月: 2025年10月

アドリア海の海面上昇の証拠

2025/9/9:https://www.labrujulaverde.com/en/2025/10/roman-wooden-palisades-discovered-in-italy-reveal-dramatic-sea-level-changes-in-the-adriatic-at-the-beginning-of-the-middle-ages/

 アドリア海の北端に位置するイタリアのアクイレイアは私の大好きな遺跡都市で幾度も行ったが、そこから南に一直線、最後はラグーン lagoon(潟)の中を細い自動車道が延々と走るという異景観で行きつくグラード Gradoにも足を伸ばして毎度のように訪問、遺跡もさることながら、昼食でシーフードと白ワインをゆったりと食す時間を楽しんだものである。

 そのグラードのいわゆるCastrum(要塞)地区(https://grado.it/en/what-to-do/art-history-and-culture/the-city-and-the-historic-centre/the-castrum)の城壁から25mの場所で、2019年の下水道網整備工事中に、3mの掘削で三種類の木柵が出土した。

黄色がCastrum地区、赤丸が発掘地点
発掘場所部分図

 最古の柵は後1世紀後半から2世紀初頭にかけてのもので、ハンノキの板材でしっかりと構築された連続した防壁で、斧で研いで地面に打ち込んでいた。それは、ローマ人がラグーンを埋め立てるために積み上げた瓦礫、陶器、家庭ごみなどの人工的な埋め立て物を封じ込めることだった。こうして住民が泥に沈むことなく海岸にアクセスできる堅固な表面が生まれた。

木柵US 14出土状況

 現在の海面下0.60メートルで発見されたこの柵の頂上には、恒久的に水没していた痕跡が全く見られなかった。水中でのみ木材に穴を開ける「シップワーム」“shipworm” として知られる軟体動物、テレド・ナバリスTeredo navalisによる穴もなかった。

 木柵US 19 は、年輪年代学によって西暦566年と正確に年代測定されたが、全く異なる物語を語っている。この柵は、地面に垂直に打ち込まれた頑丈なオークの柱で構成されていた。US14とは異なり、これは連続した防壁ではなく、むしろ杭がコンパクトに集まっている構造だった。そして、現在の海面下0.80メートルから0.90メートルに位置するこれらの杭の先端には、テレド・ナバリスの攻撃を受けた明らかな痕跡が残っていた。これは、6世紀までに海面が上昇し、この森が恒久的に水没し、海洋生物の餌食になったことを示している。

 木柵US 30も、同じくオーク材で作られた柱が3本のみ残っている。放射性炭素年代測定によると、US 19と同時期に建造された。この柵の目的は海水の流れをせき止めることではなく、砂質湿地帯に築かれたグラードのカストルム(城塞)自体の基礎を安定させることだった。

手前がUS 19、背後がUS 30.

 計測結果によると、西暦100年頃(ローマ帝国時代)、グラード海岸の相対海面は現在と比較して-1.20メートル±0.30メートル。つまり、海面は現在よりも1メートル以上低かった。木柵US14は、時折しか洪水が発生しない環境に建設された。西暦566年(古代末期)までに、相対海面は約-0.80メートル±0.30メートルまで上昇した。これは、約400年間で約40センチメートルの純上昇に相当する。木柵US19は、この海水の侵入に対応して、洪水を起こした土壌を圧縮・補強するための苦肉の策として建設された。

 この学際的な研究は、地中海の気候と地質の歴史という複雑なパズルを解き明かす新たなピースである。海面変動は新しい現象ではない。最終氷期後の氷河融解といった地球規模の要因と、地盤沈下といった地域的な要因の影響を受けていた。綿密な科学的研究によって、簡素な木製の柱は、単なる構造遺構から、海面上昇に抗う地域社会の闘いの正確な記録へと変貌を遂げた。

 これは、ナポリ湾岸での海面上昇と連動していたはずで、ただこちらでは火山活動での上昇・沈下が問題となる。

 

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