月: 2022年9月

ローマの水

 画像チェックしていたら偶然1995年のサバティカル時の写真が出てきた。ローマに滞在したとき、しょっぱな何に驚いたかというと、お茶を飲もうと水道水を湯に沸かすととんでもない現象に出会ったことだ。湯に雪が降ったようになるのである。

白い粒子は言うまでもなく石灰である

 そしてこれは写真に撮ってはいないが、紅茶や緑茶の葉っぱやティバッグを入れると、湯が対流しているのが目視できる、あれはなんだろうか「かす」みたいなものが水中をぐるぐる回り、あろうことか湯の表面に虹色に光る金属膜みたいなものさえ。

 もちろん飲んでおいしいものではなかったので、母が持たせてくれた緑茶はすべて捨てた。そのあとで在伊が長い邦人に聞いた所によると、日本茶は、一度湧かした湯の上澄みをとって、それをも一度湧かし、その上澄みで淹れると飲めるようになるのだそうだ。・・・なるほど。

 それで体感的に、あの石灰分の多いイタリアの水に合うのがエスプレッソなんだろう、と思ったわけ。そうそう思い出した。アルル方面めざして鉄道でアルプスの西の国境を越えた所の、フランスのChambéry駅だったと記憶するが、深夜にそこの自販機でエスプレッソ飲んでみたが、すでに美味しくなかった。コクと香りがない。またスペインの東海岸を列車で南から北上していくにつれ、徐々にエスプレッソらしくなってきたのもいい体験だった。要するにエスプレッソの世界はアルプス山脈の南側なのであろう。

 そして、サバティカルの1年間、例のマッキネッタBialettiを使っていると内側に石灰の成分が付着して純白の膜がキラキラ光るようになる。それを帰国して日本の水道水で使っているとぬるっとしたきたない象牙色に澱んでくる。それを見ていると郷愁に駆られてしまっている自分がいる。

 日本では自宅での水道水はもとより、なぜかイタリア製のミネラル水でも、またどんな本格的なリストランテでもエスプレッソ飲んで美味しいと感じたことはない。すべては水なのだ。

【付論】では「紅茶文化」のイギリスの水はどうなのかと気になって、ちょっと調べてみたら、硬水の地区と軟水の地区に分かれていた(https://www.bristan.com/hard-water-map;https://japanesewriterinuk.com/article/water-in-uk.html)。

 なんと案に相違して、イングランドは硬水が主体の地区なのだ。ということは、そこでは紅茶はどうやって淹れていたのか・・・。答はどうやら葉っぱのブレンドと軟水の入手、にあったらしい(https://ringtons-japan.jp/hpgen/HPB/entries/39.html)。

 それで思い出した。大昔、ロンドンのホテルで部屋に置いてあったリプトンの一番安いティーバックを水道水で淹れて飲んだ紅茶のおいしかったこと! ブレンドがロンドンの水道水に合わせて調合されていたのだろう。それで感激して、そのティーバッグを日本に持って帰ったのだが、日本の軟水で淹れても再現できなかった理由もそこにある。だからイギリス直輸入の葉っぱを無自覚で飲んでいる限り、ひょっとすると思い出を飲んでいるだけのことなのかもしれない。味が違う!、というわけでミルクいれて流し込むのが落ちか(じゃあ、ヨーロッパ渡りの硬水のミネラル水で淹れたらどうだ、というとこれでもだめらしい。水に含まれる空気が重要で新鮮な「汲みたての水」でなければいけないらしい:これはイタリアのそれでエスプレッソ淹れても同じことでありんしたねえ、と納得)。すべては水なのだ。

 これは東京も広島もだが、嫁さんお好みで、百貨店の地下なんかで英国渡りのアフタヌーン・ティーなんかに行ったことあるが、スコーンやサンドイッチはともかく、ブラックティーがはそんなに抜群とは感じなかった。もともと私は紅茶が体質的に若干難があるので(妙な覚醒反応があるのだ)、ストレートではなくミルクでごまかす方なのだが。

 うちの嫁さん、大きな缶でイギリス紅茶をありがたく飲んでいるので、こんど軟水用のを買ってあげて男を上げようかな。

【後日談】日本の水でおいしいという触れ込みの「ヨークシャー」のリーフカートンとティーバックを試しに買った。試供品のティーバッグを試して見ると、気のせいかソフトな口当たりでいい感じなのだが、嫁さんは無反応。

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NHK BS4K プレミアム「最強の帝国ローマ」再放送

 2022/9/15(木)午後16:17-17:47の再放送を見ている。これは2021/1/25に初回放映され、何度か再放送されてきたものであるが、なかなかよくできている。ちょっとだけ旧来の臭さを感じさせるが(題名の「最強の帝国」なんて命名がまさしくそれである)、なにしろ、チュニジア、ロンドン、オーストリア、ドイツなどなどの最新の発掘情報満載で、随所で従来定説を覆している構成がいい。

 ここまで出来がいいと、制作NHKとなっているが、おそらくヨーロッパの制作をもとにしているのだろうと、つい思ってしまう私がいる。

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コイン上のカエサル像をめぐって

 先日の読書会で最近発見されたカエサル像や復元像を提示したら、参加者の中から、イメージがえらく違うといった反応があった。何ごとによらず英雄は後世理想化されて描かれやすく、見る側でも集合無意識的に英雄は美男美女であってほしい心理がなぜかあって、相乗して美化されがちである。いわば歴史による整形手術の施工である。

