構造を一度見学したことがある:ちょうどにわか雨が降った後だったせいで、すさまじい勢いの流水を目撃できたのは幸運だった)。

 この本に掲載されている写真は以下のようなもので、通路の壁際に構築され一見単純な排水目的のように見えるのだが(そのため、いわゆる便座型トイレtoiletを探していた私は見逃してしまった。迂闊だったが、立ちショントイレとも即断しかねたのも事実だった)、編著者は男性用立ちション便器 urinalとみている。この横溝はコッチョペストないしトラヴァーチン製だった。

 なにしろコロッセウムは、尿税を導入したというウェスパシアヌス皇帝によって建設が開始されたので、ここでも尿を蔑ろにしていたとは思えない、というのは半分冗談だが、上階から縦樋を通じて地下で集中収集して有効利用していたと考えるのははたして私の妄想にすぎないのだろうか。

 これでは単なる排水施設かどうかよくわからないので、参考までにより保存状態のいい前述のチルクス・マクシムスでの掲載写真・図版を見てみよう。チルクス・マクシムスの残存現況は東端のみなので、勢いそこでの限定的知見とならざるを得ないが、私の年来の「立ちショントイレ」仮説がこのように実証されたのは歓喜である。

左:東端平面図          右:東端断面図

 これだけしっかり残っていると明確に立ちション用と認識できる。要するに後世にわたって利用された施設では、部分的な改変は常態なので、コロッセウムではトラヴァーチン部分があらかた取り外されてしまった可能性が高い。その点、チルクス・マクシムスのほうは旧態のまま残存しているわけであろう。この形式は、オスティア遺跡の他でも散見できて、以前紹介したことがある。

 それにしても、現況を前提に考える場合、女性はどのように用を足していたのかが疑問となるが、一つの解決策として女性は最上階での見学が指定されていたので、それは現況では取り壊され原型が消え去ってしまった、ないし、現存設備の一部をカーテンで区切って用を足していた、などが考えられているようだが、ウェスタの巫女や高官関係者の女性は低層階で見物できていたと思われるので、後者がより妥当ではないかと考えている。また大便に対してはどう対応していたのか、私のような食せば出したくなる存在には気になるところであるが、この件について本書はとりあえず何も答えてくれていない。そういう便所は後世取り壊され跡形もなく改変されてしまったのか、狭いニッチェを利用して可動式(木製)便座の下に桶を置いて用を足し、奴隷が小まめに処理していたので、設備的に確認できないだけだったのか、と想像するしかない。

社会身分による座席指定状況の想像図

 ところで、現代イタリアにも通じることだが、日本同様あちらでも壁の隙間などでの放尿は一般的で、私もテルミニ付近でかなりの臭気を感じたことがある。といった現実的事情も存在することも研究射程に入れておきたい。

【追記の追記】2009年出版の以下をとうとう発注した。500ページ弱で送料込みで4万円強となるが、ニームの円形闘技場がらみを初めとして、私のトイレ研究では不可欠と判断したからだ。

 ・・・10日後に「都合につきキャンセル」との通知が届いた。代わりを探したが現段階では見つけえなかった。2022年からのデジタル版入手も検討中だが可能性は低い。もちろん国内大学図書館所蔵は確認されていない。残念である。

【追記】昨日登学してついでに調べたら、チルクス・マクシムスについて、以下文献でもすでに1箇所トイレとされていた。J.Humphrey, Roman Circuses:Arenas for Chariot Racing, London, 1986, p.109. “Lastly, a drainage canal linked to an earthernware pot (a possible latrine) was found in bay F (fig.44)”. その意はおそらく、放出された小便は縦樋で地下に設置された土器製容器に収集されていた、ということだろう。ちなみにfig.44でのその場所Fとは、上記平面図で右から2つめの表記「urinal?」である(Humphreyは他は無視し、壁関係の測量結果も異なっているが)。

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