月: 2019年4月

おもしろトイレ・モザイク新発見:トイレ噺(3)

 ほんとは遊んでいる場合じゃないんですが (^^ゞ  これも遅ればせながらですが、面白いウェブを見つけてしまって。しかしこういう話題は図版や写真がないと説得力ありませんので、典拠を明記してあえてアップします。ご寛容のほどを。

 場所は小アジア半島南部の、Antiochia ad Cragumのローマ遺跡の紀元2世紀の公衆浴場内のトイレから面白い床モザイクが発見された(2018/11/2)。 

https://www.livescience.com/64000-dirty-jokes-mosaics-discovered.html;https://archaeologynewsnetwork.blogspot.com/search/label/Archaeology?updated-max=2018-11-14T08:00:00-08:00&max-results=10&start=839&by-date=false#yxIPrbQjzYfkfUHG.99



出土状況を俯瞰する
モザイク中心部

 左の区割りはギリシア語でナルキッソス。ギリシア神話で、水面に映った自分の美しい顔にみとれ、自分に恋い焦がれて死んだ。そのあとに水仙が咲いたので、欧米では水仙をナルシスと呼ぶ。この故事に倣いつつ、このモザイクは男根をしごいている次第。なお鼻が長いのは、当時の美術表現では醜男を表現している由。だから、水に映してうっとり見ているのは顔ではなく、自慢の男根ということになる。彼のかぶっている帽子は、腸卜師ないし占い師のアトリビュートに類似しているように見えるが、さて。

辻占い師:国立ナポリ博物館所蔵

 右区割りのテーマはギリシア語からガニュメーデース。美貌の彼に一目惚れしたゼウスは鷲に変身して、彼をさらってオリュンポスの神々に酒を注ぐ給仕にした。このモザイクで彼は酒瓶の代わりに右手にトイレ掃除用具のスポンジを持っていて、トイレにふさわしい絵柄となっている。ただそれだけではなくて、こっちの構図はなかなか複雑。たとえば彼は左手で鷲ではなくサギのような首とくちばしが長い鳥の頭をなでている。お尻の後に出ているもの(は私には最初男根に見えたのだが:こういう構図はナイル河畔風景図によく登場するピグミーでおなじみ、といいたいが、前の方に睾丸らしき袋が見えるので、ちょっと無理か)を、鳥が長いくちばしで突いているようだ(発掘者は、鳥がスポンジをガニュメーデースのお尻(より露骨に言えば、肛門)に当てている、と想定している)。

ピグミー像:国立ナポリ考古学博物館の旧秘儀の部屋前設置のナイル河畔風景モザイク(筆者撮影)

 ギリシア・ローマ時代では白鳥などの首の長い鳥は男根をあらわしているわけで、ガニュメーデースのかぶっているのはフリュギア帽となると、これはもう小アジアという場所柄もあり、自ずとキュベレの若いツバメのアッティスも連想させる。こうなると二重に男色を暗示しているように思えてしまう。なんともはや、ということで観る者の知識レベルに応じて幾重にも謎解きの読み込みが可能となる仕組みなのかしらん。

これは2018/11に公表されたポンペイ出土のレダと白鳥のフレスコ画
http://labaq.com/archives/51903082.html

 ギリシア神話をパロって、浴場やトイレの使用法には色々ありまっせと、用を足しに寄っている人たちの笑いを誘い、同時に知恵比べを挑んでもいるといえる。この手の内容は、 以前論文で扱ったオスティア・アンティカ遺跡の「七賢人の部屋」のフレスコ画と通底しているといっていいだろう。実はオスティア・アンティカ遺跡にはもう一つ、興味深い趣向を示す事例がありまして。機会があればまた紹介します。

【追伸】このブログを読んだ某君から、さっそく、ガニュメーデースの男根の描き方で亀頭が露出ているのは意味ある、とご指摘が。たしかにギリシア・ローマでの男性(神)像はおしなべて慎ましく上皮で包まれて(え〜、直接的に表現するなら、包茎で)描かれているのが常でして、これは性欲という獣(自然)的な欲望を理性で抑制できている神や人間の理想像を表現しているんだそうです。私など地中海人には包茎が多いのかしらん、とあて推量してましたが (^^ゞ、やっぱ観念論ではあきません。けど、その実証に励むのは・・・ちょっとねぇ・・・パスです。

