石破降ろしの茶番

 なんとも奇妙であるが、本人が辞めると言っていない(という)のに、新聞が辞任報道をして号外まで配った今回の茶番の背後には何があったのか(しかも今に至るまで誤報でしたと言わないのにはあきれ果てる)、それをなかなか説得的に述べている論説を見つけた。

 2025/7/30の「高野孟のTHE JOURNAL」:「安倍政治の亡霊」を断ち切る覚悟。今さら“怖いもの”なしの石破茂が右派との最終戦争の末「戦後80年談話」で堂々と遂げる“戦死”(https://www.mag2.com/p/news/651749)。

 旧安倍派の残党で暗躍が見え隠れしている5人組だっけの旧態以前の言動を目にするにつけ、「消えろ!」と言いたくなる私がいる。

【続報】2025/8/28 のインターネットに以下が掲載された。「読売新聞が死んだ日:経済誌元編集長が憂う「ジャーナリズムの未来を語る資格はない」あの”誤報”はいったい何だったのか」:https://shueisha.online/articles/-/254918?disp=paging&page=1

 どうやら週刊文春8/20号に、誤報の後始末で読売新聞社の社長が、社会の木鐸に相応しくない不明朗な動きで事態を収拾しようとした、と報道したかららしい。検証報道の基本を押さえず誤報を出し(首相本人に確かめてもいない)、挙げ句、未だ誤報と認めないという精神構造は、確かに社会の公器としての信頼性を著しく損なっていると言わざるをえない。記者も社長もXやFacebookなどのSNSの軽い乗りで記事書いたり事態収拾に動いているように思えて仕方がない。こういうトランプ的な言った者勝ちの風潮の蔓延は問題である。

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