墓にSol神?:Ostia謎めぐり(2)

 帝都ローマの外港オスティアには、いまだ解き明かされていない謎が幾つも残っている。 

 この港町には東の城壁門外に墓地があって、紀元前からキリスト教時代までの遺跡が残っている。今回紹介するのは、後1世紀に創建され、その後増改築された「Tomba degli Archetti(弓の墓室)」(Heinzelmann M. – Martin A. – Coletti C. , Die Nekropolen von Ostia, München, 2000 掲載の図版だとB6)である。ここの北側外壁の装飾に、私にとってたいへん興味深い図柄がある。どうやら太陽 Sol(神)なのである。かなり遊び心が加味されているようでおもしろいので、いつか多少踏み込んで紹介したいテーマのひとつである。

 この墓室は紀元後1世紀前半の創建になるが、おそらく二世紀前半(紺色)に改修、三世紀初頭(赤色)に増築されたようで、くだんの壁部分は、赤と黄色のレンガ、それに黒色の軽石がモザイク状に組み合わされている。本来5つのアーチ内に描かれていたが、うち現在4つが残存していて、図案は2種類あったようだ。

 それにしても、なぜここに不敗太陽神Sol Invictusにつながるようなデザインが残されたのであろうか。

    この上 ↑
東側からの画像
北(正面)からの画像
左端:一番保存がいいもの
放射光だらけ上記との違いは、円・楕円模様にある
これは黒色の軽石なんかが剥落しただけかも
現在の右端:もともとは、この右にもう一つあった

 この墓室からは他にも興味深い遺物があって、ひとつはすでに失われてしまったらしいが、猪狩り(この墓室名はここから来ているらしい)と船の部品類を描いた多彩色のモザイク床である。もうひとつは、セウェルス朝時代に増築された南側の左の部屋のトラヴァーチンで囲われた通路上のまぐさ石上に「H(oc)・M(onumentum)・H(eredes)・N(on)[S(equetur)]」、すなわち「本建造物は相続人たちに[帰属]しない」(相続人といえども売買することを禁じる)という定形銘文が穿たれていることだ。

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