ちょっと子細あって以下の本をペラペラ読みした。戦争責任に特化した内容ではないが、カトリックの一信徒で、「日本カトリック正義と平和協議会」で社会問題に関わった人が書いた本である。
木邨健三『このままでいいのか:ともに考える人権』サンパウロ、2007年。
私より20年先輩だから、たぶんもう逝去されていると思う。
こういう問題は、立場が違うと論が永遠にすれ違ってしまうので、非生産的で私は好きではないが、両論、否、各論並記して見比べるにしかずである。そして著者がこう書いていたことに私は引きつけられた。
p.14:当時の「公教要理」では、カトリック以外の宗教を否定していました。今の教えとは天と地ほどの相違があったんです。神仏を拝んではいけない、たとえ自分の親兄弟姉妹が亡くなった場合でも、カトリック以外の葬儀には行ってはいけない・・・といった厳しい解釈をしていました。ですから、この解釈に忠実だった信徒が、神社参拝拒否事件を起こしたわけです。
最後の一文にはちょっと引っかからずを得ないが(果たして本当にそうだったか、と)、「当時」の厳格な公教要理の教えが本当にそうだったとするならば、それから100年を経ての現在の有り様の様変わりは同じ宗教とは思えないかもしれない。国家権力と制度教会といった大所高所のやり取りではなく、一般信徒レベルのこういった肉感的背景をこそ掘り起こす必要があるように感じるのである。これは紀元後1〜3世紀の初期教会と国家宗教化した後4〜5世紀の違いに類した現象のように思える。
関連で、以下をみつけた。1891年(明治明4年)1月9日の、「内村鑑三不敬事件」である。こういう問題は一旦社会問題化すると現に起こった事実はどこかに飛んでいってしまい、観念的な攻撃に晒されがちであるが、その実際に肉迫した以下の論文を読むとその辺りが如実に再現されていて、興味深い。
赤絵達也「<ためらう>身体の政治学:内村鑑三不敬事件、あるいは国家の儀式空間と(集合的)身体・論」関東社会学会『年報社会学論集』17号(2004年)、pp.1-12.
論文名に明示されている「ためらう身体」という、リアルな表現があの時の現実感覚を彷彿させていて、実に興味深いのである。そこに、偶像化・神格化された無教会主義者内村はいない。状況に翻弄され戸惑う生身の哀れな内村が登場している。30歳のときのことだった。
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