 逆に旺盛な欲望の持ち主の場合は亀頭露出で表現されるわけです。ギリシア壺絵だとサテュロスなんかそうですよね(包茎もいるけど:下の図版は露頭型です」)。その下の、国立ナポリ考古学博物館の旧「秘技の部屋」所蔵(現在は、同一場所を整備して、年齢制限付きで公開[その実、いかにもイタリア的でして、チェックなし])のポンペイ出土フレスコ画(ヘルメスの姿を取ったプリアポス像)なんかもそうです。

紀元前6世紀半ばの壺絵:国立マドリッド博物館所蔵
(著者撮影)

【追記1】レダと白鳥のフレスコ画発見場所だが、ひょっとすると2018年夏に、第5地区で同じフレスコ画でPriapusの絵が発見されていたが、そこと同一邸宅かもしれない。 https://www.ancient-origins.net/news-history-archaeology/priapus-fresco-pompeii-0010592

【追記2】ピグミー関係ググっていたら、偶然こんなのを見つけてしまった。今回発見のと画題が似かよっている、といえなくもないような。

スペインのイタリカ、Casa del Planetarioモザイク部分

 またこんなのも見つけた。これは2017年のオークションに出たモザイクらしく、出土地等の由来は不明であるが、ホメロスの『イリアス』III.1-9を最古とするピグミーとサギcranesの闘いを描いたものとされているが(cf., Augustinus, De Civ.Dei, XVI.viii.1)、闘っているようには見えない。http://benedante.blogspot.com/2017/06/pygmies-and-cranes.html

KRA以外のギリシア語が読み取れない。有識者からのご指摘を期待したい。ΚΟΠΡΟΣなら「糞」なんだけど。下の一文もさっぱり。一種の早口言葉か

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小学生が読む古代ローマ・トイレ話:トイレ噺(2)

 2017年の2月に、見知らぬ女性からメールが送られてきた。彼女は小学生対象の雑誌を編集している由で、私のHPで古代ローマのトイレ話を知ったので、使わせてほしい、という内容だった。少しでも納税者の子弟に恩返しできればと、もちろん私はよろこんで快諾。こんなことは初体験だし。くだんの女性は後日イラストレーターの女性と一緒に大学の研究室に姿をみせ、諸々の相談となった。こうして、九大の堀先生との共同監修で、2017年4月号に総天然色(我ながら表現が古い!)の見開き2ページで掲載された。そして翌年「好評につき再掲載したいので、修正ありますか」と。そして今年もその連絡があった。主役は張れないが息抜きのコラムとしてはいい話題なのだろう。

『チャレンジ4年生わくわく発見Book』ベネッセ、で不動の12-13ページ!

奇しくも同時期に、一連の「うんこ漢字ドリル」が出現し、これはもう大反響で(私ももちろん孫向けに購入)、なんと半年後には二匹目のドジョウをねらって別出版社から「おなら」も出版された(こっちもしょうがなしに購入)。さすが「おしっこ」はまだ(というか、もう出ない)みたい。絵本「おしりたんてい」シリーズは2016年から出版されている。子供がよろこぶお下劣な身振りのドリフはかつて教育ママさんたちにさんざん叩かれたが、これも時代なのだろうか・・・。

 そんなことを思い出して久々に「古代ローマのトイレ」でググってみたら、私の2015年5月月報掲載の「古代ローマ・トイレの落とし穴」の(1)が、5番目に出てきたが((2)は15番目)、なんとなんとそれらを参考サイトに引用しているHP(https://anc-rome.info/toilet/)に8番目で遭遇できた。有難いことだ。ちなみに、1番目は「高い技術で知られる古代ローマのトイレは、それほど衛生的じゃなかったみたい」だった(その元になった英語論文は2016年1月)。こうして徐々にではあれ、より正確な情報がじわじわと拡散していくのを観るのは、嬉しいし楽しみでもある。

