ここでの「軍旗」は、旧日本陸軍の師団旗に相当する軍団旗の鷲旗(aquila, pl.aquilae)ではなく、ここでは仮に「連隊旗」と名付けたvexillum(pl. vexilla)のほうである。軍団の象徴として各軍団に1つしかなかった鷲旗はこれまで現存が確認されていないが、絵画や記念碑などから形状や役割は明白である【私はシチリアのPiazza Armerina(別名:Villa Romana del Casale)の外玄関の門柱の角柱に人知れずそれらしきものを図案化したフレスコ画が残っているのを見つけ、密かに興奮したことを思い出す。これって普通のガイドブックには載っていないから、これから訪問する人は、遺跡の入口方向からずずっと反対方向にまで突き抜けて、是非それを確認してほしい。そっちが当時の入口だった】。
その点むしろ軍団内に多数あったと想定される連隊旗の種類や形状は不明なことが多い。そのうえ時代の経過による変化もあったはずである。私は拙稿の中でvexillumに「皇帝旗」をも含めた叙述を書いたことがあるが、もちろん仮説である。しかし当たらずとも遠からずと確信している。

現存唯一の連隊旗なるものは、1911年ごろにエジプトで発見された3世紀のもので、現在モスクワのプーシキン美術館所蔵だそうだ。ただ来歴および使用部隊名も不明である(ということはその信憑性は幾重にも眉唾で臨まなければならない、というわけだが)。残存しているのは勝利の女神ウィクトリアが描かれた厚いリネン製の布で、形は47×50センチメートルで、下端にはフリンジ(房飾り)をかけたような跡がある。現存しない木製の筒棒に取り付けられていたことも知られている。

以上の情報は、2024/4/15にスペイン語版ウィキペディアで公開された。
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