左、2008年ローヌ川底より出土、生前制作されたものと想定されている(あまりの異像にもちろん反論あり(1));中、Leiden国立古代博物館所蔵品のカエサル像;右、Leiden博物館所蔵品から2018年に公開復元されたカエサル像(2)
  • (1) Lorenz E.Baumer, Forme, fonction, identité ? Une approche du <César d’Arles>, dir. per Vassiliki Gaggadis-Robi et Pascale Picard, La sculpture romaine en Occident*Nouveaux regards.Actes de Rencontres autour de la sculpture romaine, 2012, Arles, 2016, pp.75-81.
  • (2) 当然別の復元例もある。cf., Amelia Carolina Sparavigna, A possible reconstruction of the face of Julius Caesar using a marble head from Smyrna conserved by the Rijksmuseum van Oudheden in Leiden, 2019/3/18(https://www.researchgate.net/publication/331833760

 そんな中で、あの時期、コイン上の肖像はかなり自然主義的に実像を反映しているといわれていることを知った(後代になると、すでにアウグストゥスで明らかなように、おおむね若振りに表現するようになったが)。それでちょっと調べてみた。意外と奥行きあるみのり多い内容であった。

 古代ローマにおいても、ブロンズ像や大理石像、蝋人形、カメオ、宝石、凱旋門などに、生前の人物の姿を飾る肖像画の伝統は長く続いていたが、ことコインに関しては、前44年にユリウス・カエサルがデナリウス貨幣に描かれるまで、ローマのコインには生身の人間の肖像画はなかった、と通説的に言われてきた。

 実は、カエサルはそれまで自分の名前を打刻した多くの貨幣を発行していたが、たしかに自分の肖像を描いた貨幣はなかった。

このような貨幣は、軍団兵に給金を払うべく戦地で随時打刻されていた。さてその権限はどうなっていたのやら。

 彼の肖像が登場するのは、彼が暗殺される前44年3月15日の直前3ヶ月の発行分のみなのである。以下がその一例。問題はこれがカエサルの指示によるものか、貨幣造幣三人官の権力者への忖度なのか。いずれにせよ、このような従来のローマ的伝統の一線を越えた行動が、彼の暗殺への動機とされてきたのだが、案外、下っ端の陣笠連中の突出行為が親分カエサルの命を危うくしたのかもしれない。

いずれも、独裁官ないし終身独裁官DICT PERPETVOと刻印されている:このあたりが本人の実像に近かったのでは

 ところが、以上は共和政ローマの国家貨幣製作についてであって、確認される最古のカエサルの肖像画コインは、前47/6年に、小アシア半島のビテュニアの都市ニカイアで打刻されたものだった。ローマからの旧領土奪回めざしたファルナケス2世Pharnaces II(ポントス・ボスポロス王、在位:前63-47年)がゼラの戦いでカエサルに敗れた(この時、カエサルの有名な言葉「来た、見た、勝った」Veni, vidi, vici が発せられた)。その戦勝を記念しての発行。

表面刻印:NIKAIEΩN、カエサル像、裏面:EΠI ΓAIOY OYIBIOY ΠANΣA(=Gaius Vibius Pansa)、右手に花冠、左手に棕櫚を持ったニケー、下部刻銘ϛΛΣは日付236(=前47/6年)

 裏面打刻のGaius Vibius Pansa Caetronianus(前43年没)は、カエサル派で、前47年にBithynia et Pontus属州総督(??:彼の執政官就任は前43年で、当時は法務官格なので、カエサル下でのlegatus職をこう表現したのか)、翌年ローマに帰国した人物なので、パンサの手配での属州都市打刻貨幣かと。

 実はもうひとつ、このコインの1年後の前45年に同じく小アシアのMysiaのLampsacus打刻都市貨幣があることを知った。それが以下である。

表面:月桂冠のカエサル像、裏面:神官が牡牛の鋤でポメリウムを掘っている。銘文には都市二人官の名前などが打刻されている。
   ⇧ Lampsacus    Nicaiaの位置↗

 ところで皮肉なもので、則を超えた生存者肖像掲載はカエサル横死ののちは反カエサル派=ポンペイウス派にとっても当たり前のこととなって、盛んに活用され出すのだが(もちろん伏流水としてカエサル同様先行例はあった)、それは別の機会があれば触れたいと思う(というか、この時代は私の射程外なのでもうないかもしれない)。それまで以下の著作が参考になるだろう。比佐篤『貨幣が語るローマ帝国史:権力と図像の千年』中公新書、2018年。但し私がここで言及したカエサル関係についてはなぜか触れられていないのだが。

【補遺】上記註(1)の論文にカエサルの肖像を種々の角度から撮った写真があるので、参考までにアップしておく。それにより、通常の単独胸像でないことは明白かと。やはり何ごとも表ばかりでなく裏も、上からも下からも見ないといけませんね。

Fig.5は下から、Fig.6は上から撮ったもの

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