 それでふと思い出したことがある、某有名出版社から某著名教授(とその教え子)の名前で某翻訳書が出版され、さっそくウェブに幾つか高く評価する高名な肩書きをお持ちの人たちの書評が書き込まれた。もちろんアマゾン・コムのレビューも異口同音に称賛の嵐。だが某学術誌で書評を求められてその翻訳書を精読していた私が見るところ、出版社の宣伝文に依拠しての、まあ誤読もいいところのよいしょの内容だったので、私は、世の高名なる識者の読解力がおかしい、と辛口の苦情をレビューに書いた(もちろん書評本文にも)。これも気になっていたので昨日確認のためググって見たら、いつの間にかよいしょ書き込みは(もとより、レビューも)跡形もなく消え去ってしまっていて、驚いた。

 読んでいる人は読んでいるということか。恥を知る人がいたというわけか。しかし、素人の市井の人はともかくとして、自分の見解を修正したらそれを明記するのが、研究者たるものの矜持のはずなのだが、ささっと消して、なかったことにしてしまったのですね、と反問せざるをえない私だった。業界情報に詳しくはないが、きっとインターネット時代に対応して、ウェブへの書き込みが売らんかなの新手の宣伝方法になっているに違いない、と睨んでいる。ま、私でもそうするだろうから。

 と、まあ、他人のことは気軽に言えちゃうのだが。私自身も最近昔の発表レジメ見ていて、あれれどうして、という類いの誤記を見つけてしまった。これなど今さら訂正する機会もないわけで。気付いた人は教えてくれよな〜、と言いたくもなるのだが、層の薄さのせいか気付く人もいないわけで・・・。ひたすら恥じ入るのみ。

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先達の足跡:(3) 堤安紀

 「つつみ やすのり」と読む。私的には、ペルペトゥア関係で初めてその存在を知ったが、最近になってオリゲネスがらみの論考をお持ちになっていることにようやく気付いた。私が関連の論考を書いたときにフォローしてなくて、申し訳ないことです。以下、とりあえず知りえた論考を列挙しておくが、それ以外にフランス語からの神学関係の翻訳を5点はお持ちである。彼は、東京教育大学農学部をご卒業後、リヨン・カトリック大学で修士課程を修了されている。私より7歳年長のようである。論文は20世紀で打ち止めで、これまで2014年版のクセジュの共訳『イエス』が最後のお仕事のようだ。

  • エウセビオス『教会史』にみるオリゲネスの教育活動の枠組とその視点. 上武大学論集. 1976. 8
  • オリゲネスの『ケルソス駿論』(]G0004[).65から:歴史と自由の概念について. 上武大学論集. 1981. 12
  • オリゲネス著『ケルソス駿論』(]G0008[).68とその背影について. 上武大学論集. 1982. 13
  • アンティオキアのイグナチオ・その生涯と神学. 上武大学論集. 1983. 14
  • ヒッポリュトスの『使徒的伝承』、その共同体構造と教育. 上武大学論集. 1984. 15
  • エルサレムのキュリロスとその教育思想. 上武大学論集. 1985. 16
  • エイレナイオスの「時」の概念. 上武大学論集. 1985. 17
  • ヨハネス・クリュソストモスの教育思想. 上武大学論集. 1986. 19
  • バシレイオスの「時」の概念. 上武大学経営情報学部論集. 1987. 3
  • リョンの殉教者について. 上武大学論集. 1988. 23
  • 婦人の身嗜み:服飾と美容について:テルトゥリアヌスの神学的人間学の一端. 上武大学商学部紀要. 1992. 4. 1. 21
  • 二世紀初頭のキリスト教徒とプリニウス書簡. 上武大学商学部紀要. 1997. 8. 2. 85-118
  • ペルペトゥアとフェリキタス:三世紀初頭,北アフリカの殉教者たち,上武大学商学部紀要, 1998. 10-1. 41-62.

【補記】私が大学に入った頃の「史学概論」では、先行研究の調査がたいへん重視されていて、そこで論及されていない論点を展開してこそ真の論文である、とされていた(と、私は認識していた)。しかしそれをやっていると実際には切りがないし(対象が欧米だと、数カ国語で毎年幾つか論文・著書が際限なく公表・出版され続けるし、19世紀以来の蓄積も半端ではない)、先行研究の細道を辿って迷路に行き詰まる閉塞感に捕らわれもする。今になって思い返すと、それだけ欧文の先行研究を熟読味読せよ、という意味だったのではないかと推察するが、その袋小路で戸惑ううちに、こりゃだめだと方向転換したのが、私の場合は史料精読主義だった。原典史料が何を中心に述べているのか、それが文書研究の基本のはずが、いつの間にか先行研究者が自分の関心で書き綴っている研究論文や著書の精読で精力を消耗してしまっている、これでいいはずはない、と考えての思い切りだった(実際には、もうひとつ、原典精読主義が言われていて、こっちの壁はギリシア語とラテン語だったし、これだと今度はいつになったら論文書けるのかが不安になるというわけ)。平たくいうと、原典を読んでそこでぶつかった課題に関して論じている先行研究をフォローしちゃえばいいのでは、というわけである。

