万里の長城余滴:飛耳長目(7)

 これまた偶然に途中から見たのですが(こんなのばっか)、NHK BSプレミアム「空旅中国 万里の長城」)、4/6に見たテレビが刺激的でした(現在、オンデマンドで視聴可能なようです)。万里の長城を主として空撮してました。土の壁の長城が西へ西へと延びていくわけですが、その影響について、私には興味深い2つのことを、ナレーション(近藤正臣)が言っていました。

 ひとつは、長城の向こう側にいた人々は中国本土を離れると言うまでもなく、遊牧民族でした。彼らにとって、重要な財産は羊で、それは同時に食料だったわけです。羊を伴って彼らは移動してた、というのはこれまでも、まあ常識として知っていたのですが、羊が乗り越えれない壁を築けば、遊牧民は東進南進できなくなる、という理屈には初見参でした。

 もちろん、壁を壊して侵入することは可能ですが、それは部分的な侵入に限定されちゃうわけなんでしょうねえ。

 これを古代ローマ時代に適応すれば、大陸のリメスにせよ、ブリタンニアの長城にせよ、さほど立派な壁でなくとも、十分効果を持っていた、という理屈になります。これまでは、あの程度の壁では侵入は防げなかったけど、その線が文明圏と野蛮の地の一応の境界線を意味していたのだ、などと若干文明論的・精神論的に無理矢理説明されてきたわけですが、今回のテレビをヒントとしてより説得的な説明に私には思えるのでした。しかしまあ、蒙古なんかのステップ地帯と西欧の自然環境を同一視するのはちょっと引っかかりますが。それにしても考えてみると、ブリタニアの中世から近世の画期とされるエンクロージャー(囲い込み)だって、まあ石垣程度でよかったわけですよね。ともかく、この羊の動物行動学的な見方は、これまで私には欠落していた視点でした。

 第二の点は、やはり遊牧民がらみなのですが、草を求めて移動していた彼らが例年の習いで移動してきてみると、そこに長城ができていて、内側に入れなくなっている、そして内側では漢民族が農耕を始めている、という図式です。漢民族と農耕地の拡大は、中国史やっている院生がそんな発表をしていた記憶あるのですが、それと長城が関連していたというのは初耳で(しかし考えてみれば当然ではある)、刺激的でした。しかしこれはどの程度言えるのか、私には確信はありませんが、図式としては面白いなあと。

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