 さて、我が国で初期キリスト教を専門としている研究者はそう多くはない。であれば邦語文献は相互に味読されてしかるべきはずなのに、上記の堤氏のものにしても、少ない研究者間で相互検討されているようには思えない現実がある(具体的には註記で引用されることがあまりに少ない:これは既述の水川氏も同様である)。いわんや相互批判においては皆無に近い。これでいいのか。これは私にとって積年の疑問なんですよね。

【追記】彼が共訳したシャルル・ペロ『イエス』が届いたので、さっそくもう一人の共訳者支倉崇晴氏の「訳者あとがき」を読んだ。彼は私より10歳年上で、堤氏とは東京カトリック学生連盟(カト学連)で旧知だった由。堤氏は東京教育大のカトリック研究会でネラン神父が指導司祭だったらしい。こんなところで学連の先輩に出会うとは思わなかった。今年2月の日経新聞の「私の履歴書」で五百籏頭眞氏(私より4歳年上)が一言もそれに触れていなかったあとだったから、なおさらである。書く書かないは、そこでの経験の軽重認識の表れなのだろうか。

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ノートルダム大聖堂火災:ケルトとイスラームとゴシックと:飛耳長目(8)

 ノートルダム大聖堂火災に関連して、興味深い記事が飛び込んできた。 http://miu.ismedia.jp/r/c.do?134G_kmC_1RO_sds  
 
 とりあえず、無料読者登録をすると読めるはずです。  
 私にとってのキモは、「ゴシック」という西欧美術史的な命名は、その実「イスラーム」というのが事実であって、今回消失した大聖堂はイスラーム的建築技術を取り入れた西欧での最初の建築物だった、という点にある。  
 換言するなら、美術史においていかにもヨーロッパ建築史的見地で表現されてきたその内実は、実は先進文明圏イスラームの建築技術のパクリだったというわけ。
 これは専門家には周知の事なのでしょうが、私のような素人には新情報で、だがさもありなんとたいへん斬新な指摘でした。
 ところが、イスラム無視は自称専門家の通弊でもあるようで、たとえば、酒井健『ゴシックとは何か:大聖堂の精神史』講談社現代新書、2001(ちくま学芸文庫、2006)は、そのケルト的源泉に触れているのはいいとして、アマゾンのレビューで「建築技術の発展はイスラーム文明の流入(12世紀ルネサンス)に負うこと等もほとんど記述が無い(12世紀ルネサンスについてはスコラ学のところで触れているにもかかわらず)。完全に精神史に焦点を当てたはいいがそれで全て説明しようとしているところは,危うい」と書かれてしまっているところを見ると、無知は専門家にも蔓延しているようだ。
 一言でばっさり言ってしまうと、自分の立ち位置への見直しなしに、西欧のプロパガンダの口車に乗っかって、訳知り顔に精神史やってたら駄目でっせ、というあたりかと。自戒せねば、とつくづく思う。
  
 また、これには続きがあって、この建物から始まったもののもうひとつに「ドレミ」の和音があるそうで、それは続稿の課題だそうです。こっちも読むのが楽しみです。

【補遺】音楽の件の記事は、以下です。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56155?pd=all

【追記】私はこの火事を知った時、反射的に新手のテロではと疑ったが、その立場のウェブ記事がようやく出てきた。ま、眞相はまだ藪の中ではあるが、私が反キリスト教の過激派ムスリムだったらやっちゃうだろうな、と思う。
 https://i.mag2.jp/r?aid=a5cd4f08dd2068

【追伸2】2019/7/15発の世界キリスト教情報 第1486信に以下が。「ヘルメット姿で行われたミサを伝えるAFP通信ペレ記者」

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ケルト・メモ:(4)4000年前の沼地殺人事件

 またも 4/12に、偶然関連あるテレビ番組の後半を見てしまいました。
 BS朝日 地球大紀行 *44「4000年前から来た男、遺体の謎を追え」   https://www.bs-asahi.co.jp/wild-nature-chikyu/lineup/prg_044/ 

  2011年にアイルランドのキャシェルCashelで、土を掘っていた重機のオペレーターが、埋もれていた死体を見つけた。当初、これは殺人事件の被害者かと思われたが、それはあまりに保存状態が良いために起こった誤解だった 。  
 科学鑑定で遺体の男性は、4000年前に死んだという驚くべき結果が得られた。ではなぜ、彼は死んだのか? CTスキャンや胃の内容物の調査、そして犯罪捜査の手法を用いて謎の死因に迫る。そして見つかった証拠の数々…。  
 彼は若き王だったのか? だとすれば、なぜ彼は殺されなければならなかったのか? カメラが彼の正体に迫る。  
 (実は、昨年の9/14には、*36「沼に沈んだ遺体 2000年前の殺人事件の謎を解く」もあったようです。https://www.bs-asahi.co.jp/wild-nature-chiky u/lineup/prg_036/)  

 この番組の主眼は、沼地で殺害された男たちは王で、しかし穀物の実りが不作だったので、女神の怒りを解くべく殺された(それは、遺体に傷つけられた様子でわかるのだそうです)、その時期は、沼の有殻アメーバーの研究から、青銅器時代から鉄器時代の変わり目(前750年頃)に気候の大変動が実証された、という仮説の提出にあるようです。  
 でもそれだと、遺体の年代と1000年もずれている気がするのですが、前半を見ていないので、はっきりしません。しかし、不作の責任をとっての王の処刑というのはケルト神話的にもありえる話だなと思いました。 
 そして関連で、デンマークのを調べている内に、有名な「ヴィンデビーの少女」が骨格やDNA鑑定によって、最近では若い男性だった可能性が出てきていることも知りました(しかも、姦通の相方とされていた男性は300年も前の人物だった由)。最近のポンペイでの寄り添って死んでいる石膏像の「乙女たちの像」の少なくとも一方が男性だったことが判明したのとよく似た現象で、面白かったです。でもなんだかなあ、ロマンが・・・。
出土状況
あとから見つかった部位を含め、広げるとこうなるらしい

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ポンペイの石膏像修復で分かった新事実:遅報(4)

 遅ればせながらのご報告です。  
 2019/4/6放映のNHK 地球ドラマチック「ポンペイ 石こう像の新事実」44分を、現在オンデマンドで見ることできます。東京では15日00:00からEテレで再放送されるようです。これは2018年イタリア製作のもののようです。  
 これは石こう像の修復にともなって、DNA分析を含む、先端光学機器で分析する様子が紹介されていて、我々の研究にも大いに参考になりそうです。  
 私的にもっとも衝撃的だったのは、最後に、DNA分析から、「黄金の腕輪の家」(VII.16.22:Casa di M.Fabio Rufo e Bracciale d'Oro)出土の「家族の像」の4人の間に遺伝的関係がないこと、しかも母親と思われていた像は男性だったことが判明したことでした。また、「乙女たちの像」(I.6.2:Casa del Criptoportico)の一人は男性で、もう一人は特定できなかった、という事実が証明されたことも。彼ら二人が男性だったら同性愛者たちの可能性を発掘者たちは指摘しているようです。こういう発想はさすが同性愛天国のイタリア人の着想ですが、私にはちょっと先走りすぎているように思えて、疑問です(いかにも新聞記者が飛びつきそうな話題にしているとしか思えませんよね)。
 ともかく、ロマンティックなストーリー性が失われて、若干がっかりもしますが、話題になりそうにマスコミを意識し、見た目で判断してきた従来の研究の問題点があますことなく明確に指摘されたわけです。

http://www.thehistoryblog.com/archives/46830
これまで家族と思われていた4体の石膏像:VII.16.22
いわゆる「乙女たちの像」:I.6.2

【追伸】これまでは、もっともらしく以下のように想像されていました。http://karapaia.com/archives/52192827.html

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【追記】ぐぐっていたら、ウェスビオ山の「噴火は秋だった」というブログがあって。で、お節介ですが、それには異論もあってまだ論争中です、ということで。以下参照。坂井聰「ポンペイはいつ埋没したのか:噴火の日付をめぐる論争」『モノとヒトの新史料学』勉誠出版、2016年、pp.160-186. また、一昨年発見の落書きについて、同じ坂井先生の紹介がこのHPの「実験工房」のほうに速報を寄せられています。それまでのつなぎとして、私もこのブログの2019/7/2に書いていますので、興味ある方はどうぞ。

【余談】こんな情報もみつけました:「古代ローマの「恋人たち」 実は男性同士手をつなぎ埋葬」(https://www.afpbb.com/articles/-/3244454?pid=21624720)。こっちの研究者はいたって冷静。

イタリア半島根っこ中央のモデナ出土

原情報はこちら:https://www.nature.com/articles/s41598-019-49562-7

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万里の長城余滴:飛耳長目(7)

 これまた偶然に途中から見たのですが(こんなのばっか)、NHK BSプレミアム「空旅中国 万里の長城」)、4/6に見たテレビが刺激的でした(現在、オンデマンドで視聴可能なようです)。万里の長城を主として空撮してました。土の壁の長城が西へ西へと延びていくわけですが、その影響について、私には興味深い2つのことを、ナレーション(近藤正臣)が言っていました。

 ひとつは、長城の向こう側にいた人々は中国本土を離れると言うまでもなく、遊牧民族でした。彼らにとって、重要な財産は羊で、それは同時に食料だったわけです。羊を伴って彼らは移動してた、というのはこれまでも、まあ常識として知っていたのですが、羊が乗り越えれない壁を築けば、遊牧民は東進南進できなくなる、という理屈には初見参でした。

 もちろん、壁を壊して侵入することは可能ですが、それは部分的な侵入に限定されちゃうわけなんでしょうねえ。

 これを古代ローマ時代に適応すれば、大陸のリメスにせよ、ブリタンニアの長城にせよ、さほど立派な壁でなくとも、十分効果を持っていた、という理屈になります。これまでは、あの程度の壁では侵入は防げなかったけど、その線が文明圏と野蛮の地の一応の境界線を意味していたのだ、などと若干文明論的・精神論的に無理矢理説明されてきたわけですが、今回のテレビをヒントとしてより説得的な説明に私には思えるのでした。しかしまあ、蒙古なんかのステップ地帯と西欧の自然環境を同一視するのはちょっと引っかかりますが。それにしても考えてみると、ブリタニアの中世から近世の画期とされるエンクロージャー(囲い込み)だって、まあ石垣程度でよかったわけですよね。ともかく、この羊の動物行動学的な見方は、これまで私には欠落していた視点でした。

 第二の点は、やはり遊牧民がらみなのですが、草を求めて移動していた彼らが例年の習いで移動してきてみると、そこに長城ができていて、内側に入れなくなっている、そして内側では漢民族が農耕を始めている、という図式です。漢民族と農耕地の拡大は、中国史やっている院生がそんな発表をしていた記憶あるのですが、それと長城が関連していたというのは初耳で(しかし考えてみれば当然ではある)、刺激的でした。しかしこれはどの程度言えるのか、私には確信はありませんが、図式としては面白いなあと。

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Trierでマルクス生誕200年祭の0ユーロ札発行:遅報(3)

 ちょうど1年前のことで、遅ればせですが、以前トリーアがらみでコンスタンティヌス〇〇の1700年祭で、コインを論じたとき、きっと2018年のマルクス(1818-1883年)生誕年でもお祭りするだろうと書いたことがありましたが(http://pweb.sophia.ac.jp/k-toyota/atelier/constantinus_1700.pdf)、やっぱり同様に、今回はお札を発行しているようです。

 あわててちょっと調べてみたら(https://eurocommemorative.com/en/95-edition-2018?page=6)、この0ユーロ札ですが、この類いのお札はお土産用にやたら発行されているようで(ユーロ世界と無関係の中国のものなんかもある)、しかも他のは 3.50€くらいで手に入るのに、マルクスさんのは13.90€の値段がついています。もともとは3ユーロで発売されているのにぃ。なんてこった!

【お詫び】最初、不用意にEvernoteに記憶させていたウェブ記事をそのまま転載してしまいましたが、削除しました。そのウェブ記事は以下でした。https://www.businessinsider.jp/post-166114

【追記】注文した紙幣もどきが、フランスから送られてきた。大きさはほぼ20ユーロ札大だが、心持ち大きめ。図柄は、本物は裏表とも建物だけだが、表中央をマルクスの顔が占め、裏の右端にモナリザの顔の向かって左半分が描かれ、中央から右にかけてコロッセオやエッフェル塔、サグラダファミリアなど5つの建物としょんべん小僧像が描かれている。透かしは、表の右上に変形星形が、そして裏の中央に上下に細く入っている。紙幣の質感は本物と見まごうばかりで、Souvenirとは思えない立派なできばえ。我が国でいうと、造幣局が副業でこういうお土産モノを販売して、手間賃を稼いでいる、という図だろうか。

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奇跡は偶然では起きない:飛耳長目(6)

https://digital.asahi.com/articles/ASM436SC6M43UNHB00Z.html?iref=com_rnavi_arank_nr04

 保育園でのマニュアル改訂直後に、地震と津波がきた。

 職員が考え、努力し、訓練した結果。何より「子どもの命を守る」という保育の基本を共有していたからこそ、できたことだ。

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本ブログの真意:学者稼業の使命:田川建三・弓削達

 田川建三氏が一昨年毎日文化出版賞をもらった。それは知っていたが、それがらみで『新潮』2018/2に「パン屋さんと学者の仕事」を書いていることを最近知って、わが専用図書館で調べてみた。そこにこんなことが書いてあった(pp.300-301)。

 「学者稼業の人間は、学問をやることができるようにと、いろいろ優遇されている。いろいろ面倒もあるとはいえ、やっぱり、学問をやるための自由な時間を大量に保証されて、必要な資料等を入手する便宜もはかられている。しかしこれは、与えられたものである。我々がしっかり仕事をするようにと世の中の皆様から与えられたのだ。とすれば、その学問の成果は、与えて下さった方々にお返ししないといけない。・・・ つまり学問の成果も、少なくともそのことに興味を持つすべての読者の方々に、十分に明晰でわかり易い仕方で提供されないといけない。・・・ 読者が専門家の書いたものをお読みになって、どうも何だかよくわからいね、とお思いになったら、それは、その読者に理解力が不足しているからではなく(そういう場合もないとは言わないが)、たいていは、その学者さん自身が事柄をよくわかっていないから、それでうまく説明することがおできにならない、というだけのことである。 ・・・ このたび七巻八冊の大著を仕上げることができたが、この程度の仕事をやったとて、自慢にはなるまい。・・・ 世の中の多くの方々が黙ってそれぞれの義務を果たしていらっしゃるのだから。」

 それを読んで、久し振りに弓削達氏が似たようなことを昔書いていたのを思い出した。大学教員は、国立はもとより、私立でも給与の半分は私学助成、すなわち国民の血税で養われているのだから、学問的成果を国民にお返しする義務がある、とどこかで書いてあらしゃった。

 私など、常日頃、自分の不勉強は棚に上げ、ろくに社会還元もせずに「ああ、研究費がもっとあれば・・・」と身の不甲斐なさをかこち不満ばかり言っているので、こういう謙虚なお言葉に触れると、深く反省させられる。かろうじて、年間一本をとにかく書くことを自らに課してはきた。それでいばれることでもないし、わかりやすく書けていたかどうかは、だましだましの内実を一番よく知っているので、胸張っていうことはできないが。

 しっかし、それにしても、国民からの禄を食みながら、ロクに論文すら書かない(書けない、書けなくなった)大学教授がなんと私の身近にもいらっしゃったようだが、なにをお考えになっているのか、頭の中をかち割って覗いてみたい気がする。たぶん納税者のことなんか、意識もしていないのだろうな。

 と、まあ他人のことは簡単に言えちゃうわけですが。

【補遺】ここで述べておこう。私はこれまで私なりに将来追求しようと思ってきていた研究ネタを「企業秘密」と称して秘匿してきたが、ことここに至り先のない身であるので、公表していく。願わくば、立志後進の益ならんことを。

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